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アルディオーネ魔法学院 - 03

 マルスさんと別れた僕らは予定通り、取りも直さず寄宿舎へと帰ってきた。


「あー、疲れた……」


 そう云ってバルデスくんは、部屋へ戻るとすぐさまベッドへ倒れ込む。

 体力と元気の塊みたいな彼女がこれだけぐんにょりしているのは、昨夜の疲れもさることながら、マルスさんに徹底的に打ち負かされたおかげだ。

 肉体的にと云うよりも精神的に、それだけコテンパンにされたってことだろう。


「夕飯になったら起こしてくれよ、タクミ」

「はい、分かりました」

「いや、どうすっかな……風呂に入ってから寝てぇ」


 バルデスくんは重そうな身体を引き摺るように起こすと、机の時間割を覗き込む。


「あ……駄目だ。今日は夕食後だな、こりゃ」


 どうやら毎日決まって割り振られている、入浴の時間を確かめたらしい。

 何しろ僕らの過ごすアルディオーネ魔法学院は全寮制である。王国に学校は数多くあれど、唯一とも云える魔法の専門学校だけあって、在校生の数だけでも千人は下らない。

 そんな学院内には巨大な浴場が整備されているけれど、その数はたったひとつ。男子と女子で時間を決めて、入れ替わりに使用する制度になっている。


「マリアのヤツが天下獲ったら、男女で風呂を分けて貰おうぜ……」

「今はマリアさんではなく、マルスさんですよ、バルデスくん」

「そんなのどうでも……あー、でもオレには関係ねぇかぁ」


 枕に顔を埋めたまま、バルデスくんがそう嘆くのにはわけがある。

 何故ならばバルデスくんは元は男子で、今は女子だから。女子の身体では男子の浴場へ入るわけにはいかず、かといって女子の浴場へ入るのはどうしても憚られる。

 だからいつもバルデスくんの入浴は、女子の入った一番後。前半に男子との入れ替えがある場合は、その中間に入浴することを許可されているのだ。


「おかげで部屋も、オマエとしか一緒になれねぇからなぁ」


 いくら元は男子だからといって、女子の身体で知らない男子と同じ部屋で寮生活はできない。というか、身体を見られたくない。何かあったら嫌だ。怖い。

 だからといって、女子と同部屋というのも困る。向こうだって嫌だろうし、とても無理だ。元々は男子の身として御免被る――それがバルデスくんの主張だった。


「ま、そのおかげで四人部屋を二人で使うことができるけどな」


 学院側としても対処に困った挙句、僕らの部屋は寄宿舎の一番端っこ。男子でも女子でもない、ちょうど中間地点のような場所にあった、広い部屋を与えられている。

 そしてその部屋に唯一、バルデスくんと同居を許されたのが僕だった。


「でもバルデスくんは、僕とならいいんですね」

「ああ、オマエは幼馴染だし、男っぽさを全然感じねぇからな」


 あれ、なんだか酷いことを云われてしまった気がします。

 確かに僕は、背も小さいしあまり男性的ではない……かも知れない。先ほどもマルスさんに「相変わらず奇麗な顔をしているね」なんて云われてしまったし。

 良く云って中性的、悪く云ってちょっと幼い顔をしている……かも知れない。


「てゆーかオマエ、どっちかってゆーと昔から女っぽいよな」


 ああ、決定的に酷いことを云われてしまった気がします。

 昔からちょっと気にしていたことなのに。けれど僕の顔は、若い頃の母によく似ているそうで、小さい頃はよく女の子に間違えられていたのを思い出してしまう。マリアさんだった頃のマルスさんにも、出会った当初は「女の子だと思ってた」って云われたっけ。


「オレもオマエのことは、最初は女だって思ってたよ」


 酷いことを云われてしまったことが、遂に決定した気がします。


「オレはホラ、武門の家柄だしよ。マリアの横でいっつも金魚のフンみてぇにくっついて歩ってたオマエは、女みてぇでなんだか頼りねぇし、なよっとしてるし……」


 寝っ転がってたバルデスくんは、そこまで云いかけて急にむくりと身体を起こした。


「今から考えりゃあん時のオレは、なんであんなにイライラしてたんだろな」


 と、両腕を組んで胡坐をかくと、ぶつぶつと自問自答をし始めた。


 そうだ――一年前にあの事件が起こるまで。

 僕はバルデスくんに、毎日のように散々虐められていたんだった。


 道端で、路地裏で、人が足を踏み入れないような山道で――

 どこでだって出会えば、殴る蹴るの暴力は当たり前だった。バルデスくんの仲間たちからも、まるで奴隷のように扱われ、散々嫌な目に遭わされていた。

 平民と貴族の身分差があるから、街の大人たちは誰も関わろうとしない。助けに入る人もいない。厄介ごとを眺めるように、遠くから眺めているのが常だった。

 そんなところをいつも助けてくれたのが、心優しいマリアさんだけだったっけ。


あれ(・・)から妙にイライラすることはないし、なんか落ち着いたってゆーか」


 バルデスくんの「あれから」と云うのは、女子へ性転換してからのことだろう。

 あの事件を経て彼――ではなく、彼女の身にも色々なことがあったようだ。実の親からは隔てを置かれたように疎遠にされ、彼を取り巻いていた仲間たちも離れていった。

 数ヵ月の間、誰にも会わぬように邸内へ引き籠っていたのは、ただ女の身になったからだけじゃない。きっと身の回りにも色々な変化があったせいではないかと思う。


「けど、オマエ……タクミだけは離れずに居てくれたンだな」

「それは、やっぱり幼馴染ですから」


 僕はニコリと微笑んで、バルデスくんの隣へ腰掛けた。


「でも、オレ、タクミには散々酷いことをして」

「うん……」

「オレ、悪いヤツだったよなぁ?」

「うん……そうですね」

「っ……ごめん」


 バルデスくんは悔しそうな表情で、声を絞り出すようにして云った。

 僕は、たくさん嫌な目に遭って、辛いこともあって、悲しい思いもした。そのせいでマルスくんは、今でもバルデスくんのことを許してはいないみたいだ。

 過去はきっと、だからきっと、僕も忘れることはできないのだと思う。


「けれど……バルデスくんは、僕の大切な幼馴染です」


 そうバルデスくんに告げた瞬間、彼女の瞳に大粒の涙が浮かんだ。

 僕の言葉は、彼女の涙腺を一瞬にして決壊させてしまったらしい。艶やかな口唇を噛みしめて、耳の先まで真っ赤にしたバルデスくんは、枕に顔を突っ伏した。


「なんか、オレ……女になって、ちょーっと脆くなったかな」

「そうですね。男の子のバルデスくんからは、聞けなかった言葉です」


 突っ伏したバルデスくんの背中を、僕は優しくぽんぽんと叩く。


「けれど、そんなバルデスくんも僕は好きですよ」


 そう云うとバルデスくんは、枕に顔を埋めたままで足をバタバタとさせた。


「やめ……ホント、やめて……」

「こうして今があるのも、バルデスくんのおかげですから」


 それでも僕は、今の素直な気持ちを伝えてしまった。バルデスくんへ溢れ出す感情を、僕には止められそうにない。彼を許す度に自然と頬が緩み、心から微笑んでしまう。


「オマエ、本当に変わってるよ……」

「そうですか?」

「意図してやってンなら相当な偽善者だぜ、チクショウ」


 散々な目に遭わされてきたのに、僕はいつだってにこにこと微笑んでいるのだ。

 だからバルデスくんにそう云われてしまうのも、無理はないかなと思う。


「偽善者でしょうか、僕は」


 僕は――これは神様の悪戯か。人と比べて少し感情に乏しいところがある。

 もしかしたら、ちょっと心が壊れてしまっているのかも知れない。けれどその代わり、他のみんなと異なる大いなる感情を、別のものを心の中に持っているのではないか。

 この『悪魔の左手』と呼ばれる神羅儀を得てから、ずっとそんな気がしている。


「けれど、いいじゃないですか」

「うん? 何がだ?」

「今はこうして、お友達なんですから」

「うっ……お、おう……」


 何故かバルデスくんはもう、顔を上げることができなくなったみたいだ。

 しばらくの間、枕に顔を埋めたままお尻をちょっぴり上げた格好で、その身をずっとくねくねとよじっていた。

 そうして突っ伏していたバルデスくんは、いつの間にかそのまま眠入ってしまったのだった。

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