Prologue - 02
「うおおおおおおーっ!!」
バルデスくんは呪文詠唱と同時に、蒼天色に輝く極光を身に纏う。それを見た盗賊たちは即座に応じると、凶悪そうな青竜刀を手に手に立ち上がった。
「ええい、構うこたぁねぇ!」
「やっちまえ!!」
辺境の盗賊たちは、ひとりの少女に対して複数で襲い掛かることに微塵の容赦もない。
群がるようにバルデスくんを包囲すると、躊躇することなく一斉に斬り掛かかった。集団戦闘に長けた彼らの巧みな連携は、這い出る隙間もないほどだ。
こうも念入りに攻撃されては、普通ならばひとたまりもない――そう、普通ならば。
ギィン! ギギィン――!
人間の肌を斬りつけたとは、とても思えぬような音が酒場中に響き渡る。
盗賊たちによる無数の攻撃――それらはバルデスくんの構えた両腕どころか、その全身を凶刃が覆った。だがそれらを受けてなお、バルデスくんの瞳は煌々と輝いた。
「うらぁッ! そんなモンが効くかよッ!!」
気合一閃、盗賊の刃は突き立つどころか、むしろそれらを悉く弾き返す。
「なにっ……!」
「ばっ、莫迦な!!」
驚く盗賊たちを横目にして、バルデスくんは不敵な表情でニヤリと微笑んだ。当然その身体には、斬り傷どころか打撲傷のひとつもない。
「ふん、覚悟は決まったようだな、このクソ野郎ども……!」
そう呟いてひと睨みすると、すぐ両脇に居た盗賊たちの胸座をむんずと掴んだ。そうして左右の手にひとりずつ、ひょいと音がしそうなほど軽々と持ち上げる。
「ぐおっ……な、何をする、放しやがれ!!」
「言われなくてもそうしてやるよ……オォラッ!!」
驚愕する盗賊たちに目をくれることなく、壁に向かってブン投げた。そうして叩きつけられた盗賊たちは、悲鳴を上げる間もなく反吐を吐いて沈黙する。
盗賊たちが手にする斬れ味の良さそうな青竜刀は元より、槍やハンマー、手斧にナイフ、素手に椅子に、果ては壺。如何なる武器で攻撃を受けようと、バルデスくんは動じない。手当たり次第に盗賊たちの胸座を掴んでは、次から次へとブン投げる。
大混乱に陥った中で縦横無尽の大暴れを開始すれば、そこはもう彼女の独壇場だった。
バルデスくんが操るこの力の名は――『神羅儀』という。
この『神羅儀』とは、神より託された羅刹を纏うが如き儀を指して云う。
すなわち、絶対神を始めとした太陽の神や月の女神、大地の神や大海原の神といった多種多様な神々より、その数多の神が持つ特色のある能力をひとつ借り受けるのだ。
この能力は、ひとりにひとつだけ。この大陸に暮らす誰しもが、満十五歳を超えた時に祝福を受け、自らの特性に合った『神羅儀』をその身にひとつだけ宿す。
『剛神来殻』
それがバルデスくんの持つ『神羅儀』の名前だ。これは大力無双の剛腕と頑丈な身体を持つ闘いの神・戦神バッソを由来とし、彼の神より能力を借り受けている。
第五級神羅儀とされるその能力は、大岩を持ち上げるほどの怪力と、剣も矢も通さぬほど頑健な身体を誇る。つまり、戦神の名に恥じぬ能力を与えられているわけだ。
「…………」
獅子奮迅の活躍を見せるバルデスくんを余所に、彼女と反対側へ移動する者があった。それは先程、盗賊のひとりに「お頭」と呼ばれていた、布で顔を巻いて隠す小柄な男だ。
その男は目立たぬ仕草、何の音も立てぬ忍び足で、するすると裏口のドアへと足を運ぶ。その裏口のドアは――僕とは対角線の向こう側。ええとつまり、こっちへ来てる。
「バルデスくん、敵の親玉が逃げます!」
僕は隠れるのも忘れてテーブルの端から顔を出すと、つい叫んでしまった。
「逃がすんじゃねぇ、タクミ!」
「えっ、あの……誰が、ですか?」
うっかりして、聞き返してしまった。
「ああっ、タクミは他に誰がいるってんだよ!!」
バルデスくんの叫んだその名前は――僕の名前。
僕の名前は、タクミ・パリス。
バルデスくんの相方で、アルディオーネ魔法学院の一員だ……一応。
「ええっと……あの?」
ただし僕は、バルデスくんのような戦える『神羅儀』を持ってない。そんなことを知る由もない盗賊の頭目は、切れ味の良さそうなナイフをすらりと胸元から抜いた。
「どどどど、どうすれば……!」
並み居る盗賊どもを相手に回し、大立ち回りを演じるバルデスくんが叫んだ。
「使えッ、タクミ!!」
「ええっと、使えって、何をです?」
「そりゃあ『神羅儀』に決まってンだろ!」
「それって、もしかして……」
「そうだよ! オマエの『悪魔の左手』だ!!」
バルデスくんのいう『悪魔の左手』――それは、僕の『神羅儀』の名前。
もともと名前すらついていない。誰も知らない神より授かった能力だった。
「えっ、と……いいんですか?」
「オマエにはそれしかねぇだろうがッ……うー、オラァ!!」
そう叫ぶと、小脇に抱えていた男たちを三人ほどブン投げる。だが追撃は止むことなく、次々と取っ組み合ってはブン投げてを繰り返し、まるで手が離せない様子だ。
「神羅儀局から許可を得てンだ! やっちまえ、タクミっ!!」
ずっと禁じられていた僕の『神羅儀』――その使用許可が下りていた。
この一年間、ずっと封じられてきた、僕の『神羅儀』。
それは戦闘用じゃないし、ちゃんと使えるかどうかも分からない。
けれど目の前には、ナイフを抜いた盗賊のお頭が身構えている。
僕だって、アルディオーネ魔法学院の一員……そのはずだ。
ならば……やってみよう。
震える身体を落ち着けるように、大きく、深く、息を吐いた。
左手に意識を集中し、脳裏に刻まれた起動用呪文を唱える。
神より授かった時に、教えられずして自然と脳内に浮かぶ呪文。
「イークァ・ソ・クァフェル……」
甘く切なく、官能的に。甘い吐息を零すように。
我が神に自らの肢体を供物として捧げるように。
そして神の名と共に『神羅儀』の起動を開始する。すると左手に『呪式紋』が浮かび上がり、鈍い光を放ち始めた。
それはバルデスくんの神々しい輝きに比べたら、小さな小さな極光だ。
「……チィッ」
ゆらり――猫のように音もなく、敵の頭目が動いた。
得体の知れない『神羅儀』に対し、襲うタイミングを見計らっていたのだ。完全な起動を終える前に、きっと僕を討つ気なのだろう。
速い。低い姿勢で、疾風のような素早い身のこなし。
まさしく盗賊のお頭として相応しい動きだ。
対して僕は、運動神経はよくないし、動きは鈍い。
ずっといじめられっ子で、殴られたり蹴られたりして生きてきた。
けれど――この一年間は、バルデスくんに鍛えられてきたんだ。
一瞬の隙を、突け。
盗賊のお頭が手にしたナイフに目も繰れず、右胸を狙って左手を伸ばす。
ナイフによる攻撃は左肩を掠めたが、厚手の革服の上だ。気を逸らしちゃダメだ。今は集中して、とにかく集中して――左腕を、更に前へ突き出した。
頭目の右胸へ、触れた。ほんの少しだったが、変化があった。
「うっ、ぐふっ……!」
触れた途端、相手の身体が小さく跳ね上がった。
それは、僕の『神羅儀』が発動した、その兆候。
「へっ、ザマァ見ろ!!」
その様子を見たバルデスくんが、何故か得意げになって喜ぶ。
彼女はこの『神羅儀』を初めて受けた犠牲者だから、もしかしたら何か思う所があるのかも知れない。けれどガッツポーズまで決めて、ちょっと喜び過ぎじゃないかな。
「くそっ……!」
「あっ!」
その隙を見て、盗賊の頭目が横っ飛びに飛んだ。
酒場の窓へ飛び込んで、外へ転がり出たのだ。
「まさか! アレを受けて動けんのかよ!」
得意げだったバルデスくんが驚愕の表情で叫ぶと、取っ組み合っていた最後の盗賊の顎を、拳でカチ上げてノックアウトさせた。
「よし、追うぞタクミ!」
「う、うん……って、うわぁ!?」
猛烈な勢いで駆け寄ったバルデスくんに、僕は小脇へ抱えられてしまった。彼女の常人とは思えぬ跳躍力で、盗賊の頭目が逃げ出した窓と同じ場所から外へと飛び出す。
すると壁に手を突きつつ、よろめきながら路地裏へと逃げ込む、小柄な男の後ろ姿が見えた。
「待ちやがれ、テメェ!」
バルデスくんは恫喝しながら、僕を抱えて猛スピードで路地を曲がる。
だが――どうやらそこまでだったようだ。盗賊の頭目は、少し先にあった路地の暗がりで、四つん這いになって蹲っていた。これ以上、身動きが取れないのだろう。
バルデスくんは小脇に抱えていた僕を降ろすと、ふたりでゆっくりと近づいてみた。
「う、ぐっ……ボクの身体に何をした……」
小柄な盗賊の頭目は、恨めしそうに血走った目でこちらを睨む。
布を巻いて隠した顔の上からでも分かるほど、大量の汗をかいて苦しそうだ。これは僕の『神羅儀』が、頭目の身体に作用している証拠だった。
「か、身体が縮む……いや、ボクの胸が、股間が、ああああっ!」
荒い息を吐き出すと、身体を海老逸らせ、壁を叩き、苦しげに地を這いまわる。想像を絶する未曽有の感覚が、彼の身体と神経を襲っているのだろう。何しろ僕の『神羅儀』を受けてしまった者は、身体の構造を根本から作り変えられてしまうのだから。
まずは徐々に陰茎が小さくなり、陰嚢と共に身体の奥へと収納される。そして乳腺が発達して胸を形作ると、新たなる内臓器官が作り出される――それは、子宮。
つまり、男から女へと性転換してしまうのだ。
「これでお前は、三人目の犠牲者だ……!」
そう告げるバルデスくんは、やっぱり少し嬉しそうだ。
恐らく自分もこの『神羅儀』を受けて、男から女に性転換したからだろう。だから仲間が増えて、ちょっと喜んでいるんじゃなかろうか。口には出さないでおくけど。
「顔を見せやがれ、この野郎!」
頭目が顔に巻いている布を、バルデスくんが荒々しくはぎ取った。するとその下から現れた顔は浅黒く、長く尖った耳が現れた。
「オマエ、ダークエルフだったのか!」
バルデスくんの云うダークエルフとは、古き時代に妖精界から物質化した種族と云い伝えられる。それらは全てエルフ族と総称されているが、そのエルフ族の中でも人間界の影響で邪心に堕ち、肌の色を浅黒く染めた種族をそう呼ぶのだという。
容姿は見目麗しい者が多く、この盗賊の頭目も同様に端正な顔立ちをしていた。
だがその顔立ちが、見る間に女性的なものへと変化してゆく。これはバルデスくんの時にも見られた現象で、身体の内部構造と同様に作り変えられているのだろう。
「くっ……フィール・ラ・ノーツ……」
盗賊の頭目が苦しげに顔面を押さえつつ、起動用呪文を唱える。
「いっけねぇ、ノーツ神の『神羅儀』だとぉ?!」
バルデスくんはそう叫ぶと、再び僕を小脇に抱えて飛びずさった。
彼女が焦るのも無理はない。何故ならば僕が知る限り、ノーツ神は第八級神羅儀に指定される高位の女神の名前だ。
例えそれが虚勢だとしても、警戒は怠らずしておかねばならない。
『疾風神雷!!』
それは虚勢などではなく、正真正銘の本物――風の女神・ノーツの名に於いて呼び出された疾風が、荒れ果てた路地裏に逆巻いた。目を開けられぬほどの砂塵を受けて、僕もバルデスくんも防御姿勢を取るしかなかった。
砂嵐が収まる頃に目を開けば、そこには盗賊の頭目の姿はなく。
バルデスくんとふたり、呆然とするしかなかった。
「あーあ、一週間も遠征した課外授業の成果が……」
そう呟いたバルデスくんに、僕はひとつ聞いておきたいことがあった。
「そう云えば、聞いていなかったのですが」
「なんだ?」
「この盗賊団の名前って、なんだったのですか?」
「ええっと……あ、『疾風の盗賊団』だった」
盗賊団の名称からして既に、疾風だった。
「ま、まぁ、顔はしっかり見たし、次は捕まえられるさ!」
「そうだといいんですけど……」
「大丈夫、今度こそ大丈夫だって! あはっ、あはははっ!」
この時の僕は、多分、凄く微妙な表情をしていたのだと思う。
そんな僕の気持ちを見越してか。バルデスくんは誤魔化すように、寂れた街の夜空に乾いた大笑いを響かせながら、僕の背中をバンバンと叩くのだった。
虚しい夜風に吹かれる二人の背中を、満天の星空だけが見守っていた。