第三十話 『回帰』
冥加くんの体から噴き出した大量の血液によって、辺り一面が真っ赤に染まった教室の一角。わたしはそんな、まさしく惨状とでも呼ぶべき場所で一人、多くの後悔を抱えながら冥加くんの死体の隣でへたりこんでいた。
そのとき、不意にわたしの耳に聞き覚えのある女の子の声が聞こえた。
「せ、誓許……ちゃん……!?」
「……」
自分の首元にナイフの先端を突きつけた状態を解き、わたしは誓許ちゃんの名前を呼ぶ。今わたしがいるこの空き教室の入り口付近、わたしが見たその先にいたのは、紛れもなく土館誓許ちゃんに他ならなかった。
誓許ちゃんは、すぐ目の前に真っ赤な惨状が広がっているというのに大声を出したりして騒ぎ始めることもなく、ただただ無言のまま無表情で、しかし少しばかり悲しそうな表情をしながら、哀れむようにわたしのことを見つめる。
なぜ誓許ちゃんがこんなところにいるのか、どうしてわたしや冥加くんがここにいることが分かったのか、何で目の前で冥加くんが真っ二つになって死んでいるというのに、悲鳴の一つも上げないのか。
わたしのそんな疑問は、口に出すまでもなく、すぐに解決されることになる。
「せ、誓許ちゃん! ち、違うの! これは――」
「海鉾ちゃん」
「……え……?」
「私は、冥加君と海鉾ちゃんの間で何が起きたのかは大体分かるし、今海鉾ちゃんが何を言おうとしていたのかということも何となく分かるよ」
「……それって、どういう……」
今さら弁明の余地などあるわけもないのに、思わず保身のために言い訳をしようとしてしまったわたしに対して、誓許ちゃんはそれを静かに制する。そして、誓許ちゃんはここでもまた、わたしにとって理解することができない台詞を言い放った。
唖然とするわたしに、誓許ちゃんは続けて言う。
「だから、今は私の言うことを聞いてほしい。そして、これから私が海鉾ちゃんに言うことと、見せるものの全てを信じてほしい。この世界はもう、限界だから」
「……う……うん……」
誓許ちゃんは何を言っているのだろうか。今の状況を見れば、冥加くんを殺したのはこのわたしであることは誰だって分かるはずなのに、誓許ちゃんはそんなわたしのことを全く恐れていない。いや、それ以前に、明らかにおかしな光景が目の前に広がっているというのに、誓許ちゃんは全く動じていない。
何が、どうなっているの……。
誓許ちゃんは、誓許ちゃんの台詞に頷きながらそれを了承したわたしに『ついてきて』とだけ言うと、すぐに教室の入り口付近から姿を消した。
冥加くんが死んだ今でも、この世界にはわたしが知らない何かが確かに存在しており、もしかするとわたしはそれをやり遂げなければならないのではないだろうか。
不意にそんな風に思ったわたしは、冥加くんの死体を放置しておくのは気が引けたけど、とりあえず空き教室の入り口をロックした後、随分と前に歩いていってしまった誓許ちゃんの行方を捜した。幸いにも、誓許ちゃんはそれほど遠くには行っておらず、ものの数十秒で見つけることができた。
また、わたしの全身は頭のてっ辺からつま先まで冥加くんの返り血によって真っ赤に染まってしまっていたため、誰かに目撃されると大事件になりかけなかったけど、わたしのそんな心配は杞憂だった。
わたしが誓許ちゃんの後を追いかけているとき、誓許ちゃんは全身真っ赤になっていたわたしに全く気を遣うこともなく、堂々と校内や街路を歩いていた。
しかし、誰かに見つかるのではないかとわたしが内心びくびくしていたとき、誰かに見つかる以前に、わたしたちの周囲には誰もいなかった。というよりはむしろ、この世界にいる人間がわたしと誓許ちゃんの二人だけになってしまったのではないかというような錯覚を得てしまうほど、周囲からは人の気配が感じられなかった。
でも、実際に誓許ちゃんの後を追いかけているときはそんなことに気づくわけもなく、わたしはただただ誰にも目撃されないように辺りを気にしているしかなかった。
そうこうしているうちに時間は過ぎ、もはや何分歩いていたのかすらも分からなくなったとき、不意に誓許ちゃんの足が止まった。辿り着いた場所は、普段ならまず訪れないけど、この一週間の内ではもう何度も訪れた例の人工樹林だった。
そこへ到着すると同時に誓許ちゃんは、何か探しものでもあるのか、何もないはずの人工樹林の地面をゆっくりと手で探り始めた。結構な時間雨に打たれていたからなのか、わたしの全身を赤く染めていた冥加くんの血液は、元通りの姿にはなっていないけど、大方雨水で流れ落ちた。
そのとき、突如として地鳴りのような轟音が辺りに響き渡り、何もなかったはずの人工樹林の地面から、旧式の電話ボックスのような形と大きさの箱がその姿を現す。
今度は何が起きたというのか、これもまた誓許ちゃんが何かをしたからこうなったのか。どんな推測をしても全然正解ではない気がする。そして、思考停止したくなるような状況の中、わたしの中でまた結論が導き出せていないとき、誓許ちゃんがわたしに話しかける。
「海鉾ちゃん。返事とかはしなくてもいいから、よく聞いて。もう、あまり時間がないから」
「……うん……」
「私たちがこれまでに生きてきたこの世界は……いえ、そうであると設定されていたこの世界は、地曳ちゃんが殺された前日から作られた世界なの」
「え……?」
「海鉾ちゃんにも地曳ちゃんから『この世界は昨日から作られた』というメールを受け取ったでしょ? あのメールこそがまさしくその証拠であり、これから海鉾ちゃんが見るものによって、それを確信することができる」
「ど、どういうこと……?」
「地曳ちゃんはどうしてそのことを知っていて、なぜもっと確実な方法で私たちにそのことを伝えなかったのかは分からない。でも、これだけは言える。地曳ちゃんは、『この世界が、あの日から見た“昨日”から作られた世界であることを知っていて、さらにそれ以外の何か大切なことも知っていた』。だから、あんな不確実な方法を選び、そして冥加くんの別人格に殺された」
「……」
わたしの理解が追いつかないまま、話は進む。
「私たちは、この世界の誕生とともにそこに作られ、この世界の破滅とともに死ななければならない存在。私たちの記憶も、思い出も、全てがこの世界の誕生と同時に宇宙の法則のようなもので設定されただけにすぎない。何もかも、全て」
「で、でも! 何で誓許ちゃんはそんなことが分かるの!? 世界の誕生とか破滅とか、難しくてよく分からないけど、でも――」
「私が知っていることは全て、そこにある『箱』の内側に書いてある。でも、大事なことは口頭で伝えておかないと、海鉾ちゃんが使命を全うしてくれないと思ったからね。だから、もう少し聞いていてほしい」
「……分かったよ……」
正直なところ、今のわたしは誓許ちゃんに質問したいこと、質問しなければならないことが多過ぎた。それらはもはやわたし一人の思考では処理しきれず、誰かに頼るしかなかった。だからこそ、誓許ちゃんに聞いたわけだけど、誓許ちゃんはそれさえも拒んだ。
「……分かったけど……一つだけ質問させて」
「……何?」
誓許ちゃんが言ったことが全て真実ならば、これまでのわたしの人生も全て偽りの、ただの作り物だったということになる。でも、そんな世界で冥加くんが続けて引き起こし、わたしの勘違いによってさらに加速してしまった一連の連続怪奇事件。
その中でも、わたしはどうしても引っかかる部分があった。誓許ちゃんに黙って聞いていろと言われたばかりだけど、どうしてもそれだけは聞いておきたかった。誓許ちゃんもわたしが何を聞こうとしているのかを察してくれたらしく、拒んだりはしなかった。
「冥加くんはわたしや誓許ちゃんをはじめとして、霰華ちゃんや木全くんなどの大勢の人に冥加くんがそれまでの連続怪奇事件の犯人であると推理されていたのに、何で『警察に捕まらなかった』の?」
「そのことは、多分これまでの海鉾ちゃんの中での常識から考えると、この世界の誕生や破滅くらい信じられないことだと思う」
「それでもいい」
「……この世界には、『“警察”という存在は実在していない』」
「……え……ええ!?」
「そもそも、冥加くんの別人格が引き起こした連続怪奇事件さえなければ、私たちが住んでいるこの世界はPICの装着義務や刑法の一新によって犯罪が起きにくくなり、大規模な区画整備によってありとあらゆる事故も起きなくなった」
「……」
「そんな完全完璧な世界では、もはや『警察』は概念でしかない。テレビや記事などによって警察の有能さを世間に知らしめ、軽い犯罪行為でも万死に値するような状況を作り出してしまえば、警察が実在する理由はなくなる。実在していても実在していなくても、世界中の大半の人々は警察は実在していると思い込んでいるのだから」
「で、でも、交番だってあるし、これまでの事件のときだって――」
「もちろん、警察という大型の組織が実在していないだけで、それらが丸々実在していないわけではない。大きな犯罪は起きなくても軽い犯罪は起きるし、警察は実在すると市民に思い込ませるために、日常的にその存在を臭わせる必要がある。だから、ただそこにいることを目的とされた、『警察官のような外見をした一般人』なら何人でも実在している」
「そ、そんな……」
だからこそ、冥加くんはこれまでにその手で四人も殺してきたというのに、警察に事情聴取をされることもなく、警察に張り込みをされることもなく、何よりも捕まることがなかった。わたしも、元々おかしいとは思っていた。
何でPICがあるのに、赴稀ちゃんが殺された日の晩に冥加くんが人工樹林の中にいたのだということを誰も知らないのか。普段ならばまず起きないはずの連続怪奇事件だというのに、ドラマみたいに警察が大型の調査をしに来ないのか。不思議で不思議で仕方がなかった。
でも、それらもまた、今の誓許ちゃんの台詞によって全て解決されてしまった。
この世界には、ドラマみたいな『警察』としての働きを持っている『警察』は存在しない。全てはこの世界が完全完璧であることを世間に知らしめることによって、何者かが警察の存在を偽った。理由も目的も分からないけど、理に適っているといってしまえばそこまでだ。
それからおよそ十分程度、わたしは誓許ちゃんから誓許ちゃんの知っていることを大体全て聞いた。
この世界はつい一週間に作られたばかりであり、その世界はわたしたち友だちグループのメンバーが残り少なくなると破滅へと向かうこと。また、赴稀ちゃんはなぜかそのことを知っており、冥加くんのもう一つの人格という存在が次々とみんなのことを殺していくこと。そして、その一連の出来事は一部多少の変化はあるものの、新しく生まれたどの世界でも起きているということ。
どれも、それまでの常識を考えればまるで信じられないようなことばかりだった。でも、今のわたしにはそんな信じられないことを信じるしか道はない。
わたしの勘違いによって死ぬことになってしまったみんな、そして冥加くん。もう一度、みんなと出会ったばかりの楽しかった日々に戻りたい。そうなれば、わたしも冥加くんに本当の気持ちを打ち明けられるはずだ。
みんなへの償いのようなそんな気持ちの中、わたしは誓許ちゃんに説明されたことの全てを受け入れ、今回の世界では誓許ちゃんがしていた『伝承者』という存在を引き受けることになった。
「それじゃあ、また……」
「まあ、次に海鉾ちゃんが会う私は今ここにいる私ではないんだけど……でも、みんなによろしくね。そして、今回の世界でわたしが防ぐことができなかった惨劇をどうか、防いでほしい」
「うん……頑張る……よ」
『伝承者』は同一の世界に二人以上存在できないようになっている。どうやら、宇宙が終焉を迎える際に例外としてその形を維持することができる『箱』には一度入ると二度と入れなくなるらしいから。
それに、もしその世界で誰かにこの世界の秘密を話そうものなら、冥加くんのもう一つの人格に殺されてしまし、僅かに残っている希望さえも完全に失ってしまう。そうなってしまえば、後に残るのは絶望だけだ。わたしたち友だちグループのメンバーは死亡し、この世界もまた新たなる誕生をしないまま終焉を迎える。
だから、わたしはやり遂げる必要があるんだ。
「……ばいばい……元気でね……みんなを助けて……」
わたしが『箱』の中に入り、ついにその扉が閉められる直前、誓許ちゃんのそんな声が聞こえる。見てみると、そこには儚い一人の少女が涙を零しながら優しそうに笑っていた。その表情からは、惨劇を防げなかったという後悔や次の『伝承者』が見つかったことに対する安堵の感情が見られた。
そして、『箱』の扉は完全に閉ざされる。
「誓許ちゃん……!」
わたしが誓許ちゃんの名前を呼んだとき、もう誓許ちゃんの姿は『箱』の扉に閉ざされて完全に見えなくなっていた。また、その直後、『箱』が人工樹林の地面から生えてきたときとは比べ物にならないほどの大きな地響きがわたしを襲う。おそらく、例外な存在である『箱』を除いたこの世界が崩れ始めたのだろう。
もう、わたしが……わたしたちが住んでいたあの世界に戻ることはできない。もう二度と、あの幸せな日々に戻ることはできない。今度は、このわたしが惨劇を回避させてみんなを救う。
これ以上、つらい思いはしたくないから。これ以上、後悔をしたくないから。そして、これ以上、大切な人が苦しみ、悲しみ、殺されるのを見たくないから。
そのとき、それまでは真っ暗で何も見えなかった『箱』の内部が、不意に明るくなる。その光源の方向、つまり『箱』の天井を見上げると、いつの時代のものかは分からないけど小さなランプが一つ取り付けられていることが分かった。
それ以外には、何も――、
「……え」
わたしは思わず、目を疑った。天井から視線をずらしたとき、その目の前にあるのは『箱』の扉のみ。また、わたしの四方は全てその扉を含めて四つの壁によって外界との接触ができないようになっている。でも、確かにそれはあった。その扉の全てに、びっしりとそれは書かれていた。
「……これは……みんなの……『記録』だ……」
わたしが入っていた『箱』の内部には、それまでに『伝承者』になったわたしたち友だちグループみんなが書いたと思われる、それぞれの世界での出来事が数え切れないほど膨大な量書かれていた。
どの世界では誰が『伝承者』であり、その次に誰が『伝承者』なったのか。また、その世界では誰がどのような順番でどのような死に方をしたのか。それまでの世界で分かっていなかったことのうち、どのようなことを確かめることができたのか。
そんな、みんなの命と願いを引き換えにして得られた記録。わたしは、それを見た瞬間に、それまで以上に感動と切なさによって涙が溢れ出たことが分かった。もちろん、それらの記録には誓許ちゃんの記録や冥加くんの記録、そして、以前の世界にいたわたしの記録もあった。
そのとき、不意にわたしの足元に、一本の油性ペンが当たった。わたしはそれを拾い、今のわたしの気持ちを伝えるため、もし次の世界でわたしが惨劇を回避できなかったときのために、わたしが知りうる全てのことをそこに記した。
みんな、ごめんね。わたし、頑張るから。
第二章 『Chapter:Neptune』 完