六月五日 将太、奇妙な手紙を受けとる
彼は先ほどから、ずっと座ったままだった。かれこれ半日……いや、それ以上が経過しているだろうか。時おり立ち上がって部屋の中を歩き回ったり、テレビの画面に視線を移したりするものの、そのほとんどの時間を、ある一点を見ることに費やしていた。
その視線の先には、一枚の紙きれがある。ちゃぶ台の上に、無造作に置かれていた。
そこには、こう書かれていた。
(あなたの家の近所には、恐ろしい殺人犯が住んでいます)
今朝、バイトに出かけようとした桜田将太。その時に、ポストに入っている封筒を見つけたのだ。差出人の名は書かれていない。それどころか、宛先の住所も書かれていないし郵便局の判も押されていない。ただ一行、桜田将太様と書かれているだけなのだ。
不審に思った将太は封筒を開け、中身を見てみた。
だが、中に入っていたものは……。
それから、どのくらいの時間が経過しただろう。将太は座ったまま、ずっとその紙を凝視していた。なぜ、こんな手紙が自分の家のポストに入っていたのだろうか。
そして……殺人犯とは、いったい誰のことを指しているのだろうか。
将太は混乱しながらも、どうにか状況を把握しようと試みた。そもそも、この文面には何の意味があるのだろう。
初めは、将太に対する脅迫状ではないかと考えた。自分は人を殺しているのだから……しかし、それにしては文章が回りくどいし、目的も不明だ。単なる悪戯なのか。それとも、自分に何かを伝えようとしているのか。それが、全く分からない。
混乱した頭であれやこれや考えているうちに、気がついてみると夕方になっていた。バイト先に連絡を入れぬまま、休むことになってしまっていた……。
しかし、今はそれどころではない。この紙切れに書かれている、得体の知れないメッセージの謎を解く方が先だ。
このメッセージを書いた者は、自分に何を伝えようとしているのだろうか。
やがて、将太は立ち上がった。考えても埒があかない。まずは、外に出てみよう。誰かが接触してくるかもしれないし、何か閃くかもしれない。もっとも、それ以前に……ずっと部屋にこもっていたのでは、おかしくなってしまいそうだったからだ。
将太は外に出て、周りに注意しながら歩いてみた。今のところは、誰かに見張られているような気配はない。
歩き続ける将太。その間にも、不安がどんどん大きくなっていく。いったい、どこの誰があんなメッセージを寄越したのだろうか。そもそも――
「おい、気を付けろや!」
考えながら歩いているうちに、いつの間にか狭い路地裏に来ていた。そこで、通りすがりの何者かと肩がぶつかっていたのだ。相手は、若い二人連れの男だった。ラフな服装で、じっと将太を睨んでいる。
「あ、すみません」
将太は、すぐに頭を下げて謝る。今は、こんな連中を相手にしている場合ではないのだ。将太はすぐに立ち去ろうとした。
しかし、その時――
「ったく……ぶっ殺してやろうかと思ったぜ」
若者の発した、その言葉が耳に入って来た途端、将太の足が止まった。
ゆっくりと振り向いて見ると、相手もチラチラと振り返りながら、立ち去ろうとしている。その目付きはいかにも挑発的だ。謝った自分に向かい、喧嘩を売っている態度である。
二人のその表情を見た途端、将太の中て何かが弾けた。彼は、つかつかと若者に近づいていく。
「んだテメエ、やんのかよ――」
若者が喋り終わる前に、将太の左ジャブからの右ストレートが放たれた――
若者は二発のパンチをまともに喰らい、顔から血を吹き出しながら倒れる。だが、将太は止まらない。倒れた若者を、思い切り蹴飛ばした。
そして、もう一人に向き直る。そちらの男は何が起きたのかさえ、理解できていないようだ。口を開けたまま、呆然としている。
「今、殺すって言ったよなあ……てめえ、今たしかにそう言ったよなあ!?」
言いながら、顔を近づけていく将太。同時に、手のひらで喉を掴んだ。
握り潰さんばかりの勢いで喉を掴みながら、壁に押しつける。
男は声も出せずにもがき、懸命に手から逃れようとする。だが、将太とは腕力の差が有りすぎた。まるで相手にならない。
「さっき言ったよなあ、殺してやろうかと思ったと。俺を殺すんじゃなかったのか? どうなんだよ!?」
言いながら、男の喉を掴んだまま、何度も壁に叩きつける。
だが、男は喉を掴まれているために言葉を発することが出来なかった。後頭部を何度も壁に打ちつけられ、潰れたようなうめき声を出すだけだ。
その反応は、将太の怒りの炎に油を注ぐ結果となった。
「調子に乗るんじゃねえぞ! このクソガキが!」
将太は怒りに任せ、男の首に腕を回した。そして投げを見舞う――
男は勢いよく地面に叩きつけられ、うめき声を洩らす。 将太は立ったまま、血を流し地面に這いつくばっている二人を見下ろした。
どちらの男も苦痛に顔を歪め、うめき声を上げている。ついさっき、将太が「すみません」と言って頭を下げた時には……いかにも傍若無人な態度でこちらを睨み付け、「殺そうかと思った」とまで言ったのだ。
それが今では、惨めに這いつくばっている……相手の実力も見極められず、弱いと判断した人間には、とことん強い態度で対応してくる。町のチンピラに、よくある態度だ。しかし強い者が相手では、まともに喧嘩も出来ない。
本当に、最悪のクズどもである。
「こいつら、殺すか……」
将太は呟いていた。こんな連中、生かしておいても何の役にも立たない。むしろ、殺した方が世のため人のためではないのか。
だが、その時になって将太は自分の置かれた状況を思い出す。今はそれどころではない。あの意味不明な手紙。あれを出した者が、自分を監視しているかもしれないのだ。今の行動も、その何者かに見られていたかもしれない。
「クソが……いいか、今度この辺りで見かけたら、本当に殺すぞ」
そう言い捨てて、将太はその場を後にした。
歩き続けるうちに、先ほどまでとは気分が変わっていることに気づく。二人のクズを殴り倒したおかげで、胸の中のモヤモヤが晴れた気がする。
そして将太は思った。相手が何者かは不明だが……こうなった以上、相手の出方を見るしかない。
将太の考えは正しかった。今も、将太の動きを見張っている者がいたのだ。




