美味い飯屋と情報探し - 01
「ちぃっ、ここもハズレか……」
バルデスくんが朽ちかけた木製のドアを蹴破って呟いた。
廃墟のような古い木造二階建て。誰もいないがらんとした部屋の中は、ただ埃が舞い飛ぶばかり。閉まりの悪い半開きの窓からは、眩しい西日が刺しこんでいた。
「これで七か所目です、バルデスくん」
そう告げながら僕は、手にした地図にバツ印をつける。
あれから僕らの探索は、思いのほか難航を極めていた。
前もってバルデスくんが得ていた情報を基に、目ぼしい場所を何か所かあたってみたけれど、全てもぬけの殻。何の手掛かりも残されていない。
場所によっては全てを引き払い、慌てて引っ越したような形跡も見受けられた。
「はぁー、なかなか上手くいかねぇなぁ……」
「あれから二週間経ってますし、敵も警戒しているのでしょう」
「ん、だな……ちっくしょう!」
傍にあった足の一本少ない椅子を、バルデスくんが蹴り飛ばす。
哀れな椅子は煉瓦の壁にぶつかると、一瞬にしてバラバラになって砕けた。
「あのチャンスで取り逃がしたのが失敗だったな、くそっ!」
「バルデスくんが挑発に乗って、大暴れするからです」
「あれは、ちょーっとやり過ぎただけだって!」
あれがちょっとだったら、本気になるとどうなってしまうのか。
「あーもー! 次はぜってぇ逃がさねぇよっ……と!」
イライラした様子でそう呟くと、唐突に二階の窓から外へ飛び出した。
僕は当然、バルデスくんみたいな真似はできないから、慌てて階段を駆け下りる。外へ出るとバルデスくんは、顔を隠す布を巻き直しているところだった。
「うっし、それじゃ飯食いに行こうぜ!」
窓から飛んだお陰で気分が切り替わったのだろうか。最近ますます大きくなった胸をたゆんと揺らし、小さな犬歯を剥き出しにしてニカッと笑う。
彼女はいつだって本当に唐突だ。けれど今は、それが一番理に適っていた。
たとえ捜索に行き詰まろうが、取り戻せない失敗を反省しようが、どんな時だって食事は、いい仕事をこなすために大切な作業のひとつだ。
「ンまい飯屋があるんだよ!」
そう云いながら、街中を馬で進むこと四半刻(約三十分)ほど。
あばら屋を何度も何度も改装したような、平屋建ての店へズカズカと入ってゆく。女の子の身でよくこういうお店へ入れるなぁと、僕だったら躊躇するくらい粗雑な店だ。
「おう、注文頼むぜ」
手慣れた様子でバルデスくんは、不愛想な女中さんにちゃっちゃと注文を付けると、どっかと椅子に腰かけてテーブルに突っ伏した。
「あー、疲れた腹減った、手柄を上げてぇなぁ」
そう云われても返事に困る。どれかひとつにテーマを絞って欲しい。
僕が持参した水筒から煮沸済みの水をコップに分けていると、あれやという間にテーブルいっぱいに食事が運ばれてきた。食事が出てくるのがとんでもなく速い。
ざっと見る限り、山鳥の串焼きや温かいスープ、焼き固めた大岩の様なパン。どれもこれも美味そうな香りをテーブルいっぱいに漂わせていた。
「イッシシシッ、いっただきまぁす!」
何だか卑しい笑い声を立てて、バルデスくんが串焼きを齧る。
僕も肉の端材を岩塩で煮込んだような、豆のテールスープを一口飲んだ。
「あれ、凄く美味しい……」
「だっろぉ! この街で唯一美味いんだ、ここ!」
前回の遠征の時に見つけた店なのだそうだ。
食にこだわるバルデスくんらしい……けれど。
「あの、バルデスくん」
「あん? なんだぁ?」
「この店のこと、僕は知りませんでしたが」
「あっ……い、いや、腹が減って、つい……」
どうやら僕が馬の世話をしている時に、こっそりと来ていたらしい。
腹が減って匂いに釣られて来てみたら美味かった、とか云い訳しているけれど、その云い分はまるで、餌を求めて徘徊する野良猫みたいである。
「酷いです、バルデスくん……」
「だ、だからさ、今回ちゃんと連れてきたんじゃねぇか!」
「毎回ちゃんと連れてきてください」
育ち盛りで食べ盛りのバルデスくんは、よく食べる。
授業中も隠れて早弁とか、持ち帰りの夜食とか。目を離すと何かしら、こそこそと食べてたりするっけ。腹ペコ少女には、普通の夕飯だけじゃもの足らなかったようだ。
「そ、そんなことよりも、これからの作戦についてだな……!」
乱雑に話を逸らしに来たけれど、今の僕らには大切なことだ。
食事をしてお腹が満たされると、だんだん頭も回りだす。
「やはり、アジトを移動させたのでしょうか」
「それとも何か見落としているのか……だな」
見落としている――とすると、予想外の何かがあると考えるべきか。
学年主席のトールさんの情報でも、予測できなかったデータとは何だろうか。
「敵も僕らと同時並行的に、別の行動をしているんでしょうけれど」
「まぁ、そう考えンのが当たり前だよな」
「ならば、相手の更に一歩先を読まないと……」
僕が口にできるのは、せいぜい授業通りのアドバイスくらいだ。
きっとその程度のセオリーくらい、バルデスくんも思いついているだろうけど。
「しっかし、なーんか打開策を練らねぇとなぁ」
バルデスくんはお行儀悪く頭の後ろへ手をやると、おんぼろの背もたれがギシギシと音を立てる。そんな彼女の真後ろから、聞きなれぬ声が不意に掛かった。
「誰かと思えば、やっぱりアンタかい!」
「うへぇ、オバちゃん……見つかっちまったか!」
厨房からのっそりと顔を出したのは、どうやら飯屋のおばさんのようだ。この店は最初の遠征以来のはずだけど、もう顔見知りになっているのだろうか。
ガサツだけれど人懐っこい性格のバルデスくんは、何故かおばさんから気に入られることが多い。ますます近所の野良猫のようである。
「食いっぷりがいいから良く分かるさね!」
どうやらバルデスくんの変装は、あっさりと見破られてしまったようだ。やっぱりこの変装は、あんまり役に立っていないんじゃないだろうか。
「ほーん……そんでそっちのアンタは、男の子かい?」
「え? あ、はい。そうです」
たまに聞かれるけど。というか、よく聞かれるけど。
ぱっと見て分からないくらい、僕は女の子っぽい顔つきをしているのだろうか。
「へーっ、そうかいそうかい!」
するとおばさんが、満面の笑みでにやにやと僕らを見渡した。そうして嬉しそうに厨房の奥へと顔を引っ込めると、お盆に何かを乗せて戻ってきた。
「ホレ、これも食いなさいね!」
「うおっ、マジか! いいのかよ!」
大皿いっぱいに煮込まれた肉料理であった。これは豚の脛肉だろうか。
骨付き肉が大好きなバルデスくんは、遠慮なく肉の塊を頬張る。喜色満面で美味しそうに食べるその姿は、いつものように気持ちいいくらいの食べっぷりである。
「アンタはしっかり食べんといかんよ!」
「おう、食うぜ! でも……なんでだよ?」
「しっかり食べんと、いいおっぱい出んと!」
「ブッフゥッ!!」
うわぁ、バルデスくんの口の中から、ナニかがいっぱい飛んだぁ!
運動神経の悪い僕は、当然避けることなんてできっこない。酷い。真っ正面から直撃だった。吹雪の中へホワイトアウトしたのかと思った。それくらい、酷い。
「ななな、なななな……っ!?」
「たぁんと食って、いい母乳をいっぱい出すのさね!」
「そ、そんなもん、出さなくていいよ!」
「なんでさね? こっちの子と赤ん坊こさえるんじゃないのかい!」
「ブッフゥオァッ!!」
さすがに慣れた僕は、二度目の噴射をお盆でガッチリとガードした。
ああ、すっかりおばさんのペースです。
「ちっ、違っ! タクミとオレはそんなんじゃ……」
「違うって何がさね、こんなとこまで彼氏連れてきて」
「だーかーらー、違うって!!」
「もしかしてあんたたち、駆け落ちかい?」
「そ、そーゆうんじゃねえぇぇーっ!!」
「このでっかいお尻じゃ、いい子産むじゃろね!」
「オレは産まねぇ! 産まねぇからぁ!! ぴゃあ?!」
おばさんにぽんぽんと尻を叩かれたバルデスくんが飛び上がる。
そして林檎よりも真っ赤な顔をして叫んだ。
「オレは男なんだから、赤ちゃんなんて産まねぇぇーっ!!」
おかげでお店の中は、あっという間に愉快な笑い声で満ちてしまった。
結論、変装うんぬんと云うより、バルデスくんは隠密行動に向いてない。
それが良く分かったことだけは、間違いなかった。