scene 05「悪夢」
――そして翌日。
あれだけの啖呵を切った千尋は、果たしてどんなふうに振られるのか……。みゆきの思考は、朝からずっとそれだけに縛られていた。
あの泰然と構える千尋が、尚人に振られて消沈する姿。それを想像すると、授業中もニヤニヤが止まらなかった。
みゆきは授業を聞き流しながら、千尋からの報告を今か今かと待った。楽しみにしていろと豪語した以上、どんな結果であれ千尋は何かしら言ってくるだろう。もしかしたら、他人事のように冷静な口調で報告してくるかもしれない。
「遺憾ながら振られてしまいました。……なんちゃって。ふひひひっ」
小声で千尋の口調を真似すると、みゆきは下品な声で笑った。周囲の訝る視線にも気づかないほど、自分の世界に没頭していた。とにかく千尋の失恋報告が待ち遠しかったのだ。
しかし、結局その日は、すべての授業が終わるまで何事もなかった。
あるいは告白しようとして、土壇場で怖じ気づいたのかもしれない。千尋も所詮、その程度の女だったということだ。みゆきの中で、えも言われぬ優越感が溢れ返った。
やがて放課後になり、みゆきは勝利を確信した面持ちで部活に向かった。
(おー、いるいる)
体育館にやって来たみゆきは、男子バスケ部の中に千尋の姿を確認した。何食わぬ顔でマネージャーの仕事をこなしているようだ。
みゆきと一瞬だけ目が合うと、千尋は気まずそうに顔を伏せた。
(もしかしたら……)
もう失恋したあとなのかもしれない。いつもの澄ました表情が、今日は心持ち歪んでいるように見える。振られたショックで、千尋はすでに虫の息なのではないだろうか。
そう思うと、みゆきはトドメを刺したくてウズウズした。
(よし、帰り道だ。わたしと尚人の仲を見せつけて、引導を渡してやる!)
すっかり意地悪な妄想に囚われたみゆきは、部活が始まってからも気持ちを切り替えることができず、集中力に欠けていた。単純なパスワークで、つまらないミスを連発する。
先輩の叱咤を何度も浴びながら、それでも何とか部活終了まで漕ぎ着けた。
「終っわりぃ、速攻ぅ!」
みゆきが、今頃になって軽快なフットワークを披露する。彼女の顔には、まったく疲れた様子も、また反省の色も窺えなかった。
ハイテンションのみゆきを見て、他の部員たちは呆気に取られていた。
みゆきは素早く着替えを済ませると、更衣室を飛び出して、いつものように先行している尚人を追いかけた。
途中、宮下千尋の姿も探したが、どこにも見当たらない。みゆきは、そのまま校門付近まで走り通した。
「あっ」
そして、尚人の背中を見つけたところで小さく声をあげた。
今日は取り巻きのように群がるバスケ部の男子はひとりもおらず、代わりに宮下千尋の姿が尚人のとなりにあった。ふたりは、ちょうど立ち止まって話をしているところだった。
「まさか、これから告白を……?」
それならば、振られる瞬間を間近で拝むことができる。
みゆきは、滅多にないチャンスを見逃すまいと、ふたりの側まで一気に近づいた。
あの宮下千尋のことだ。すぐ横でみゆきが見ていたからといって、告白をやめることもないだろう。そう思って傍らに立ったとき、待ち構えていたかのように尚人が振り向いた。
そして一言。
「悪い。俺、今日から宮下と一緒に帰るよ」
「え……!?」
みゆきは自分の耳を疑った。
尚人は今、何と言った? もちろん聞こえていたが、みゆきの脳が事実を拒絶したのだ。
「ごめん尚人、よく聞こえなかったんだけど……」
「俺、宮下と付き合うことにしたんだ」
目線を逸らしたまま、尚人が申し訳なさそうに言う。
その瞬間、みゆきの世界が大きく揺らいだ。頭の中が真っ白になる。感情を失った虚ろな目で、ただ無意識に千尋を見下ろした。
「そういうことですから、岡部さんは阿久沢先輩との帰宅をご遠慮ください」
千尋はやんわり告げると、尚人と並んでさっさと歩き出した。
肩越しに勝ち誇った笑みを浮かべる。体育館で見せた気まずそうな表情とはまったくの別人だ。恐らくこちらが本性だろう。あのときの態度は、みゆきを失意のどん底に叩き落とすための芝居だったのだ。
何という魔性の女。まさに悪夢だった。
「ウソだよ、こんなの……」
我に返ってつぶやくと、みゆきはふたりの前まで走って行き、両手を広げて立ち塞がった。
「待ってよ尚人、どうして急に宮下さんなの? 意味が分かんないよ」
そう、納得できるわけがない。
みゆきは千尋の存在を無視して、尚人だけを食い入るように見つめた。彼の瞳には、どこか後ろ暗いような、鈍色の光がチラチラ揺らめいている。
「きゅ、急にじゃない。前から仲良くしてたんだ」
「そんなこと、今まで一度だって教えてくれなかったじゃない?」
「どうしていちいち報告しなきゃならないんだよ!」
「……」
突き放すように言われたみゆきは、我知らず驚愕と悲嘆の吐息を漏らしていた。
――尚人がとても遠くに感じられる。
悲しくて、悔しくて、みゆきはギュッと唇を噛み締めた。千尋の前で惨めな姿を晒したくなくて、必死に涙を堪える。声が震えてしまいそうで、何も言えなくなった。
「話が終わったんなら、俺たちはもう行くぞ」
冷たく言い残して、尚人は千尋とともにその場を立ち去った。
「……やっぱりウソだ。尚人の目はウソだって言ってたもの」
きっと何か裏があるに違いない。みゆきは、それを突き止めてやろうと決心した。
通学路の脇道に身を隠すと、充分に距離を取ってふたりを尾行する。すぐに何かが見つかるでもないだろうが、みゆきはジッとしていられなかったのだ。
曲がり角に差し掛かったので、足早に距離を詰める。しかしみゆきは、次の瞬間ギョッとして動けなくなった。
遠山ヨシキだ。
ちょうど向かいの曲がり角に、みゆきを凝視するストーカーの姿があった。
「あいつ、今度会ったら警察に通報するって――」
言ったのに。
そう続くはずだった言葉を、みゆきは途中で呑み込んだ。代わりに、自嘲を含んだ声が喉の奥から漏れる。
「わたしだってストーカーじゃない」
遠山ヨシキの姿に自分の愚行を重ねてしまったのだ。
すっかり惨めな気分になったみゆきは、尾行をやめてフラフラと通学路を彷徨うのだった。




