第十五話 『仕事』
「……ひとまず、これで様子を見よう」
ミズシナは今日から、ワタシの義理の両親が統率していた組織でバイトをすることになった。ワタシはそんなミズシナに、資料の整理という手間と時間がかかる仕事を押し付け、ミズシナの動きを拘束すると同時にミズシナの様子を監視することにした。
そして、これからの計画を確認したり必要な情報を集めるために、ワタシは組織の仕事場から出ようとしていた。計画を確認するといっても、すでに当分の予定は立ててあるからいまさら変更する部分なんてないし、必要な情報を集めるといっても、これまでの事件の裏で誰がどう動いていたのかを確認するくらいしかない。
まあ、どちらかといえば、ワタシにとってみれば、その二つの理由よりも重要なことがあった。それは、例の電話相手の女性、つまりツチダテの件にほかならない。
昨日の朝、ワタシは教室の入り口にセンサーの機能を付与させることによって、ツチダテがその前日にワタシと会話した例の電話相手の女性だということがわかった。それは紛れもない事実であり、ツチダテが例の電話相手の女性であるということについてワタシが困るようなことはほとんどない。
でも、厳密にいえば、そうではない。ワタシが確認したのは、“例の電話相手の女性が使用していたPIC”と“土館誓許が所持しているPIC”が同一のものであるということだけ。
つまり、もしツチダテが第三者にPICを一時的に貸しており、その第三者がワタシに殺人依頼の電話をしてきたという可能性もある。また、第三者が一時的にツチダテにPICを貸しており、ツチダテがそれを装着して登校してきたという可能性もある。
これはワタシの考えすぎなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。どれが正解なのかはわからないし、どれも間違っているのかもしれない。考えれば考えるほど現状の可能性は広がっていき、正解がわからなくなっていく。
だからといって、それを確認できないわけではない。こちらから向こうに聞いてしまえば済む話。向こうがツチダテ一人ならそれでよし、向こうがツチダテ以外にもいて二人以上ならその全員に聞けばいい。そうすることで、ワタシのこの疑問はいとも簡単に解決されるはず。
そして、もしツチダテが例の電話相手の女性ではないということが確定した場合、ワタシはツチダテを殺害するだろう。例の電話相手の女性からは『土館誓許は殺すな』と言われているけど、ワタシの友だちを殺害すれば十人殺害したのと同じことになるのであれば、殺害しない手はない。
それにワタシは、少しばかりツチダテのことを油断しすぎてその注意がおろそかになってしまっていた。カナイズミとキマタには特に大きな動きがなく、隠れてこそこそしていたヒサバとミズシナにはほかよりも注意していた。
でも、ツチダテだけは例の電話相手の女性なのだと安心し、それならばワタシの不利益になるようなことはしないだろうと思い込んでしまっていた。実際のところは、ツチダテが例の電話相手の女性だったのかそうでないのかは断言できるような状態ではなかったのに、ワタシはそう過信してしまっていた。
だから、ワタシは一刻も早くツチダテのことを殺害しておきたい。例の電話相手の女性に引き止められたとしても、例の電話相手の女性とツチダテが別人ならば、これからさきツチダテがどのような行動をとるのかはまるで検討もつかない。
もしかすると、ワタシがミョウガとカイホコを殺害した犯人だということについて確信を得ていたり、ワタシが義理の家族を全員殺害したことを知っているかもしれない。そうなってしまうと、状況はさらに収集がつかなくなり、面倒なことになる。
考えれば考えるほど、いまのワタシはミズシナごときに構っている余裕はないのだということがわかる。ワタシは少し急ぎ足になりながら、組織の仕事場をあとにしようとした。しかし、そのとき、不意にワタシのことを呼び止める声が聞こえる。
「あ、どうも、すみません。天王野さんの娘さん」
「……何?」
この忙しいときに何の用かと思い、少し苛立ちながらも、ワタシは後ろを振り返った。すると、そこには、組織の人員である一人の男性が立っていた。その男性は少し申し訳なさそうにしながらも、続けてワタシに話しかける。
「えーっと、ですね……先週リーダーに頼まれていた資料の整理がようやく終わりまして、直接手渡したいのですが……いま、リーダーはどちらに?」
「……? ……お父さんとお母さんはいま、仕事の――」
そのとき、ワタシは自分が言おうとしていた台詞を思わず言いとどまり、その場で少しばかり考えた。はたして、この場面でワタシは本当に『両親は仕事の都合でしばらくは帰ってこない』と言ってしまっていいのだろうか。
いま、ワタシの目の前に立っているこの男性は確か、この一週間くらいのあいだ組織の仕事場に顔を出していなかったやつだ。仕事を休んでいた理由としては、ワタシの義理の両親に頼まれた資料とやらの整理といったところだろうけど、いまはそんなことは関係ない。
ようは、この一週間くらいのあいだ仕事場に来ていなかったということのほうが問題。つまり、このあいだの木曜日にこの仕事場にいなかったということは、ワタシから『両親は仕事の都合でしばらく帰ってこない。あと、兄弟は学校の用事でしばらく帰ってこない』という説明を受けていないということになる。
大勢に一斉に説明するときはそんな簡単な台詞だけで、大多数をその場の雰囲気で納得させることができる。でも、この男性にそんなふうにどう考えてもおかしい台詞を言って納得してもらえるとは思えない。
それに、この男性はワタシの義理の両親から直接資料の整理を任されていた。それなのに、急とはいえ仕事の都合でしばらく帰ってこないなんてことが、普通ありえるだろうか。もしありえたとしても、それほど急ぎのようならばPICを通じて送らせたりしそうなものだ。
どうするべきか。テキトウなことを言って余計な不信感を与えたくはないし、だからといって、何も言わずにこの場を去るのもおかしな話だ。とりあえず、仕事場にいるほかの何人かがワタシとこの男性の様子を見ていることを考慮しても、ほかの人たちに言ったことと違うことは言えない。
ワタシにほかの道は残されていなかった。ほかの人たちに言ったことと違うことは言えず、だからといって、テキトウなことを言うわけにもいかない。ワタシは、この会話が終わったらこいつを消してやると思いつつ、返答した。
「……お父さんとお母さんは仕事の都合でしばらく帰ってこない」
「あ、そうなんですか? でも、リーダー、できる限りこの資料を仕上げてくれって言ってましたけど……どうしましょうか?」
「……その資料の内容は?」
「え? ああ、いえ、大したものではないですよ。ただ、リーダーは『娘には見せないほうがいい』みたいなことを言っていましたけど」
「……?」
どういう意味だろう?
「……それじゃあ、その資料のデータをあの人のPICに送信しておいてほしい。……もし、データの変換が好ましくないのなら、あの人のデスクに置いておいてもらえれば帰ってきたときにわかると思う」
「わかりました。それでは、そういうことで」
そう言って、男性は義理の父親が使用していた個別のデスクの元へと歩き、その上に手に持っていた資料を置いた。面倒な思考を強いられたわりには思いのほか話がスムーズに進んでよかった。でも、少なからず違和感は覚えてしまったと思うから、あとで呼び出して殺害する必要がありそうだ。
それに、男性が義理の父親のデスクの上に置いたあの資料。義理の父親が『子どもたちには見せないほうがいい』ではなく『娘には見せないほうがいい』と言っていたという男性の証言から、その内容がどのようなものなのかまったく検討がつかないけど、この目で確認すればいいだけの話。
それから約三時間、ワタシは以前自分が立てた計画を再確認した。本来ならばこの時間に、資料の内容を確認したり、男性を殺害したり、ツチダテと例の電話相手の女性が同一人物なのかを確認したり、ツチダテを殺害したりできたのだと思うけど、あいにくどれも予定が合わなかった。
資料が置かれているデスクの周囲には常時組織の人間がおり、男性はほか数人と別の仕事をしていて、どうにも手を出すことができない。また、ツチダテや例の電話相手の女性に電話をかけてみても、一向に繋がる気配がない。そして、直接ツチダテの家に行けるような暇はなかったので、ワタシは仕方なくも、家の中で計画を再確認するしかなかった。
そして、気がつくと時刻は午後一時を少しすぎたころ。どうやらワタシは、あまりの退屈さに少しばかりウトウトしてしまっていたらしい。枕代わりになっていた数枚の紙はどれもグシャグシャになり、新しく印刷し直したいと思えるほどの状態に成り果てていた。
ワタシは少し寝ぼけながらも、家の中を歩き、隣接している仕事場へと向かう。ミズシナには特に指示を出していなかったけど、いまは昼休みの時間。仮にもワタシはミズシナを雇っている側なのだから、最低限のことくらいはしておかないと変に思われる。
そして、仕事場に入ろうと思ってそのドアを開けようとした直前、ワタシはあることに気がついた。
「……何をしてる?」
「……っ!?」
そこには、ワタシの目の前にあるドアとはまた別のドア、つまり、組織の仕事場とワタシが住んでいる家を行き来できるドアを開けようとしているミズシナの姿があった。ワタシはそんなミズシナの姿を見ると同時に、家に入られたら非常に困ったことになると思い、注意を促しつつ歩み寄った。
「……こっちはワタシの家に通じてる。……だから、たとえミズシナでも勝手に入るのはおかしい」
「あー、ごめんね、葵聖ちゃん。でも、仕事場の人たちに『そろそろ昼休みだから、リーダーの娘さんに伝えておいてくれ』って言われたから――」
「……あいつらは基本的にワタシやワタシの兄弟が連れてきた友だちに話しかけたりしない」
「……っ」
「……本当は何をするつもりだったの?」
ワタシはミズシナのことを睨みつけながらそう言う。もし、ミズシナが何か明確な目的があってワタシが住んでいる家に入ろうとしていたのなら、もし、実はミズシナはヒサバと打ち合わせをしていてワタシの義理の家族の死体を確認しようとしていたのなら、これからさきの計画に大きな影響が出る。
また、それだけは絶対に避けなければならない。ミズシナのこの行動が偶然だとしても、そうでないとしても、ワタシがこの手で作り出したあの惨状をほかの誰かに見られるわけにはいかないのだから。
すると、ミズシナはワタシの予想の斜め上の台詞を放つ。
「えっと……実は、お手洗いを借りようと思っていたんだけど……」
「……は?」
「いやいや、そんなに怒らなくてもよくないかい!?」
「……トイレは仕事場の奥のほうにある。……わからなければ、近くにいる人に聞けば教えてくれる」
「あ、そうなの? ありがとう――ごめんね、なんか怒らせちゃったみたいで」
そう言って、ミズシナは仕事場へと戻っていった。なんだか、最近ミズシナの行動がしだいに予測できなくなってきているような気がする。気のせいだろうか。
「……何か、調子狂うな……」
ほかに誰もいなくなった廊下で一人、ワタシはそう呟いた。