アルディオーネ魔法学院 - 02
何故かそっぽを向いたまま急に喋らなくなってしまったバルデスくんと共に、アルディオーネ魔法学院の長い長い廊下を歩く。
この長い廊下をただ歩くだけでは少し退屈してしまう。いつもはバルデスくんから一方的に話しかけられることが多いけれど、試しに僕の方から話しかけてみることにした。
「バルデスくん、このまま寄宿舎へ戻りますか?」
「ん、んー、おう……特にすることもねーしな」
この学院はアルディオス大陸で一番巨大な魔法の専門学校だ。それ故に広大な敷地を持ち、様々な建物が学院内の各所に林立する。
例えば、学生たちの過ごす寮宿舎や各種魔法実験棟、魔法触媒販売店から売店、食堂などなど。多種目の店が立ち並んでいて、ちょっとした街を形成している。
ここは大都市から外れた山深い森に囲まれた場所だから、自ずと街と同じような機能を有するようになったのだ――って、入学当初に学院の講師が教えてくれた。
「だいたいド田舎過ぎて、なんもねーじゃん、ここ」
「でも自然が豊かで、とても奇麗な所です」
この学院が、何故そんな辺鄙な山奥に創られたのかという理由は、大陸で一番『魔素』が充実しているからだそうだ。大自然の中こそ、原始の魔素の濃度が濃い。
だから自然との調和を重視して形成されたこの街は、魔法の学び舎として最高にうってつけの場所だと云えるんじゃないかな。
「ホントはさ、アイゼナッハ聖騎士学院に入学するつもりだったんだがな……おめーのおかげで、オレはエラい災難だぜ」
そっぽを向いたままバルデスくんは、都心にある学院の名を上げて悪態をついた。
僕の不思議な神羅儀――それはバルデスくんを女の子に変えてしまった。あの事件がなければバルデスくんどころかきっと僕も、魔法学院に入学することがなかったはずだ。
だからバルデスくんには申し訳ないけど、この運命にはちょっと感謝もしている。
「やぁ、タクミくん!」
低く力強く、だが美しく爽やかなトーンの声――学院の長い廊下を抜けて、寄宿舎へ続く渡り廊下へ出た辺りのことだ。正面の寄宿舎入口から現れた人物に声を掛けられた。
すぐに誰であるか気付いた僕は、その人物へ向かって手を振って答える。
「マリアさん! じゃなくって、ええと……」
「ふふっ……そうだね、今はマルスだよ」
「ううん、なかなか呼びなれません」
名門貴族のマルスさんは、幼馴染の僕にずっと優しくしてくれる人だ。
「ゆっくりとこの名に慣れてくれればいい」
「ありがとうございます、マルスさん」
口唇で手袋を外したマルスさんは、素手で包むようにそっと僕の頬を撫でる。彼の長いまつ毛の奥にある潤んだ蒼い瞳は、とても優しくて慈しみを感じるくらいに。
この仕草は子供の頃からずっと続く、二人のちょっとした儀式みたいなものだった。
「相変わらず奇麗な顔をしているね、タクミは」
「いえ……マルスさんの方が素敵です」
彼女の――いや、彼の名は、マルス・ファス・エルディーン。その旧名は、マリア・ファ・エルディーンと云う。つまり……
「おーお、二人目の犠牲者様がおいでなすった」
バルデスくんに云わせると、つまりそういうことになる。
僕の神羅儀によって女から男へと性転換を遂げた、二人目の人物なのだ。
「むっ……いたのかね、君」
「オ、オレがいちゃー悪ぃのかよ!」
どうやらマルスさんの瞳には、バルデスくんが映っていなかったようだ。
僕とバルデスくんが幼馴染なのは、その間にあった彼女の……いや、彼のお陰でもある。そしてバルデスくんとマルスさんは、ずーっと昔から犬猿の仲であった。
「居て悪いということはない。ただ邪魔だというだけだ」
「そりゃいちゃ悪ぃって云ってんのと同じだっつーの!」
宰相家の家系を持つ名門貴族のマリアさんと平民出の僕が、身分差がありながら幼馴染の関係でいられたのは、エルディーン家のメイド長をしていた僕の母のおかげだ。
殆ど住み込みで働く母の仕事場に出入りすることの多かった僕は、エルディーン家の長女であった彼女と、広大な邸宅の裏庭で出会った。そして心優しいマリアさんは、平民の僕と分け隔てなく親しくしてくれたのだ。
「だいたいオマエだって、オレと同じ犠牲者だろーがよ!」
「そこまで勘違いが甚だしいと、いくら滑稽でも笑えんぞ」
バルデスくんを女性に変えた事件があったその日――まだマリアさんであった彼女は、エルディーン侯爵家の家督を継ぐ為、男になることを自ら希望して今日に至っている。
「残念だが、私は望んでこの姿になったのだ。君と一緒にしないで頂きたい」
「なっ、なんだとこの野郎ッ!」
挑発するようにマルスくんが掻き上げればなびく、瀟洒でサラサラとした金色の髪。
いくら気障な仕草でもマルスさんがすれば、歌劇役者が顔負けするくらいサマになる。男の僕でさえ見惚れてしまいそうな程、彫像のように美しい顔立ちだった。
「この姿になって惜しむらくは、タクミと婚姻を結べぬことくらいだ」
「は、はあぁぁーっ?! なななな、何を云っちゃってるんですかぁーッ!?」
何故かバルデスくんが狼狽した様子で叫ぶ。そういえば昔からマリアさんは、僕を花嫁にしたいって云ってたっけ。
「まぁ、男同士であろうが、大した差はあるまい」
「あるよ! めちゃくちゃあるだろうがッ!!」
狼狽しているんだか、憤慨しているんだか。バルデスくんがなんだかおかしい。支離滅裂な調子になってきている。
「ほぅ……何故、君が憤る必要がある?」
「な、何故って、そりゃあ……!」
「私は、男尊女卑や性差が憚る現行制度が大嫌いでね……保守的な男社会へ改革を行うため、今の世に合わせてただ身動きがとり易いように、敢えて男の身になったに過ぎない」
それは、マルスさんがマリアさんであった頃から口にしていた言葉だった。
「私は、必ずや世界を改革する――」
「何故だか分からねぇが、てめぇのその言い様はムカつくんだよッ!!」
バルデスくんが身構えると、全身から蒼天色に輝く極光を身に纏う。神羅儀発動、起動用呪文の詠唱。それと共に両肩に刻まれた呪式紋が浮かび上がった。
「止めたまえ。絶対に君は、私に敵わない」
それとほぼ同時に、マルスくんの額に金色に輝く呪式紋が現れていた。
「くっそ、デ・ラ・バッ……」
「カー・ラ・キッカ、神羅煌揮!」
堂々たるマルスくんの、整然と、そして優雅で威厳に満ちた詠唱。それがバルデスくんの荒っぽく、怒鳴り立てるような神羅儀発動を上回った。
「私の溢れ出る煌揮に身を縮ませるがよい、下郎」
「うっ……うあ、ああぁあぁ……」
神羅煌揮――それは、神々しいカリスマ的な魅力を放つ神羅儀だ。
その絶対的支配者の威厳を以て、如何なる下位の者をもその場に平伏させる。主に議場や戦場で効力を発揮し、演説の説得力や戦士たちの士気を爆発的な向上に用いられる。
「己が器の矮小を弁えよ、アルマ・バルデス!」
「ふ、ぎぎ……も、申し訳、ございません……」
あっ……権力に弱いバルデスくんの脆弱な精神が屈服した。ちなみに神羅煌揮はバルデスくんを上回る第三級神羅儀である。
だからさ、負けると分かっていてケンカを売るの、良くないよバルデスくん。
「本来ならば、学院内での神羅儀使用は御法度である」
「くふぅ……わ、わかってるし……」
「禁止行為を神羅儀発動前に制止させ、破壊的で破滅的な行為を未然に防いだこと、幼馴染の恩赦と共に、私に感謝するがよい!」
完全にバルデスくんの心を制圧すると、上から頭を抑えつけた。
「君という者は、大柄で、横柄で、横暴で、乱暴で、凶悪で……」
「あうっ、えうっ、おうっ……」
そう単語を発する毎に、マルスくんはバルデスくんの頭をバインバインと叩く。そうして最後は遠慮なく頭をひじ掛けにすると、足を組み片手をかざして悠然と宣った。
「そんな下種な性格極まる君が、随分とちびすけになったものだ、バルデスよ」
「ぬぐぐぐ……!」
バルデスくんは低身長の女性へ、マルスくんは高身長の男性へ転じたからこそ、可能になった仕草だった。もうこうなれば、バルデスくんはじっと耐えるしかない。
「よし、そこにお座り、待て!」
「うぐ、わうぅ……」
狂犬を躾ける様にバルデスくんをしゃがませると、マルスくんは僕へ向き直った。
「タクミ、私は何度でも宣言するよ」
「マルスさん……」
子供の頃から幾度となく聞いてきた、マルスさん……いや、マリアさんの言葉。
「私は、必ずや世界を改革する――」
男性的な凛々しさはあの頃から変わらない。そう宣言を終えてニコリと微笑む。
邪魔者を速やかに排除したマルスさんは、慈しむ様に僕の頬を両手で包み込んで再び撫でる。その手は少しひんやりとしていたけど、とても優しかった。
「それまでに君を、決して失いたくはない――だから努々忘れないでいておくれ」
そう告げたマルスさんの言葉の意味は、僕にとって深くて重い。
未知の神羅儀を持つ僕が、殺されずに幽閉状態であるのは、バルデスくんの他にマルスくんの見えざる力が働いていることは想像に難くない。
そして僕を殺すということ――それは、その『神羅儀』の神を侮辱する行為に当たる。つまり得体の知れぬ神罰を恐れて、僕の処遇を決めかねているに過ぎない。
もしも神羅儀局で何らかの判定が下り、処遇が決まってしまったとすれば――そうなる前にマルスさんは、絶対的な権力を確立して僕を守る――遠回しであるけれど、そう云ってくれているのだ。
そうやって常々発せられるマルスさんの言葉を、僕は心から感謝している。
「君と裏庭で出会ってからずっと、私の心は永遠であると」
そう耳元で囁くと、身を翻したマルスくんは軽く手を振って渡り廊下を去っていった。
とても気障な台詞と仕草だけれど、マルスくんの持つ高貴と色気は、それと感じさせぬほど魅力的で、学院一の色男であることは間違いない。
日頃からバルデスくんによく言われているけれど、マリアさんを男にしてしまったことで、男性にとって世界で一番の強敵を生み出してしまったのではないかと思う。
「オレ、アイツ、苦手だ……」
げっそりとした表情のバルデスくんが、心の底から疲れ切った声でぽつりと呟いた。もちろんその格好は、ご主人様に叱られた駄犬の様にお座りさせられたままであった。