第五話 『相談』
地曳が死んでいた現場に行ったとき、それまでの不可解な点は全て解決されたにも関わらず、俺は少し妙な違和感を感じていた。また、そのすぐ後に海鉾からまるで予想していなかった質問をされたことによって、少々もどかしい気持ちになりながらも自宅へと帰ってきた。これ以上俺が一人で考えられることなんて何もないことくらい分かっているが、俺はどうしてもその違和感を拭うことができなかった。
そういえば、逸弛たちのグループはどうなったのだろうか。捜索結果がどうであっても、火狭と土館が喧嘩したりせずに仲よくしてくれさえすればいいのだが。というか毎度のことだが、何で俺がこんな心配をしないといけないんだ。まあ、明日学校に行ったときに逸弛に聞けば分かることか。
あと結局のところ、遷杜と天王野はどうしたのだろうか。
天王野は地曳の死体を見てしまったからなのか、今朝は普段と随分と様子がおかしかったし、友だちのバラバラ死体という一生のトラウマになりうる思い出したくない思い出ができてしまったから捜索に参加しなかったことには納得がいく。
たぶん、俺が天王野の立場なら同じことをしていたと思うしな。俺が見たのは全身に大量の切り傷や刺し傷があった地曳の死体だったが、天王野が見たのは四肢がバラバラになっていた地曳らしい。バラバラ死体なんてものはこれまでに一度も見たことがないから想像すらできないが、それなら気分が悪くなっても仕方がないだろう。
でも、遷杜のやつは天王野のような理由がなかったにも関わらず一緒に捜索をしようとはしなかった。『野暮用がある』とか言っていたが、これまでに遷杜が用事があるからという理由で俺たちと別行動になるなんてことは余程のことではない限り一度たりともなかった。
遷杜はいつでもどこでもマイペースで、その雰囲気だけで判断するのならば単独行動のほうが似合っているのかもしれない。しかし、俺は遷杜の親友だから知っている。遷杜は、たとえ用事があったとしても友だちからの誘いを断るようなやつではなかった。
まあ、あまり深く考えても仕方がないだろう。たぶん、それほど大事な用事があったに違いない。今日はもう疲れたとかそういう些細なことではない、何か別の重要な用事が。
「……さて、そろそろ寝るか」
今日あったことについて一通り思い出しながら考えた俺はそう呟いた後、ベッドに入って自室の電気を消して寝ようとした。明日は一週間の内で時間割が最もつらい日で、ある程度の体力を温存しておかないと午後からがしんどくなる可能性があるからなおさらだ。
しかしその直前、不意にPICが誰かから俺に電話がかかってきていることを伝えるアラームを鳴らした。俺は机の上から取り外していたPICを手に取り、その表面に取り付けられているタッチパネルを操作して、電話相手も確認しないままに応答した。
「はい、もしもし」
『……グスッ……冥加ぁ……』
「……ん? その声は……もしかして、火狭か? どうした、こんな夜中に」
その少女の声を聞いた俺がPICの画面を確認してみたところ、どうやら電話をかけてきたのは火狭だったらしい。あと数分で日が変わろうかという時間に火狭が俺に電話をかけてくるなんて珍しいなと思いながらも俺は火狭の涙ぐんだ鼻声に耳を傾けていた。
本来、PICではあらかじめ設定しておけば電話相手の顔が見えるようにできる『映像通話』にすることも可能だが、基本的にその決定権は電話をかけた側にある。そして、今回は火狭がそれに該当し、あえて音声のみで通話をする『音声通話』を選んだのだと思われる。つまり、今の火狭は何らかの原因で『俺に顔や姿を見せられないような状態にある』ということが容易に推測できる。
それにしても、何で火狭はこんな時間に俺なんかに電話をかけてきたんだ? それに、何があったのかは分からないが、泣いているみたいだし。火狭なら、嫌な事や悩み事の相談をするなら真っ先に逸弛にしそうな性格のはずだが。
『……喧嘩しちゃった』
「え? あー、また土館と? そろそろお前らも仲よく――」
『違う! 確かに、あいつとも喧嘩したけど、あたしが言いたいのはそうじゃない!』
「お、おう?」
単純に思ったことを気軽に言っただけだったのだが、火狭は俺の鼓膜が飛んでしまいそうなくらい大きな声でそれを否定した。いや、今の火狭の言い方だと土館と喧嘩したのは間違いなさそうなので、『否定した』という言い方は少し間違っているかもしれない。まあ、俺はまだ状況がいまいち理解できていないので、今のところはそれで合っているとしよう。
俺はその大声による勢いに少し圧倒されながらも、黙って火狭の次の台詞を待っていた。すると、少しばかりの沈黙がPIC越しで俺たちの間に流れた後、不意に火狭が声を発した。
『今日……あたしたち六人は、二手に分かれて捜索したでしょ?』
「あ、ああ。そうだな」
『……その行き道であいつがまた余計なことを言ってきて、軽い口喧嘩になったの……』
「つまり、火狭と土館が喧嘩したのは間違いなくて、その後に何かがあったということなんだな?」
『……うん』
「それで、何があったんだ?」
俺は今のところ友だちグループの中で相談係を受けもっている立場の者として、火狭が何を言いたくてどうしたいのかを冷静に少しずつ知っていくことにした。理由は何であれ、人から頼られるのは気分の悪いものではないからな。
ちなみに、火狭が言う『あいつ』とはおそらく土館のことだ。火狭は俺を含めた他の友だちのことは苗字か名前で呼ぶが、土館のことは『あんた』か『あいつ』としか呼ばない。そのことから、火狭が余程土館のことを嫌っているということが推測できる。普段の二人の会話などのやり取りを聞くだけでも、その推測はできるが。
『そのときは逸弛が間に入って止めてくれたんだけど、逸弛が見ていない隙にあいつは何度も何回もあたしに色々言ってきて、あたしもそれに言い返して……』
「うんうん」
『逸弛がいるからなのかな、そのときは特に決着が着くこともなかったんだけど……』
火狭は時折鼻水をすするような音を立てつつ、俺に話し続ける。話を聞き始めたのはよかったのだが、何だか話が終わりそうにない。というか、まだ火狭と土館が口喧嘩したというところまでしか分かっていない。
『それでさっき、逸弛とえっちする前にそのことについて話したら……』
「……………………!?」
『冥加? 聞いてる?』
「あ、ああ。聞いてるけど……」
いやいやいやいや! 火狭よ! 火狭がどういう意図があって今の発言をしたのかは俺が知るところではないが、それでも、爆弾発言も大概にしておいてほしいのだが!
何で、何の抵抗もなく、逸弛と火狭のようにある一線を越えた恋人しかできないような行為を相談相手程度の仲である俺に言えるんだ! 今晩に限っては完全にはしていないみたいだから未遂とはいえ、そういうことはもう少し表現を変えて言うか、言わないでくれ!
え、あれ? 『する前に』ということはつまり、もしかして、今の火狭は裸なのか!? もしくは、薄着だけしか着ていない!? あの、大きくて弾力のありそうな胸と白くて柔らかそうで綺麗な太股を大胆に露出して、そんな卑猥で刺激的な姿で俺に電話をして――、
……って! 俺は何を考えているんだああああああああ!! 俺は今はただ単純に相談を受けてるだけだろ! というか、火狭は俺の友だちでしかなく、しかも逸弛の彼女なんだから、そんな彼女に変な気を起こすなんて失礼だろ! 友だち失格も甚だしいわ! 静まれ、男子高校生の衝動よおおおおおおおお!!
『冥加、大丈夫? あたし、何か変なこと言った?』
「大丈夫じゃない、問題だ」
『……え?』
「……ではなく。大丈夫だ、問題ない」
『そう? それじゃあ、続けるけど……えっと、あたしが逸弛とえっちする前に夕方のことについて話したら……』
「……」
いつになく落ち着いた雰囲気でこちらの様子を伺いながら火狭は俺に話してくる。というか、もしかして火狭は逸弛と何をしようとしていたのかについて俺に話すことに抵抗がないのか? それとも、これまでに何度もしてあるから、俺程度に話しても問題ないと思っているのか?
どちらにせよ、明日逸弛にはこのことについて『火狭に忠告しておいてくれ』と言っておくべきかもな。俺は何とか感情を抑えつけることに成功したが、火狭のことを好いている他の男子諸君が聞いたらありもしない誤解を生み、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。
そんな風に、俺が余計なことを考えていると、ついに火狭は話の核心を話し始めた。
『それで、喧嘩しちゃったの……あたしがあいつの悪口を言ってたら、逸弛が「みんなとは仲よくしないと駄目だよ」って言ってきたから、ついイラッとして言い返したのがきっかけで……』
「そういうことか」
『でもね、逸弛は悪くないの……全部……全部あたしが悪いの……逸弛と喧嘩したといっても、思い返してみれば、あたしが一方的に逸弛に八つ当たりをしていただけで、逸弛はそんな私のことを止めようとしてくれただけで……』
「つまり、『逸弛は悪くないが、自分から原因を作ってしまったから謝りにくい』と」
『う……うん……」
要約すると、夕方火狭たち三人が地曳殺人事件の謎を解明しようとしていたとき、逸弛に止められながらも火狭と土館は口喧嘩をした。そして、そのことで苛々していた火狭が逸弛にそのことを愚痴っていたら、逸弛に共感を得られず、そこから今度は逸弛と口喧嘩になってしまったということなのだろう。
まあ、逸弛の性格なら、妬みを買うほど可憐な容姿でありながら異常なまでの能力の高さを持ち合わせ、しかしその特殊な性格ゆえに俺たち以外に友だちが少ない火狭に、数少ない友だちである土館と仲よくしてほしいと思っても不思議ではない。
でも、逸弛も逸弛で、これではまるで火に油を注ぐようではないか。まるで空気が読めていない。今回の場合は、火狭の口喧嘩の相手は逸弛を奪い取ろうとしている土館だったのだから、火狭が怒っても仕方がないのかもしれないしな。
俺の予想どおり、火狭の話によると、逸弛と火狭は口喧嘩らしい口喧嘩をしたわけではなく、火狭が一方的に逸弛に色々言っていただけのようだ。逸弛が誰かと……特に火狭と喧嘩するところなんて想像もつかないからな。
友人関係に限らず人間関係は恋愛事情が絡むと途端に複雑になって収拾がつかなくなり、わけが分からなくなるからな。今回はその最たる例であるといえるだろう。さて、どう解決するべきか。
俺はできることから火狭に解決させるために一つ一つ質問していく。
「結局、火狭は逸弛とは仲直りできていないままなんだよな? あと、今火狭の近くに逸弛はいるか?」
『ううん。近くに逸弛はいないし、仲直りもできていない。本当は、逸弛の家でえっちしてそのまま泊まろうと思って行ったんだけどね。それで、逸弛に八つ当たりしちゃった後、あたしだけ家に戻ってきた』
「そうか。それで、土館とは仲直り――」
『……うう……』
「うん、はい。できてないよな。そんな気はしてた。分かってた」
逸弛か土館のどちらか片方と仲直りができていればその勢いでもう片方にも仲直りができるのではと思ったのだが、やはりそんなにうまくいかないか。それに、いくらPICに電話機能があるからといっても、仲直りなどの人間関係でも比較的大事なことは直接会って話したほうがいいから、火狭の今の状況はかなりまずいな。
逸弛と土館の両方と仲直りできておらず、近くにはだれもおらず、いまは一人で自分の家にいる。一応、今からせめて逸弛だけにでも謝らせに行かせる手もある。しかし、いくら事件も事故もほとんど起きないとはいえ、女の子に一人で夜道を歩かせるのはあまりいい策であるとはいえない。
だからといって、俺が火狭に付き添うとしても、それだとこの話が外にもれた場合に、火狭のことを好いている逸弛や遷杜やその他大勢の男子にあらぬ疑いをかけられる可能性もある。
そこまで考えた俺は、不意にある一つの結論を導き出すことに成功した。そしてそれを、鼻水をすする音が聞こえるPIC越しの火狭へと話しかけた。
「火狭。明日の朝一時間目が始まる前に、俺が二人にそのことについて先に言っておく。『火狭と仲直りしてやってくれ』ってな。火狭が二人と話すのはそれからでも問題はないはずだ。それに、今は時間帯も遅いし、火狭も今日は疲れているだろうから、ゆっくりと休んで、また明日改めてそのことを話し合えばいい」
『……うん、分かった。ありがとう、冥加』
「いや、火狭が納得できたのならそれでいい」
『冥加に話したら、少し落ち着いた』
「それはよかった。それじゃあ、また明日」
『うん。ばいばい』
どうやら火狭は俺の提案に納得してくれたらしく、そう言って電話を切った。さて、俺の判断はこれで正しかったのか。その答えは明日学校に行って、逸弛と土館に今の火狭との会話のことを話してからだな。