第六話 『虐殺』
義理の父親によってお母さんの形見でもあるワタシのリボンをバラバラに引きちぎられた後、ワタシが途方に暮れていたとき、不意にワタシの元に届いた一通のメール。そのメールの文面があまりにも突拍子もなかったということもあり、考える能力を失っていたワタシは唖然としていた。
「……何、これ……」
周囲にはワタシ以外の誰もいなくなり、ワタシ一人だけになった廊下の一角でワタシはそう呟く。そして、ゆっくりと立ち上がり、ただの赤い布切れ数枚と化したリボンを握り締めながら、ワタシは普段自分が生活している物置裏へと向かう。
メールの続きにはこう書かれていた。『殺人をしてほしい。報酬は“あなたの願い事を何でも一つ叶える”こと。この依頼に賛同してくれるのなら以下のIDに電話をかけてほしい。ただし、映像通話ではお互いに問題があると思うので、音声通話以外は受け付けない。また、そのときにこの依頼の詳細について説明し、質問を受け付けよう』。
通常であれば、メールの受信や電話の着信はどこの誰が送ってきたのかがすぐに分かる仕様になっている。世界中の全人類がPICの常備装着を義務付けられ、それによって世界中の全人類が個別IDによって管理されており、メールを送るにも電話をかけるにもPICが必要だからだ。
でも、今回ばかりはそうではなかった。どういう方法を使っているのか、ワタシのPICの立体映像には『送り主不明』と表示されており、どこの誰がどんな意図で送ってきたのかすら分からない。これでは、手の込んだいたずらメールやただの迷惑メールという可能性も決して否定できない。
だけど、そのメールに書かれていた『報酬は“あなたの願い事を何でも一つ叶える”こと』という一文にこれ以上ない興味を惹かれたワタシは、気づいたときそのメールの下にあったIDをタッチして、謎の送り主に電話をかけてしまっていた。
普段のワタシなら念のためにコンピューターウイルスの可能性も考えて、見ず知らずの人から送られてきたメールに返信するなんてことは絶対にしなかっただろう。しかし、今のワタシはお母さんの形見を失ったということに絶望し、それによって大きな衝撃を受け、ろくな思考ができな状況にあった。
それに、メールには『殺人』や『願い事を叶える』など、今のワタシがしようとしているようなことやできるものならしてほしいような内容が書かれていた。だから、一瞬だけ電話をかけ直そうかどうかを迷ったものの、結局ワタシはそうしてしまったのだった。このタイミングでメールが送られてきていなければ、絶対に返信することはなかっただろう。
数回の呼び出し音の後、回線が繋がって音声のみの通話が開始されたということがPICの立体映像上に表示される。それを確認したワタシは、PICの向こう側から何も聞こえていないにも関わらず、少しばかり焦りながら、小さく声を発した。
「……もしもし。……アナタが、今ワタシにメールを送ってきた人?」
『ご名答。私で合ってるよ』
ワタシの台詞の数秒後、唐突にそんな台詞が聞こえてくる。聞こえてきた声は、ワタシと同い年か、少し年下くらいの女性の声だった。一瞬だけ誰か知り合いの声に似ているなと思ったけど、当然ながらワタシはその声に聞き覚えがあるわけがない。電話相手が同い年の女性だと分かった瞬間、ワタシは『やはりいたづら電話だったか』などと思うことなく、続けて質問する。
その後、ワタシから次々と発せられる質問に対して、PICの向こう側で通話している女性は声色一つ変えることなく、淡々と答えていく。
「……アナタは誰?」
『今回の依頼にそんなことは関係がない。また、それを答えてしまえば、わざわざ映像通話ではなく、音声通話にしている意味がない。他の質問は?』
「……まあ、それもそうかも。……それで、本題に入るけど、『殺人をしてほしい』ってどういう意味? ……あと、『ワタシの願いを叶える』ってどういうこと?」
『“殺人をしてほしい”。つまり、あなたがあなたの身近にいる人たちを好きなように、好きな方法で殺してほしいということだ。百人くらい殺してくれれば上出来だろう。あなたの願い事を叶える件については、百人の殺人を達成できてから詳しく説明しよう。私にはあなたの願い事を叶える力がある。心配しなくても、約束を破るつもりはない』
「……何でも願い事を叶えられるのなら、それで人殺しをすればいいんじゃないの? ……そのほうが、アナタが殺したい人を殺せるだろうし、ワタシに頼むよりもより確実なはず」
『……残念ながら、私はある事情のせいで人を殺す能力がない。また、願いを叶えられるのは他人のものに限られている』
「……」
元々あんなメールを信じて電話を返しているという時点でおかしな話だけど、今となっては、質問して会話を進めていくごとにどんどん信憑性がなくなっていっているような気がする。多分、ワタシが今話しているこの人は嘘など言っておらず、本当のことしか言っていないのだろうけど、それでもやはり少し疑ってしまう。
『人を殺すことができない』という『ある事情』、『願いを叶えられる』のは『他人のものだけ』。それら理由が何なのかを詳しく説明してもらえないと、それがたとえワタシでも納得することはできない。でも、おそらくそれを聞いたところで、頑なに自分の正体を明かさないほどなのだから自分に関することは話してはくれないだろう。
電話相手の女性台詞の後、数秒間の間を空けて、ワタシはさらに質問をする。
「……証拠は? ……アナタが嘘をついていないということや、約束を破らないということは、何となく分かる。……でも、アナタが『願い事を何でも叶えられる』ということについての証拠がほしい」
『それでは、一般人ならばまず知らないことを教えよう。一般人ならば、聞いた瞬間はワタシが嘘をついていると思い、絶対に信じられないと思うが、調べてもらえればそのうち分かることだ』
「……うん」
『“この世界に、警察は存在しない”』
「……知ってる」
『え!? ちょっ、マジ!? 何で知ってんの!?』
ワタシが間髪を入れずに返答したからなのか、それともワタシがそのことを知っているとは思いもしなかったのか、電話相手の女性はそれまで冷静沈着といった印象を受ける声色から一変し、そんな軽い口調になった。
確かに、ワタシは一見すればただの一般人であり、この世界に警察が存在しないという真実を知っているわけがないと思うのが当然。でも、ワタシは以前偶然にもそのことを知り、それからはカナイズミに頼みごとをできるようになった。
だけど、ワタシがそのことを知っているとはいえ、やはりこの情報は一般人なら普通は知りえないもの。それに、電話相手の女性からの依頼は『殺人をしてほしい』というもの。警察がいないということを知っている前提でその依頼をしているのなら、もしかすると何らかの計画があるのかもしれない。
未だに電話相手の女性はPICの向こう側で『えー、マジか、どうしよう』などと呟いている。数秒間待っても特に会話が再開されなかったため、ワタシは一言だけ声をかけることにした。
「……なんか、キャラ崩れてない?」
『おっと。ところで、何でそんなことを知っているんだい?』
切り替えが早い。というか、今さら立て直してもすでにイメージはガタ崩れだ。
「……偶然誰かがそんなことを話しているのを聞いただけ。……それ以外は特に理由はない」
『そう……このことについてもう少し説明すれば私の話を信じてくれると思ったんだけどなー、困ったなー』
「……」
『あ、そうだ。今から私が、明日起きるかもしれないことをいくつか教えよう。いわゆる未来予知みたいな感じに受け取ってもらえれば構わない。それらが正解かどうかが分かるのは早くても明日だけど、これなら――』
「……いや、もういい」
『……ありゃ?』
『未来予知』という単語にも少なからず興味を惹かれたワタシだったが、その誘惑に負けることなく、ワタシは電話相手の女性の台詞の途中でそれを断った。そして、そんなワタシの様子に驚いていることが分かる電話相手の女性に対して、ワタシは先ほどまで同様に次々と質問をする。
「……願い事って、何でも叶えられる?」
『もちろん』
「死人を生き返らせたりすることは?」
『多分できる』
「……分かった。……殺害したらいいのはワタシの身近にいる人たちだけ? ……他に何か条件は?」
『あなたの身近にいて、かつ一週間に一度は顔を合わせるような人たちなら誰でも構わない。また、殺してほしいのは合計で百人。殺したということを確認するためにその殺人現場を写真でも撮って画像でこちらに送ってくれれば、順次それらをカウントしよう』
「……それは、義理の家族とか近所の人とかクラスメイトとかでも大丈夫?」
『問題ない。ただ、土館お……じゃなくて、土館誓許という女性だけは例外として絶対に殺してはいけない、という条件だけ追加しておく』
『……ツチダテ? ……何でツチダテの名前がこの会話に出てくるの?』
唐突にツチダテの名前が出てきたことに、ワタシは驚きを隠せないでいた。電話相手の女性はワタシが天王野葵聖であるということを知っているということは分かっていたけど、何でここでツチダテの名前が出てくるのだろう。
もしかして、電話相手の女性はツチダテの周囲にいる特定の誰かを殺してほしいために、ワタシに殺人の依頼をしてきたのではないだろうか。電話相手の女性はワタシとツチダテが友だちであるということを知っていて、ワタシならば殺人を犯すことができると考え、百人という大げさな人数で誤魔化してはいるものの、誰か目標の人物がいるのだと思う。
あと、これは考えすぎかもしれないけど、電話相手の女性の正体がツチダテ本人なのだという可能性もある。現代科学ならば、人間の声くらいなら簡単に変化させることができるし、何か特殊な手段を用いれば非通知にすることもできるだろう。もし電話の女性がツチダテ本人ならば自分を殺されては困るから、そういう風に捕捉しておくのが当然かもしれないけど、それではあまりにも露骨すぎる。わざわざ名前を伏せて音声通話をして、正体を隠している意味がない。
電話相手の女性の正体がツチダテ本人だとしても、そうでないとしても、どちらにしても疑問は残る。どうして電話相手の女性は殺人ができないのか、そしてどうして電話相手の女性は他人の願い事ならば叶えることができるのか。信じられる証拠もないのにこんな現実味のないことを信じるのも浅はかだと思うけど、そんなことを言っていてはきりがない。
とりあえず、ツチダテのことに関しては少しだけ様子を見ることにしよう。ワタシがそう結論づけたとき、電話相手の女性の台詞が返ってくる。
『細かいことは気にしないで。とにかく、あなたの身近にいて、土館誓許以外の人たち百人を殺してくれれば、あなたの願いを何でも一つ叶えてあげる』
「……質問があったらまた連絡する」
『あ、分かってるかもしれないけど、“願い事の回数を増やす願い事”と“殺人に関係する願い事”は叶えられないから、よろしくー』
「……」
それくらい分かってはいたけど、念を押されるように言われると何だか気分が悪い。何か適当なことでも言い返そうかと思っていたとき、電話相手の女性はワタシの返答を聞くことなく一方的に通話を切断した。後には空しい電子音が聞こえてくるだけであり、そんな中ワタシは考える。
これからワタシはどうするべきなのか。信じるべきか、相手にしないほうが懸命か。殺すとすれば、誰を殺すのか。ミョウガは元々復讐の一環で殺害しようと思っていたからまだしも、あとの九十九人はどうするか。そして、その先にある願い事を叶えてもらえる権利は何に使うべきか。
前者も後者も、ワタシの中での目標はもう決定している。
その日の晩、ワタシは『大事なお話があります』と言って義理の家族全員を一階の居間に呼び出した。義理の家族は、突然ワタシからそんなことを言われて心底機嫌が悪くなっているみたいだった。そして、ワタシは以前カナイズミからもらった特殊拳銃を右手に持ち、義理の家族の前に姿を現した。
「……死ね……死ね死ね死ね死ね!! ……アハッ! ……キャハアハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
直後、特殊拳銃の照準を合わされた義理の父親の頭部が内側から勢いよく破裂し、辺り一面にその脳漿や頭蓋骨の破片を飛び散らせる。また、その際にビチャッビチャッという気持ちの悪い音とともにワタシやそれ以外の義理の家族の体に大量の血液が撒き散らされる。
この日、ワタシは特殊拳銃を使用して、義理の家族全員を殺害した。
殺害達成人数合計七人。あと九十三人。