六月三日 将太、苛立ち暴れる
(国内を震撼させていた、連続女性絞殺魔ですが……真幌市に宿泊している男性が身柄を確保されている、という情報が入りました。現在、任意で事情を聞いているとのことです。今のところ、警察からの発表はありませんが、詳しい情報が入り次第、随時お伝えします)
テレビのワイドショーにて、アナウンサーが神妙な顔つきで臨時ニュースを伝えている。
桜田将太は、不快な表情でそれを観ていた。一週間ほど前から、都内でちょっとした話題になっている連続絞殺魔のニュースだ。若い女性ばかりを狙い、家の中に侵入して灰色のネクタイで首を絞めて殺し、ネクタイを残して立ち去る……という手口である。既に三人の女が、犠牲者となっているらしい。
将太はそのニュースに注目し、聞き耳を立てる。だが、したり顔のコメンテーターが勝手なことを言い「背筋が寒くなりますね」などといった、ありきたりの言葉を並べたてるだけである。
こんなコメントしか聞けないなら、時間の無駄だ。将太は立ち上がった。
服を着替え、部屋を出て行く。
昨日、叩きのめした男は、虎の威を借る狐そのものだった。少々やり過ぎたかもしれない。グローブには、相手方のものであろう折れた前歯が突き刺さっていた。手応えからして、相手の頬骨も折れているはず。その場を離れた時にはまだ息があったが、ひょっとしたら死んでいるかもしれない。
もっとも、仮に奴が死んだからといって、後悔などしないが。
あいつは、桑原興行なる名前を出してきたが、そもそも桑原興行が何なのか不明だ。名前から察するにヤクザなのだろうが、将太はそんな組織など聞いたこともないし、また興味もない。それに、ああまで痛めつける気はなかった。
ただ、引き上げようとした時にヤクザの名前を出してきた……それが気に入らなかったのだ。さらに、ヤクザの名前を出せば自分がビビって手を引くと判断した、あの男の根性が気に入らなかった。ヤクザは屑以外の何者でもないのだ。死んだからといって誰も困らない。むしろ、世の中は多少住みやすくなったであろう。
まあいい。人を殺したのは初めてではないのだ。今さら、殺してきた人間のリストに一人くらい増えたところで、どうということはない。
そう、自分は表の華やかな世界で活躍している、ルールに守られた格闘技をしているような連中とは、根本的に違う。
自分こそ、本物の格闘家なのだ。格闘技の究極の目的、それは人体の破壊である。ならば、殺人は避けて通れないのだ。いや、むしろ殺人を恐れるくらいなら、初めから格闘技などするべきではない。
かつての武術家たちは皆、闘いの中で人の命を奪ってきていたはずだ。自分もまた、真の格闘家として生きようとする以上……殺人は避けて通れないのだ。
将太は歩き回った。今日の獲物を探し、町を徘徊する。
真幌駅の改札口で立ち止まり、さりげなく周辺を見回した。しかし、獲物にふさわしい連中が見当たらない。
将太は、さらに歩き続けた。歩きながら、あちこちをさりげなく見回し、獲物を探し求める。だが腹の立つことに、今日に限って獲物の候補が全く見当たらない。出歩いているのはサラリーマンや一般学生、あるいはOLなど……少なくとも、将太が普段ぶちのめしているような連中とは、明らかに違う人種ばかりが目に付く。
歩いているうちに、将太はだんだん苛々してきた。誰でもいいから、殴り倒したくて仕方ない。気が付くと、真幌公園に足を踏み入れた。
話し声が聞こえる。男と女の声だ。見ると、いかにも向こう見ずな雰囲気の若い男が、ベンチに腰掛けている。隣に座っている若い女に、大声で何やら語っているのだ。そして、男の方はタバコを吸っていた。
「そうなんだよ! そしたら、そいつが何つったと思う?」
言いながら、男はタバコを吸った。吸殻をその場に投げ捨て、足でもみ消す。
それを見た将太の目に、危険な光が宿った。いつものようにフードを被り、いかにも憤然としているような態度で近づいていき――
「おいガキ! 公園に吸殻捨てんじゃねえよ、このクズが!」
挑発的な言葉で注意する……これで、大半の場合は乗ってくるはずだ。
「何だと……てめえ殺すぞ!」
荒々しい言葉と同時に、男は立ち上がる……将太は内心でほくそ笑んだ。この手の男は、女の前でバカにされることを極端に嫌う。予想通りに乗ってきてくれた。
しかし、隣に座っていた女もすぐに立ち上がった。男の落とした吸殻を、素早く拾い上げる。
そして、将太に向かい頭を下げた。
「すみませんでした。マサト、行くよ」
そう言って、男の腕を引っ張って行った。マサトと呼ばれた男は、将太を睨みながらも、女に腕を引かれて離れていく。
将太は苛ついた。なぜ来ないのだ? 思わず――
「おい何だよ……その女、お前のママの代わりなのか? 家に帰って、おっぱいしゃぶるのか? 情けない奴だな」
「んだと!」
予想通り、男は逆上した。女の手を振り切り、殴りかかってくる。しかし、素人にありがちな、力任せの大振りのパンチだ。かわすのは簡単だったし、当たっても大したことはない。
それに対し将太は、左のジャブを放つ。左拳はカウンター気味に、男の顔面に炸裂した。
男の動きが止まる。次の瞬間、鼻と口から出血……男は両手で顔を押さえ、下を向く。
一方、将太の動きは止まらなかった。次いで、左太ももへのローキックが炸裂――
その一撃は、バットで殴られるような衝撃だっただろう。男は、呆気なく膝から崩れ落ちる。
そして叫びだした。
「いでえ! いでえよお! ゆるじでぐれえ!」
一方、女はスマホに向かい何やらわめいている。恐らく、警察を呼んでいるのだろう。将太はさっさと、その場を離れた。
情けない奴だ、と将太は思った。ジャブで鼻をへし折ったわけではないし、ローキックで膝を壊したわけでもない。むしろ、ローキックで終わらせたのは情けである。太ももへのダメージなら、人体に深刻な影響はない。本気で痛めつける気なら、もっと危険な技を使っていたのだ。殺すことも、簡単にできていた。
まあいい、これで気は済んだ。さっさと帰るとしよう。
将太は気づいていなかった。今日の彼の行動は、自身がこれまで狩ってきた町のチンピラと同レベルであることに。