scene 03「仮初めの恋人」
宮下千尋が体育館の裏手に向かったのは、昼休みのチャイムが鳴ってすぐのことだった。
「急に呼び出しちゃって悪いな、宮下」
その陰気な場所で彼女を待っていたのは、男子バスケ部の部長、阿久沢尚人だった。
即座に教室を出た自分よりも早い尚人を見て、千尋は少しだけ驚いた。
「それで、こんなところに呼び出して何の用ですか、阿久沢先輩?」
やや不機嫌な声で訊ねる。
男子バスケ部のマネージャーである彼女は、毎日のように尚人と顔を合わせている。わざわざ呼び出さなくても、放課後の練習時間になれば嫌でも会えるのだ。
それを敢えて呼び出した。しかも、あからさまに人目を忍んだ密会だ。千尋としては、何か厄介事を押しつけられるとしか思えなかった。
「まさか、こんなムードの欠片もない場所で告白などと言わないですよね?」
「いや、そのまさかでさ。実は恋人になって欲しいんだ」
千尋が、呆れ果てたような半眼を尚人に向ける。
「……先輩、冗談は顔だけにして頂けますか?」
「え、冗談ってイケメンなの? そりゃビックリだな」
尚人の戯けた返事を聞いて、千尋はキッと眉を逆立てた。
「あまりおふざけが過ぎるようですと、岡部さんに言いつけますよ?」
冷たく言い放つと、さすがの尚人も降参するように両手を挙げた。
「いやごめん、悪かった。だけど、恋人になって欲しいってのは本当なんだ」
「どういうことですか?」
尚人が神妙な面持ちだったので、千尋も態度を改めて訊ねた。
「みゆきを何とかしたいんだ」
「岡部さんを……何とか?」
「あいつは俺の恋人気取りなんだ。だから、別の恋人を見せつけて諦めさせたい。宮下には、そのための『仮初めの恋人』になってもらいたいんだ」
「ふぅん」
千尋は探るような目つきで尚人を見た。
「どうして私に頼むのですか?」
胡散臭い話だったので、千尋はまだ心のどこかで警戒していた。
「ある程度の気心が知れたヤツで、なおかつ信用できるヤツ」
「え?」
「おまえに対する俺の評価な。信用してもらえないと困るから、本音は隠さないよ」
「……」
千尋は小さく微笑むと、別の質問をした。
「先輩は、岡部さんのことが嫌いなのですか?」
「別に嫌いってわけじゃないけど、俺的にはただの幼なじみというか、腐れ縁ってヤツでさ」
「でしたら、そのまま放置でも差し当たり問題ないかと思いますけれど」
無理に仲を悪くする必要もない。事なかれ主義の千尋はそう思った。
「先輩が切羽詰まってらっしゃるわけでもないのに、憎まれ役を演じるのはちょっと……」
すると尚人は困ったように眉根を寄せ、わざとらしく後頭部を掻いた。
「俺もなあなあの間柄で構わないと思ってたんだけど、その、それじゃダメだってヤツがいて。すぐにみゆきを見捨てろって言われちゃってさ」
「それはもしかして、阿久沢先輩の好きな方ですか?」
普段はクールに見える千尋だが、他人の恋話に興味津々なところは、今どきの女子高生と違わなかった。眼鏡越しに尚人を見る彼女の瞳は、爛々と輝いている。
尚人はゴホゴホと不自然な咳払いをした。
「まあ、そんなところだ。どうだ、俺と『恋人契約』してくれないか?」
千尋は、少し考え込むように小首を傾げた。すでに答えは出ていたのだが、安くみられないように勿体つけたのだ。
不安そうに見つめる尚人に向かって、千尋は小さく頷いた。
「いいですよ。私もマネージャーの一件以来、岡部さんには逆恨みされてますから。意趣返しにちょうどいい『イベント』です。どのみち憎まれ役ですし、やるからには徹底的にやらせて頂きます」
「お、おう。とにかくこれで契約成立だな」
快諾を得られた尚人は、すぐに手を差し伸べた。しかし千尋に素気なくあしらわれる。握手を拒否されたのだ。
「宮下?」
「恋人契約はします。ただし、タダではありません」
「……というと?」
心配そうに問いかける尚人に対して、千尋は澄ました態度でこう言った。
「学食のデザート、一ヶ月おごってください」




