第二話 『切断』
ワタシは、突然自分のPICからアラーム音が鳴ったことで、人工樹林の影に隠れていまの一連の出来事を見てしまったことがミョウガにばれてしまうと思い、非常に焦った。ワタシは急いでPICの電源を消してそのアラーム音を止め、恐る恐る二人がいる方向を見る。
幸いにも、ミョウガはワタシが隠れている人工樹木のほうを向いてなどいなかった。むしろ、ワタシのPICのアラーム音が鳴ったことやワタシが隠れていることになどまるで気づいていない様子に見えた。
「……ここは……どこだ……?」
不意に、ミョウガのそんな台詞が聞こえてくる。そのときのミョウガはそれまでの、つまりジビキを殺害したときとはまったく気配が異なっていた。そう。まさに、いまのミョウガこそがワタシが知っているただの一人の男子である冥加對のように思えた。
それはそうとしても、この場面で何でそんな台詞が出てくるのだろう。先ほどのジビキとミョウガの会話を聞く限りでは、ミョウガに用があってジビキがミョウガを呼び出し、そこで生まれた意思の疎通の不一致によってミョウガはジビキの体を何度もナイフで突き刺し殺害した、というところまでしか分からない。
ワタシは、ワタシが大好きだったジビキを殺したミョウガを許すことができない。でも、いくら気配が普段に戻ったとはいえ、いつまた豹変するかは分からない。だから、いまミョウガの前に出て、ジビキの仇を討つわけにはいかない。
そのままワタシは自分のなかにある怒りを必死に抑えつけながら、ミョウガの動向を監視し始める。ミョウガはPICを操作したり、ワタシがいるところまでは聞こえない小さな声を出したりしていた。
また、人工樹林の外に出ようとしたのか後ろを振り返ったとき、先ほど自分で放り投げて足元に転がっていたナイフを拾って、心底驚いていた。自分で放り投げたというのにそれに対して驚くミョウガの様子を見て、ワタシにはもはやミョウガが何をしたいのかが分からなくなっていた。
「うああああああああああああああああ!!!!」
そう思っていた直後、ミョウガのそんな奇声とも発狂ともとれる大声が人工樹林一帯に響き渡る。その声の大きさにワタシは思わず耳を塞ぎたくなるが、ふと顔を上げてみると、もうそこにミョウガの姿はなかった。残っているのは、真っ赤に染まった人工樹林の一角と真っ赤な鮮血で汚れた一本のナイフ、そしてジビキの死体だけだった。
ミョウガがその殺人現場から完全に離れ、引き返してこないことを確信したワタシは、無残な姿になるまで痛めつけられて殺されたジビキの死体の前に歩いていく。そして、ジビキの死体の前に辿り着いたとき、真っ赤な水溜りがビチャッという音を立てる。
「……ジビキ……」
ワタシのすぐ目の前には、つい先ほどミョウガによって殺害されたジビキの死体がある。ジビキは全身のいたるところから大量の血液を流し、完全に静止している。呼吸や心臓の鼓動を確かめてみるも、どちらも止まってしまっている。
分かっていたことではあったけど、ワタシは信じることができなかった。昨日だって、ジビキは普通に過ごしていて、ワタシに構ってくれていた。ついさっきだって、ジビキはここでミョウガと話していた。でも、いまはもうそれさえも叶わない。
こうしてまた、ワタシの心の支えの柱となっていた人物はこの世を去る。この、無慈悲で不条理な世界にワタシ一人を残して。
「……嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!!」
ワタシは膝を折り、力強く自分の頭を抱えながら、すぐそこにある確定した現実から目を背ける。ジビキの表情は未だに狂気を感じさせるほど笑っており、それとは正反対なくらいに冷たくなった体を見るたび、しだいにわけが分からなくなっていく。
先ほどミョウガが再び投げ捨てたナイフを拾い、大粒の涙を零しながら、ワタシは言う。
「……こんなのは……ジビキじゃない……!」
そう呟いたあと、ワタシはミョウガが落としていったナイフの刃がボロボロになるまで使用して、次々とジビキの四肢を切断していった。最終的に、骨を切断したために刃がボロボロになって切れ味が悪くなったミョウガのナイフを捨てて、あらかじめ持ってきてあった二本目、三本目のワタシのナイフも使用した。
腕や足の付け根をナイフで切り刻んでいくたびに、大量の血液がワタシの顔面や体に飛び散る。肉を切るときはあまり力を込めなくても問題はなかったけど、骨の部分にあたったときや、ナイフの刃がボロボロになってきたときはそれなりに力を込める必要があった。
ワタシは自分の心の支えを失いたくなかった。三年前、ワタシの家族全員がワタシの目の前で、ワタシのすぐ傍で次々と殺されていったあとから、ワタシはいまの義理の両親、つまりは叔父と叔母に引き取られた。
それなりに兄弟も多かったワタシは、そんななかただ一人生き残ったというだけの理由で周囲から酷い仕打ちを受けた。義理の両親からも、義理の兄弟からも。心の支えを失って、どうにかして何かにすがってしまいたいと思っていたのはワタシのほうだったのに、あの人たちはそんなワタシのことをこき使った。
そんなとき、高校生になったワタシはカナイズミに誘われて友だちグループの一員となり、八人も友だちが増え、ジビキに出会った。ジビキはワタシの過去にどんなことがあったのかをいち早く察して、相談に乗ってくれた。
それからというもの、ワタシはことあるごとにジビキに頼り始めた。何かをするときも、何かを言うときも、大抵の場合はジビキの力を借りた。そして、しだいにワタシはジビキのことが好きになっていった。
でも、そんなジビキはもう死んだ。二度と帰ってくることはない。
家族全員を殺されて、義理の家族からは酷い仕打ちを受けているなか、ようやく見つけた心のよりどころだったのにアイツは……ミョウガは、ワタシが見ている前でジビキのことを殺害した。
しかし、ワタシはこんなことは絶対に認めない。認められるわけがない。ジビキがいなくなってしまったら、これからワタシはどうすればいいというのか。だから、ワタシは目の前にある死体の四肢を切断していく。元々が何だったのかが分からなくなるほどまで、切り刻んでやる。
この死体はジビキではない。きっと、ジビキはいまもどこかで生きている。ワタシはそう思い込みたかった。この世界の誰もがジビキの死を確信していたとしても、ワタシだけはそれを否定する。そうするために、ワタシはこの死体をバラバラな状態になるまで切りんでいった。
「……アハハハハ……」
ワタシは顔が真っ赤に腫れるほどの涙を流しながら、狂ったように、しかし悲しそうに笑う。自分の心を、この世界で確定してしまった非常なる現実を偽るために。
そして、何分間かかけてようやく死体の四肢を切断することに成功し、まだ足りないと思ったワタシはさらに死体を切り刻んでしまおうと考え、新しく取り出したナイフを振り下ろした。
「……?」
しかし、そのとき不意にワタシのPICがまたしてもアラーム音を発した。ワタシはナイフを振り下ろそうとしていた手を止め、ひとまずそのアラーム音を消すためにPICを起動させた。そして、どうやら誰かがワタシにメールを送ってきたのだということが分かった。
メールの受信ボックス上部には、『新着二件』と書かれている。ワタシは人間関係があまり広くないし、義理の家族とは連絡をとったこともないので、たぶん友だちグループの誰かが送ってきたのだということは分かった。
それに、『新着二件』ということは、ついさっきも誰かがワタシのPIC宛てにメールを送ってきたということになる。誰かは知らないけど、よほど急用なのだろう。ワタシは、グチャグチャになった死体のすぐ傍でそのメールを開く。
一通目、『from:地曳赴稀,件名:――,本文:この世界は昨日から作られた』。二通目、『from:地曳赴稀,件名:――,本文:さっきのメールに深い意味はないから気にしないで。ごめん』。
「……フ……ィヒッ……アヒッアハハハハハハハハ!!!!」
その二通のメールの送り主や文面を読んだワタシは、少しだけ考えたあと、そんな風に狂ったように大声で笑った。別に、誰かを笑っているわけではないし、何かを笑っているわけではない。
ただ、何でこんな奇妙なメールが二通も送られてきているのか、何で地曳は死ぬ直前と死んだあとにこんなメールを送れたのか。そんなことを考えていると、おかしくておかしくて仕方がなくなってしまった。だから、ワタシは人工樹林一帯に響き渡るほどの大声で笑い続ける。
どうせ、人工樹林には誰もいない。こんな時間にこんな場所に、誰かがいるほうが不自然すぎる。ワタシはあの人たちに命令されて来ただけで、ジビキとミョウガには話し合いという理由があった。でも、それ以外の第三者にそんな理由はないはずだ。だから、どれだけ大声で笑っても問題はない。
声が枯れてしまうほど狂気じみた笑い声を続けたワタシは、目を見開いて口が裂けるほどの笑顔のまま、PICを操作して電話をかける。ワタシの全身は死体の返り血で真っ赤に染まっているから電話相手に不審に思われると嫌だし、辺りは真っ暗で何も見えないかもしれないから、音声のみの通話にしておいた。
電話をかけた相手は、カナイズミ。
『はい、もしもし。天王野さん、どうされたのかしら? こんな時間に』
「……カナイズミ。……警察官を数人、近くの人工樹林に派遣してほしい」
『……はい? まぁ、できますけど……そんなことをして何をするつもりなのかしら?』
「……カナイズミには関係ない。……余計な詮索はしないほうが懸命。……それにもし、ワタシが頼んだことをカナイズミが守らなかったら、あのことを世間にばらす」
『っ……わ、分かっていますわ。いまから調べますので、少々お待ち下さい……それで、他に用件は? おそらく、私への用件はそれだけではないのでしょう?』
「……勘がいい。……これからしばらくの期間、周辺の警察官はワタシからの指示に従って動き、ほかの誰かの指示を受けても従わないようにしてほしい。……あと、いまから派遣してもらう警察官は全員、凶悪殺人事件現場を担当したことがあって、口が堅いやつらにしてもらう」
『きょ、凶悪殺人現場って……いったい、何があったのかしら?』
「……だから――」
『はぁ……分かりましたわ。とりあえず、いまこちらで調べてみた限りだと、その条件に合う警察官のうちで五人くらいならすぐにそちらに向かえるみたいですわ。彼らにはもう天王野さんのPICの位置情報も送っていますから、あと十五分もしないうちに到着できるしょう』
「……分かった」
『いえ』
そう言って、ワタシはカナイズミとの電話を切る。はたから聞いてみれば、いまのワタシの電話は全然わけが分からないものだっただろう。でも、ワタシにとっては大きな意味があった。
ワタシは、カナイズミのある秘密を握っている。その秘密とは、世界中の誰もが『そこにいてくれている』と思い込んで安心しているにも関わらず『実際には存在していない』という珍しい存在のことだ。
カナイズミはそのことが世間に公表されると困るらしく、偶然にもそのことを知ってしまったワタシからの頼みごとを断るわけにはいかない。もし断ってしまえば、ワタシがその秘密を世間に公表して、いたるところで暴動が起きる可能性があるから。
だから、ワタシはミョウガが行ったジビキ殺人事件の詳細を好きなように改変させ、ワタシがここにいたという事実を隠蔽し、ミョウガに復讐をする。そのために、いまこの状況でカナイズミに電話をかけた。警察官を事件現場に派遣してほしいという、一見意味不明な電話を。
そのとき、ワタシは不意に人工樹林の草むらから何かごそごそと音がしていることに気づいた。それと同時に、靴底が地面の土を踏む音も聞こえ、何者かがこの事件現場に向かっているということが分かった。
さすがに、カナイズミがワタシのために派遣した警察官が来るには早すぎる。つまりそれとは別の、何も知らない、本来ならばいるはずもない第三者が来てしまったことになる。ワタシは、死体を切断するために使用したナイフを適当に地面に放り投げ、先ほど同様に人工樹木の陰に隠れた。
「何……これ……」
人工樹木の陰に隠れたワタシが見たのは、海鉾矩玖璃という友だちグループの一人である女子だった。カイホコは四肢を切断された死体がある惨状を見て、心底驚いている様子が伺えた。