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ハッピーライフ

作者: サニー

年末なのでちょっと明るいお話を書いてみました。最近引っ越したので、引っ越しネタです。たいしたオチではないのですが(笑)

「あれっ」

 マウスを動かしている智の手が止まった。

 日曜日の昼下がり。いくら仕事が休みとはいえ、日光がきらきらしている部屋でエロ動画を見るというのも、太陽を冒涜しているようで気が引ける。それでしばらくゲームをやった後、ネットのトップページを開いた時だった。


<招福ビル 広々1DK 駅近 日当たり良好 2.5万円>

 

 モニターの右サイドに表示された賃貸住宅の広告。そのビルの名前に見覚えがあった。

 就職して半年。大学時代から住んでいる今のアパートは、狭い上に古い。おまけに会社に行くのに、バスから電車に乗り換えなければならないことが、だんだん苦痛になって、ネットで部屋を探してみた。招福ビルは、名前はダサいけど、間取りといい、方角といい、会社までチャリでも行けそうな立地の良さといい、すべてが申し分なかった。ただ、先日見かけた時は、大手の不動産情報サイトでほぼ倍の家賃だったはずだ。智は首をかしげた。

 

 二日後の夕方、智は、会社から歩いて五分ほどのビルの一階にある小さな不動産屋にいた。

 小太りで眼鏡をかけた初老のオッサンが、招福ビルの資料を見せてくれた。それにざっと目を通したあとで、智は思い切って聞いてみた。

「あの……この部屋、なんでこんなに安いんですか」

「安いのが不満かね」

 オッサンは笑いを含んだ声で、レンズ越しに上目づかいに智を見た。

「あっ、いや、前にこのビルの広告を見た時は五万円って書いてあったもんで。こんなに安いのって、なんか訳ありとかかなって」

 オッサンは、ああというようにあごを上げた。

「訳ありというと、前の住人が死んだとか、幽霊が出るとかってそういうことかな」

「そうそう、そんな感じ」

「それはないよ。前に住んでたのは、三十代の女性だったけど、結婚するとかで引っ越したからね。このビルのオーナーは、私の古い友人でね。最近空き部屋が増えてきたんで、私に管理を任せてくれることになった。それで思い切って全部の部屋の家賃を安くしたんだ。まあ不安だったら、無理には勧めないよ」

 商売っ気のない言い方には好感が持てた。願ってもない好条件なので、その部屋を借りるほうへ気持ちが傾いた。


「あの、もひとつ聞いてもいいですか」

「ん」

「このビルの名前って、すごく縁起がいいじゃないですか」

「ふむ」

「それでですね。もしかして、ここに住んですごくいいことがあったとかって、そんなのはないんですか」

「まあ、ないこともないが」

 オッサンは腕組みをする。

「あるんですか」

「去年、南米だか、アフリカだか、とにかく珍しい海外旅行が当たったって人がいたよ」

「そうなんですか」

 海外旅行が当たるってことは、宝くじが当たったりすることもあるのだろうか。

「しかし、その若者は帰ってこなかったんだ。残念なことに」

「えっ」

「消息不明になったらしい。部屋は親御さんが片付けにきた。他には、ああそう言えば、住人同士でカップルが出来たってのもあったよ。男性のほうが、爬虫類マニアでな。部屋で何とかいう珍しい蛇を飼ってたんだ。ペットは禁止なんだが、亀とか蛇とか、鳴かないやつは、こっそり飼ってたって分かりゃしない。ところがその蛇が逃げ出して、隣室に入り込んだ」

 逃げ出した蛇がなんで出会いにつながるのか、全然展開が読めない。

「ところが、その隣室の女性も実は大の爬虫類好きだった。男性が平身低頭で謝りにいったら『かわいいっ。離れたくないっ』てんで、結局一緒に暮らすことになって、蛇を連れて引っ越していったというわけさ」

「はあ」


「こんなのもあるぞ。一階に住んでいた、一人暮らしの女性の部屋に強盗が入ったことがあってな。これも隣室の男性が、あっという間に取り押さえて何事もなかった」

「もしかしてその二人も結ばれたとか」

「いや、実はその男性はSATの隊員でな」

「サ、サットですか」SATといえば、刑事ドラマでしか見たことがないあの特殊部隊か。

「そう、その彼が、物音で即座に異変を察知して、ベランダの仕切りを壊して隣室に突入。強盗が足を折られて悶絶し、捕まるまで三分もかからなかったらしい。だがそのターミネーターばりのあまりの凄まじさに、女性は反対に恐怖を感じて間もなく引っ越したようだ」

 何だか、いいのか悪いのかよく分らない微妙なエピソードが多い気がするが、智は結局その部屋を借りることに決めた。


 二か月が過ぎた。引越しの頃は、いくらか残暑の名残りがあった五階の智の部屋だが、この数日は風がずいぶん冷たくなった。部屋が新しくなって、通勤も楽になって、智はごきげんだった。引っ越してからしばらくの間は、今度の部屋なら女の子を誘えると意気込んで、せっせと掃除をしてみたりもした。けれど最近はそのモチベーションも下がって、シンクの中には前の通りビールの空き缶やカップめんの容器が転がっている。休日の定番で、ひとしきりゲームをしたあと、智はちらりとシンクを見たが、まあいいやと畳に寝転がった。

 

 するとその視界を、薄いグレーの飛翔物がひらひらと横切った。

「あっ、蛾」智は声を上げた。

「まあ、失礼ね」突然女の子の甲高い声がした。智はあわてて起き上った。

 次の瞬間、キッチンのテーブルの上に今度はいきなり真っ白な猫が出現した。

「わっ、わっ……」智は腰を抜かした。

「せっかく素敵な蝶になって来てあげたのに、蛾だなんて」

「ね、ねこが、しゃべっ、ヘークショイ……。お、おれ、ねこダメ。アレル……ヘークショイ」

「えっ、あなた猫アレルギーなの」

 白猫は、あんぐりと口を開けた、ように見えた。

「まったく世話が焼けるわねえ。それじゃあぎゅっと目を閉じて」

 

――なんでこんな幻覚とか幻聴とかが続々出てくるんだ。ゲームのやり過ぎか

「あなたが一番好きな女の子の顔を思い浮かべて」

 智はそう言われてもと思ったが、こうなったらもう幻覚だろうが幻聴だろうが、行けるとこまで行ってみるかという気にもなった。そして、いつもこんな子が彼女だったらどんなに幸せだろうと妄想しているアイドルの岡倉沙奈ちゃんの顔を思い浮かべた。

「はい、目開けていいわよ」

 目の前に立っていたのは、沙奈ちゃんをちょっと太めにしたような可愛らしい女の子。ただし服装は、ミニスカのセーラー服じゃなくて、白い布をぐるぐる巻きつけたミロのヴィーナスみたいなヘンテコなロングドレスだった。

「き、君、誰?」

「私は、風の精霊よ」

「セイレイ?」

「そう、長い旅の途中なの。でもちょっとくたびれちゃったから、ここで休ませて」

「はあ」


 幻覚なら、ひと晩寝れば消えるだろうと思った。けれど、翌朝も精霊はソファーに転がっていた。

 食事をするわけでも、トイレにいくわけでもない。ベランダの手すりに座ってみたり、テレビを見たりきままに動いているが、見た目は沙奈ちゃんだから、怖くもないしむしろかなり嬉しかったりする。

「それじゃあ、俺仕事行ってくるから」

 智が言うと、にこにこしてバイバイと手を振ってくれた。通勤の途中も、仕事をしている間も、不意にその笑顔が浮かんで、思わず顔がほころぶ。


――もしかしたら帰ったら、いなくなってるかもしれないな

 仕事中にそう思うと、いても立ってもいられなかった。六時の終業時間がくると、マンションに飛んで帰った。

 精霊はあい変わらずソファーに寝転んでテレビを見ていた。

「おかえり」

 智の顔を見ると、満面の笑みで迎えてくれた。しかもミニスカのセーラー服姿だ。体型も微調整したらしく、昨日よりはほっそりして、どこから見てもリアル沙奈ちゃんだ。

「ど、どうしたの。それ」

「智の好きな女の子って、沙奈ちゃんって言うんでしょ。昼間テレビに出てたよ」

「それで、同じにしてくれたんだ」

「うん、まあね」

 

精霊はどうやらテレビがえらく気にいったようで、智がレンジでできるカレーを作って食べている間も熱心にテレビを見ていた。食事を終えた智は隣に座った。

「そんなに面白い?」

 智がたずねると「うん」とうなずいて「どうやったらこの箱の中に入れるの」と聞いた。

「あっ、ええと。これはね。そう、魔法なんだ」

 何しろ相手は精霊だ。そう言うのが一番分かりやすいような気がした。

「ふうん」精霊の沙奈は、軽く唇をとがらせてちょっと首をかしげた。その仕草がぞくぞくするくらい可愛いくて、智は思わず唇にそっとキスをしてしまった。沙奈は智の顔を見て、くりっとした瞳を二、三度ぱちぱちとしばたかせた。

 

「そろそろ寝るわ」照れ隠しに頭を振りながら窓を閉めようとする智のそばに、沙奈がふわりとやってきて腕を押えた。

「お願い。閉めないで」

「あ、うん」

「風がね、変わりそうなの」と言って、ベランダに出た。

 智が、意味が分からず黙っていると、沙奈の姿がいきなり消えた。

「あっ、ねえ、待って」智は叫んだ。


 いつかはいなくなると思っていた。いや、そもそも全てが幻覚なのかもしれないとも思っていた。突然迷い込んできた蝶が白猫になり、白猫が大好きなアイドルの女の子になった。あり得ないことだった。けれどあり得ないほど幸せだったのだ。せめてさよならくらい言いたかったのに。

 

 茫然と立ち尽くす智の前に、今度はお風呂のマンガにでてくるローマ人のような白い服を着たオッサンが出現した。丸顔で、小太りで、どこかあの不動産屋のオッサンに似ている。

「いや、すっかり世話になった」

 智はぽかんと口を開けた。

「あんた、誰?」

「だから精霊だって言ってるだろう。分らん奴だな。北へ帰るには、この風が変わる前に出発しなければならん。それじゃあ元気でな」

 その言葉が終るか終わらないうちに、巻き上げるような強い風が吹いて、オッサンは消えた。

「俺、あいつに……」まだ、ぽってりとした唇の感触が残っている。智はその場にへたへたと座り込んだ。


 一晩ぐっすり眠ったので、昨夜のショックはずいぶん和らいだ。通勤の途中信号で止まると、風が昨日よりも冷たくなっている。あの精霊は、果たして蝶だったのか、白猫だったのか、最後に出現したオッサンだったのか、結局正体は分からなかったけれど、智の側にいる間は、ずっと沙奈ちゃんでいてくれたのだ。二度と取り戻せない時間なら幸せな思い出だけを残してあとは消去すればいい。

 そう思いながらスマホを取り出してネットにつなぐと、広告が出てきた。


<招福ビル 広々1DK 駅近 2.5万円 あなたにもハッピーライフを>

 

目を上げると、不動産屋のオッサンが、店の前で植木に水をやっていた。そして智を見てにやりと笑いながら片手を上げた。(了)

 






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― 新着の感想 ―
[良い点] それぞれの個性的な登場人物が、読んでいて居心地のよい作品の空気を作っていると思いました。 [一言] 力を抜いて読めるお話もいいですね。 最後の精霊の姿は…その前にしたことが軽くトラウマにな…
[一言] 読ませて頂きました。 住民のいろんなエピソードが微妙でおもしろいです。 智の微妙なエピソードも、誰にも経験できないんだろうな~と思うと、ハッピーライフだな!と思います。 とりあえず、私はお話…
[良い点] 話の流れがとても自然でした。 [一言] 変身できるキャラクター特有のコメディーですが、話に引き込まれてオチまでそのことに気付けませんでした。面白かったです。
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