第六話 『解散』
私は地曳さんの殺人現場の具体的な場所を知らない。いや、それ以前に、実際に殺人現場にいて、警察に通報したという天王野さん以外は知らなくて当然のような気がする。まあ、天王野さんや仮暮先生から聞いたのなら知っていても不思議ではないけど、今日、ここにいる四人にそんなそぶりはなかったはずだ。
今から天王野さんや仮暮先生に連絡して場所を聞いたり、昨晩派遣したFSPの人間五人に送った天王野さんの位置データを復元してそれを確認することもできる。しかし、それは私にしかできないことであり、ここにいる四人がPICに触れてすらいないことから、私たちは誰も地曳さんの殺人現場の場所を知らないということになる。
でも、私たちは人工樹林の中を歩いている。ただの一度も立ち止まったり引き返したりすることなく、どこにあるか分からないただ一点を目指すかのように。
私たちは、最前列に遷杜様と冥加さん、中央列に私と海鉾さん、最後列に土館さんがいる。遷杜様と冥加さんは楽しそうに話しながら私たちを先導し、海鉾さんは黙々と歩いており、私は知恵の輪を解いている。土館さんは……何やら独り言を言っているので、あまり触れないほうがいいだろう。というか、話しかけたくない。
つまり、最前列にいる遷杜様か冥加さんが地曳さんの殺人現場の場所を知っているということになる。いや、遷杜様はずっと冥加さんのほうを向いて話していたし、冥加さんは時折周囲を確認しているようなそぶりを見せていたから、冥加さんが知っている可能性が高いと考えられる。
中央列にいる私と海鉾さんにはどこに進むかを決定する権利はないし、俯いて独り言を言っている土館さんならなおさらだ。遷杜様は昨晩私に電話をかけてきたし、冥加さんは今朝から様子がおかしいように思える。この二人が何かを知っているのは確定としても、不審に思われるかもしれないので直接聞くことはできない。
とりあえず、ほぼ確実に無関係な土館さんは放置して、海鉾さんに話をすることにしよう。おそらく、非常に不審に思われると思うけど、ごまかすことができる範囲でのみ話をするつもりだ。
まさかとは思うけど、この場にいる私以外の四人が昨晩起きたとされる地曳さん殺人事件に関係していて、現代では絶対に起きないはずの殺人事件を起こしても問題ないという判断に至ったのであれば……つまり、『この世界に警察がいない』という事実を知っているのであれば、私の予想した反応が返ってくるはずだ。
私は今まで解き続けていた知恵の輪をバッグの中にしまい、その直前にPICに触れようとしていた海鉾さんに話しかけた。海鉾さんはいたっていつも通りの、平凡な返答をする。
「ところで、海鉾さん。少しよろしいでしょうか?」
「え? 何?」
「海鉾さんは、私がこんなことを言っても信じられますか?」
「……? こんなことって?」
「『「あって当然だと思われている存在」が、実はただの概念でしかない』ということですわ」
「……え?」
この反応は……やはり、私の考えすぎだったらしい。海鉾さんは、まるで予測していなかったと言わんばかりに、ポカーンとした表情をしていた。その表情は私に『何でそんなことを聞くのだろう』『今までそんなこと考えもしなかった』という台詞を暗に伝えていた。
私が海鉾さんのほうを凝視して返答を待っていると、不意に海鉾さんは真剣な表情をして考え始めた。私としては、知らないのならわざわざこれ以上会話を掘り進める気はないので、早いところ切り上げたいところではある。
そして、数十秒後、ようやく考えがまとまったのか、海鉾さんは私のほうを向き、簡潔に自分の意見を述べた。私は海鉾さんからのどうでもいいような平凡過ぎる意見に、悪い意味で落胆した。何で私はこんな話題を海鉾さんに振ってしまったのか、と。
「信じるかどうかは別としても、もしそんなことがあれば結構怖いかもね」
「……そうですか。まあ、海鉾さんのことですし、どうせ平凡な答えが返ってくるのだと思っていましたわ。それに、元々あまり逸脱した答えは期待していませんでしたし」
「……むっ。ところで、霰華ちゃんは何でそんなことをわたしに聞いたの?」
「と、言われますと?」
「いや、だから……何でこんな場所でこんなときに、そんな哲学的な話題をわたしに持ちかけたのかなーって思ったから」
「ああ、そういうことですのね」
やはり、海鉾さんは私があんな意味不明な話題を上げたことに不審感を抱いたらしい。私は一度惚けた風に聞き返し、改めてあらかじめ容易したあった言い訳を述べることにした。
私は、私と海鉾さんの後ろを歩いている土館さんに聞こえないようにジェスチャーで海鉾さんに顔を寄せるように伝え、海鉾さんと顔を近づけて耳にささやくような形で返答した。
「……まあ、こんな質問をした一つの理由は『土館さんのこと』ですわ」
「……へ? どゆこと?」
「いえ、もしかすると海鉾さんも気づかれているのでは、と思って聞いてみたのですが、どうやらそうではないみたいですわね。これ以上話を続けると土館さんにも失礼ですし……それでは、この話はこの辺でそろそろ――」
「それってもしかして、さっきから誓許ちゃんの様子がおかしいってこと?」
「あら? ご存知でしたのね」
「まあ、うん」
いくら海鉾さんとはいえ、先ほどから明らかに様子がおかしい土館さんの違和感に気がつかないほうが不思議だろう。だから、気がついてくれていてよかった。もし気がついていなければその部分から説明をする必要があったし、何よりも、海鉾さんの頭脳がそこまで残念だったとは思いたくなかった。
海鉾さんは続けて言う。
「わたしは誓許ちゃんの様子がおかしいことについては気づいたんだけど、他には何も。何だか話しかけにくい雰囲気があったしね。霰華ちゃんは何か気づいたの?」
「いえ、大して気にすることでもないのかもしれませんが……何というか、あの土館さんが独り言を言っているなんて珍しいと思ったのですわ」
「確かに、誓許ちゃんはわたしみたいに口数が多いわけでもないけど、すぐ近くにわたしたちがいるのに独り言を言っているなんて不自然だよね」
「私としては、海鉾さんは口数が多過ぎる気がしますけど」
「それはわたしが馬鹿だっていいたいのかな? ん?」
「海鉾さんのことはさておきとして。まるで、私たちに見えない誰かが土館さんの隣にいて話し相手になっているのではと思ってしまったのですわ」
「……だからさっき、わたしに『「あって当然だと思われている存在」が、実はただの概念でしかない』ということを言ったの?」
「え? ええ、もちろんですわ。まあ、たとえその『誰か』が実在していたとしても、現実にはそれは土館さんの妄想以外の何者でもないわけですけど」
「……どーかなー? 実は誓許ちゃんは霊感が強くて、幽霊とかが見えているのかもしれないよー?」
「幽霊って……どれだけ時代錯誤な発想をしているんですか……」
土館さんのことはともかくとして、思いのほか話がスムーズに進んで時間短縮ができた。海鉾さんにしては理解が早く、私が言おうとしていたことを先に言ってくれるという親切さだ。
すると、不意に遷杜様と冥加さんが足を止め、後ろを歩いている私たちのほうを振り向き、冥加さんが私たちに声をかけた。
「着いたぞ」
冥加さんのその台詞を聞いたとき、私は少々辺りを見回した後、すぐに不審に思った。
私たちが辿り着いたその場所は他の人工樹林と何ら変わりない、人工樹木や草むらがあるだけの何の変哲もない場所だった。しかも、地曳さんの死体だけでなく、その痕跡一つ残っていなかい。いや、それだけでなく、そもそもここは本当に地曳さんが殺されたという事件現場なのかと思ってしまうほどだった。
これはどういうことなのか。やはり、天王野さんは地曳さん殺人事件に関係していて、私が派遣したFSPの人間五人に地曳さんの死体を片付けさせたのだろうか。でも、それだと、遷杜様や冥加さんが現在位置を把握しにくい人工樹林の中を迷うことなく殺人現場に向かい、何もないただの人工樹林の一角を殺人現場だと言い張ったことについて説明がつかない。
私は自ら四人に呼びかけることで誰かが有益な情報を漏らしてくれると考え、すぐにそれを実行に移した。土館さんと冥加さんは黙ったままで、遷杜様と海鉾さんが私の台詞に続いて声を発した。
「……案の上と言いますか何と言いますか、やはり何もないですわね」
「そうだねー。やっぱり、警察の人たちが先に片づけちゃったのかな? だとすると、ここの入り口に警察の人たちがいなかったことにも説明がつくしー」
「だが、たとえ警察の捜査がもう終わっていたとしても、何らかの痕跡があってもよさそうなものだがな。それに、そのことについて俺たちに情報が入っていないというのも少々違和感がある」
それは違う。地曳さんの殺人現場を片付けたのは昨晩天王野さんのもとに派遣したFSPの人間五人で間違いない。それに、その五人は私と天王野さんからの指示に従って組織に独断で行動したからFSPそのものが動けるわけもなく、私たちに情報が入ってきていないことも分かる。
私が不思議に思っているのは、ここが本当に地曳さんが殺されたという殺人現場なのかということと、遷杜様や冥加さんがその殺人現場の場所を知っていたということだけだ。
その後、私たちはそれ以上の話し合いはせず、とりあえず事件現場とされる人工樹林の一角を調べた。しかし、結局三十分ほど辺り一帯を調べたにも関わらず、凶器一つ出てこない。当然のことながら、地曳さん殺人事件についての手がかりとなりそうなものなんて見つかるわけもなかった。
せっかくここまで来たというのに、手がかりゼロだったことについて、私は落胆していた。でも、行き道で遷杜様と長時間話せたことや、それ以外にも地曳さん殺人事件とは直接関係のない事柄について推理のヒントを得ることはできたので、意味がなかったわけでもない。
その帰り道、不意に海鉾さんが冥加さんに話しかけた。
「そういえば、冥加くん」
「何だ?」
「何で冥加くんは、『事件現場の場所を知っていた』の?」
「……え……?」
海鉾さんは無表情のまま、冥加さんのことを凝視している。私はようやくこの話題が上がったと思い、一度だけ遷杜様と顔を見合わせた後、まるで今気がついたかのように、海鉾さんの台詞に続いて声を発した。
「確かに、言われてみればそうですわね」
「そういえばそうだな」
今の状況から分かるのは、昨晩冥加さんは地曳さんの殺人現場にいたからその場所を知っていたということ。わざわざそんなことを聞いた海鉾さんや、私と一緒に海鉾さんの台詞に続いて声を発した遷杜様は、今までそのことに気がついていなかったということになる。
私たちは足を止め、私と遷杜様は黙って海鉾さんと冥加さんの会話を聞く。その間、土館さんが何をしていたのかは私が知るところではない。
「か、仮暮先生に聞いたんだよ」
「……本当に?」
「あ、ああ。だって、そうじゃないと、俺が現場までの道を知っているわけがないだろ?」
「本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に?」
「ほ、本当だ」
「……冥加くん、前にもここに来たことがあるんじゃないの? たとえば……昨日の夜遅く、とか。どう? 心当たりはない?」
「そ、そんなもの、あるわけないだろ? それにもし、以前俺がここに来たことがあって、地曳の死体を発見したのなら、すぐに警察に知らせるに決まっている」
「それもそうだね。ごめんね、変なこと聞いちゃって」
「いや、大丈夫だ……」
やはり、私の推理の通りだろう。昨晩、冥加さんは何らかの理由で地曳さんの殺人現場にいた。もっとも、冥加さんが地曳さん殺人事件に関係していたかどうかなんてことは分からないけど、関係があると考えたほうがいいだろう。
それからというもの、最前列を歩いている遷杜様と冥加さんは何かを話しながら歩き、私と海鉾さんは『冥加さんが現場までの道を知っていたこと』について話し合っていた。冥加さんが地曳さん殺人事件に関係していると分かったことに少々浮かれていた私は、土館さんの行動を確認している余裕がなかった。
そして、私たちは人工樹林の入り口にまで戻ってきた後、解散した。