勇者様、異世界へ
** 勇者様、魔王を倒す **
勇者の鋭い剣撃が、魔王の胸部に輝く結晶を断ち割った。
「ぐ、ぐはあぁぁぁぁ!」
魔王の口から断末魔の叫びが響き渡った。
勇者アレン・グランフォードとその一行は、ついに魔王を倒したのだ。
魔王からはもはや大きな力を感じない。
勇者たちも無傷ではなかった。防具は傷つき、へこみ、肉体もいたるところから流血の跡がうかがえる。
だが、悲願を達成した彼らの表情は明るく、今までの苦労をねぎらう言葉があふれていた。
終わったのだ。世界は平和になるのだ。
この場にいる、魔王以外の誰もがそう思っていた。
しかし、この場、魔王の間の床はわずかに輝き、うっすらと呪言が流れてくる。
-- 幾万の運命を超え ----
「魔法陣!?一体何を!?」
「……ぐ、はは……我が、研…究…の……成果を……。勇者よ……新…天……地へ」
-- 幾億の星辰を超え ----
だんだんと強く響き渡る呪言とともに魔法陣の光が強くなる。
魔王の間の中心にいた魔王と勇者。
急ぎ勇者たちの仲間は駆けつけようとしたが、魔法陣が生み出す結界に阻まれて近寄ることは出来なかった。
-- 無限にも等しき束縛を破り ----
魔法陣の中にいる勇者と魔王の体が光に包まれる。
仲間たちが結界を叩くがどうにもならない。そのうちに、魔王の口から力ある言葉が漏れる。
『穿界越境』
ひときわ強く魔法陣が光ると同時に、勇者の仲間たちが駆け寄ってきた。陣をおおっていた結界が解除されたのか、それとももうそんなものは不要だということか。
勇者と魔王の体はいっそう強い光に包まれ、もはやまぶしさに直視することも出来ない。勇者の仲間である美しい、純白の魔法使いの少女だけが勇者の手を取り、彼の名を呼びながら必死にこの魔法陣を止めようとしていた。
「……シア……」
勇者はその名を呼んだ彼女を引き寄せ、顔を寄せるとその唇が触れ合……
その瞬間、光の強さは頂点へと達し、魔王と勇者の体は
世界のどこからも消滅していた。
** 勇者様、異世界へ **
長い時が流れたような、あるいはまたたく間の出来事のような。
白い光に包まれた勇者は自分の体が無事であることを感じていた。
すぐとなりには大きな魔王の体。
青黒く硬いざらついた石のような地面。
青空。
太陽の光を一切浴びることのない、深層にあった魔王の間とは比べ物にならない開放感。
最後の魔力まで尽きたのか、魔王の体はすぐに灰になって風に消えていった。
「……帰ってきた……」
最後にそんな言葉が魔王から聞こえた気がした。
その言葉で勇者の意識が目覚めたのか、周囲が見えてきた。
自分は魔王の間で剣を支えに膝をつき、魔法使いの少女シア・フリーゼを抱き寄せたそのままの姿勢でいた。
周りには足早に一定の方向に歩く見たことのない衣装の人々。地面には白い線が引かれている。
気の抜けたような音楽とブルブルと一定のリズムで空気を揺らす音が多重的に響く。
周囲を見渡せば石のような塔やクリスタルで覆われたかのように光を反射する塔が埋め尽くすように立っている。
どこまでも続くかのような巨大な橋の上を四角い塊が通り過ぎて行く。
周りの人々は彼のことなど気にしていないか邪魔そうにしながらよくわからない言葉を連呼しながら勇者を横目に過ぎ去っていく。
気の抜けた音楽が鳴り止み、少しすると先程まで止まらずに流れていた人々の流れが急になくなり、最後は数名の少女が慌ただしく走り抜けていった。
空気を揺らす振動音は力強くなりだんだんと近くなる。
人影の後ろにあった鉄とガラスで覆われた何かが勇者の前に立つとビーッとけたたましい怪音を上げた。
うわっと軽い驚きとともに数歩飛び退くとまた別方向から怪音で威嚇された。
そんなことを繰り返していると鉄の塊が勇者の周囲に集まってしまっていたが、不意に離れたところから甲高いホイッスルの音が響き勇者の元へ二名の帽子をかぶった紺色の服の男が駆け寄り、「おい、大丈夫?」「怪我はない?わかりますか?」等と言いながら腕を引いていった。
害意はないようなのでされるままにしていたが彼らはなにやら紋章のようなものを見せながらこう言ってきた。
「あー、警察ですがちょっとお話を聞かせていただけますか?日本語わかる?」
** 勇者様、職質を受ける **
警察官二人は困っていた。
何を言っているのかわからない。いや、言葉は通じている。最近多い中国人のほうがその点は困る。この人は非常に流暢な日本語をしゃべっている。
「えーと、アレンさん。あなたは、魔王と戦っていて、気が付いたらここにいたと」
渋谷ハチ公前広場。
ここで警察官が誰かに注意をしたりするのは珍しいというほどのことではない。
だが相手が鎧を身につけた白人ともなれば、そんなことはハロウィンの時以外にはない。勇者はちょっと目立っていた。
「魔王、美味しいけどねぇ……いや、んで別に日本に来たかったわけじゃないからパスポートも外国人登録証ももってないと」
酒好きなのか的はずれな余計なことを言いながらまた警察官も頭を抱えていた。
出身地を聞いてもエストヴァーン王国のアキーテ地方とか世界地図を見ても存在しない場所を言うのでふざけているのかと思うが、アレンの態度は至極真面目だ。
身分証明書の提示を求めてもペンダントや勲章を見せてくれるのだが、日本の警察官にヨーロッパの紋章や海外の勲章の知識はないしそれもなにか違う気がする。そもそもパスポートってなんですかって聞かれた。
仕事を聞いたら農家で育ったが勇者になって魔物と闘いながら旅をしてきたという。一応猟師になるのであろうか。
観光ですか?と聞いたら、魔王に瞬間移動させられたとかいうし、魔王はそこの交差点で灰になったとか言われる。
どう処理したらいいんだろう……警察官は頭を抱えるしかない。
一方で勇者アレンも困っていた。
お互いに常識が通じない。
「えーと、お名前とパスポートか身分証みせてもらえますか」
「アレン・グランフォードです。身分証はこのペンダントを。エストヴァーン王国の紋章が彫られています。……パスポートってなんですか?」
勇者がいた世界にパスポートなんてなかった。国境を通過するのに手形がいることはあったが、パスポートというものはまだ存在していなかった。そもそも警察ってなんだ。衛兵みたいなものか。自警団とかそんな感じなのか。勇者の認識はそんなものだ。
「(ヒソヒソ)おい、お前紋章とかわかるか……」
「(ヒソヒソ)わかるわけないじゃないですか……そもそもエストヴァーン王国って聞いたことないですよ」
「(ヒソヒソ)パスポート知らないとか……どうしたもんかね……」
警察官二人が頭を寄せあって相談するが、なんかもう面倒事だらけで頭を抱えるばかりの展開に嫌気が差しているようである。
もし不法入国として拘束しても、身元不明で国籍不明で外務省とか入管とかにお伺いを立ててそれでもきっと行き先が見つからなくて、その間自分たちがきっと面倒見させられて、結局釈放とかになる気がするのだ。
魔王とかいう人物の殺害容疑がかかる気がするが、人であるかも不明な上に死体も証拠もないのでこっちはとりあえず見ない方向で行くことで二人で合意した。
「えーとその手に持っているものは?」
「聖剣です。魔王を倒す神力を持っています」
「まさか、真剣じゃないよね。切れないよね?」
「本気になれば鋼鉄でも切れます」
年かさな方の警察官は更に頭を抱えた。
にこやかにそんなことを言われても困る。銃刀法違反だ。
「……この国では刃物や銃器を持ち歩くのは禁止されているんだ……」
苦々しい顔でアレンへそれを伝えたところ、彼は一言二言何かをつぶやくとその手から剣が消えていた。
聖剣はその神力により、普段はペンダントとして隠すことが出来るのだ。
警察官から見れば手品のような何かでしかない。それを警察官に伝えても感情のこもらない声でアアスゴイネーとしか言ってくれなかった。
そんなやりとりをしているとアレンの周りに、夜のホタルのような光の玉が三つばかり浮いていた。
そして、その光はフワフワと浮かびながらねん○ろいどのような姿になると口々にしゃべりだした。
「勇者様は勇者様なんだから!」
「そうよ!魔王を倒したのよ!」
「王様からも司教様からも認められたのよ!」
かしましくしゃべるそれをアレンは守護精霊だといった。
魂に宿る守護精霊は異世界への移動にも取り残されることなくついてきたようだ。
だが警察官の精神力ももうすでに限界だ。
警察官はつかれたような口調でアレンの釈放を言い渡した。
「…………分かりました。……もう十分です。剣とか振り回したりしないでくださいね。悪人を見ても警察に任せて斬りかかったりしないでくださいね……」
警察官は去っていった。物珍しそうに中途半端に話を聞いていた野次馬は次第に散り、あとに残されたのは勇者と精霊だけだった。
** 勇者様、宿を探す **
警察の職務質問から開放された勇者アレン。
彼が今わかっていることは、
・ここが元いた世界ではないということ。
・ニホンという国のシブヤという街にいること。
・この国では剣を持っていてはいけない。
ということくらいだった。
確かに周りを見てみれば、武装した人間など見当たらない。武器どころか防具をつけている人間すらいない。
見たところ清掃は行き届いているし、暗い感じもしない。とても治安がいい街なんだと感じる。
魔王によって異世界へ連れて来られ、魔王が灰となって消えてしまったため今すぐに帰還するというのは非常に難しいであろうことは想像に難くない。この現状で勇者がするべきことは拠点の確保である。
じっくりと腰を据え、元の世界へ帰還する道具なり魔法なりを探さなくてはならない。一朝一夕で行くとは思えない。まずは宿を。そう考えたのは当然だ。
「休憩できる場所?やだ、ナンパ?」
……違います。
「そのカッコまじウケルー」
笑われた。防具にチュニックの冒険者ルックは異常らしい。確かに他には見かけないけど……。
「えーこんな昼間から?いーよ、一緒に行こ♪」
……だからナンパじゃないです。
女性陣以外はたいがい声をかけても避けられた。たまに止まってくれるのだが、顔を見ると逃げられた。勇者に心を読む力があれば外国人にビビる日本人の心が読めたことであろう。
そうじゃない男性は「ホモは勘弁」とか女性陣と同じ反応をされたりした。
「にーちゃん、宿探してんの?連れってってやろうか?」
やっとわかってもらえた。そう言って声をかけてくれたのは小太りであまり大きくない中年の男性だった。おじさんだ。周りで中年くらいの男性が来ている服をやっぱり着ていた。
この国は一定の年代で一定の服を着る義務でもあるのかと思うくらい男性は画一的な服を着ている気がする。
おじさんについていくとしばらくして一件の店の中に連れて来られた。
「あそこがフロントだからよ。行ってきな」
「ありがとうございます。助かりました」
そう言って喜び勇んでフロントへ行った勇者だったがすぐに戻ってきた。
「このお金は使えないって言われてしまいました……」
そう行っておじさんに見せた手の中にあったのは、人の横顔が刻印された不揃いな数種類のコインだった。現代日本で金属価値そのものを価値とみなす金銀銅貨が流通するわけはなかった。
** 勇者様、質屋へ **
おじさんは勇者の持っているコインを見ると別の店へ連れて行ってくれた。シチヤという店でいろいろなものを買い取ってくれるのだという。
おじさんには、骨董品じゃないのかとか聞かれたが、あちらにいた時は普通に使っていたものなので骨董品のわけはない。
おじさんは店につくと店員へ親しそうに声をかけた。店員の方も気安い感じで言葉を返していたので知り合いなのだろうと勇者は思った。
店員もおじさんと同じくらいの年のメガネを掛けた頭のまぶしい中年だった。
「んで、コインを買い取って欲しいって?」
「そーなんだよ。まーなんか沈没船とかから出てきそうなやつでさー」
「これなんですが……」
勇者がコインを出す。金銀銅の三枚だ。
店員は気難しそうな表情で、メガネを外して黒い筒のようなものをまぶたで挟むともう片方を閉じて金貨をじっと見つめる。金貨を黒い石にこすりつけたり、何やらしていたようだ。
銀貨の方も観察したり、水につけたりしていた。
銅貨は観察しただけだ。
「……うーん」
店員がうなる。
「どれも見たことない貨幣だから骨董とかコレクター的なプレミアは期待できないねぇ。地金で金貨が一枚三万円、銀貨が三百円。銅貨はちょびっとにしかならんからとっときな。どうしてもってんなら百枚で百五十円くらいだな」
店員が値段を教えてくれたが、勇者にはピンと来ない。エンというのがこの国の通貨だというのは宿でも聞いたが。
ただ、あちらでは一金貨=百銀貨=一万銅貨なので、だいたい問題ないだろうと思う。先程の宿では一泊六千円だと言っていた。金貨一枚で五泊というのは少し高い気がするが、王都の繁栄にも勝るとも劣らぬシブヤの宿だ。無理な値段とは言えない。
結局、勇者は金貨五枚を売って十五万円を手に入れた。
ハードな金貨からソフトな紙幣に変わるとなにか頼りない気分がしてならない。が、そこは慣れの問題だろう。幸いまだまだ金貨の余裕はあるのだ。
勇者は日本円を手にすると再び宿へ行き、今度こそ宿を取れたのであった。
もうちょっとだけ続くんじゃ。