第十七話 『来訪』
二一二三年十月二十五日日曜日、午前十一時。今日も昨日に引き続き、十時少し前にミズシナは組織の仕事場へと姿を見せた。そして、ワタシは昨日の失敗を生かして、ミズシナに休む時間を与えないほど複雑で膨大な量の仕事を与え、午後からの準備にとりかかっていた。
昨日、ワタシはツチダテと例の電話相手の女性が実は同一人物ではなく別人だということを確認して知り、それによって、危険因子であるツチダテを殺害できるような状況を作り出すことに成功した。
つい昨日まで、ワタシは何の疑いもなくツチダテのことを例の電話相手の女性だと思い込み、まったくというわけではないけど、少なくともほかの人たちに比べれば警戒を怠ってしまっていた。そのため、これからさき、ツチダテがどのような行動を起こすかはわからない。だから、できるかぎり早急に消す必要があった。
でも、いまはもうその心配をする必要もない。ツチダテと例の電話相手の女性が別人だとわかり、今日ツチダテを呼びつけることに成功したのだから。
ほかにだれもいない、だれかに知られることもない。組織の建物の真下にあるその地下室は真っ暗で静かな、そんな場所。そこでワタシはひっそりと、ツチダテを殺害する。
ツチダテを殺害したことを例の電話相手の女性に伝えてもいい。あえて伝えなくてもいい。前者の場合は、例の電話相手の女性がワタシに何をしてくるのか、どれだけツチダテのことが大切だったのかがわかる。後者の場合は、前者と同様のことと、ツチダテが行方不明になったことでどう感じるのかを知ることができる。
どちらにしても、それはそのときの気分で決めればいい。いまはそのための準備で忙しいし、時々ミズシナの様子を確認しに組織の仕事場へと行く必要もある。
一応、ワタシが住んでいる家に繋がるありとあらゆるドアや窓はそのすべての内側から鍵をかけ、たとえその鍵を開けられても時間稼ぎができるように、家中にあった椅子や家具を置いて封鎖してある。まあ、こんなことまでしなくても、突破されるときは一瞬なのだろうけど、念には念を押すに越したことはない。ただ、この用意に一晩かかったのは内緒だ。
さて、早朝から地下室での準備を進めて、合計作業時間は約三時間といったところだろうか。地下室の具合はしだいに、ワタシが想像していたものと一致しはじめた。
“地下室”といっても、それほどたいしたものではない。大きさはそれぞれの辺が十メートルくらいしかなく、暗くて、寒くて、外とは電波が繋がらない。また、地下室の音は外に、外の音は地下室には絶対に聞こえない。それほど深い位置に作られたわけでもないけど、さすがは怪しい組織の地下部分というべきか、核シェルターみたいな感じになっているらしい。
だから、地下室にいるあいだはこの世界からはじき出されたのではないかと思ってしまうような錯覚に陥ることも多々ある。つまりは、そんな密閉された、まさに陸の孤島とでも呼べる場所。
ここならば、たとえ悲鳴や絶叫が聞こえようとも外には聞こえず、PICで助けを呼ぼうとしても電波は届かない。ワタシが知っている限りでは、あの人工樹林を上回るほど、殺人に適している場所と呼べるだろう。
あと、地下室の壁はコンクリートとかいう古い材質でできており、中にはいくつもの凶器が立ち並んでいる。元々は何の目的で、何をするために作られた場所なのかは知らないけど、雰囲気を出すにはもってこいだろう。ただ、その凶器は使うつもりはない。
ワタシに必要なのはあくまで地下室という隔離空間そのものであり、中にあるものといえば、ある一つを除いては必要ない。その一つこそが今日、ツチダテの命を奪う大きな直接的な要因となり、ツチダテの体をその原型をとどめないほどにすることだろう。
いまは、そのセッティングも大方終わったところ。あとはツチダテを来るのを待って、ミズシナをこの近くから一時的に離して、ツチダテを殺害するだけ。簡単なことだ。
壁にもたれかかり、PICの立体映像を起動させる。ついさっきはまだ十一時くらいのはずだったのに、気がつけば時刻はもう十二時半を回っている。おそらく、上にある組織の仕事場では、そろそろ昼休みの休憩時間に入っているはず。ミズシナと話をするのはいまだろうか。
そんなことを考えつつ、ワタシは疲労と緊張によって思うように動かない体を起こし、階段を使用してゆっくりと地下室の上へと上がる。
そういえば、昨日ワタシはなぜ、ツチダテにわざわざ『明日の四時ごろに来てほしい』などと言ったのか、そのことの説明がまだだった。ようは、ツチダテが死んだ(もしくは行方不明になった)時間帯にミズシナが組織の仕事場でバイトをしていたという事実が大切。
つまりは、ミズシナがワタシのすぐ近くにいるということを逆に利用してやろうということ。偶然か必然か、結果的にミズシナはワタシのことを監視できるような場所にいる。そのミズシナが仕事中とはいえワタシのすぐ近くにいたとなれば、みんなはまずワタシのことを疑うことはできなくなる。
そして、ワタシがツチダテの死亡(失踪)の犯人ではないということをみんなに断定させることができれば、これまでの三人の殺人事件も、天王野家失踪事件も、これから起きるであろういくつもの殺人事件も、ワタシだけは犯人候補から外される。
現代において殺人をすることは極めて困難だ。世界中の人々のうち、おそらく九十九パーセントくらいがそんな幻想を抱いている。その幻想を抱いているのは、ワタシの友だちも例外ではない。この幻想によって一連の事件は、殺人を可能にしてしまったある一人の人物による犯行だと考えてしまう。少なくとも、ワタシがみんなの立場ならそう考えていただろう。
よって、ワタシがツチダテを殺害したとしても、ミズシナの存在によって犯人ではないと仮定され、一連の事件の犯人でもないと結論づけられる。世間的には、ツチダテは死亡か失踪と処理される。残る問題は、例の電話相手の女性にどう伝えるか、それとも伝えないべきか。そんなことだけ。
そんなことを考えていると、いつの間にか組織の仕事場のドアの手前にまで来ていた。ワタシはその疲労感を悟られないために少し背伸びをしたあと、中へと入る。
中に入ると、案の定組織の人たち全員やミズシナはすでに昼休みに入っており、昼食をとる者、飲み物を飲みながらPICを操作している者、机に突っ伏して寝ている者など、様々だった。
ワタシはほかの組織の人たちには目もくれず、一直線にミズシナがいる場所へと向かった。ミズシナもほかの人たち同様に椅子に座って一人で弁当を食べていた。ふと視線をずらしてみると、つい三時間くらい前に与えたはずの仕分けが難しい資料の山は残りあとわずかになっていた。
「……調子はどう?」
「あ、葵聖ちゃん。いや~、今日の資料は昨日よりもちょっと大変だねぇ~。昨日は量は多かったけどそれほど苦ではなかったから、今日は油断してたよ。久し振りに肩が凝りそうだ。ははは」
「……そう。……そのお弁当は?」
「ん? ああ、これ? 今朝、沙祈が作っておいてくれたんだよ。普段は僕が作る側で、沙祈が僕にお弁当を作ってくれるなんて珍しいなーとか思ったけど、やっぱり嬉しいね。おいしいし」
「……よかったね」
「うん」
そう言って、ミズシナはさわやかなで温かみのある笑顔をワタシに見せた。やはり、ミズシナとヒサバはそれほど敵対視する必要はなく、注意すべき存在ではないのかもしれない。
ミズシナのいまの会話を聞く限りでは、ミズシナがバイトをしていることをヒサバに内緒にしているとして、ヒサバはそれに勘付いており、気遣いとしてミズシナに弁当を作っておいたといった感じなのだろう。
ミズシナとヒサバはほぼ同居状態だと聞くし、これでは単純に、ただの普通の夫婦ではないか。ワタシは恋愛とか恋話とかそういうことについては疎くて興味がないから嫉妬とかはないけど、そんな二人の和やかな光景が目に浮かぶようで、何だか嬉しかった。
「そういえば」
「……?」
柄にも似合わず、他人の幸せを少しばかり喜んでいたワタシに、不意にミズシナが声をかけてくる。ミズシナはすでにヒサバに作ってもらった弁当の四分の三くらいを食べ終わっており、もうすぐ完全に食べ終わりそうなところだった。
「昨日もそうなんだけど、今日も沙祈がどこかに行っているみたいなんだ」
「……ヒサバが?」
「うん。ああ、いや、相談とかそういうことじゃなくて、テキトウに聞き流しておいてくれればそれでいいようなことなんだけど――」
「……わかった」
「ほら、沙祈って、みんなとあまり仲がよくないでしょ? それなのに、昨日は霰華ちゃんと誓許ちゃんとどこかに行ったみたいで、今日は木全くんと用事があるみたいなことを言っていたんだ。霰華ちゃんと木全くんはともかくとして、誓許ちゃんとはあまり仲がよくなかったような気がするんだけど……葵聖ちゃんはどう思う?」
「……どう思うって――」
「あ、ごめんね。言い方が少しおかしかったかもしれない……とにかく、僕は沙祈がみんなと仲良くしてくれればそれでいいんだ。元々そのつもりでみんなに友だちになろうって誘ったわけだしね。でも、ついこのあいだまでは仲が悪かった誓許ちゃんとまで一緒に外出するなんてことが、急に起こるのかなって思って」
「……男子が思っているほど、女子の友人関係は深いってことじゃないの?」
「まあ、それもあるかもね」
結局、昼休みの時間が終わるまでにその話題の答えを導き出すことはできなかった。ミズシナやヒサバについては、しばらくのあいだは疑うのをやめようと決めた直後だし、何ということでもないけど、何か少し引っかかる部分があった。その正体もまた、ワタシは何なのかを理解できずにいた。
そして、午後四時十分まえくらいになったとき、不意にツチダテからワタシのPICにへと連絡が入った。ワタシはPICを起動させ、それを確認する。