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オーバークロックプロジェクト-YESTERDAY   作者: W06
第二章 『Chapter:Neptune』
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第二十一話 『約束』

 今から約三年前、わたしがまだ中学一年生と中学二年生だった頃の話だ。


 今では、完全完璧であると謳われているこの世界に住むごく平凡な一人の女の子として、特に家庭的な問題はなく、良好な友人関係に恵まれているわたしだけど、当時のわたしは決してそんな幸せな状況にはなかった。むしろその正反対で、自分でいうのも何だけど、非常に不遇な状況にあったとさえいえるだろう。


 当時のわたしは、何らかの原因や生まれ付きのもので精神疾患を抱えている若者や精神が常人とは大きくかけ離れている若者が集められている、いわゆる精神患者専用の学校のような場所に収容されていた。


 収容なんて言い方をすると少し物騒に感じるかもしれないけど、そこでの希望のない生活を体験したわたしにとってはこの言い方が最も適切であると思うことができる。


 本当はそんなところになど行きたくもなかったのに、わたしは無理矢理そこへと連れられた上に、何年間も両親と離れ離れにされた。そんなつらくて苦しい経験があったのだから、少しばかり嫌味な言い方をしても許されるはずだ。


 当時は第三次世界大戦が終戦を迎えてから十年くらいが経過した頃であり、陸地の開拓やそれ以外の事業に関しても、今とほぼ同じくらいにまでこの世界のあり方は復興を遂げ、進化していた。


 また、戦争中に幾度となく使用された核爆弾によって世界中の多くの人に様々な悪影響が及ぼされた。おそらく、その悪影響が若者の脳にまで及び、精神疾患を引き起こしているのではないか、と世界各国の偉い人たちは考えたのだろう。


 だからこそ、わたしのような精神疾患の度合いが比較的マシな部類に入る若者でさえも、そんな精神患者専用の学校のような場所に収容されるはめになってしまったのだ。


 もちろん、このことについては彼、すなわち冥加對くんも含まれている。


 さて、前置きはここまでにしておくとして、なぜ当時のわたしは精神患者であると判断され、そんな場所に連れて行かれたのか。当然ながら、そのことについても列記とした理由がある。


 中学一年生の頃、わたしは自宅で自分の首にナイフを突き付けて『自殺しようとした』。


 これがそのことに対する大きな理由であるといえるだろう。では、なぜわたしは自殺しようとしたのか。その当時のわたしの体や心に何があったのか。それについて、順を追って説明していこう。


 わたしの両親は昔から非常に仲が悪く、わたしの家では日常的に怒り声や泣き声が途絶えることはほぼなかった。常に家中の物が室内を飛び回っているような状態だったのだ。


 わたしが生まれる前からそうだったのか、その後からなのか。戦争が終わる前からそうだったのか、その後からなのか。正確な時期はよく覚えていない。


 ただ、わたしはわたしの両親が仲良く笑い合って過ごしているような光景を一度たりとも見たことがなく、二人が物凄い形相で相手を言葉や物で傷付けようとしているような光景を眺めたことしかなかった。


 今のわたしが思い出せる限りでは、わたしがまだ生まれたばかりの頃から、わたしが自殺未遂をするまで、幾度となく毎日のようにそれは繰り返されていたような気さえする。つまり、それほどまでにわたしの両親の夫婦喧嘩の発生頻度や衝撃は、当時のまだ幼いわたしに強い絶望感を与えた。


 しかも、時には、一日の内で一回だけでなく二回も三回もするような日さえあった。また、わざわざそんなことをする必要もないのに、どちらかが何かをする度に、何かを言う度に、もう片方がそれについて言及して喧嘩が発生するときもあった。


 他には、二人が勝手に始めた喧嘩だけど、やはり両親が醜い姿をわたしに晒しているのは見ているとつらいものがあるのでわたしがそれを止めに入ると、二人の怒りの矛先がわたしに向き、最終的にはなぜかわたしだけが攻められている、なんていうときもあった。


 あと、二人は相手のことを言葉で傷付けるだけでは飽き足らず、家中にある物を投げたりして相手のことを傷付けようとした。そして、その度にほぼ必ずどちらかが大怪我をして、現代医学を駆使しても完治まで時間がかかるような状況になったことさえあった。


 現に、二人の入院回数はさておきとしても、そのときの流れ弾が二人の醜い姿を眺めていたわたしに当たり、部外者であるわたしが入院したこともあった。わたしが覚えている限りでは、たぶん五回くらい。でも、頭に何か硬い物が飛んできたこともあって、記憶が抜けているときもあるかもしれないから、もしかすると六回以上入院していたかもしれない。


 こんな最低最悪な家庭状況であったため、わたしは家庭や家族や両親といった、一般的で平凡で普通な子どもならば大抵は知っている、その温もりを感じたことがなかった。きっとそんなものは、勉強や物語の中だけのものだと思っていた。


 わたしが自殺しようとしたことの大きな理由はこのこと。つまり、わたしの両親によって毎日のように幾度となく繰り返される激しい喧嘩によってもたらされた過度なストレスによるものだ。でも、それだけではなかった。


 わたしはそんな酷い家庭状況にあったからなのか、自宅以外の場所にいるときは体も心も休めることができると考え、良好な友だち関係を築くことには目もくれずに、その大半の時間を睡眠に時間を費やしていた。


 家に帰るとまた両親の喧嘩を眺めていなければならない。わたしの家は大して大きくないから、わたしの部屋に篭っていても、怒り声や泣き声は聞こえてくる。しかも、前と同じように二人の怒りの矛先がわたしに向いて、何日も入院しないといけないくらいの大怪我を負わされるかもしれない。


 そんなことを考え始めると頭が痛くなり、胃が痛くなった。そして、その思考は終わりを迎えることはなく、簡単に日が暮れてしまうほど膨大なものだった。だからこそ、わたしにとって、学校で一人机に突っ伏して眠るという時間は格別なものだったのだ。


 悪夢を見るときだってあるけど、それは現実ではないと分かっていたから割り切ることができた。いや、どんな夢を見たなんてことはこの際関係なかった。ようは、わたしは誰にも邪魔されず、静かに一人で生きていける場所がほしかっただけだったのだ。


 でも、そんなわたしの特別な時間さえもわたしの周囲にいる人間は奪った。


 わたしは小学生の頃から、学校にいる間は授業中も休憩時間も睡眠に費やしていた。学校の先生たちはわたしの家庭状況を知っていたから少しばかり多目に見てくれていたと思うけど、クラスメイトはわたしが置かれている立場なんてお構いなしだった。


 わたしは、クラスメイトから酷いイジメを受けていた。


 小学生の頃はまだ我慢できる範囲だったけど、中学生になり、学校全体の人数や増えるとそれは次第に加速していった。学校にいる間はほぼ一日中寝ていたわたしは友だちなんて誰一人としてできるわけもなく、学校の先生が見ていない隙を狙って、クラスメイトは何度もわたしに酷いことをした。


 これも、一つずつ言い始めたらキリがない。小さなことから大きなことまで、それは毎日少しずつヒートアップしていった。そして、最終的には……いや、ここから先はあまり思い出したくない。


 中学生になってすぐの頃から小学生の頃までとは比べ物にならないようなイジメは始まり、半年くらいが経ったとき、わたしはそれまでにわたしに酷いことをしてきたクラスメイト全員に、復讐とばかりに仕返しをした。


 具体的には、自宅にあった適当なバッドを学校に持って行き、出入り口の開閉ができないように細工した教室の中に閉じ込めたクラスメイト全員を、順番に殴りつけたといった感じだ。


 まあ、わたしはこれでも女の子だし、当時はまだ中学一年生だったから大した腕力もなく、何人かは血まみれになったりしていたから病院送りにできたと思うけど、そんな復讐の時間も長くは続かず、開始からものの数十分で学校の先生たちがドアを突き破って教室内に侵入し、取り押さえられてしまった。


 そして、そんなどうでもいいような事件についての事情聴取や両親からの説教も終わった次の日。ついにわたしは、自宅でもそれ以外の場所でも自分の居場所が完全になくなってしまったことや、わたしのことを助けてくれるヒーローなんていないことを悟り、酷く絶望した。その結果、わたしは自宅にあった適当なナイフを見つけ、それを自分の首に突き刺した。


 突き刺した直後、何ともいえない強烈な痛みと、自分の命が急激に死へと向かっていく絶望感を抱きながら、わたしは意識を失った。辺りには、首元の大事な血管を切ってしまったために大量の血液が吹き出し、部屋の一角が真っ赤に染まっていたことだろう。


 今そのときのことを思い出すだけで、首元がむず痒くなる。一応、刺しどころがよかったからなのか、痛みによるショックで気を失った直後に母親にその現場を発見されて病院に搬送されたからなのか、わたしは一命をとり止め、今となってはそのときの傷さえ残っていないほどにまで完治した。


 でも、わたしが自殺未遂をしたという事実だけは残っている。しかも、わたしが自殺未遂をした主な原因が最低最悪な家庭状況によるものや、学校で幾度となく繰り返されていた酷いイジメによるものであることが発覚し、わたしは例の精神患者専用の学校のような場所に連れて行かれた。


 つまり、わたしは精神疾患を抱えている、精神異常者であると判断されたわけだ。どこの誰にそんな判断をされたのかは分からないけど、わたしは自分のことを比較的普通な一人の女の子だと思っていたから、その結論は不本意極まりなかった。


 そして、わたしが連れて行かれた先は、もはや人が住んでいいような環境の場所ではなかった。


 そこでは、わたし同様に精神疾患を抱えていると判断された多くの精神異常者の若者たちが存在していた。毎日のように、その精神疾患を治すための様々な治療を施されたりもした。


 でも、問題はそこではなかった。そこにいた若者たちの中にはわたしのような境遇によって連れて来られた者もいたし、戦争によって家族を失って狂ってしまった者もいた。


 だけど、外からの光が入らず、毎日毎日同じようなことを繰り返され、周囲には犯罪者や異常者ばかりが存在している。しかも、施設の外には家族や友だちがいるという者もいたのだ。


 そんな不安な状況が続いた上に、自分の心を支えてくれる存在がいないとなると、もはや精神疾患の治療なんて不可能だった。周囲の人は誰であっても信じられないし、全ての人ありとあらゆる物が自分を殺そうとする敵に見えてくる。そんな状況だと、余計に若者たちの精神疾患は酷さを増すばかりであった。


 その中には、どうにかして今の状況を打開しようとして、施設を抜け出そうとする者や自殺しようとする者もいた。しかし、すぐに施設にいた先生に捕らえられ、一週間くらい真っ暗な部屋で一人で過ごす、という狂気じみた指導を受けた後、かろうじて意識を保っている状態で開放された。それはもはや、公開処刑といっても過言ではなかったと思える。


 わたしも何とかして今の状況を打開しようとした。わたしはこんなところにいる必要はない、そう考えていたからだ。


 でも、施設を抜け出そうとしても、自殺しようとしても、すぐに取り押さえられてしまう。それぞれの個別の部屋にある監視カメラや左腕に取り付けられているPICがそれを感知するからだ。


 どうすればこの閉鎖的な場所から脱出することができるのか。そう考えていたとき、わたしは彼に出会った。彼もまた、過去に何かがあったらしく、施設の外の世界で色々とあって、この施設に連れて来られたのだという。


 彼と出会ったとき、わたしは最初はわたしと似たような境遇にいて、似たような精神疾患の分類をされていて、気が合いそうだなと思った。でも、それだけではなかった。わたしにとって彼は、いわゆる白馬の王子様のような存在だったのだ。


 あるとき、彼はこう言った。


『施設を抜け出そうとしても自殺しようとしても、取り押さえられてしまうのなら、今の俺たちがするべきことは「一刻も早くこの病気を治す」ことの一つだけだ。だからさ、一緒に頑張ろうぜ。そして外に出たら、一人の友だち同士としてまた遊ぼう』


 その言葉を聞いた瞬間、わたしの中で新たな感情が生まれた。

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