第三十話 『回帰』
カナイズミは語る。
「高校に入学してすぐの頃から、私は天王野さんのことを気にかけていました。これでも一応、私の両親は形だけとはいえ警察のトップに相当する立場の人間です。周辺エリアにいる人たちや土地の情報を一通り把握することは造作もありません。もちろん、私だって他人の情報を盗み見するのは好ましくありませんし、知らないことも多々あります。ですが、天王野さんだけはどうしても放っておけなかった」
「……どうして」
「実の両親や兄弟姉妹を目の前で殺され、引き取り先の義理の両親のもとでは、義理の両親や義理の兄弟姉妹による家庭内暴力が横行している。しかも、元々口数が少ないからなのか学校で気軽に話せる人はおらず、友だちもいない。そんな状態を放っておけるわけないではないですか」
「……何で、そのことを……!」
「天王野さんは知らなかったと思いますが、今天王野さんが住んでいる家の周辺住民の方々からお話を聞いてみたところ、そういう情報が分かりました。もっとも、資料を見た限りでは、実の家族が殺されて義理の家族に引き取られたというところまでしか分かりませんでしたが、私が単独で調べてみた結果、より深く調べることができました。ただ、私が他人の家庭事情に不法侵入した挙句、過去を掘り返したことに変わりはありません。そのことについては、この場で謝罪させてもらいますわ」
「……、」
「そして、天王野さんの家庭事情と過去を知った私は、どうにかして天王野さんを助けてあげたいと思ったのです。そこに、火狭さんと水科さんが現れました。二人は私を含めた五人に友だちにならないかと誘っていたのです。私はこれを利用しようと思い、天王野さんを友だちグループに入れて、友だちを作らせようと考えたわけです」
「……まさか、ワタシが偶然『例のこと』を知ったのも――」
「ええ。天王野さんに精神的にもっと強くなってほしかったからこそ、あんな物騒なものを渡したというわけです。あんなものが近くにあっても、それに頼らずに生活することで、精神力を高めてほしかったのです。だから、わざと天王野さんに発見されるように資料を放置し、天王野さんの言いなりになるという形で様々な手助けをしてきたというわけです。さっきから説明しているように、私にリスクと呼べるリスクはありませんからね」
ということは、どういうことだ。これまで、ワタシが自分で考えて自分の意思で行動していたと思っていたことは全部、カナイズミの思い通りのことだったということ?
カナイズミは悲惨な境遇にあったワタシを救い出すために、資料だけでは分からない情報を周辺住民への聞き込みで収集した。そして、ヒサバとミズシナに友だちグループに入らないかと言われたのを利用して、ワタシを半ば強制的に友だちグループに入れさせた。
そして、ワタシに便利な物があっても使わない強い意志を持たせるために、わざとワタシに『例のこと』を発見させ、ワタシの言いなりになるような形で、特殊拳銃やパスワードを渡し、警察官を派遣した。
カナイズミにリスクはない。たとえ『例のこと』が世間に公表されても、世間はそれを信じずいずれは忘れられる。特殊拳銃は、その弾道予測ができるアプリを開発することで回避可能であり、パスワードは自身も持っておくことでいくらでも上書きが可能。警察官たちは仮初めの警察のトップの娘であるカナイズミには逆らえない。
……………………………………………………………………………………何これ。
「……アハッ」
「天王野さん……?」
それじゃあ、何。カナイズミはその慈悲の心でワタシに救いの手を差し伸べていただけなのに、ワタシはそれを勘違いして悪いほうに受け取っていたってこと? 何もかも、それまでの過去や境遇の影響もあるかもしれないけど、ワタシはカナイズミの願いを裏切って、ここまでのことをしてきたってこと?
ふざけるな。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!」
「天王野さん、どうし――」
「……ふざけんな……ふざけるなよ、この野郎おおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「うわっ――」
「遷杜様!」
火事場の馬鹿力というのだろうか。ワタシがそう叫んだ瞬間、ワタシのことを拘束していたキマタの体が軽くなったように感じた。そして、ワタシはそのままキマタの体を跳ね除け、少し離れた位置に落ちていた特殊拳銃を拾い、キマタに照準を合わせる。
しかし、そのとき、キマタが手に持っていたナイフをワタシ目がけて投げてきた。特殊拳銃を拾ってキマタに照準を合わせることに必死で、少し体が軋んでいたワタシはそれを避けることはできず、無抵抗のままナイフが腹部に突き刺さる。でも、痛みは感じなかった。
「クソッ! 何でいきなり! 逃げろ、金泉!」
「え、でも――」
「お前まで死んだら、冥加たちの仇は誰が討つんだ! だから――」
「死ねっ! 死ねっ! 死ねっ! 死ねっ! ……アハ……アハハハハハハハハ!!」
直後、キマタの腹部が丸ごと吹き飛び、辺りに大量の血液と骨の破片が飛び散る。キマタはおそらく死亡したことだろう。でも、ワタシはそれだけでは飽き足らず、続けて何度も何度も何度も何度も特殊拳銃で空中を飛ぶキマタだったものを爆破していく。
最終的に、キマタの体は跡形もなく消え去り、辺り一面を真っ赤に染めた。キマタを殺害した張本人であるワタシやキマタの背後にいたカナイズミの体の前面はキマタの血液で赤一色に染まっている。雨が降っているからなのか、血液特有のべたつきや匂いはそれほど気にならなかった。
その後、ワタシは気を緩めることなく、カナイズミに特殊拳銃の照準を合わせる。今のキマタのときもそうだけど、カナイズミが開発したという特殊拳銃の弾道予測ができるアプリは近距離では機能しない。いや、たとえ弾道予測ができてもそれを人間の脳が認識した頃には手遅れなのかもしれない。だから、カナイズミを守るものは何もない。
カナイズミは目の前でキマタが殺害されたことに唖然とし、地面にへたり込んでいた。何をするわけでもなく、ただ呆然と空中を眺めている。その目に光はなく、それが希望や奇跡なんてないということを物語っていた。
「ワタシは……ワタシは誰の助けもいらない! 助けてなんて、一言も言ってない! カナイズミは、勝手にワタシを助けておいて、勝手に自己満足しているだけの、ただの偽善者だ! そんなもの、ワタシは認めない! ワタシの居場所は、ワタシが作る! カナイズミを殺害して、全てが終わり、全てが始まる! そうだ……ワタシはただ、平和に普通に平凡に生きたいだけなんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
一瞬後、カナイズミだったものは特殊拳銃によって木っ端微塵となり、辺り一面に大量の血液をばら撒いた後、跡形もなく消え去った。雨の中、人工樹林の一角、残ったのは全身真っ赤に染まったワタシと一面赤一色に染まっている地面や人工樹木ばかりだった。
これで、これでようやく、ワタシは百人分の人間を殺害することに成功した! あとは、例の電話相手の女性に『みんなを生き返らせてほしい』と頼んで、そうすれば全て元通り! いや、元よりもいい世界になるに決まっている!
ワタシが望んでいる、本当の家族と、友だちと、幸せに生きられる世界。そんな世界を作り出す。それこそが先週からワタシが抱いている、たった一つの願い。慈悲の心なんていらない、救いの手なんて差し伸べてもらわなくてもいい。ワタシはただ、平和に普通に平凡に生きたかっただけなんだ。
「さあ! 叶えてよ! 叶えてみせてよ! ワタシの願いをおおおおおおおお!!」
人工樹林の中からは聞こえるはずもないのに、思わずそんな台詞を叫んでしまう。その後、ワタシはPICを起動させ、例の電話相手の女性に電話をかけるために、その部分をタッチし――、
「あれ?」
ワタシは思わず、自分の目を疑った。
『ない』。つい今朝まではあったはずなのに、例の電話相手の女性の電話先が記録されていない。通話履歴を探してみても、『ない』。
ないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないない!!!!????
「え……ちょっと……待ってよ……何で……? 何でないの……今朝確認したときはあったはずなのに……これじゃあ……」
ワタシの願いは叶わない。これまでに三十九人もの人たちを殺害しておきながら、友だちを全員殺害しておきながら、『みんなを生き返らせてワタシの思い通りの世界にする』という願いは達成されない。何がどうあっても、絶対に。
それじゃあ、ワタシがこれまでしてきたことって、いったい……? ワタシの身近にいた人たちはほとんどいなくなり、数少ない友だちは全員いない。これからワタシは、大量殺人犯と罵られながら、一人ぼっちで一生を過ごす? そんなの、耐えられるわけがない!
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
頭がおかしくなりそうだった。抑えきれない後悔と怒りに任せて自分の手で頭を押さえつけると、思わずそのまま押し潰してしまいそうだった。今この場で自殺してもいい。そんな考えさえ浮かんだ。いや、もうそれしかない。ワタシは今この場で死ぬべきだ。
三十七人も殺害しておいて、願い事なんてあやふやな存在をあてにしておいて、他人の死を嘲笑って、殺人を楽しんで、狂って。ここまでしておいて、許されるわけがない。
ワタシは、特殊拳銃の自分の頭の米神に当て、引き金を――、
「待ちなさい」
そのとき、ふと声が聞こえた。あと一ミリ引き金にかけていた指を動かしていれば死んでいたそのとき、その声が聞こえた。ワタシは何を考えるわけでもなく、その声の方向を向く。
そこには、死んだはずの火狭の姿があった。
「……ヒ……サ……バ……?」
「危なっかしいわね。もう少しで手遅れになるところだったわ」
「……ど……う……し……て……こ……こ……に……?」
「ん? ああ、昨日葵聖にエネルギー変換装置に閉じ込められたときのこと? 逸弛と葵聖は知らなかったみたいだけど、学校に置いてあるエネルギー変換装置には万が一中に人が入ったときのために、内側から装置を止められるボタンがあるのよ。まあ、これから行くところにある『箱』の内側に、そのことが書いてあったのを見て助かったわ。……でも、逸弛のことは救えなかったけど」
「……、」
「この九日間、あたしはある使命に基づいて行動していた。もしかするとみんなを救えるかもしれない、そんな希望を抱いて、ね。だから、あたしはありとあらゆる方法で主犯になりやすい葵聖や冥加の動きを監視するために、逸弛を利用した。たとえば、葵聖の両親の組織にバイトをさせに行ったり、そこで葵聖の家で探し物をさせようとしたり」
「……あ……あ……」
今度は何? 実はヒサバが生きていた? ワタシが知らない、エネルギー変換装置の抜け道を使用して? ある使命に基づいて、みんなを救おうとしていた? ワタシやミョウガの動きを監視していた? ミズシナを利用して?
そのとき、ワタシの脳内で、これまで処理されていなかったいくつもの疑問が解決していくのが分かった。ヒサバはともかくとして、ミズシナの謎多き行動。真相を確かめる前に殺害したことで闇に沈んでいたそれらの解答がワタシの脳内に溢れ返る。でも、今さら分かったところでもう……、
「葵聖」
不意に、ヒサバがワタシの肩を掴んだ。ワタシはゆっくりとヒサバの顔を見上げ、ヒサバの台詞を待つ。すると、ヒサバはこの物語の始まりであり結末の真相を、これまでにワタシが起こしてしまった惨劇をやり直す機会を言った。
「葵聖に頼みがある。もう、この世界はそう長くはもたない。葵聖だって怪我しているみたいだし。だから、次の世界でみんなのことを救ってほしい。どうにかして、この惨劇を繰り返させないようにしてほしい。あのときのように、九人全員で笑って過ごせるような、そんな日々を取り戻させてほしい。これが、この世界での『伝承者』である火狭沙祈が『主犯』である天王野葵聖にする、最初で最後の願い」
第三章 『Chapter:Uranus』 完