第二十九話 『逆転』
放課後。わたしは冥加くんからこれまでの事件のことを聞くために、本当の気持ちを聞くために、その冥加くんのことを人通りの少ない空き教室に呼びつけた。
そして、そのとき。冥加くんの好きな女の子がわたしではなく誓許ちゃんだということが判明し、冥加くんの犯行を手伝っていたのも全てわたしの勘違いだということも判明した。それによってわたしが自暴自棄のような状態になっていたとき、ふとわたしが発した台詞に、普段とは様子が全く異なるあの冥加くんがわたしの目の前でその怒りを顕にしていた。
「……え……? 何、どういうこと……?」
「それはこっちの台詞だ! 何で……何で、みんなのことをあんな悲惨な姿にしたんだ!」
「そ、それは……冥加くんが赴稀ちゃんのことをバラバラにしたり、葵聖ちゃんのことを殺しかけていたのを見て、それでわたし……てっきり冥加くんがわたしに何かメッセージを送っているものだとばかり……」
「メッセージだと? そんなこと……この俺が、するわけないだろ! それに、俺は地曳の死体をバラバラにしてなんかいないし、天王野に致命傷を与えてもいない!」
「え……?」
冥加くんは、その怒りをまるで抑えきれないといった様子で、一言一言を力強く乱暴にわたしに言い放つ。そのどれもがわたしの心に大きな衝撃を与え、冥加くんが必死に何か大事なことを訴えかけているようにすら思えた。
その中でも、赴稀ちゃんと葵聖ちゃんの事件についての冥加くんの台詞は、どうしても引っかかる部分があった。
わたしが見た赴稀ちゃんの死体は確かにバラバラであり、わたし同様にその事件現場を目撃したらしい葵聖ちゃんもそう証言していた。そして、赴稀ちゃんを殺したのは当時の事件現場とその周辺の状況や今の冥加くんの台詞からも分かる通り、すでに冥加くんであることが確定している。
それなのに、冥加くんは『俺は地曳の死体をバラバラにしてなんかいない』と言った。その台詞は嘘にも演技にも聞こえず、それ以前に、今の状況でわざわざ嘘をつく理由が見当たらない。ということはつまり、冥加くんは赴稀ちゃんを殺したけど、死体はバラバラにしていない、と結論づけてもいいはずだ。
あと、わたしが下校中に教室に引き返したとき、葵聖ちゃんは全身血まみれだったけど、かろうじて生きながらえていた。だから、わたしはてっきり冥加くんがわたしにメッセージを送っていたものだとばかり思っていた。だからこそ、わたしは葵聖ちゃんにとどめを刺して、その死体をより悲惨なものに変えたというのに。
でも、これもまた冥加くんは否定した。当時の事件現場の状況からしても、今の冥加くん自身の発言からも、葵聖ちゃんを殺しかけたのは冥加くん以外には考えられないのに、冥加くんは『天王野に致命傷を与えてもいない』と言い切った。
これまでの連続殺人事件は、冥加くんはわたしが冥加くんの犯行を手伝っていたことに気づいておらず、ただ単純にわたしが勘違いしていただけだった、という結論で構わないと思う。
でも、そうなってしまうと、少なくともわたしはそんなくだらない結末に納得などできるわけがないし、そもそもわたしが推理できていたと思っていたことが予想の斜め上をいくような全然違うものだっということについても、全く理解が追いつかない。
わたしは考える。しかし、わたしにはもう、そんな時間など残されてはいなかった。冥加くんの台詞に絶句し、わたしが思考を開始してからまもなく、不意に冥加くんは自分の制服の内ポケットから一本のナイフを取り出した。これまでに死んだ六人の内で沙祈ちゃんと水科くん以外の、冥加くんが主犯である殺人現場に残されていた、あのナイフとほぼ同じ外見のものだ。
「……今回もまた、俺たちは失敗した……俺はあと何回、こうして友だちを殺さなくてはならないんだ……土館の思いによってやり直すことが可能になったこの世界だが、俺が意識を保っていられる時間も限られていて、その時間も徐々に短くなっているというのに……あと何回、やり直せば……」
「みょ、冥加くん……?」
自分の制服の内ポケットから取り出したナイフを右手に握り締めながら、冥加くんは顔を俯けて、その表情がわたしに見えないようにぶつぶつと独り言を呟く。その声の音量があまりにも小さかったため、大半がわたしの耳には入ってこなかったけど、何かを言っていたということは認識できた。
特に何か変わったことが起きたわけでもなく、そのまま数十秒間が経過した。冥加くんは未だに顔を俯けて何かを呟いているばかりであり、一方のわたしは机の上に置いてあった自分の学生鞄を取り、そんな冥加くんから一歩ずつ後ずさりをしながら冥加くんのことを心配そうに眺めているしかなかった。
しかし、それまでは動く気配すら感じなかった冥加くんが、突如として顔を上げてわたしのことを凝視したかと思うと、次の瞬間にはわたしが少しずつ広げていた二人の距離を走って一気に詰め寄ってきていた。
突然のことに驚いたわたしは何も抵抗することができないまま、冥加くんの左手に首を押さえつけられ、気づくと教室の壁に押しつけられていた。
「俺は……俺は……こうするしかないんだ……みんなのために、この世界の秘密を守るために……!」
「……ぁ……あっ……がぁっ……」
冥加くんは今にもわたしの首を捻り潰すかのように力を込めて、怒っている、しかし泣きそうな表情をしながら右手に持っているナイフを構える。
そんな冥加くんに反してわたしは、普段ならば冥加くんから近寄ってきてくれたことに喜びを感じるかもしれなかったけど、今回ばかりは首を掴まれていて、しかも足がついていない状態で首を絞めらていたから呼吸が満足にできていなかったため、そんなことを考えている余裕すらなかった。
どうにかして冥加くんの左手をどかさなければ、このままでは呼吸困難で窒息死してしまう。いや、たとえ窒息死しなかったとしても、冥加くんがナイフを持っている限り、わたしの命は決して安全だとはいえない。
そのとき、わたしはある一つのことを思い出した。そういえば、わたしの学生鞄には、霰華ちゃんから『透明な強化ガラスの一部設定を変更できるパスワード』とセットで貰った『特殊拳銃』があったはず。パスワードのときもそうだったけど、こんなものを、まさか使うとは思いもしていなかった。
でも、今使わないと、わたしが殺される……!
わたしは、わたしのことを殺そうとはしているものの、今のところはまだ躊躇いが見られる冥加くんの気を必死に逸らしながら、さっき冥加くんから後ずさりしていたときに取っておいたわたしの学生鞄を開き、そこから手探りで特殊拳銃を取り出した。
「……!?」
わたしが特殊拳銃を取り出した瞬間、冥加くんはわたしの首を掴んでいた左手を離し、大きく一歩後退した。わたしは取り出した特殊拳銃を離さないようにしっかりと握り締めながら、数十秒ぶりに空気がのどを通る感覚を得た。
「ゴホッ……ゲホッ……!」
自分で意図して息を止めるだけならば数十秒くらいどうってことはない。でも、それが唐突に、しかも力強く首を絞められた状態で続いていたとなると話は別だ。わたしは、わたしから数メートルの距離がある場所に離れた冥加くんの状態を確認することもなく、咳き込みながらも、必死に呼吸を再開する。
かろうじて、わたしは窒息死だけはせずに済みそうだった。しかし次の瞬間、わたしは、そのときのわたしの判断は間違っていなかったはずだったのに、冥加くんの状態を確認しなかったことだけが唯一間違っていたということに気づくことになる。
「……が……はっ……!」
わたしが次に顔を上げたときにはすでに手遅れだった。ようやく満足に呼吸をすることができたわたしは、わたしが右手に握り締めていた拳銃に警戒して少し離れた場所にいた冥加くんによって教室の床に押し倒され、身動きが取れないように体の上に乗られて腕や足を拘束された。
冥加くんは震える右手でナイフを持ち、それをゆっくりとわたしの体に突きつけようとする。しかし、傍から見てもその行動には迷いがあることがよく分かり、もしかしたらと思ったわたしは、無意味かもしれなかったけど、抵抗することにした。
「……だめ……やめて……冥加くん……!」
「……」
「……わたしは……わたしは冥加くんのことが好きだったのに、それだけだったのに……何でこんなことに……」
「……!」
わたしがその台詞を発した直後、一瞬だけ冥加くんの表情が変わり、少しばかり体が揺さぶられたような気がした。さらに、その際にわたしの腕や足の動きを制限していた拘束が僅かに解かれ、右腕だけならかろうじて動かせるようになる。
人としての生物的な生存本能に影響されてなのか、わたしはその隙を見逃すことなく、さっき冥加くんに押し倒されたときに手から離してしまった特殊拳銃を拾い、それを迷うことなく冥加くんの頭部に殴りつける。
直後、わたしの目の前から痛々しい鈍い音が聞こえ、真っ赤な血しぶきがわたしの顔面に降りかかる。
「……っ」
わたしに特殊拳銃を殴りつけられたことにより、冥加くんは痛みを堪えるかのようにその部分を空いている左手で抑える。と同時に、それまでの『普段とは様子や雰囲気が異なる冥加くん』が消え去ったとでも表現するべきなのか、冥加くんの目の色が変わったように思えた。
「冥加くん! わたしは……わたしはずっとあなたのために、あなたに認識してもらうためだけにしてきたの! だから、わたしのことを……」
「……え……」
わたしは嘘でも演技でもなく、ただただ純粋な気持ちを再度冥加くんに言う。また、これまでのわたしの過ち、今の状況、どうしてこんなことになってしまったのかを思い出すごとにわたしの涙腺は緩んでいった。でも、状況が状況だったため、涙が流れていたのかということを確かめる余裕は残されていなかった。
わたしの必死の抵抗と冥加くんの意思を少しでも揺さぶろうとするその台詞に、冥加くんは焦っているような、戸惑っている表情を見せながら、一言だけそう呟く。もしかして、今わたしの目の前にいる冥加くんは、わたしが知っているあの冥加くんにようやく戻ってくれたのではないだろうか。そんな考えも過ぎった。
しかし、わたしのそんな考えも、ふと気づいたときには無に帰していた。一瞬だけ普段の雰囲気の冥加くんに戻ったと思ったのに、それさえもわたしの勘違いだったのではないかと思ってしまう。
冥加くんは雰囲気が変わる前までの行動を再開する。すなわち、冥加くんは右手に握り締めているナイフを冥加くんに乗っかられているわたしに振り下ろす。
「……っ!? 冥加く――」
何か状況を打破することもできず、他にどうすることもできない。もしかすると、わたしは本来、ここで死んでいたのかもしれない。走馬灯と呼ぶべきなのか、それともそれとは違う何かなのか。そんな様々な記憶や思い出が次々とわたしの脳裏に過ぎる。
冥加くんの右手に握り締められているナイフがわたしの体を一直線に目がけて振り下ろされている。しかし、わたしはそれよりも早く、冥加くんの右腕に特殊拳銃の照準を合わせ、発狂しながら引き金を引いた。
「……い、いやああああああああ!!!!」
わたしが特殊拳銃の引き金を引いた一瞬後、照準に合わされていた冥加くんの右腕は、その内部に爆弾を仕込まれてそれを爆破されたのではと思えるほどの爆発を引き起こした。
わたしの体に振り下ろされていたナイフもその爆発とともにどこかへと吹き飛ぶ。それによって、辺りには冥加くんの右腕の肉片や骨の破片が無残にも飛び散り、わたしや冥加くんの体に大量の血液が降りそそぎ、辺り一面が真っ赤に染め上がる。
「あが……ぐぎがあぁああああああああああああ!!!!」
実質的に何の前触れもなく右腕を木っ端微塵にされ、おそらく刃物などで切断されるよりも強烈で耐え切れないような痛みを受けた冥加くんは、ただの肉片と化して辺りに散らばった自分の右腕が元々あった部分を押さえ、発狂しながらわたしの体の上から離れて教室の床の上でのた打ち回り始めた。
その様子から、右腕を特殊拳銃で爆破されたことがどれだけ痛かったのかということがよく分かる。しかし、わたしはどうすることもできず、ただただ呆然とその場にへたりこんでいるしかない。
「……ど、どうしよう……」
本当はこんなことをするはずじゃなかったのに、何でわたしは冥加くんのことを特殊拳銃で撃ったのだろう。わたしはただ、冥加くんに認めてもらいたかっただけだったのに、何で。
そんな、答えの出ない自問自答を繰り返していると、ついさっきまでは教室の床の上でのた打ち回っていた冥加くんが右肩から尋常ではない量の血液を溢れ出させながら、よろよろと立ち上がり、その場にへたりこんでいたわたしのことを睨みつける。
「……俺は……こんなことで諦めるわけにはいかないんだ……俺は……この世界の秘密を守る必要があるんだああああああああ!!!!」
「ひっ……もう……やめてええええええええ!!!!」
右腕を失ったにも関わらず、冥加くんはわたしのことを殺そうとする。冥加くんは右腕を庇いながらも、床に落ちていたナイフを左腕で拾い、そのままわたしのほうへと走ってくる。
でも、わたしはそんな冥加くんに恐怖し、自分さえ生き延びられればそれでいいと思ってしまった。その結果、わたしはさっき同様に冥加くんの体に特殊拳銃の照準を合わせ、学校中に響き渡るほどの大声で発狂しながら勢いよく引き金を引く。
「っ――――」
直後、冥加くんの悲鳴や絶叫が聞こえてくることはなかった。ただ、パァンという何かが弾けたような大きな破裂音が聞こえ、わたしの顔や服などに生暖かくて少し粘着性のある液体が大量に降りかかったような感触がした。
特殊拳銃の引き金を引くときについ目を閉じてしまったため、わたしにはそれが何なのかは分からなかった。でも、今わたしがしたことを思うと、それが何なのかの予測はついていたのかもしれない。
わたしは、硬く閉じていた目を開く。
「……あ……ぁ……」
そこには、わたしが照準を合わせ発砲したために胸から膝くらいまでに大きな穴が空き、そこから噴水のように大量の血液が勢いよく噴き出してしまっている、冥加くんの姿があった。その冥加くんの姿を見たわたしは、突然気分が悪くなり思わず嘔吐しそうになると同時に、多くの後悔の感情を覚えた。
冥加くんは全身の三分の二以上を失い、大量の血液を外界へと噴き出してしまったために、もう指一本動かせないといった様子で、床に倒れこんで静止している。いや、これはもう、状況確認をするまでもなく、生死の確認をするまでもなく、死んでいるといっても問題ないだろう。
しかし、わたしは目の前のこの光景を……わたしの唯一無二の心の支えであり、わたしが世界中の誰よりも好きだった冥加くんが死んでしまった光景を、信じることができなかった。
「……嘘……何で……何で、こんな……う……ぅぅぅぅ……」
わたしは、冥加くんのことを死に至らしめた特殊拳銃を適当に投げ捨て、教室の床に倒れている冥加くんの元へと駆け寄る。そして、今はもう二度と開くことがないその目を一瞬だけ見た後、返り血によって真っ赤に染まった右手で冷たくなり始めている冥加くんの顔に二度三度触れる。
そのとき、わたしはようやく自分の両目から溢れんばかりの大粒の涙が、一向に止まる気配も見せないまま流れ落ちていることに気づいた。
「わたしは……冥加くんに気づいてほしかっただけだったのに……あのときの約束を思い出してもらって……また二人で遊びたかっただけだったのに……どうして……」
大量の返り血を浴びていたわたしは、元々着ていた制服の色が何色だったのかすら分からなくなるほど全身真っ赤に染まっていた。また、そんなわたし同様に、元々利用する目的がなくしばらくの間何の変化も訪れていなかったこの空き教室も、一面真っ赤に染まっていた。
あとに残ったのは、大量の血液で一面真っ赤に染まった空き教室と、全身の三分の二以上を失ってその床に倒れている冥加くん、そしてただただ後悔と絶望をすることしかできなくなったわたしだけだった。
「ああああああああああああああああ!!!!」
無残な死体と化した、大好きだった冥加くんの死体のすぐ隣にへたりこみながら、わたしは力強く頭を抱えて大声で泣き叫ぶ。
わたしは、自分がこれまでにしてきたことが全て無意味になってしまったことを知り、勘違いや思い上がりだったのだということを知る。わたしは、世界中の誰よりも好きだったただ一人の心の支えを失い、三年前同様に再びこんなくだらない世界で生きる意味を失った。
わたしは思い出す。
冥加くんは何か特別な理由があったとしても、その大切な友だちを殺すような残虐非道な人ではなかった。冥加くんは誰にでも優しくて、明るくて、困っていたら助けてくれる男の子だった。
それなのに、わたしは何で勝手に冥加くんが犯人だと決め付けて、冥加くんがわたしにメッセージを送ろうとしているだなんて勘違いをしたのだろう。冷静になって少し考えてみれば、それくらいのことすぐに分かったはずなのに。
そんな些細で誰にでも分かるようなことをわたしは理解できなかった。わたしの、冥加くんに対する想いが強すぎたばかりに。
その結果、わたしは冥加くんのことを知らず知らずのうちに苦しめ、高校生になってようやくできたたくさんの友だちのことを裏切り、欺き、そして傷つけた。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……!
わたしは、何て酷いことをしてしまったんだ。
「……もう嫌だ、こんな世界……こんな人生……こんなわたしが……!」
わたしはこんなくだらない世界やこんなくだらない人生に怒りを覚え、それらをぶち壊したくなるような衝動に駆られた。しかし、それ以上に、わたしは自分自身のことが憎くて憎くて仕方がなくなった。大好きだった冥加くんを殺しただけでなく、友だちみんなのことさえも巻き込んでしまった、わたし自身のことが。
教室の床に出来上がっている真っ赤な水溜りの上から、同様にして赤く染まっているナイフを拾う。ナイフを手に取ると、その周囲にあった血液の量があまりにも多かったせいで、ポタポタという音を立てて赤い雫が真っ赤な水溜りに滴り落ちる。
そして、わたしはかつて自分の家で自殺しようとしたときのように、しかし今度は絶対に失敗しないように、ナイフの刃先を自分ののど元に向ける。
「……海鉾ちゃん……」
そのとき、不意に一人の少女の声が聞こえた。