scene 06「バスケ部事件」
みゆきは素早いドリブルでふたりを抜くと、軽やかなステップからランニングシュートを決めた。
「ナイッシュー、みゆき！」
仲間に声をかけられ、力のない笑顔で応える。
みゆきは、本当はバスケットボールなどやりたくなかった。ただ、身体を動かしていると気持ちが楽だった。尚人に振られたことを忘れられる。彼と一緒に帰るために始めたバスケが、今は皮肉にも忘れることに役立っているのだ。
「はい。キリがいいから、今日はこの辺で終わりにしましょ」
だがこんなときに限って、部長はいつもより早く部活の終了を告げた。男子バスケ部も、ちょうどボールを片付け始めたところだった。
実にタイミングが悪い。
みゆきは、部長の背中を我知らず睨みつけていた。
「……わたし、バカみたい」
自嘲気味につぶやいてから、のんびりボールを片付け始める。
もう急ぐ必要はない。尚人は、千尋とふたりで帰ることを望んでいるのだ。みゆきの入り込む余地など、どこにもなかった。
「あれ？ みゆき、今日は随分ゆっくりね。あんまり遅いと阿久沢先輩が先に行っちゃうよ」
バスケ部の仲間にそう言われて、みゆきは思いきり顔をしかめた。
頼むからわたしのことは放っておいて、と心の中で懇願する。しかし、そんな心の声など届くはずもない。
「ほら、みゆき。早くしないと白馬の王子さまが――」
「うるさいっ！」
みゆきは無意識に怒鳴っていた。
「別にいいでしょ。ほっといて。わたしが誰と帰ろうが、あんたには関係ないことよ！ そうでしょ？ わたし何か間違ったこと言ってる？」
みゆきが矢継ぎ早に捲し立てると、相手は引きつった表情で後退した。
「ご、ごめん。出しゃばっちゃったかな？」
「人の気も知らないで、毎日毎日いい迷惑なのよ。他人の色恋沙汰より、自分のことでも心配したらどうなの？ あんたモテなそうだしね！」
そこまで言ってから、みゆきはハッと口を押さえた。だが、ひとたび口を出た言葉が、そんなことで取り消せるはずもない。
「何それ？ 私がモテるモテないは関係なくない？ 何なの？ ちょっとくらいバスケが上手いからって調子に乗らないでよ！」
相手もムッとした表情で言い返してきた。
こうなると、売り言葉に買い言葉だ。一度は抑えたみゆきだったが、途端に歯止めが利かなくなる。
「別にわたしはバスケが上手いとか思ってないし。あんたが猛烈に下手なだけよ。だいたい、こんなくだらない玉入れに情熱かけたりして、笑っちゃうわ。わたしは、尚人と帰るまでの時間潰しにやってるだけだっつーの。玉入れ遊びくらいでマジになんないでよね」
一気に胸の内を吐き出した。
さらに何か言ってやろうとしたとき、みゆきはようやく、周囲を覆う重苦しい沈黙に気づいた。女子バスケ部の全員が、突き刺すような冷たい視線でみゆきを見つめていたのだ。
「あ……」
手遅れだった。
みゆきはバスケをバカにしたのだ。くだらない玉入れ遊びだと扱き下ろしたのだ。なまじ実力があるばかりに、一生懸命やっている部員たちの反感は大きかった。
「そう。岡部さんは、練習しながら私たちのことをそんなふうに思っていたのね」
辛辣な態度で言葉を浴びせてきたのは、温厚な性格の部長だった。普段とはまるで違うピリピリした空気をまとっている。胸中の怒りが目に見えるようだ。
「違います。わたし、そんなつもりじゃ……」
「お遊戯のような低レベルのバスケで申し訳ありませんね」
皮肉タップリの声が、みゆきの耳に容赦なく突き刺さる。全員が部長の後ろに立って、一斉に非難の目を向けていた。絶望的なまでの疎外感が、みゆきの全身を嬲るように走り抜ける。
「……」
みゆきは事態の深刻さを悟った。
うっかり本音を漏らしたばかりに、女子バスケ部の全員を敵にまわしてしまったのだ。
「わたし……」
気がつけば、みゆきは皆に背を向けて走り出していた。体操着のままで、逃げるように体育館をあとにする。
出入り口を通過するとき、涙で歪む視界の端に千尋の姿を捉えた。いつも人を見下している彼女が、今日は同情するようにこちらを見ていた。
気に入らない、気に入らない、気に入らない！
あの女さえいなければ……。
そこまで考えて、みゆきは大きく首を振った。
――違う！ 悪いのは尚人だ。何もかも、全部。尚人が千尋を選んだからいけないのだ。
グチャグチャになった頭の中で、みゆきは初めて尚人に対する小さな憎しみを覚えた。
まだ好きという感情の方が強かったが、その均衡が崩れたときはどうなるのか。今のみゆきには想像もつかなかった。
これから自分は、どうなってしまうのだろう。
漠然とした恐怖に駆られながら、みゆきはひとり通学路を走り去るのだった。
