scene 08「殺人パートナー」
週が明けて、月曜日の昼休み。
学食で食事を済ませたみゆきは、構内の隅に建つ旧校舎を訪れた。
使われなくなって久しい木造のそれは、玄関や窓などに目立った傷みもなく、施錠もしっかりしている。鍵を所持していないみゆきでは、中に入ることはできない。
しかし彼女の目的地は、旧校舎の内部ではなく、その裏手だった。
旧校舎の反対側には手つかずの森が広がっていて、日中でも薄暗い。ただでさえ生徒たちの活動領域から外れている旧校舎の、さらに奥まった場所だ。
当然、人の気配などは微塵もない。世界の流れから切り離されたような寂れた空間に、みゆきはひとり佇んでいた。
「……そろそろね」
スマホで時間を確認したみゆきは、薄暗い旧校舎の裏手を見まわした。すると、森の梢の音に紛れて、コソコソと現れる男子生徒の姿が目に入った。
遠山ヨシキだ。
みゆきは、彼の靴箱に手紙を入れて、この場に呼び出したのだった。
「あ……」
彼女の姿を認めた遠山は、驚きとも怯えともつかぬ微妙な表情を浮かべた。
「岡部さん、もしかして思い出したの?」
「……は、思い出す?」
いきなり変な質問をされて、みゆきはしばし困惑した。一体、何を思い出すというのか。
恐らく遠山は、強い妄想癖の持ち主なのだ。ストーカーをするような男だから、別に不思議なことでもないだろう。
そう判断したみゆきは、彼の質問をスルーして話を進めた。
「わたしが手紙であなたを呼び出したのは、ある取り引きをするためよ」
小声で言ってから、警戒するように周囲を見まわす。
「取り引き?」
遠山が、女子のようなハイトーンボイスで問い返した。
まわりくどいことが嫌いなみゆきは、勿体を付けずに先を続けた。
「いつも物陰で見てるあなたなら、だいたいのところは察してると思うけど……。わたしね、つい一昨日、尚人に振られたの」
皮肉っぽく告げて、視線を落とす。
「今後、彼が思い直してわたしを好きになる可能性は、たぶんゼロだと思う。だけどわたしは、尚人がこの世にいる限り諦めることができない。そこで、尚人の存在を消すために、あなたに協力して欲しいの」
「な、阿久沢君の存在を……消す!?」
「そう。その見返りとして、わたしはあなたと付き合うわ。どうかしら?」
「僕と付き合うって……」
遠山はみゆきの目まぐるしい話についていけず、目を白黒させた。
「あなた、わたしのことが好きなんでしょ? だったら悪い取り引きではないと思うの。協力してくれたら、わたしの一生をあなたに捧げるわ。もうストーカーの必要もないってことよ」
そう締めくくると、みゆきは遠山の反応を待った。
彼は神妙な面持ちで、今の話を何度も反芻しているようだった。そしてしばらくすると、今にも消え入りそうな声で訊ねてきた。
「その、阿久沢君の存在を消すというのは、具体的にどういうこと?」
当然の質問だった。
みゆきの表情が、極度の緊張で大きく強張る。これに答えてしまえば、もう後戻りはできない。大きく深呼吸をすると、みゆきは覚悟を決めて口を開いた。
「わたしと手を組んで、尚人を……殺して欲しいの」
遠山は大きく目を剥いた。
「まさか……失恋くらいで人を殺すつもりなの?」
震える声で訊く遠山を、みゆきはギロリと睨みつけた。
「ストーカーのあなたなら分かるでしょ。好きという感情は、ひとたび暴走すれば抑えきれない歪んだ情熱となって心を蝕むわ。理屈じゃないの。わたしはもう、尚人のいる世界では生きられない」
みゆきの瞳が、狂気の光を湛えて妖しく揺れる。
遠山は、そんな彼女を恐る恐る見つめながら、確かめるように訊いた。
「思い直すことはできないの?」
「できないわ」
みゆきは即答する。
「……どうしても?」
「どうしても!」
みゆきの決意が固いことを知ると、遠山は悩む素振りをやめて彼女に向き直った。
「分かったよ。僕は岡部さんに協力する」
その答えを聞いた途端、みゆきの険しい表情がフッと和らいだ。
「あなたなら、きっと理解してくれると思ってた。これでわたしたちは一蓮托生、運命共同体よ。よろしくね」
みゆきが手を差し出すと、ふたりは静かに握手を交わした。
――そして、その日の放課後。
みゆきは、学区外のファーストフード店まで足を伸ばして、そこで再び遠山と落ち合った。見知った顔がない場所で、殺害計画について話し合うためだった。
といっても、みゆきの中では、すでに具体的な殺害方法が決まっていた。
「明日は、わたしの言う通りに行動して。そうすれば、きっと上手くいくから」
「……うん」
遠山に意見など求めず、みゆきは一方的に計画を伝えた。その内容は、恣意的ともいえるような、ごくシンプルなものだった。
まず遠山が、人目のない旧校舎の屋上に尚人を呼び出す。みゆきが呼び出したのでは、応じてもらえない可能性があるからだ。
そのとき玄関の錠は、みゆきが事前に開けておく。旧校舎の鍵は管理が杜撰で、誰でも持ち出せることは調べてあった。
そして、実際に尚人と会うのはみゆきの役割だ。遠山に呼ばれたのにみゆきが待っていれば、尚人はきっと驚くだろう。いや、別に驚かなくても構わない。とにかく隙を作れば良い。
あとは、あらかじめ隠れていた遠山が、尚人を後ろから突き落とせば計画完了だ。旧校舎の屋上はフェンスが壊れていて、一歩足を踏み外せば四階の高さから真っ逆さまだった。
目撃者のいない場所で、尚人を自殺に見せかけて殺す。
推理小説のような鮮やかなトリックとは無縁だが、実際の殺害計画など、せいぜいこの程度が限界だろう。それはみゆき自身も自覚していた。
「本当にこれで上手くいくの? もし誰かに見られたら……」
案の定、遠山が不安そうに訊ねてくる。
「大丈夫よ。旧校舎の一帯は人気がないから、目撃者の心配はないわ。個人を特定できる証拠でも残さない限り、たとえ他殺と断定されても、警察はわたしたちに辿り着けない」
みゆきは、言葉巧みに完全犯罪が可能だと遠山に思い込ませた。
そして、この計画が上手くいったあかつきには交際を始めようと約束して、今日のところはそれぞれの帰路についた。
だが実際のところ、みゆきは遠山と付き合う気などさらさらなかった。
「冗談じゃないわ、あんな軟弱そうな男……」
走るように家路を急ぎ、ようやく自室まで辿り着いたみゆきは、盛大にグチりながら学生鞄を放り出した。その勢いのまま、ドサッとベッドに倒れ込む。慣れないことに気をまわして、精神がすっかり疲れ切っていた。
「でもこれで、尚人とストーカーを同時に『始末』できる」
痴情のもつれで殺意を抱きながらも、みゆきはその裏で周到に計算していた。
もし尚人が他殺だと断定されれば、幼なじみのみゆきに目が向くことは避けられない。何より、あの千尋が黙っているはずがない。証拠がなくてもみゆきのことを疑うだろう。だから、この計画には尚人を突き落とした「犯人」が必要なのだ。
みゆきは、遠山が尚人を突き落としたあと、今度は自分が遠山を突き落とすつもりだった。
尚人と遠山のふたりが、あたかも争って落ちたかのような状況。それが理想だった。
「すべては明日……」
ニヤリと笑みを浮かべるみゆきの顔には、もう尚人への未練など微塵も残ってはいなかった。




