第二十二話 『追跡』
今朝、誓許ちゃんの提案によってわたしは冥加くんに、冥加くんのことを犯人だとは思っていないこと、そして、冥加くんのことを疑わないということを言った。どちらもわたしの本心ではなく、あくまで誓許ちゃんに疑われないようにするために仕方なくしただけのことだ。
あんな台詞を言ったことによって、少なからず冥加くんは混乱してしまったことだろう。おそらく、冥加くんも自分が犯人であるという真実をみんなが薄々気づいているということくらい分かっていたとは思うけど、わたしや誓許ちゃんからあんなことを言われたのだから、訳が分からなくなっても何ら不思議ではない。
わたしとしては、いくら嘘の台詞を演技で言ったとしても、いくらそのうち冥加くんにそのことを伝えるとしても、やはりあんなことは言いたくなかった。一時的にだけど、わたしがこの一週間にしてきたことが無駄になってしまうのだから。
わたしが不本意ながら冥加くんにそんなことを言ったり、続けてストレス発散のために水科くんに余計なことを吹き込んでから、およそ十四時間が経過した。
現在時刻は午後十時を少し過ぎた頃。今日は誓許ちゃんのせいで余計な行動を取ってしまったということもあり、状況整理に少しばかり手間取ってしまった。
みんなには、わたしと冥加くんが犯人ではないと思わせておいて、かつ、冥加くんにはわたしが冥加くんの犯行をサポートしているということを伝える。簡単に言っているようで、実は難しいこのことを実現させるには、それなりの計画を立ててこれからのことに挑む必要があるのだ。
とりあえず、今日は様子見ということで、最近はあまりできていなかったから、冥加くんの家の近くに行こうと思う。まあ、していることだけを客観的に見るとただのストーカー行為に他ならないわけだけど、わたしにとっては大きな意味があったのだった。
わたしは自室のドアを開け、明かりが点いていない薄暗い廊下に出る。人の話し声も何かの物音も聞こえてこない静かな空間。あの頃のわたしが真に望んでいたのはこんな場所だったのだろうけど、昔とは違って今ならこんな場所はいくらでも存在している。
夜遅い時間帯だからといって、周囲に気を遣うつもりはない。だからといって、大きな音を立ててすでに眠りに就いている人を妨害しようとも思わない。ごく普通に、学校に行くときのように、わたしは玄関のドアを開ける。
と、そのとき。不意に明かりが点いていない薄暗い廊下が天井にある蛍光灯によって明るく照らされた。突然明るい光が目に入ったことで少しばかり眩みながらも、わたしは目を開け、廊下の先に立っている人物の姿を見た。
わたしがその人物を無視してそのまま家の外に出ようとしたとき、それを引き止めるかのようにその人物はわたしの左腕を掴み、話しかけてきた。
「矩玖璃……あなた、毎晩どこに行っているの……?」
「……別に。そんなこと、どうでもいいでしょ」
わたしの左腕を掴み、わたしの行動を妨害しているのは、わたしのお母さんだった。お母さんはなぜか悲しそうな、つらそうな表情をしながら続けてわたしに言う。
「ど、どうでもよくなんてないわ……わたしは、あなたの母親だから……」
「……あっそ。わたしが小さい頃は全然構ってくれなかった上に、毎日毎日お父さんと喧嘩ばかりして、挙句の果てにわたしのことをあんな場所に入れたのは、どこのどいつだったっけ?」
「……っ!」
「それに、わたしくらいの年ならむしろ何時にどこへ行こうとわたしの勝手でしょ? 今さら母親面されてもウザいだけだし、正直気持ち悪い」
「矩玖璃……!」
「何? まだ何か言いたいの? というか、そろそろ手、離してよ。これ以上わたしの人生に介入すると、また『自殺する』よ?」
「……」
わたしは無表情のまま、何か汚いものでも見るかのような目をしながら、お母さんを見る。お母さんは必死にわたしに語りかけようとするけど、わたしが『自殺する』という言葉を出した瞬間に絶句し、わたしの左腕を掴んでいた手を離した。
わたしは、そのままその場で硬直し何も言わなくなったお母さんのことを一瞥し、お母さんに引き止められる直前と同様に玄関のドアを開け、家の外へと出た。その後には、今にも泣きそうな表情のお母さんが残っているばかりだった。
せっかく気分よく冥加くんがいる場所に行こうとしていたのに、余計な介入が入ってしまったことに少しばかり苛立ちを覚えながらも、わたしは冥加くんが住んでいるマンションを目指して歩き始めた。
さっきの状況こそが、まさしく今の海鉾家の状況を綺麗に表しているといえるだろう。
三年前、わたしが自殺未遂をした後、わたしが例の施設に連れて行かれたのは、わたしの両親がその施設からの申し出を受け入れたから。だから、わたしはそれを拒む権利さえ与えられず、知らされることもなかった。まあ、このことを知ったのはわたしが施設から出て、しばらく経った頃なんだけどね。
それからというもの、わたしとわたしのお父さんとお母さんの立場は一変した。
それまでがどうであったとはいえ、やはりお父さんとお母さんにとってわたしは大切で可愛い一人娘なのだ。そんな娘が自殺しようとして、それの大きな原因が自分たちの夫婦喧嘩であると知った二人はわたしが施設から出てきた後は、一度たりとも喧嘩どころか口論を繰り広げることさえしなくなった。
それに加えて、わたしが例の施設でそれまで以上に酷い体験をしたということを知り、そんな施設に入れてしまったことを二人はわたしに謝った。しかし、わたしはそれを許さなかった。
二人が喧嘩をしなくなったからといって、二人がわたしに謝ったからといって、わたしのそれまでの時間が帰ってくるわけではない。確かに、冥加くんに出会えたということはわたしの人生をプラスの方向に大きく傾けるものだったけど、それ以外は全てマイナスの出来事ばかりだったから。
わたしがそれまでに生きてきた十三年間で、ほぼ毎日夫婦喧嘩をして、それによって醜い姿を晒し、場合によってはわたしや相手を入院にまで追い込んだあの二人のことを誰が許せるというのか。もし、誰かがわたしの立場であっても、今のわたしと同じようなことをするはずだ。
『子どもが酷い目に会ったから、それまではバラバラだった家庭が元通りになった』なんていうものはただの幻想だ。そんなものは、ドラマとかの作り話だけでしか起こりえない。現実はそううまくはいかないのだから。
そして、わたしが二人のことを一生許さないと言った後、二人はわたしに何も言わなくなった。わたしが施設から出てきた直後は色々とチヤホヤしてくれたりもしていたけど、それもなくなった。
別に、わたしが両親に見放されたわけではない。ようやく、わたしは両親と関わらずに済むようになったのだ。これこそがわたしが真に望んでいた、誰にも干渉されない平和で静かな日常だった。
両親に干渉されなくなってから、わたしは高校生になり、友だちもでき、そこで冥加くんに再開した。不満がなかったといえば嘘になるけど、それでも毎日が楽しかった。
だけど、わたしのそんな毎日を再び妨害するかのように、さっきみたいにお母さんは何かとわたしの人生に介入しようとする。お父さんとはもう何ヶ月も話していないけど、お母さんはあんな感じでよく話しかけてくる。
でも、その度にわたしはお母さんに『自殺する』と言う。そう言うと、お母さんは口篭もり、その日はもう何も言わなくなる。
わたしみたいな娘のどこに愛着が沸くのかは知らないけど、少なくともわたしが『自殺する』と言うたびに悲しそうな表情をしてくれる間は、わたしの人生に介入しないでほしい。今のわたしに必要なものは全部わたしが集めるから。だから、放っておいてほしい。
それが、今のわたしにとって、一番幸せな人生だから。
わたしはただただ無言のまま、両親のことについて考える以外は何かをするわけでもなく、冥加くんが住んでいるマンションを目指して歩いていた。そして、ついにそこへと辿り着いた。辿り着いた先も、それまで歩いていた道と同様に薄暗かった。
わたしは、わたしがいつも冥加くんが住んでいるマンションの近くに来たときに、冥加くんを待つために利用している物陰に隠れ、冥加くんが出てきてくれる可能性にかけて待った。
もし、今のわたしのことを誰か歩行者が見つけたとしたら、すぐにでも不審者として通報されてしまうだろう。まあ、夜遅くにこんなところに女子高校生が一人で立っているなんてことがあれば、誰だって不審に思うだろうし、仕方ないかもしれないけど。
わたしがここに来て、およそ一時間くらいが経過した。今日もまた、冥加くんが家から出てくる気配はなく、いつも通りといえばいつも通りな時間が過ぎた。でも、冥加くんがわたしの近くにいるのだと思うと、嬉しい気持ちになった。
「……今日は、もう帰ろう」
ここに来る直前に、お母さんのあんな表情を見てしまったからなのか、気づくとわたしはそんな一言を呟いていた。しかも、そう呟いた後、わたし自身が少し驚いてしまった。
わたしはもう両親とは関わりを持ちたくないはずなのに、何でお母さんのことを思い出してしまったのか。そして、何でそのお母さんのために、早めに家に帰ろうなどと思ってしまったのか。自分の感情がどういう方針でどこに向かっているのかが理解できずに、わたしはしばらくその場で立ち竦んでいた。
するとそんなとき、不意に冥加くんが住んでいるマンションから一人の人物が出てくるのが確認できた。わたしはその人物を確認した直後、一言だけ小さく呟く。
「冥加くん……!」
気持ちの整理がつかず、もやもやとしていたわたしの心は、マンションから出てきた冥加くんの姿を見た瞬間にパアッと明るくなった。
そして、何で今冥加くんが家から出てきたのかは分からないけど、とりあえず、冥加くんの後を追おう。そう思ったとき、不意にわたしの左腕が何者かに掴まれた。