第七話 『演技』
義理の家族を全員殺したことによって、ワタシは例の電話相手の女性からの依頼の内の七人を殺害することに成功し、殺害する必要があるのは残りあと九十三人となった。それと同時に、これまでワタシの行動を大きく制限していたあの人たちが死んだことによって、ワタシは晴れて自由の身になることができたということになる。
例の電話相手の女性との通話後、何か特別な考えや計画があったわけでもなかったけど、ワタシは真っ先に義理の家族を殺害した。元々あの人たちには心底嫌気が差しており、殺害できるものならいつでもしたかった。ただ、これまではその機会がなかった。でも今回、丁度その機会がやってきた。だから、ワタシは自分のその気持ちに素直に従ったまで。
ワタシが殺害した義理の家族の内の全員が等しく、酷く惨たらしい状態で死亡している。こんなワタシでもやはり死体にはあまり触れたくないので、あの人たちを虐殺した居間の片付けは一切していない。今でも、特殊拳銃で爆破されたために頭部が存在しない死体や、体を真っ二つにされて辺りに内臓をぶちまけている死体が、血液で一面真っ赤に染まった一室に七つ転がっている。
その惨状をこの手で作り出していたとき、ワタシは、鼓膜が破けそうなほどの、断末魔の叫びのような発狂や絶叫を聞き、全身が真っ赤に染まってしまうほどの大量の返り血を浴びた。あとに残ったのは、まさに地獄絵図とでもいうべき惨状と、その惨状に立ち尽くすワタシ一人だけだった。
もし、ワタシ以外の誰かがあの惨状を見たならば、『ここまでする必要はない』と言ったり、ワタシのことを『狂っている』と思うだろう。たぶん、ワタシがその第三者の誰かの立場であっても同様のことを感じる気がする。
でも、ワタシは昨日までの数年間、あの人たちに毎日のように痛めつけられ、苦しめられた。昨日だって、ワタシが他の何よりも大切にしていたお母さんの形見であるリボンを引きちぎられた。だから、復讐した。ワタシは、ワタシの本当の居場所を取り戻すために、あの人たちを殺害した。
それに、あの人たちを殺害することによってワタシが自由の身になるだけでなく、他にもワタシにとって有益なことはあった。それは、例の電話相手の女性からの依頼。あの人たちを殺害することでそんな風に二つの利益を得られる。ここでタイヨウロウの口癖を借りるならば、まさに一石二鳥というべきだろう。
しかし、それと同時にいくつかの問題も発生してしまった。そのうち、その問題について解決しなければいけない時期もくると思うけど、今はとりあえず目の前のことに集中することにしよう。今のワタシにはするべきことが多くて、一つ一つ順番に片付けていかないと、いつミスをするか分からないから。そして、そのミスは確実にワタシの死に直結するだろうから。
昨晩義理の家族を全員殺害してから一夜明け、次の日の午前八時前、ワタシは普段よりもかなり早い時間帯に学校に来ていた。別に、気分転換をしたかったわけではないし、死体が転がっている家にいたくなかったわけではない。ただ、一つだけ、些細なイタズラをしようと思っただけ。
昨日、ワタシと話した例の電話相手の女性。義理の家族を殺害した後、ワタシはあの人の素性やその目的は何なのかを考え、そして、もしかするとそのことについて何か分かるかもしれないと考え至った。
例の電話相手の女性との通話の最中、何の前触れもなく唐突にツチダテの名前があがった。そして、例の電話相手の女性からツチダテ以外でワタシの身近にいる人間を殺害してほしいという、現実味のない依頼を受けた。これらのことから考えられるのは、例の電話相手の女性がツチダテなのではないか、ということ。
でも、もし本当にそうだった場合、わざわざ名前や顔を伏せて声を変えているというのに、それではあからさますぎる。それに、ワタシとツチダテは友だちであり、ツチダテがワタシの今の状況に勘付いているのなら、直接会って依頼をされてもワタシは受けていたことだろう。何か考えがあったのか、それともそこまで考え及ばなかったのかは分からない。
それ以外に考えられるのは、例の電話相手の女性の正体はツチダテのことを心から想っている第三者であるという可能性。この場合でもやはり、殺人を依頼するのならメールや電話という不確実な方法ではなく、直接会ってよく相談したほうがいい。
それ以前に、この世界に警察がいないということを知っていたり、未来予知ができるみたいなことを言っていたり、他人の願い事なら何でも叶えられると断言していたり、色々とおかしな点は多く存在している。また、それらのことは、例の電話相手の女性の正体がツチダテだとしても、ツチダテのことを想う第三者だとしても、そのどちらでもないとしても、説明できない。
まあ、何にしても、今のところはどう断言することもできない。だからこそ、今日は普段よりもだいぶ早く学校に来て、そのことを確かめるつもり。もちろん、安全で確実な方法ではないけど、何もしないよりはマシだろう。
誰もいない教室に入り、その教室の隅に位置する折り畳み式の机を一つ起動させる。自分の鞄から一本のナイフと、少し粘着性のある赤い液体が入っている一つの容器を取り出す。この容器には、昨日義理の両親を殺害したときに採取しておいた生の血液が入っている。
その後、ワタシはナイフを教室の床の適当な場所に放り投げ、容器の蓋を外して下に向け、教室の床一面を生の血液で真っ赤に染め上げた。また、その際に今放り投げたナイフや教室の透明な強化ガラスの壁にも血液が飛び散る。
さらに、一面真っ赤に染まった教室の一角にさらにリアルなものにするため、ワタシは自分の手で真っ赤な液体を広げていき、そのうちの少しを自分の制服にも塗った。正直いって、この血液は他人のものだから制服を挟んでいるとはいえ自分の体に塗るというのは気持ち悪いこと極まりなかったけど、この苦労に見合う利益が得られれば問題ない。
一通りの作業が終わった後、容器を自分の鞄に仕舞い、ワタシは今ものの数分間で作り出したその現場を確認する。その教室の一角には、一面真っ赤に染まっている床と壁があり、そのすぐ近くには同様にして真っ赤に染まっているナイフが一本放置されている。そして、その現場には、制服の一部分を赤く染めているワタシが立っている。
ワタシは、先ほど起動させた机の物陰に隠れて教室の外部からは内部の様子が伺えないようにした後、その現場に横たわった。たぶん、こんな感じでいいだろう。おそらく、この現場の光景を誰かが見たとき、ワタシが何者かによって殺害されていると思うはずだ。少なくとも、誰かと争って大量出血をしているという程度には感じるはずだろう。
なぜ、ワタシはこんなことをしているのか。その答えはいたって単純明快。簡単にいってしまえば、ある一つの目的を達成するために必要なことであり、また、ただのイタズラだ。一昨日の夜にワタシが作り出したジビキのバラバラ死体や昨晩虐殺した義理の家族の死体を演出しているという意味合いもあるけど、それらの理由としての比率はあまり大きくない。
死体の気持ちを知りたいなんていう考えもあったりなかったり、でも、本当のところはある人物を足止めするということに大きな意味がある。その人物とは、例の電話相手の女性かもしれないという疑いがかかっている、ツチダテだ。
現状では、例の電話相手の女性はツチダテかもしれないということはすでに分かっている。でも、昨日の通話の時点では、本来PICに登録されていてメールの送信相手や通話相手には必ず表示される個別IDが表示されていなかった。だから、ワタシは例の電話相手の女性がツチダテであると断言できなかった。
でも、だからといって、確認できないわけではない。確か以前、カナイズミから教室の一部設定を変更できるパスワードを貰ったときの説明で、『教室の入り口部分にセンサーのような機能を付与させることができる』と言われた気がする。
つまり、他人のPICの情報を盗み出すことができるようになり、それによってツチダテのPICから送信履歴や通話履歴を確認してしまおうということ。こうすることで、例の電話相手の女性がツチダテだったのか、そうでないのかがはっきりする。
しかし、そのセンサーにも欠点があるらしく、今いったように教室の入り口部分にしか付与させることができず、しかもそこにある程度の時間静止していなければならない。普段ならば教室の入り口に何秒間も静止する機会なんてない。それに、センサーが感知できる範囲に複数人いる場合は正常に作動しないというのだから不便。
その結果、ワタシはツチダテが一番最初に登校してくるということを利用して、他に誰もいない時間帯(早朝)に死体の演技をして、教室の入り口でツチダテを足止めしようと考えた。さすがに、登校直後に友だちの死体が教室にあったら誰だって驚くだろうし、その驚きのあまり足が竦んですぐに駆けつけることはできないはず。まあ、これが失敗しても他にも色々案はあるから問題ないけど。
そんなことを考えていたとき、不意に誰もいないはずの廊下から足音が聞こえてくる。そして、その足音は少しずつ大きくなっていき、ワタシが今いるこの教室に向かっているのだということがすぐに分かった。
死体演技の準備にはあまり時間はかからなかったものの、登校した時間が予定よりも少し遅かったからなのか、もうツチダテが登校してきたのだろう。丁度準備も終わったところだからタイミングがいいといえばそうかもしれない。ワタシは先ほど自分で作り出した偽りの惨状に横たわりながら、目を瞑り、その来訪者を待った。
すると――、
「天……王野……?」
教室の自動ドアが開けられ、恐怖による震えのあまり今にも掠れそうなそんな小さな声が聞こえてくる。しかし、その声はツチダテのものではない。
目を開けてその姿を確認していないからまだ断定はできないけど、その人物はおそらくミョウガだと思われる。でも、何でミョウガがこんなに早く登校してくる? 確か、ミョウガは友だちグループの中ではキマタくらい登校してくるのが遅かったはず。それなのに、何でよりにもよって今日に限って、こんなにも登校時間が早い?
「何で……」
ワタシは少しばかり動揺しつつも当初の目的を忘れることなく死体の演技を続けるため、物音一つ立てることなく静止していた。ミョウガは、何者かによってワタシが殺害されたのだと思い込んだのか、まるで信じられないといったような台詞を呟きながら横たわるワタシに近付き、辺りの様子を確認し始めた。
「……っ!? つ、土館! 違う、俺じゃない! だから、話を――」
直後、ミョウガはそれまでの怯えているような様子から一変し、明らかに動揺しているような台詞を何者かに放ちながら、横たわるワタシの元から去ろうとする。ミョウガが声を発したのは、その台詞の内容や時間帯的におそらくツチダテだろう。
しかし、そんなミョウガの行動とほぼ同時に、一瞬だけワタシのPICが、ワタシだけに聞こえるくらい小さなアラーム音を鳴らしてワタシに合図を送った。その合図とは、今日ワタシが例の電話相手の女性の正体が誰なのかを確かめるために教室の入り口に付与してあるセンサーからによるものだった。
つまり、センサーが正常に作動しているならば、例の電話相手の女性はツチダテだったと確定したということになる。ワタシは、その合図を聞き取った直後、薄っすらと目を開けてミョウガの視線の先にいる人物を確認した。
紛れも無く、そこにいたのはツチダテだった。
「フ……イヒァ……アヒャアハハハハアハハハハ!!!!」
「うああああああああ!!!!」
目的達成をしたことによる歓喜と、思いのほか自分のイタヅラがうまく進んだことによって、思わずワタシは笑いが止まらなくなった。そして、今ツチダテとミョウガに接触されては困ると考え、ツチダテを追いかけようとするミョウガの足首を力強く掴み、引き止めた。
その後、ミョウガはツチダテを追いかけようとするのをやめ、ワタシの手を振り払ったかと思えば、少しずつ後ずさりしていった。人を一人殺しているというのに、今さらこんなことに驚くとは少し意外だけど、今はそんなことは関係ない。
ワタシはイタズラとしての死体演技を続けるため、ミョウガが後ずさりした後、勢いよく上半身を上げて小さな声でミョウガに話しかけた。
「……驚いた?」
「……………………は?」
「……死んだふりをしてみたんだけど」
「……」
「……驚かなかった?」
「いやいやいやいや! 驚いたよ! マジでびっくりしたよ! 色々とリアルに作り過ぎだろ! というか、何で朝っぱらから学校の教室で死んだふりなんかしているんだ!? お陰で、土館に誤解されただろ!?」
「……そんなこと言われても。……死体ってどんな気持ちなのか知りたかったから。……結局、あまりよく分からなかったけど」
それ以前に、死体というのは人が死んでいるということを指すのだから、それに気持ちなんてあるわけないから今のワタシの台詞は意味不明だったかもしれない。でも、些細なそんなことに気づけないほど、ミョウガは激しく動揺していた。こんなに驚いてくれると、イタズラを仕掛けた側としては少し嬉しかったりもする。
とりあえず、当初の目的は思いのほかすんなりと達成できたので、ワタシは自分で作りあげた偽りの惨状を片付け始めることにした。関係者以外に見られると、またややこしいことになるかもしれないし。まず、ポケットからハンカチを取り出して、それで制服に付いた血液を……、
「……落ちない」
「赤く汚れている床は俺が掃除しておくから、水道で洗ってきなさい」
「……ありがとう」
「おう」
たいぶ気持ちが落ち着いたのか、ミョウガは制服に付着した血液を拭き取ることができなくなったワタシにそう言い、近くにあったクリーナーで偽りの惨状を片付け始めた。そんなミョウガを後にして、ワタシは赤く染まってしまった制服を洗うため、水道がある場所へと向かう。
「……やっぱり、あいつか。……キへッ」
教室から出る直前、ワタシは例の電話相手の女性が案の定ツチダテだったということを思い出し、自分自身に改めて納得させた。その拍子に、思わずそんな台詞が口から漏れた。その台詞がミョウガに聞こえていたのかどうかまでは分からない。