第二十話 『悪巧』
唐突に誓許ちゃんから提案されたその内容に、わたしは驚いていた。そして、誓許ちゃんがそんなことを言った意味を聞いたはずなのに、その目的を理解することができていなかった。
「えっと……それはつまり、どういうこと?」
「……? 今言った通りだよ? 私と海鉾ちゃんで冥加くんに『冥加くんを疑うのをやめた』と言ってみようって――」
「いや、それは分かったんだけど、何でそんなことをするの?」
「……? それも今言ったはずだけど……、分かりにくかったかな。それじゃあ、もう一度だけ言うね」
「うん。宜しく」
誓許ちゃんはやれやれ仕方ないな、と言った調子でもう一度だけわたしに向かって小声で言った。元はといえば、誓許ちゃんが何の前触れもなくいきなりそんな提案をしてきたからわたしが混乱しているというのにその態度は何だ、と思ってしまうのだった。
「この間、木全くんが何者かに殺された日、金泉ちゃんは私に『冥加君が犯人かもしれない』と言った。そして、その次の日に私と海鉾ちゃんはその金泉ちゃんと冥加君が一緒にいる姿を見かけ、さらにその日の夕方に金泉ちゃんの死体を海鉾ちゃんが見つけた。そうだよね?」
「確かに、その通りだね」
「それで、冥加君のことを疑っていた金泉ちゃんが、冥加君と一緒にいた日の夕方に死体で発見されたということで、冥加君がこれまでの連続殺人事件の犯人なのではないかという推理がより真相に近いのではないかと思えてくる。私自身、本当は冥加君は真犯人ではなく別の第三者が真犯人だと信じたいけど、こればかりはどうしようもない」
「……まあ、普通に考えればそうなるね」
「もし、冥加君が真犯人だった場合、あそこまで残虐非道な殺人をするには共犯者が必要不可欠だと私は思っている。そして、冥加君とその共犯者は自分たちが私たちや警察に疑われているということにすでに気づいていると思うんだ。だからこそ、日頃の生活やそれまでの様子を見ても全くボロが出ないから、真犯人だと断定することができない」
「はぁ……」
「そこで、さっき私が海鉾ちゃんに言った提案が登場する。冥加君が犯人でないなら特に影響は出ないし、そっちのほうが私としても嬉しい。そして、もし犯人だった場合、私や海鉾ちゃんが冥加君を疑うことをやめたと宣言したことにより、少なからず冥加君の警戒心は緩むはず。そうなった場合、もしかすると自分が真犯人であることを示すボロを出してくれるかもしれない、というわけ」
「あー、そういうことね……」
誓許ちゃんの長い長い説明が終わり、わたしは朝からやけに酷い疲労感に襲われながら、適当に相槌を打った。そして、誓許ちゃんの提案に乗るかどうかを考えるために、少しだけその場で黙り込んだ。その間、誓許ちゃんは無言のままわたしのほうを眺めていた。
さて、厄介なことになった。おそらく、誓許ちゃんは霰華ちゃん同様に冥加くんが真犯人であるということに気づいている。というよりはむしろ、それ以外の結論はないと心の中で断定してしまっているのかもしれない。
それは今の説明の中で充分に感じ取ることができたし、最近の誓許ちゃんの行動を思い返してみてもそれに近いものがあったということが分かった。
そして、霰華ちゃんのときもそうだったけど、人というものは自分が心の底から強く信じ込んだものは、余程のことがない限りそれを歪めようとはしない。また、自分が心の底から強く信じ込んでいるものを否定されたり、共感してもらえなかったりすると、他者をもそれに引きずり込もうとする人もいる。
それはともかくとして、わたしは誓許ちゃんからのこの提案に乗るべきだろう。ここで何か適当な理由をつけて提案を断っても、誓許ちゃんはしつこくわたしに提案してくるかもしれないし、何よりも、ここでわたしが断ってしまったら、わたしが冥加くんの共犯者であると言っているようなものだ。
できることならば、冥加くんにわたしが誓許ちゃんからの提案に乗って、演技をしているだけだと気づいてもらえればいいけど、あまり期待はしないほうがいいだろう。
一時的にだけど、本当はわたしは冥加くんの犯行をサポートする立場ではないということと、わたしと誓許ちゃんは冥加くんのことを疑うのをやめたということを冥加に言ってしまうことになる。誓許ちゃんは冥加くんにボロを出させるためにその提案をしたのだろうけど、わたしに対してもこれはかなり痛手だ。
とりあえず、後で何らかの方法で冥加くんに『さっきの台詞は全て演技』だということは伝えるとして、今は誓許ちゃんからの提案に乗っておこう。
「……確かに誓許ちゃんの考えは正しいと思う。わたしはその提案に乗るよ」
「あ、本当?」
「うん。それじゃあ、早速冥加くんにさっき誓許ちゃんが言ったようなことを言ってくるね。あと、わたしが言った後に、誓許ちゃんが言ってね。流石に、同時に言うとまたややこしいことになりそうだから」
「ああ、うん。それは分かったけど……」
「……どうしたの?」
折角わたしが誓許ちゃんからの一方的で強引な提案に乗ってあげたというのに、まだ何か言い足りないのか、誓許ちゃんはやけに歯切れの悪い調子で口篭っていた。そして、わたしが聞き返すと、少し間を空けた後に言った。
「もう一つお願いしていい?」
「いいけど……何?」
「火狭さんと水科君のこと。二人とも、今日は何か様子がおかしいでしょ? いつもは大抵一緒に登校してくるのに今日はそうじゃなかったし、今でもバラバラの席に座っているし。だから、二人に何があってそうなったのかということを聞いて、相談事があるのなら、それに乗ってあげてほしいんだよ」
「……うん、分かった。じゃあ、冥加くんにさっきのことを言った後に言ってみるね」
「ありがとう。えっと、それじゃあ、私は火狭さんに聞いてみるから、海鉾ちゃんは水科くんに聞いてみてくれる?」
「了解ー……あ、でも大丈夫なの? それ」
「……何で?」
「いや、いいならいいんだけど」
「……?」
正直な話、誓許ちゃんと沙祈ちゃんは端から見てもあまり仲がいいようには思えない。それもこれも、水科くんを取り合っての口論だったり、喧嘩だったりするわけだけど、そんな犬猿の仲である二人が接触してしまうのはいかがなほどなのか。
いや、もしかすると誓許ちゃんは沙祈ちゃんとそんな関係だからこそ、それを少しでも改善するためにあえて沙祈ちゃんに話を聞く選択肢を選んだのかもしれない。ということはつまり、わたしが誓許ちゃんに投げかけた今の質問はあまり意味がなかったのかもしれない。
それはそうと、わたしの質問の意味が分からなかったのか、誓許ちゃんは少しだけ首を傾げた状態でわたしのほうを見ていた。でも、あと五分くらいすれば一時間目が始まってしまう。するべきことはできる限り早く終わらせたいから、その五分間の内に二つの用件を済ませてしまおう。
そう考えたわたしは誓許ちゃんをそのまま放置して、冥加くんの席へと向かった。冥加くんは疲れているのか、うつ伏せの状態で机に突っ伏して寝ていた。
あと、土曜日の夕方に冥加くんの姿を見かけたときは霰華ちゃんと戦闘したからなのか、左腕から大量の血液が流れ出てそれはもう大変なことになっていたけど、今見てみる限りではその怪我も完治しているみたいだ。うつ伏せの状態で机に突っ伏して寝ているときに左腕を頭の下に敷いていたしね。
冥加くんの席の近くに着くなり早々にわたしはその様子を一変させ、少し遠いところから見ている誓許ちゃんに何も悟られないように、演技を開始した。わたしが声をかけると、冥加くんはゆっくりと静かに頭を起こし、わたしがいる方向を見た。
「みょ、冥加くん……」
「……何だ、海鉾」
「えっと、その……ごめんね……?」
「……? 何で、海鉾が謝るんだ?」
「いや、それは……本当にごめん! わたし、もう疑ったりしないから!」
「え……?」
「でも、わたしはまだ諦める気はないから! 冥加くんが本当のわたしに気づいてくれるまで……!」
「え、いや、ちょっと……」
一方的に自分の用件だけを言い放った後、わたしはそのままそそくさと小走りをして教室の外の廊下へと出て行った。冥加くんはわたしが何を言いたかったかを理解してくれなかったかもしれないけど、後から誓許ちゃんに再度似たようなことを言われたら、察してくれるはずだ。
「はぁ……」
冥加くんに話し終わった後、逃げるように廊下へと出たわたしは一度だけ溜め息をついた。
やはり、演技とはいえ冥加くんにあんなことを言わなければならないというのはつらいものだ。誓許ちゃんからの追跡を逃れるためとはいえ、わたしにとってはこれまで冥加くんのためにしてきた積み重ねを一時的にだけど全て吐き出したようなものなのだから。
それにしても、余計なことを言ってしまったかもしれない。元々は、冥加くんに『冥加くんのことを疑うのをやめた』ということだけを言うつもりだったのに、気づいたとき、わたしは冥加くんにあんなことを言っていた。
おそらく、わたしが冥加くんの犯行に気づいてからおよそ一週間が経過し、最初に冥加くんの犯行を手伝ってから五日間が経過した今でも、中々冥加くんに認めてもらえないから、あんなことを言ってしまったのだろう。
もしあの台詞を誓許ちゃんに聞かれていたらどうするつもりだったんだろうか。わたしは。
何はともあれ、一応誓許ちゃんから言われた通りのことはしたから、これでひとまず誓許ちゃんから容疑をかけられる心配はなくなったといえるだろう。
わたしの後に誓許ちゃんが冥加くんに何と言うのかは分からないけど、誓許ちゃんもこれまでのことを分かっているのなら、冥加くんに余計なことを言ってしまうと殺されるということくらい分かっているはずだから、特別おかしなことは言えないはずだ。
さて、後は水科くんの件か。
教室と廊下を遮っているのは透明な強化ガラスなので、それ越しでも大丈夫だとは思ったけど、わたしは廊下から顔を出して教室の中の様子を確認した。冥加くんは誓許ちゃんと何やら話をしているように見える。
わたしは席に座っている水科くんを小さな声とジェスチャーで、廊下に来てほしいと呼びかけた。そして、一時間目の授業が始まるまで残り二、三分といったところで水科くんはわたしに指示されるがままに廊下へと出てきた。
「どうしたんだい? 矩玖璃ちゃん。もうそろそろ一時間目が始まるけど……」
「大丈夫。すぐに終わるから」
「そうかい?」
相変わらず水科くんは軽い調子で会話の受け答えをする。でも、今は沙祈ちゃんのことが気になるのか、わたしと話しているときも何度か沙祈ちゃんのほうを見ていたし、何よりも元気がなかった。
そんな様子を見せられたら……やっぱり、その暗い気持ちをさらなるどん底へと突き落としてしまいたくなる。不意にそんな悪巧みを思いついたわたしは、誓許ちゃんに言われたことなど忘れて、自分が楽しむためだけにその台詞を言う。
わたしは誓許ちゃんとは違ってなぜ沙祈ちゃんと水科くんの様子がおかしいのかということを知っていたから、そもそも誓許ちゃんからお願いされたことをいう必要はない。それに加えて、沙祈ちゃんの様子がおかしかったということの原因の一つはわたしにあるといっても過言ではない。
そこに、水科くんの気持ちを揺らがせる一言を言った場合、どうなるか。楽しみだ。
「水科くん。みんなから、これまでの連続殺人事件の犯人じゃないかって疑われてるよ?」