第十話 『殺意』
葵聖ちゃんはもう死んだ。いや、正確には、冥加くんが半殺しにして、わたしがとどめを刺したんだけどね。何はともあれ、あの後、葵聖ちゃんの死体を滅茶苦茶にしたわたしがいた教室に霰華ちゃんと誓許ちゃんが来て、その後冥加くんと木全くんが来た。
その内の全員が例外なく、教室中に広がる惨状を目の前にしてまるで信じられないといった様子で驚きを隠せないでいることが分かった。その中でも、誓許ちゃんは特にショックを受けたらしく、霰華ちゃんに保健室へ連れて行かれていた。そして、冥加くんと木全くんはその場に残り、わたしと少しだけ情報交換をした。
さて、これで冥加くんはわたしが冥加くんの秘密を知っているということに気づいてくれただろうか。わたしが自分たちの友だちを殺してでも、冥加くんの後について行くという強い意思を持っていることを認めてくれただろうか。冥加くんが、わたし宛てに静かに出した適正試験は合格点に達しただろうか。
わたしたち三人の話し合いによって教室中に広がる惨状の後片付けは先生たちや警察に任せようということになり、職員室に仮暮先生を呼びに行った後、わたしたち三人はそれぞれの家に帰った。
そういえば、霰華ちゃんと誓許ちゃんは保健室に行ったきり戻ってこなかったけど、どうしたのだろうか。もしかして、誓許ちゃんの体調が予想以上に悪くなったからそのまま帰ったとか、そういうことだろうか。まあ、誰の気分が悪くなろうが、体調を崩そうが、わたしには全く関係のない話だ。
どうでもいい。
家に帰ってきてから、およそ六時間が経過した。今のところ、冥加くんから電話はかかってきていない。冥加くんも忙しいのだろうか、それとも、まだわたしの解答は冥加くんからの適正試験の及第点に達していないということなのだろうか。
どちらにせよ、わたしがするべきことはまだまだありそうだ。冥加くんに本当のわたしを気づいてもらうために、あの約束を思い出してもらうために、わたしはたとえそれが友だちだとしても、そうでないとしても殺し続ける。悲惨な殺人事件現場を作り出し、日常では平凡を演じる。
そういえば、葵聖ちゃんに力強く噛まれたことによって骨が見えそうなくらい深い傷を負ってかなりの量の血が溢れ出ていたわたしの左手は、あの後保健室に行って適当に治療してもらったので、もう出血はないし、痛くもない。予想以上に傷が結構深かったから少しだけ痕は残ったけど、治療薬を塗ってもらったりしたから、明日の朝にはその傷跡も綺麗になくなるという話だ。
「……あー……うーん……」
自室のベッドの上で、わたしは枕くらいの大きさの柔らかいクッションを両腕で抱きかかえながら、それに顔をうずめる。冥加くんがどう思ってくれているのかは分からないけど、もうすぐわたしが望んだ通りの結果になるはず。そんなことを考えていると、いてもたってもいられなくなる。
バタバタと足を上げては下げ上げては下げを繰り返したり、仰向けになってはうつ伏せになり仰向けになってはうつ伏せになりを繰り返す。
正直いってその行動をしているわたし自身でさえ、自分が何をしているのかは分からない。でも、それほどまでにわたしはこれから自分が何をするべきなのかに悩んでいたということだと思う。
「……うん?」
ベッドの上でゴロゴロと転がったり、意味不明な行動をしていたわたしだったけど、不意にPICのアラーム音が聞こえてきた。そのアラーム音から、誰かがわたしに電話をかけてきたのだということが分かり、ベッドの上で寝そべりながらテキトウにPICを操作する。
PICを操作すると、仰向けになっているわたしのすぐ目の前に立体映像が表示される。どうやら、わたしに電話をかけてきたのは霰華ちゃんらしく、それと同時に木全くんのPICとも回線が繋がっていることが分かった。
しかも、立体映像の画面にはその隣に、音声だけの通話ではなく映像も表示される通話をするつもりだということも表記されていた。さつがに、友だちと男の子にこんな情けない姿は見せられないと思い、わたしは横になっていた体を起こしてベッドに腰かけるような体勢になり、その電話に出た。
電話に出るとすぐにPICの真上に表示されている立体映像は二つに分割され、そこに霰華ちゃんと木全くんの顔が映し出される。
「二人とも、どうしたの?」
『あ、海鉾さん。実は、ですね――』
『今日起きた天王野が何者かによって殺された事件について、俺たちで何か考えられないか、と思ってな』
「……ふぇ? どういうこと?」
歯切れの悪い第一声を発した霰華ちゃんとは正反対に、木全くんは真っ直ぐに画面を見たまま淡々と用件を述べた。しかし、わたしは木全くんが言ったその台詞の意味をイマイチ理解することができず、思わず聞き直してしまった。
わたしのそんな疑問に対して、木全くんは続けて解説を述べる。
『以前、地曳は悲惨な状態で殺されていたと天王野が言っていただろ? そして、地曳が殺された二日後にその天王野も殺された。しかも、地曳のときほどではないが、かなり悲惨な状態で。だから、この二つの事件には、何か関連性があるのではと思ってな。まあ、この推理の大半は俺ではなく金泉がしたものなんだがな』
「……そ、そう……」
木全くんの解説を聞いた瞬間、わたしは全身から突然大量の冷や汗が吹き出していることに気づいた。しかし、二人はそんなわたしの状況には気づいていない様子で、それぞれのPICの画面を見ているばかりだった。
何度も言うように、わたしは冥加くんをサポートすると誓った立場の人間だ。冥加くんに本当のわたしを気づいてもらうために、冥加くんの犯行を陰ながら手伝い、冥加くんが犯人であることを隠すという役割だ。
でも、今の状況はどうだろうか。客観的にこれまでの物事を見た場合、これまでに起きた二つの事件の真相やどんなもので、その犯人は誰だと考えられるだろうか。
冷静になって考えてみれば、すぐに分かることだ。わたしがそんな奇怪な立場にいることは、霰華ちゃんや木全くんに限らずほとんどの人が知らない。
いや、もしかすると冥加くんもまだそのことについて確信を得ていないのかもしれないし、唯一それに近いことを知っていたと思う葵聖ちゃんは死んじゃったから、この世にいる人だけでカウントするならば、わたししか知らないことなのかもしれない。
そして、葵聖ちゃんが殺されたとき、現場にいて全身血まみれになっていたのはこのわたしだ。でも、その直前に葵聖ちゃんと教室で二人きりになって何かをしていたのは冥加くんであり、わたし以外のみんなもそのことは知っているはず。
みんなは冥加くんが赴稀ちゃんを殺した犯人であるということを知らず、葵聖ちゃんを殺した犯人であることに確信を得られていないのだから、多少の疑惑を持ちつつも、PICさえあれば犯人を捕まえることができると思っている。
しかし、赴稀ちゃんを殺した犯人はまだ捕まっていないことから、その犯人はPICをある程度コントロールして自分が犯行に関わったという記録を書き換える技術を持っていることも分かる。よって、赴稀ちゃんを殺した犯人と葵聖ちゃんを殺した犯人はかなり高い確率で同一人物であることが分かる。
現に、この三日間で起きた二つの事件は、実質的には冥加くんが犯人なんだし。
さらに、葵聖ちゃんの死体があった教室には監視カメラなどの警備システムは存在せず、誰かが教室を無理矢理抉じ開けて侵入したという形跡もなかったから、犯人は本来の用途通り教室のドアから中に入り、葵聖ちゃんを殺したということが推測できる。
また、それと同時に、学校にはあらかじめそれぞれのPICに付けられている個別IDが登録されていて、生徒と教員とそれ以外の一部例外を除いて学校関係者以外は立ち入ることができないということから、葵聖ちゃんを殺した犯人は学校関係者か同様の権限を持つ人であることも分かる。
それに加えて、あの時間帯で葵聖ちゃんと長時間二人きりでいたことを多くの人に目撃されている人物が一人だけ存在し、第一発見者として霰華ちゃんに連絡をした人物が一人いる。
前者は冥加くん、そして後者はわたしだ。
これらのことから、葵聖ちゃんを殺した犯人はわたしか冥加くんのどちらかだということを絞ることができる。事件の真相としては、冥加くんが葵聖ちゃんを半殺しにして、わたしがとどめを刺したというものなんだけど、おそらく霰華ちゃんと木全くんの推理はこんなところでは終わっていない。
何で、葵聖ちゃんが殺された日に、葵聖ちゃんを殺したかもしれないわたしに電話をかけてきているのか、という疑問が残るからだ。
おそらく二人は、冥加くんの様子が何かおかしいことにいち早く気づいてしまったのだと思う。そのときは、わたしはすっかりスルーしてしまっていたけど、よく考えてみればおかしな話だ。
四人が葵聖ちゃんの殺人現場に来て、誓許ちゃんの気分が悪くなって霰華が保健室に連れて行った後、わたしと冥加くんと木全くんが会話をしたとき、冥加くんはこう言っていた。『地曳の殺人事件について何かを話していたのは覚えている。でも、俺は一体、その話題について「天王野と何を話していた」んだ?』って。
つい数分前に会話したばかりだというのにその内容を忘れるだなんて、記憶障害もいいところだ。さすがのわたしでも、高校生の記憶力とは思えないと感じてしまう。
そもそも、赴稀ちゃん殺人事件について話すのなら、実際に現場にいた葵聖ちゃんだけでなく、友だちグループ全員で話したほうが色々と新たな情報も得ることができるに決まっている。
霰華ちゃんと木全くんはそんな風に考えた後、続けてこうも考えたはずだ。
冥加くんは天王野ちゃんと会話などしておらず、ただ教室で悲惨な状態になるまで殺していただけだ、って。こう考えてしまえば、これまでの現場の状況や人の行動を一つに集めたときに少しずつ浮上していた疑問や矛盾点の大半に説明がつき、犯人候補を二人から一人に絞ることができる。
そう。こんな推理をすれば、実質的に、『地曳赴稀と天王野葵聖を殺した犯人は冥加對である』という結論を導き出すことができる。
あとは、今の状況を見ればすぐに分かる。二人は、死んだ赴稀ちゃんと葵聖ちゃんを除き、お取り込み中かもしれない沙祈ちゃんと水科くんを除き、体調不良を起こしている誓許ちゃんを除き、容疑者である冥加くんを除いて、あと一人残っているわたしに電話をかけてきたのだ。
理由は大方、『冥加くんが二つの事件についての犯人であることをさらに確定させて、本人にそれをどう自白させるか。いかにして、効果的な証拠を突きつけることができるか。そんなことをできる限り大人数で話し合う』といったところだろう。
二人は、本当はわたしが葵聖ちゃんを死に追いやり、陰ながら冥加くんをサポートする立場であるということも知らずに、わたしが二つの事件には関わっていないと思い込んでいる。だからこそ、夜遅くにわたしに電話をかけてきて、事件について何か考えられないかと言ってきたのだ。
……と、ここまで考えたとき、不意にわたしの中で二人に対する強い感情が芽生えた。その感情はついさっきかいていた冷や汗を吹き飛ばすようなもので、わたしの中に悪巧みのような策略をいくつも思い浮かび上がらせた。
それこそが、まさに『殺意』と呼べるだろう。
葵聖ちゃんをうっかり殺してしまってから、冥加くんの意思に気づき、あのときのように頭のネジが外れたように狂ったわたしは、数少ない友だちに対してそんな感情を向けてしまうことに、何一つとして抵抗を覚えてはいなかった。
わたしが大好きな冥加くんのことを、間違ってはいないけど勝手に犯人と推理して、最終的にはそこまで辿り着いてしまった二人。二人はいずれ、二つの事件の真相まで辿り着くことだろう。わたしが少なからず事件に関わっているということも暴くかもしれない。でも、絶対にそんなことはさせない。
このわたしが阻止してみせる。冥加くんの秘密は、わたしが守る。そして、冥加くんのことはわたしが守ってみせる。