Prologue - 01 ★
パンにナイフにフォークに木の食器、そして葡萄酒樽。
鼻血を巻き散らかして、木っ端のようにすっ飛んでゆく数人の男たち。
飛び交う怒号と共に、それらが激しい勢いで床の上へ取っ散らかった。
「フザケんじゃねぇぞ、このクソアマァァッ!」
「誰が女だと!? もう一回言ってみろ、悪党どもめ!!」
その声に続けざま音を立てて飛んできたのは、分厚い肉切り包丁。蹴倒された分厚い樫の木のテーブルへ「ずどん」と突き立つ。騒ぎが巻き起こったと同時に、素早くテーブルの影へ隠れて良かった。心の底からそう思う。
安堵の溜息を突いてふと隣を見やれば、木桶を被った店主も同様の表情をしていた。
「トホホ……俺の店をこんなにしちまいやがって」
「僕の相方が、えっとその、すみません……」
何と言っていいか分からず、ひたすら謝ることしかできない。毎度のことだけれど、もう少し穏便に物事を進められないものだろうか。
如何なる時に、如何なる土地へ行ってもこうだから、多少は慣れてしまったけれど。
ここはアルディオーネ王国の首都から遠く西へ離れた、とある廃れた街の歓楽街。西部の荒くれ者たちが数多く集う、王都へ向かう最初の入り口と呼ばれている酒場だ。
「おう上等だぜ、てめぇら……覚悟はいいな?」
そう気炎を揚げるショートパンツ姿の少女は、僕の幼馴染――バルデスくんだ。
彼女が手の指をバキバキと鳴らしながらテーブルの上へ駆け上がると、小さな筒状胸甲が、大きな胸のせいではち切れんばかりに弾む。
燃えるような真っ赤な外套を翻すと、眼光鋭くメンチを切った。
「全員、タダじゃ帰れねぇと腹ァ括りな!!」
「ちぃっ……何モンだ、てめぇ!」
「フン、そう問われちゃ答えねぇわけにはいかねぇなぁ……」
勿体ぶったバルデスくんは、鼻っ柱を高くして、たわわに実った胸を張る。
「言わずと知れた泣く子も黙る、アルディオーネ魔法学院のモンだ!」
海千山千の悪漢たちを相手に回して、派手な大見得を切った。だがそんな若輩の学生風情である僕らが、どうしてこんな所へ来ているかと言えば――
「授業の一環で課外活動がてら、てめぇら盗賊団を退治しに来てやったぜ!」
――と、バルデスくん曰く、そういうことである。
アルディオーネ魔法学院とは王国直属の学校機関だ。すなわち生徒の殆どが、将来的に王国の騎士や官僚を目指すエリート集団で構成されている。よって王国の治安維持の一端を担うべく、こういった課外活動を積極的におこなっているのだ。
とはいえその中には、自分みたいな落ちこぼれもこっそりといるわけだけれど。
「ふっ、ふざけるんじゃねぇぞ、この野郎!」
盗賊たちがそう言いたくなる気持ちも分かる。何せ授業の一環で退治されてしまっては立つ瀬がない。盗賊として面目の立たない彼らとて堪ったものではないだろう。
「お頭、アルディオーネ魔法学院といえば……」
「ああ、生徒全員が『神羅儀』第十二級以上の強者だ……」
そう会話する声に気付いて、テーブルの端から様子を窺うと二人の姿が見えた。
お頭と呼ばれた男は、顔に布を巻き付けて人相を隠す。彼ら盗賊たちの中で最も背は低い。だが旅装の外套下に猫科の動物を思わせるような、しなやかな筋肉の躍動を感じた。
もしもこの男が本当に盗賊団の頭目だとすれば、逃がしちゃいけない――はずだ。だから僕は、目を離さぬ様に注意しつつ、テーブルからテーブルへとそっと回り込む。
「このクソ女、可愛い顔して付け上がりやがって!」
「ああっ! 誰が可愛い顔だと、この野郎……ッ!」
そう言ってバルデスくんは、外套の色のように頬を真っ赤にして憤慨した。
可愛いと褒められて激怒する少女は、この界隈で彼女しかいないだろう。けれどそう言われて逆上してしまっては、また失敗を繰り返してしまいかねない。
どうしていいか思案する暇もないので、僕はつい余計なことを口走ってしまった。
「ええっと……可愛いって。良かったですね、バルデスくん」
「良かねぇよ! だってなぁ……!!」
ああ、大失敗だ。バルデスくんは、ますます憤慨してしまった。
「オレは、男だッ!!」
僕の方へ振り向いて叫んだその刹那だけ、酒場の中は静まり返った。
だがその静寂は、ほんの一瞬。その後と云えば――
「いや、女だろ……」
「どう見ても女だろ」
「間違いなく、女だ」
「女にしか見えねぇよ」
「そんな胸した男がいるか」
「何言ってんだ、おめぇ?」
ざわ、ざわ……と、酒場の中は、静かなる喧騒に包まれた。
「ふんがーッ!! ふ・ざ・けんなッ!!」
バルデスくんは足元の固い樫の木のテーブルへ拳を突き立てると、真っ二つにへし折った。そのへし折ったテーブルを、華麗な空中回し蹴りで盗賊どもへとぶっ飛ばす。
興奮したバルデスくんの支離滅裂な大暴れに、酒場の中は瞬く間に盗賊たちの悲鳴と喧騒に溢れ返って、大混乱に陥ってしまった。
「ま、待って! バルデスくん、落ち着いてくださいっ!」
「うるせぇ!! オレを女にしたのは、オマエだろおぉッ!!」
思いも寄らぬ告白に、酒場の中に大いなる静寂が再び訪れた。
「ええと、うん。確かにバルデスくんを女の子にしたのは、僕ですけど……」
「そうだ! オマエがオレを完ッ璧な女にしやがって……ッ!!」
興奮に顔を赤く染め、目の端には涙の粒と覗える潤んだ瞳。その迫真の叫びは、魂の慟哭かと言わんばかりだった。だからこそ、みんな――
「けど、バルデスくん……みんな勘違いしてないかな?」
「……はぁ?」
周囲の静寂に気付いたバルデスくんが、ゆっくりと周囲を見回すと。
「いやぁ、最近の子は大胆というか……」
「進んでますなぁ」
「女にされちゃったかー」
「されちゃったのかぁー」
「そうかー」
「でもそんなことを大声で言うなんて」
「経験済みとは……ガサツそうなのに」
「でも可愛いから、しゃーないわぁ」
「ああ見えてなぁ……」
「しかしあの少年も見かけに寄らずやりますな」
「ま、両方とも可愛いから、しゃーないわぁ」
「女泣かせだな」
「爆発しろ」
「くっそくっそ!」
「幸せになれよー」
酔客たちによる呟きは、完全なる誤解の声に満ち溢れていた。こうなるともう、そう簡単には風評被害を回収できそうにない。
「あっ、違っ、そうじゃな……!!」
ええっと……もう遅いよバルデスくん。言い訳なんかみんなに聞こえるはずがない。
僕は彼女の傍からそーっと離れると、厚くて固い樫の木のテーブルへと身を潜めた。だって嵐はじっと、過ぎ去るのを待つしかないのだから。
「うにゃーっ!! デ・ラ・バッソ……剛神来殻!!」
バルデスくんの顔色が、真っ赤な外套の色をついに超えた時。恥ずかし紛れか、怒りに我を忘れたか。起動用呪文をひと度唱えたら、もう誰にも止められない。
学院内でも最強の部類とされる『神羅儀』を発動させた。