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日本未来誌 FUTURITATES JAPONICAE

駅前に立つ

作者: 鱈井 元衡

 キョートに行くと、誰もが必ず、一度は『キョート・エキ』を目にするものであろう。

 一言で言えば、灰色をした巨大な建物だ。かつてはどんな屋敷でもその中にすっぽり収めてしまうほどだったとか――もう今ではほとんど古びてしまい、天井に相当するものは崩れ落ち、内側は大小無数の瓦礫だらけになって、在りし日の風情を留めているものといえばいくつかのそびえたった、かろうじて生き残っている壁くらいだ。だがそれだけでも人は十分、古代の繁栄をしのぶことができた。石でできているらしい壁はどんな杭を打ちこんでも跳ね返るほど頑丈で、またどんな城や砦よりも峻厳にそびえていた。

 遠くから見ただけでも、壁はまるでその背後にあらゆる家を隠しているようであり、また全体を見渡すとやはり往時の威光を失っていない。今ではすっかり老いていたが、陰もなく朽ち果てるのはずっと後のことかのように。

 このいかにも不思議な建造物は、また略して単に『エキ』とも呼ばれていた。

 エキの周りにも目につくものがなかったわけではない。『ビル』という石でできた建物があちこちに立っていた。かつて塔のように高くそびえ立ち、空を指さしていたそうだ。しかし今ではほとんど崩れ落ちてしまい、せいぜい根元の部分しか残っていない。そのかろうじて余命を保っている部分さえ、手を打たなければもうすぐ倒れて、いくつにも分かれ粉々になってしまうはずだ。


 数十年前オーサカから征服者がやって来て、この一帯は彼らの領土となった。

 オーサカ人はすでにナラを征服していたが、彼らの支配欲は弱まることなく、キョートにまで触手を伸ばしてきたのだ。数において劣っていたキョートは間もなくオーサカの手に落ち、オーサカの君主、ソーリは総督を置いて土着の人々を支配した。その総督はこの新しい土地を調べるため各地を視察しがてらこの遺跡を発見し、以来『エキ』はオーサカ人に知られるようになった。

 オーサカの街にもエキのように雄々しい建物がなかったったわけではない。しかしこの世の長い歴史を証しし、人間がいかにもろく、自然がいつまでも長らえるか――それを象徴する建物はこのあたりでは、エキをのぞいてなかった。

 

 太陽が傾きを急にし始めたころ、老人と幼子がそこを訪れていた。

「おじさん、なんで僕をここに?」

「見ればわかる」 あたりには人のいる様子もない。ただ烏と虫の鳴き声ばかりが低く響いている。

「どこもビルの遺跡ばかりじゃん……」

 二人の足元には、石をかためて造られた床。いくつも亀裂が走っており、そこから草や土がはいでていた。目を向ければ、少し上の部分がちぎれたように削れているビル。窓や壁が枯草で覆われている。

 視界をさえぎるものはなく、見晴らしはいい場所だ。

 昔の時代は街だったが、今では人のいない廃墟となっている。

 老人はその体とは裏腹に速く走るので、幼子は大変だった。

「よし来た、ここだ」

 老人はやがて見えてきたそれを、子のために指し示す。

 子はその壁を見ても、その時はあまり関心を引かなかったらしく、ビルや他の家などをちらちらと察ていた。

 だが、壁に近づき、その様子がはっきりと分かるにつれ、その顔つきが徐々に変わっていった。

 灰で染められたような、暗い色の壁があった。表面は荒々しくけずられ、いくつか幅の広い隙間があくほど。上の方は噛み裂かれたかのようにいびつな輪郭。まるでこちらに迫ってくるように高くそびえ立っている。左右に目を動かすと、この壁の長さは何十人が手を繋いで並んでも足りないほどだ。

 瓦礫の砂漠から立ち上がった姿は、未知との邂逅として少年の目にやきつく。

「わあ……」 初めて目にするその壮大な光景に、幼子は思わずためいき。

「これは『エキ』という建物の一部だ。かつての古代人の栄光を残す、数少ない遺産だ」

「『エキ』って……?」

「『デンシャ』という車が人間を運んでいた場所さ。すごく細長い形をしていて、何百人も乗ることができた。今ではすたれてしまったが」

 老人の語り口は生き生きとしている。まるで、昔の風景を思い出しているかのように。

「上を見ると、クモの巣みたいに枠が張られているみたいなんだけど」

 幼子は言葉を理解しているかどうか知りかねる様子で、ある部分に指をさした。

「あれか? あそこにはたくさんの透きとおった板がはめこめられてあったんだ。その名前が……」

「怪しい奴、止まれ」

 突然横から、いかめしい声で呼び留められた。

 すでに四人ほどの男がそこに立ち、壁で挟むように二人の前に。

「……お、おじさん……」

 おびえたように息をひそめる少年。

 男たちはみな黒ずんだシャツの上に鎖や毛皮をまきつけ、脚や腕に木で造られたすねあてをつけて、棍棒を腰に提げ、頭に厚い繊維のつまった帽子をかぶっている。

「このあたりは軍の進路になるという布告を聞かなかったのか?」

「ええ、存じております」

「では、なぜここに足を踏みいれた」

 老人は落ち着きはらったように答える。

「この愚息と共に、昔の日々に思いをはせたかったからにございます」

「何、そんな理由でか」 兵士はあきれたようにまゆをひそめる。

 彼らにとって、この場所は何もない不毛な場所に過ぎないのだ。そこに一体誰が来たいと思うか。

「ここは何百年も前から誰も住んでいない廃墟となっておる。どこから盗賊や野獣があらわれるかわからぬ」

「そんな所を……」 もう一人がつぶやく。

 老人ははっきりした口調で答える。

「廃墟ではありません、ここは人間のかつての威容を伝える生き証人だ」

 念を推すように、両手でにぎりこぶしをつくる。

「ただの荒れ果てた土地とは、わけが違います!」

「何を言っておるか分からんが」

 兵士は腕を組み、見下すような表情で老人をにらんだ。

「昔の日々に思いをはせようと思ってここに来た、と言ったな?」

「ええ」

「では、ここに貴様にゆかりのある何かでもあるのか?」「そいつは聴きたいものだ」

 またも質問者に同調したもう一人の兵士は、とがったあごで、目つきの悪い顔だった。

「この壁はかつてエキという建物の一部で、古代においては非常に壮大で豪華な建物だったのです。そこには毎日人を遠くへ運ぶための車が行き来し、常に人がたえず……」

「馬鹿な! 人を運ぶためだけなら、こんな大きな建物にする必要があったのか?」 悪人面の兵士が言った。

「はい、それ以外にも多くの施設が建てられていたのです。飯を食べる場所や寝泊りする場所などがあまた収められていました。しかも、これほど巨大な建物であるにもあるにも関わらず、いくつもの階層に分かれていたというのは実に驚異であります」

 老人は熱のこもった口調で説明した。単に知識を教えているのではなく、言われてもいないことに何かに反論するかのごとく――。

 兵士たちには老人が何かに憑かれているように見えた。いや実際、兵士たちは老人の言葉などほら同然として受け取っていたのである。ただこの話をたわごとだと見て、耳に注いでいたにすぎない。

 だが、最初にこの男に口をきたものが何やらこの男の言葉に興味を持ち始めた。

 もっと詮索してやろう。こやつは面白い奴だぞ、と。

 彼は老人に言った。

「では訊くが、『エキ』とはどういう意味なのだ」

「『エキ』とはさっき言った通り人を運ぶ車を収める施設です」

「『エキ』が建てられたのはいつのことだ?」

「今から二百年ほど前です」

「そんな昔に、こんな大きな建物を造る技術があったのか?」

「ええ、当時は古代人の世の中でしたから。古代人は我々よりはるかに高い技術を持っていましたが、ある時起こった大異変によって……」

 この老人は、さらに語り続け、それはしばらくやみそうになかった。

 老人は別に、知識をひけらかしている、というわけではないらしい。いや、そんな風の表情ではまったくなかった。人間にとって命より重い真実なのだ、と主張しているとしか。

 使命感につき動かされているかのように、次々と言葉を繰り出して全くやむことがない。真剣な顔のまま兵士の方を正視して語り続けていた。ただその傍らにいるこどもは、何のことか分からないのだろう、ぽかんと顔をかしげつつ。

「では、それを誰から知ったのだ?」 老人の言葉をなかぞらに遮って。

「もちろん父祖から教わったのです!」 一瞬、眉間のしわがせまくなったように見えた。

 いや、老人は、確かにいらだっていた。兵士たちの態度が一向に変わらないことに。

「親が言ったことが本当と言う証拠でもあるのか? そんな昔のことをだぞ?」 先ほどの悪人面の兵士がまた問うてきた。

 老人の口が、いよいよを色をなしてきたらしい。

「私は失われつつあるこの世界の知識を守り抜くため生まれてきたのです。この世界を完全に無知が支配したあの頃に戻したくはない。いいですか、私は単に昔の話をしているのではありません。過去を完全に消し去らないよう、未来に知らせるために知識を今に生き延びさせているのですよ」

 だがそんなことは、兵士たちには至極どうでもよかった。

「で、どういうことだ。我々にその噂話を拡散してほしいということか?」

「これは噂ではなく真実です」

 老人は腹を立てつつあるらしく、険しい面持ちだ。

 その剣幕に男たちは何を言えば分からなかった。それで微妙な間、彼らに沈黙が走った。

「いや、信じられんな!」 突如として目つきの悪い男が言葉を発した。さきほどいくつか問いを発した人間である。

「おい、ミズタニ」

 ミズタニはあきれ声で続ける。

「こんな奴がいうたわごとに気を散らせる必要などない。我々に知識など必要ない。必要なのは今日を生きる水と飯だ。こんな何にもならないうわごとを聴いたところで何になる? ここは危険な世界だ。明日さえ生きているどうかわからん。だがお前は――」

 老人に対して薄暗い顔で一瞥。

「昔のここがどうだったかとか、人々がどうだったとかとぬかす。今さらそんなことが重要なのか? そんな昔のことをだぞ?」

 するとこれに指をさし、声を荒げた。

「この男は我々をあなどり、たぶらかしているだけだ。そう言ってられるのは我々のように目の前の現実を見ず、ありもしない空虚な幻想にひたっているからだ。それはこいつの場違いな言葉遣いから分かる」

 老人はついにいきりたつ。こどもの荒い息が聞こえる。

「やはりな。今の世の中にはこのような輩しかおらん。人類の歴史を後世に残して置くことなど頭にもない。人間のあるべき姿を知ろうともせず、ただ動物のように生命を保つことしか念頭にない」

 ミズタニは指をまだ老人から離さない。

「ほら見ろ、こやつはまたわけのわからぬことをほざき始めたぞ! 人間のあるべき姿? 動物のよう? 全く理解不能だ! 人間はただある姿のままに、今日明日を生きるだけだ。今はもうどこにもない物に関わっていられるか。さあここから去れ、老いぼれが」

「黙れ、獣の子が!」 目を見開いて、彼らをねめすえる。

「貴様、ソーリの面前でも同じことが言えるか!」

 もし時間がそのまま進めば、あわやというところであったが。

「待て!」

 いきなり新しい声が場外から飛びこんできた。

 彼は他の男と違い、赤いヘルメットをかぶっていた。

「お前たち、なぜここにいる?」

 オーサカ人は沈黙した。上官に軽々しく口答えすることは許されない。

 部下の不審な行動には触れず、隊長は静けさの戻った雰囲気の中で言葉を出した。

「わが軍勢が翌日、シガ人の町、オーツを攻略する」

 それが、兵士たちがここに居合わせていた理由だった。

「戦いの前にみだりに騒ぎを起こして何をするつもりだ? 国家に奉仕するものとしての自覚をもて」

「ナカノ隊長」

 最初に老人を見つけた者が再び口を開く。

「この男がわけのわからぬことをゆえ、詰問しておったのです」

 老人は黙っている。もう、何を言っても無駄だと判断したのだろう。

「一体、どういうことだ?」

 ナカノ隊長は不可解だという顔で老人を見る。

「……今となっては、何の意味もないことです……」

 老人は無感情そうに、一言だけで答えた。両者の間には、無限の距離。

「まあよい。つまらぬ言い争いでオーサカ人の士気に及ぶことがあってはならんからな」

 隊長は部下に言った。老人と、なかば泣きだしている少年に向き直ると、突き放す言い方で告げる。

「お前たちは行け。他のならず者のやってこないうちに」

 もう立ち向かうことはなかった。ただ満足しない、あるいは見下すところのある顔つきで彼らの様子を見つめていた。


「なんと野蛮な奴らだ」

 大声でその男は叫んだ。

「おじさん、聞こえるよ」

 こどもは老人の腕をつかみ、低い声で。

「聞こえるも何もあるものか。あのような教養もない奴らに辱められてはたまったものではない」

 老人は秘匿していた感情を放出し、激した顔を隠そうともせぬ。

 だが、すぐ自分がはしたない姿をさらしていることに気づくと、また静かな様子に戻って、こうこどもに語りかけた。

「お前には言いきかせてやったはずだ。栄光に満ちたあの日々のことを」

 そこで老人は、石の地面にころがった瓦礫の塊に腰かける。

「わしがまだお前のように幼かったころ、私の祖父ははるか昔のことを、まるで目に見えるかのように話してくれたものだった」

 人類がまだ今のような野蛮な生き物に墜ちてはいなかったあの頃……。

 京都駅には毎日電車が走り、そこに日々あまたの人々が乗りこんでさまざまな土地へとおもむいた。電車はずっと離れた場所につながり、東京から福岡までの地に至り、さらにその外にまで人間を送り届けたものだ。

 この街にはくさぐさの国々から人がやってきた。目の青い人間もいれば黒い目の人間もあり、肌の白い人間もいれば肌の黒い人間も見ることができたものだ。世界の様々な風俗をこの場所で観察することができるくらいに。

 だが、あることをきっかけに全てが変わってしまった。

 人間はその時からあらゆる尊厳をはぎ取られ、人間は日々の糧を得るためだけにあらそい、疫病が激しく殺しあう彼らを襲った。大地が屍で覆われ腐臭が空にたちのぼった。

 街中から生きている人間の姿が見えなくなり、獣たちが主を失った家々に棲みついた。

 今日明日を生きることだけが万人の唯一の関心となり、過去を誰も振り返ろうとせず、今日と昨日しか知らない人間ばかりが生命を保つ人々の間に満ち満ちていった。

 あの日々は、もう二度とやってこない。あの日々を生きていた人々は、もうどこにもいない。この世界にはもう、野蛮で粗暴な人間しかいなくなってしまった。

「我らは奴らとは違う」

 老人は断言する。

「古代からの歴史を伝え、その伝統を保存する選ばれた者だ。お前には私の跡を追って、古代の記憶を未来へ引き継ぐ責務がある。知識がなければ人間は死んだも同然なのだから」

 ただ大きな期待と信頼をよせた目で、子を見下ろす。

 それはどういうことなのだろう、と少年は思った。いつも、こんなことばかり言っている風に聞こえる。昔あったことを行く末に残せ、と。

 昨日見ていた夢を、価値があるように話すようなものだ、と。

「でも……。何のために? あの人たちがそうだったじゃない。もう誰も信じてくれないのに」

「いやこれは、理解されなくても命を落としてでもやるべきことなのだ。知識は命より重い。知識のない世界は原始時代よりも劣っている。たとえ人間が数えるほどしかいなくなっても、知識の量は人間の数百倍あった方がいいものだ」

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