六月三日 義徳、助っ人と会う
緒形義徳は孤独な男である。十年以上前に両親は他界した。兄弟姉妹はなく、親戚に至っては存在すら知らない。
また、これまでの人生において親しい友人を作るための努力は放棄してきた。特に、以前の職場にいた時には……違う業種の人間とは、プライベートでは付き合わないよう努めていた。学生時代の友人や知人は、義徳の今の連絡先すら知らない。
それゆえ、義徳は普段は単純にして孤独な生活をしている。会社と家を往復するだけの日々……話をする相手といえば、家にいる有希子と猫のマオニャンのみ。少なくとも会社で、誰かと喋るなどということはあり得ない、はずだった。
しかし、その日の午前九時……義徳のオフィスに一人の客人が訪れたのだ。
「どうも、初めまして。西村陽一です。住田さんからの紹介で来ました。よろしくお願いします」
そう言うと、青年はペコリと頭を下げた。
義徳は、目の前にいる西村陽一と名乗った青年をじっくりと観察する。中肉中背の体を地味なスーツで包み、にこやかな表情を浮かべてこちらを見ている。一見すると、やや軽薄だが無害な青年といった印象である。
しかし、住田健児が無害な青年を手伝いに派遣するはずがないのだ。
(西村ってのは、言ってみれば裏の仕事人なんですよ。頼まれれば、大抵のことはやってくれます。しかも、ヤクザや外国人マフィアと違い格安で済みますからね。何より、口が堅いんです。この男なら、自信を持って義徳さんにオススメできますね)
昨日、健児はそう言っていた。
「陽一くん、君にやってもらいたいことがある」
義徳の言葉に対し、陽一はすました顔で会釈する。
「はい、何でしょうか」
「実は、この人たちを調べてもらいたいんだ」
言いながら、義徳は写真と書類を取り出す。そして陽一に渡した。
すると、陽一は訝しげな表情になる。
「調べる、といっても色々ありますが……具体的に、俺は何をすればいいんでしょうか? 俺は探偵じゃないですし、きっちりした報告書は書けませんよ。ましてや、二十四時間こいつらに張り付くなんて不可能ですし」
「いや、そこまでの必要はない。あと、一つ確認しておきたいんだが……君は健児、いや住田さんからどこまで聞いている?」
「何も聞いていません。ただ、あなたの手伝いをしろとだけ言われました。あなたの指示に従え、とだけ」
にこやかな顔で答える陽一。つかみどころの無い男だ、と義徳は思った。若いチンピラに有りがちな、自分を大きく見せようという態度はない。
かといって裏稼業に長くいた人間のような、機械的な冷酷さも感じられない。有り体に言えば、ごく普通の青年に見える。
だが……ごく普通の青年を、健児が紹介するはずがないのだ。
住田健児という男の恐ろしさは、こういった人間を多く知っている点である。街の片隅で人混みに紛れて活動している裏の仕事人たちは少なくない。もっとも、その大半はケチな犯罪者だ。銀星会のような広域指定暴力団に、いいように使われる弱小企業……あるいは個人事業主でしかない。
だが中には、とんでもない人間が潜んでいることもある。人というよりは、怪物とでも表現した方が正確に思えるような者。世の中に害毒を撒き散らすためだけに存在しているような者が……。
健児は昔から、そういった人間をどこからともなく見つけ出し、自らの手駒として利用する能力に長けている。健児の人を見る目は確かだ。彼の紹介であるならば、信用しても大丈夫だろう。
義徳は、自身の描いた絵図について語り始めた。
「なるほど。でしたら……まずは、この連中の周辺や当日の行動から探ってみますか。ただ、事情が事情だけに、急いだ方が良さそうですね。今日中に、二人で候補を絞りこんでおきましょう」
陽一の言葉に、義徳は頷いた。
「そうだな……いや、候補は君が一人で決めてくれ」
「えっ、俺がですか?」
少し驚いた様子で、聞き返してくる陽一。
「そう、候補は君に選んでおいてもらいたいんだ。その間、俺はもう少し考えてみる。この事件の絵図をね……万が一、裁判でひっくり返されたらアウトだ」
「いや、ちょっと待ってください。緒形さん……俺は事件について、詳しい事情は知らないんですよ。しかも刑事でもない俺が、対象を絞り込んでいいんでしょうかね?」
顔をしかめながら、尋ねる陽一。すると、義徳は笑みを浮かべた。
「いや、君だからこそ頼みたいんだよ。君はプロだ。一方、俺はこの仕事から五年近く離れていた。しかも、今は自由に動ける身分じゃない。だからこそ、君に頼みたいんだ。出来れば、今日の内に三〜四人に絞り込んでもらいたい」
「わかりました」
五時になり、家路につく義徳。
だが、彼の足取りは重い……念のためニュースなどをチェックしてみたが、警察の動きは予想を上回る早さだ。こちらも急がなくてはならない。勾留期間は約二十日間。その間に、真犯人を見つけ出さなくてはならないのだ。
陽一が派遣されたのも、健児の「早くしろ」という意思表示であろう。もっとも、陽一の存在はこちらとしてもありがたい。一人で何もかもをやるには、さすがに限界がある……特に今回のような場合は、様々なサポートが必要だ。
それにしても、あの陽一は不思議な青年だ。とても奇妙な雰囲気を漂わせている。ああいった裏社会に生きてきた人間は大抵、自信たっぷりで傲岸不遜であるか……あるいは逆に物静かで落ち着いているか、そのいずれかのタイプが多い。
しかし、陽一はそのどちらのタイプでもない。その態度は飄々としていた。力みの感じられない口調で話し、こちらの言葉への対応もごく自然だ。必要以上に大げさな部分も、無理に押さえている部分もない。
奇妙な男ではある。しかし、今は彼に助けてもらうしかない。この件は、もはや自分一人の手には負えないのだから。
「ただいま」
自宅に戻り、声をかける義徳。すると、マオニャンがのそのそ歩いて来た。そして義徳の顔を見上げ、にゃあと鳴く。おかえり、とでも言いたげな様子だ。
義徳は思わず微笑んだ。
「よしよし。いつものお出迎え、ごくろうさん。お前は本当に可愛いなあ」
言いながら、義徳はマオニャンを撫でる。すると、マオニャンは喉をごろごろ鳴らしながら、義徳の手に顔を擦り付けた。




