あの日の残り香
__現実は、どんな形であろうといつか突きつけられるものである。課題を提出しないときやものを壊したとき。夢であってくれと願っていても、無情に突きつけられるものだ。……それが、例え好きな人の死だったとしても。
「…何が面白いんだか。」
普段通りの騒がしいクラスメイトの姿を眺めながら一人読書をする。今までラノベを好んで読んでいたが、最近は純文学を読んでみようと親から借りて読んでいる。当然だがラノベより現実味があり、思わず読み進めてしまった。
「……なんで誰も気にしないんだろうな。」
俺の呟きはただ虚しく、誰の耳にも届かない。届いたとしても気にする者はいないだろう。誰も俺に興味が無いからだ。きっと誰が居なくなったとしてもあいつらは気にする事はないんだろう。誰も何も気にしない。そんな虚しい現実逃避をしたとしても。いつかは悲しい事実が襲うというのに。
「…おはよう、優。」
「……相変わらず沈んでるな、菜奈は。」
誰よりも存在感のない俺に挨拶をする菜奈は教室に来るなり俺に挨拶をしてきた。相変わらず 幸薄そうだ。俺も菜奈もお互いに存在を知らなかったのだが、同じ本に興味を持っていたことがきっかけだ。そこからあまり時間がかからず付き合うことになった。超展開だと思うが、事実なのだから受け止めてくれ。
「余計なお世話。それで、今日はどうするの?」
「……久しぶりにいろんな所回るか。」
元々菜奈がここに来るのは遅い。ほんの少ししか話せず予鈴がなりここで会話は終わる。どうしょうもないことだが、もう少し早く来れないものだろうかと、最近常々思う。お昼までは淡々と事を済ませ、お昼はさっさと食べて本を読む。それは菜奈も同じで、この時間だけはお互いに何もせずただ本を読んで予鈴がなるのを待つ。
「…相変わらず煩いな……」
朝だろうが昼だろうが楽しそうに騒ぐ連中を見ると少し吐き気がする。ワイワイすることの何が楽しいのだろうか。結局他者を蹴落とす為の情報収集をしているだけなんじゃないだろうか。と常に思っている。なんてくだらないことを考えているとお昼休みが終わる予鈴がなり、本をしまう。二時間しかないから…と自分に言い聞かせながら授業を受けると案外早く終わる。だから俺はいつもそうしている。
「…やっと終わった…」
掃除も含めて放課後になる。クラスの奴らはカラオケに行くだのゲーセンに行くだのワイワイしながら教室を出ていくなか、俺は静かにそいつらを見送る。程なくしてクラスの連中も部活やら遊びやらで教室を出ていく。あっという間に俺と菜奈だけになった。
「よし、早く行こっ!」
「…わかったから少し待って」
楽しそうにはしゃぐ菜奈を諭す俺。いつだってこんな感じだった。昨日だって一昨日だって、先週だって先月だって。何も変わらない俺と菜奈のいつもの流れは何があっても変わらない気がする。だって、俺にはこの空間が必要だから。唯一自分を出せる場だから。
「……ここ、俺が告白したところだよな。」
「うん…懐かしいね。」
二階にある俺がいた教室を抜けてすぐにある廊下で告白した。最初はびっくりした様子だったが、すぐに涙に変わってオーケーしてくれた。だいぶ前のことなのに最近のように思える。そのまま歩いていき階段を上る。
「…ここってなんかあったっけ。」
「忘れたの?初めてキスしたところだよ?」
あぁ…そういえばそうだった。告白した後、上の階の景色が見たくて俺が誘ったんだ。その時に「お礼だよっ」とか言って俺にキスをしたんだ。恥ずかしくてお互いに顔を真っ赤にしながら外の風に当たっていたな。
「……お前に渡すものがあるんだ。」
四階に上がるとすぐの所に扉がある。それを開けると真紅に染まった空が見えた。今は涼しい時期なので風が心地いい。そんな中で菜奈に想いを伝えてプレゼントをしようと思っている。
「え?何なに?」
妙に嬉しそうな菜奈を見て、俺は安心した。今なら勇気を振り絞って想いを伝えて幸せになれる気がする。今まで何回も言いそびれた言葉。告白してから言えなかった言葉。あの日、言えなかった言葉を。今俺は言おうと思うよ。
「……俺は、お前が好きだよ。菜奈、俺と幸せになろう。」
「……うん。ありがとうね、優。私もずっとずっと好きだったよ。優じゃなきゃ幸せになれないよ。」
想いを伝えられた。嬉しさなのか悲しさなのか涙が止まらない。視界が霞んで、前が見えなくて、吐く息は熱いのに、頬がびっくりするくらい冷たくなっている。久しぶりに泣いたかもしれないな。
「……ここにプレゼントを置いておくよ。」
「…うん。ホントにありがとうね、優。君には私の分も幸せになってもらいたいよ。」
「…考えておくよ……」
他愛もない話はいつか終わる。たとえ好きな人との会話だとしても、終わらないものなんてない。俺はフェンスのそばに奮発して買ったバラの花を添えると、俺は菜奈がいつも居たある教室に行くことにした。
「…ここに入るのも久しぶりだな。」
俺と菜奈が通っていた文芸部室。ただ本を読むだけなのに、いつもよりゆっくり時間が進む気がして。とても居心地が良くて、いつも暖かくて。幸せ空間だった。
「……久しぶりに紅茶でも飲むか。」
ポットには水が入っている。毎日入れているんだから当然な気もするが、それは気にしない。俺はそれを沸かし、マグカップにティーパックを入れてポットからお湯を出す。安物だが、だからこそ落ち着く匂いがそこにはあった。俺が好きだった匂い。菜奈が好きだった匂い。不思議と本を読みたくなるいつもの匂い。
「……なんで俺を置いて死ぬんだよ。幸せになれる気がしないよ…なぁ、菜奈……」
……現実は、どんな形であろうといつか突きつけられるものである。例えばそれが、好きな人の死だったとしても。受け入れたくない現実なんて山ほどある。それを受け入れて、呑み込んで生きていかないと行けないのかと思うと憂鬱になる。…だが、約束した以上は頑張って進むしかない。「幸せになって欲しい。」彼女は確かにそう言った。なら、俺はそれを実行するだけだと思う。
「……見ていてくれ、菜奈」
「__あ、先輩…居たんですか。」
菜奈…俺は進んでみようと思うよ。菜奈と見たかった景色を、菜奈と居たかった場所を、違う人と。新しく幸せになれる気がした人と。
まだ、そこには。永遠に好きだった人が好きだった紅茶の匂いが、残っていた__