scene 02「すべての始まり」
「これでもうストーカーは出ないから、帰り道も安心だね」
みゆきは、鬼の首でも取ったかのような態度で言った。
「ああ」
「それじゃ、また明日ね。尚人」
「ああ」
気のない返事を繰り返す。ようやくみゆきから「解放」された尚人は、大急ぎで玄関に駆け込むと、二階の自室に直行して電話をかけた。
「もしもし、俺、尚人」
「ああ、阿久沢君ね。ストーカーだけど何か用?」
電話口の遠山は投げやりな口調で、皮肉たっぷりに応じた。
つい先程みゆきにストーカー呼ばわりされ、尚人にもフォローを入れてもらえなかったのだ。遠山が怒るのは至極当然のことだった。
「悪かったよ。ちゃんと謝るから」
しかし遠山は気が収まらなかったのか、そのあとも延々と嫌味を言い続けた。
尚人は、怒り心頭の遠山を何とか宥め透かすと、彼を近所の公園に呼び出した。慌ただしく私服に着替え、駆け足で公園に向かう。
長電話で説得していた所為で、辺りはすっかり暗くなっていた。
「はぁ、はぁ……」
バスケで鍛えているとはいえ、それなりの距離を全力疾走するのはさすがに厳しい。尚人は、肩で息をしながら夜の公園に到着した。
切れかけの外灯が、ときおりバチッと音を立てて明滅する。その真下、色褪せた青いベンチに座ると、尚人は深く息を吸って呼吸を整えた。
しばらくすると、私服の遠山が姿を現した。尚人は、すぐに立ち上がって彼を迎えた。
「ごめんよ、こんな時間に呼び立てたりして」
「別に構わないよ。僕の方こそ遅くなってごめん。てっきり、岡部さんとイチャイチャしながら待ってるかと思って急がなかったよ」
「おいおい、みゆきのことはもうカンベンしてくれ」
遠山の相次ぐ皮肉攻撃に、尚人は泣きそうな表情で許しを請う。
「岡部さんも酷いよね、僕のこと覚えてないんだから。しかもストーカーだなんて。僕はただ、阿久沢君を見ていただけなのに」
遠山はそう言うと、微かに頬を赤らめた。
尚人が気まずそうに目を伏せる。
「と、とにかく、今回のことは謝る。正直、みゆきのことは持て余してるんだ。あいつは俺の恋人気取りらしいけど、俺は……」
そこで言葉を区切ると、尚人もわずかに顔を紅潮させて俯いた。
「じゃあ、阿久沢君は僕の味方でいいんだね?」
「もちろんだ」
「だったら、岡部さんのことはもう見捨ててよ。そうしたら許してあげる」
「いや、でもそれは……」
尚人は一瞬だけ逡巡したが、険悪な表情を浮かべる遠山を見て即座に頷いた。
「分かった、おまえの言う通りにするよ。だから――」
「待って!」
しかし遠山が尚人の言葉を遮る。
「そんなこと言って、阿久沢君はこの前もいい加減に済ませたよね? 今回は、岡部さんを見捨てる具体的な案を僕に示してよ。そうじゃないと許さない」
尚人は思わず唸ってしまった。
今度ばかりは、適当に済ませるわけにはいかない。尚人は必死に頭を働かせた。付き合ってもいないみゆきをどうやって振るべきか。
やがて尚人の脳裏に、ひとつの案が浮かび上がる。
「こういうのはどうだろう。バスケ部のマネージャーで宮下ってヤツがいるんだけどさ――」
そいつを仮初めの恋人に仕立てて、みゆきに見せつける。そうすれば、みゆきもきっと諦めてくれるだろう。――それが、尚人の考えた即席の案だった。
「分かった。その案でいいよ」
遠山は、思いのほかあっさりと了承した。
「今度は信じてるからね、阿久沢君」
口調こそ穏やかだったが、遠山の目つきは最後通牒を突きつけるように鋭かった。
もう妥協的な解決などありえない。尚人は腹を据えるしかなかった。
「悪いな、みゆき……」
小声でつぶやく。
尚人は、心静かに幼なじみとの訣別を覚悟するのだった。




