第三話 『殴打』
唐突に葵聖ちゃんの口から発せられた『ジビキが殺害された』という台詞。その台詞を聞いたとき、わたしと葵聖ちゃんと仮暮先生を除いた、その場にいた六人は黙り込んでいた。
また、ふとみんなの表情を見てみると、その全員が驚きを隠せない様子であることがよく分かり、みんなは『赴稀ちゃんが死んだ』という事実を初めて知ったのだということが伺えた。
でも、その一方で昨日の夜にその殺人現場を見ていたわたしは一応表情こそ驚いているように見せかけながら、この後葵聖ちゃんにどうやってそのことについて聞いていこうかということだけを考えていた。
少しだけ後ろを振り返り、冥加くんの顔を確認する。昨晩、冥加くんもわたしの少し前に赴稀ちゃんの殺人現場を見ているはずなのに、他のみんな同様に驚いていた。その表情は本心によるものなのか、それとも演技なのか。わたしは、そこまでの判断をすることができなかった。
葵聖ちゃんが台詞を発した後、しばらくの間、みんなの間を沈黙が支配している。葵聖ちゃんは続けて話す気はないのか顔を俯けたままであり、葵聖ちゃんのすぐ後ろにいた仮暮先生もそれ以上何かを言う様子もなく、みんなも動揺しているばかりで誰も声を発しようとはしなかった。
葵聖ちゃんは赴稀ちゃん殺人事件について何か重要なことを知っている。いや、わたしが想像しているよりも、もっと事件の真相に近いことを知っているはずだ。そう確信したわたしは、その場にいた誰よりも早く葵聖ちゃんに尋ねた。
なるべく、わたしが葵聖ちゃんに探りを入れていることを誰にも気づかれないように。
「……えっと、葵聖ちゃん……? それって、どういう――」
「……今言った通りの意味。……昨晩、ジビキは殺害された。……人間としての原型をとどめないほどに四肢を切断されて、グチャグチャに、無残で酷い姿で。……キッヒ……ヒへハハハハ!!」
わたしの質問が最後まで言い終わっていないにも関わらず、葵聖ちゃんはさっきまでは俯けていた顔を勢いよく上げて、答えた。その先に見えた葵聖ちゃんの表情は目が飛び出そうなほど見開かれ、口が裂けそうなほど笑っており、誰がどう見ても狂気を感じるようなものだった。
というか、人の話は最後まで聞いてから自分の台詞を言ってほしいものだ。まあ、今はそんな些細なことよりももっと重要なことがいくつもあるから、特に言うつもりはないけど。
狂気じみた表情を浮かべながら、狂気じみた笑い声を上げ続ける葵聖ちゃん。普段の物静かで眠そうな表情や性格はどこに行ったのか、そんな疑問よりも先に、何でそんな風に狂ったように振舞うのか。わたしはそのことが不思議で不思議で仕方なかった。
一方、わたし以外のみんなは葵聖ちゃんのその表情を見たからなのか、さらに口を噤んでしまい、その場の雰囲気はより一層重苦しくなった。その内の何人かは、葵聖ちゃんから与えられた恐怖や疑問の感情によって青ざめているようにすら思えた。
「ジビキは死んだ……死んだ死んだ死んだ死んだ……バラバラの状態で……フッ……イヒ……アハハ……アハハハハハハハハ!!」
「ちょ、ちょっと!? 葵聖ちゃん!? 大丈夫!?」
葵聖ちゃんは続けて狂ったように……いや、これはもう比喩のしようがない。葵聖ちゃんは完全に狂いきった状態で奇妙な笑い声を上げる。頭のネジが何本か飛んだのではと思えるようなその姿を見たわたしは、わたしが『葵聖ちゃんが何でこんな風になってしまったのか』を知っていることを誰にも悟らせないために、葵聖ちゃんの肩を数回揺さぶりながら呼びかける。
わたしの呼びかけに応じることなくケタケタと壊れた人形のように笑い続ける葵聖ちゃん。そんな葵聖ちゃんの姿を見ながら、わたしはある一つのことを思いついた。
わたしが昨日見た赴稀ちゃんの殺人現場。葵聖ちゃんが何かの理由で赴稀ちゃんを殺したのならわざわざこんな風に大勢に、しかも友だちや先生に言う理由もないだろうから、その可能性は省かれる。でも、葵聖ちゃんは事件の内容を知っていた。
しかも、『四肢をもがれて』や『グチャグチャな』と殺人現場の状況を詳細に言っていることから、殺人現場を間近で見たか、殺人現場に遭遇したか、それらに近いことを経験したのだということが分かる。
いや、おそらく葵聖ちゃんはそれ以上の何かを知っているに違いない。さっきも似たようなことを思ったけど、わたしはそれ以上の何かを感じ取っていた。
ひとまず、葵聖ちゃんをどこかに連れて行って二人きりになって、時間をかけて話を聞く必要がありそうだ。思い立ったらすぐ行動する性格のわたしは、その考えが頭の中に浮かんだときにはすでに自分の行動を実行に移していた。
「わ、わたし、ちょっと葵聖ちゃんを保健室に連れていくから!」
「あ、ああ。頼んだ」
わたしのそんな台詞に、焦っている様子の冥加くんが答える。その後、わたしは葵聖ちゃんの手を引いて一階にある保健室へと向かおうとした。
しかし、葵聖ちゃんはわたしが手を引いて連れて行こうとしても一向に歩こうとしない。仕方ないので、力強く手を引いたり、背中を手で押したりしながら、わたしは葵聖ちゃんと保健室へと向かった。
その間、教室に残っているみんなやクラスメイトの視線が透明な強化ガラス越しとはいえ、やけに気になったけど、わたしは一度も後ろを振り返らなかった。保健室の行き道では、葵聖ちゃんはいつも通りの無口で眠そうな表情に戻っており、さっきまでのおかしな様子はいったい何だったのかと言いたくなりそうだった。
三階にあった教室を出て一階にある保健室へと向かう。保健室のドアを開け、入る前にテキトウな挨拶をした後、返事がなかったのでそのまま無断で保健室の中を覗いた。幸いなことにも保健室の先生はまだ学校に来ていないらしく、誰もいなかった。
好都合だ。
そう思ったわたしは葵聖ちゃんを保健室の入り口付近にあったテキトウな長椅子に座らせ、わたしはその正面に立つような形で、早々に話しかけた。一時間目の授業までの時間は残り少ないからね。
「それで、葵聖ちゃんはどこまで知ってるのかな?」
わたしと葵聖ちゃんがいる保健室の中には、他に誰もいない。一応、保健室は怪我の治療を行うため特殊部屋となっているから、その壁は透明な強化ガラスではなく常に白く曇らされている。加えて、その壁には防音能力もある。
だから、わたしは今から葵聖ちゃんとする話を他の誰かに聞かれることがないと確信し、葵聖ちゃんから情報を聞き出そうとした。正直なところ、葵聖ちゃんがどこからどこまでを知っているのかは分からない。でも、何かを知っていることは確かだ。
わたしがそう聞いた後、葵聖ちゃんはそのまましばらく黙っているばかりで、わたしの質問に答えようとしなかった。あと一、二分もすれば一時間目が始まる。そうなれば、保健室の先生が保健室に来てしまい、こんな話もできなくなるかもしれない。
わたしはそんなことを考えながら少し焦りつつ、葵聖ちゃんの肩を掴んで揺さぶりながら声をかけた。
「葵聖ちゃん! 教えてよ! 葵聖ちゃんは昨日の夜、あの場所で何を見たの!?」
「……フ……イハハハハ……アハハハハハハハハ!! キャハハハハ!!」
「……っ」
葵聖ちゃんは、わたしの質問に答える代わりについ数分前同様に狂ったように目を見開いて笑い始めた。その狂気じみた笑い声が保健室中に響く。耳をつんざくようなその高い笑い声に、わたしは手で耳を塞ぎたくなった。でも、わたしはそうすることなく、呼びかけることもやめて――、
天王野葵聖の顔面を力づくで殴った。
「……ッ……ガ……ハッ……ァア」
突然のことに、葵聖ちゃんは抵抗することができなかった。そして、わたしが葵聖ちゃんの顔面を殴ったことによって、その細くて小さい華奢な体が数十センチメートルほど宙を浮き、座っていた長椅子から冷たい床へと叩きつけられる。それと同時に、うめき声のような必死に痛みを堪える小さな声が、床の上でもがき苦しむ白い塊から聞こえてくる。
わたしは、保健室の冷たい床で横たわり、そのすぐ近くにあった治療薬が保存されている棚に背を預ける葵聖ちゃんへと歩み寄る。殴られた直後は痛みを感じているようにも思えたけど、それから数秒経った今は気を失ったのか、葵聖ちゃんはその体を動かそうともせず、わたしの姿を確認しようともしなかった。
続けて、わたしの右足が葵聖ちゃんの腹部を勢いよく蹴りつける。
それでも、葵聖ちゃんは一言も声を上げることなく、背後にある棚にもたれかかっているだけだった。そのまま数回、わたしの蹴りが葵聖ちゃんの腹部を襲う。そのたびに、力なくグッタリと横たわる小さな体が揺れ動く。
『何でわたしはこんなことをしているのか?』。
そんなもの、決まっている。この子が、葵聖ちゃんがわたしの質問に答えなかったからだ。わたしは冥加くんの全てが好きで、そんな彼のありとあらゆる情報を知り尽くしたいと思っている。そんなわたしの質問に答えなかったからだ。
冥加くんに恐怖を与えた何かの正体やそれにまつわる殺人事件の真相を知っているかもしれないにも関わらず、そのことをわたしに教えようとせず、この子は狂ったように笑った。狂気じみたあの表情を前面に出し、わたしに見せつけながら。
うざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざい……。
何もかもがうざい、くだらない、つまらない。わたしが抱いたそれらの感情の対象は今回の場合は、この世界に対してでもわたし自身に対してでもなく、わたしの目の前で横たわる天王野葵聖という一人の少女に対してだった。
横たわる小さな体を蹴りつけているとき、不意に今にも掠れて聞こえなくなりそうな小さな声が聞こえてくる。
「……ワ……ワタシは……アレを見た……だけ……」
「アレって、何?」
「……ジビキが……殺されている場面……を……」
「え?」
葵聖ちゃんは、床にあったホコリをその真っ白で長い髪に付着させたまま、わたしに殴られたり蹴られたりしたことによってできた痣を綺麗だった素肌に残している。そして、わたしから目を逸らし、両手で頭を抱えて、元々小さい体をさらに小さくするようにうずくまりながら、声を震わせてそう言った。
その様子は誰がどう見ても、葵聖ちゃんがわたしに対して恐怖を覚えていることがよく分かるものだった。葵聖ちゃんの体は小刻みに震え、これ以上わたしに殴られたり蹴られたりすることを恐れているようにすら思えた。まあ、痣くらいなら簡単に治せるけど、やはり誰だって痛いのは嫌だからね。わたしだって嫌だし。
わたしはわたしと目を合わせないようにしている葵聖ちゃんの顔がよく見えるような位置に行き、続けて質問した。
「詳しく教えてくれる?」
「……ワタシは探し物をしに行っただけ……そしたら、ジビキが殺されていた……」
「探し物って?」
「……大切なもの……」
「ふーん。まあ、それについては特に追求しないでおいてあげる。代わりに、誰が赴稀ちゃんを殺していたのかを教えてくれる? あと、葵聖ちゃんはあの人工樹林の中で冥加くんと会ったのかどうかも」
わたしが聞くと葵聖ちゃんは再び顔を俯け、黙り込んだ。あんな時間にあんな場所で探し物をしていたということについても聞いておきたいところだけど、あいにく時間がない。
葵聖ちゃんを痛めつけていたからわたしは気づかなかったけど、おそらくもう一時間目開始のチャイムは鳴っている。だから、しばらくすれば保健室の先生が来るだろう。
いや、保健室の先生が来なかったとしても、今回の場合は葵聖ちゃんを保健室に連れて行く程度の役割しかもたないわたしが一時間目の授業に来なかった、なんてことになれば保健室で何かがあったと思われても不思議ではない。
そう考えたわたしは、小さくうずくまる葵聖ちゃんの腹部に向かって自分の膝を突き上げる。するとその直後、わたしの目の前から『ゴボッ』といううめき声のような声が聞こえてくる。そして、続けてわたしが葵聖ちゃんを殴るために右腕を振り上げたとき、それを中断させるかのように葵聖ちゃんは続けた。
「……ミョ……ミョウガがジビキを……していた……のを見た……」
「え、何? よく聞こえなかったんだけど」
「……ミョウガが……ジビキを殺していた……」
「……!」
そのとき、わたしの中で、ありとあらゆる何か革新的な想像と憶測が駆け巡った。わたしが世界中の誰よりも好いているあの冥加くんが友だちの赴稀ちゃんを殺していたという予想外で衝撃的な事実に悲観するよりも前に、その思考は生まれ、一瞬後には爆発的にわたしの脳内に拡散していた。
きっと、冥加くんは何かの理由で赴稀ちゃんを殺さなければならなかったのだろう。その理由や経緯は分からないし、本題はそこではないから省略する。そして、冥加くんは殺人の証拠を隠滅するためにその死体をバラバラに刻み、どこかに隠そうとした。
その最中に、葵聖ちゃんにその現場を目撃されてしまった。わたしが思うに、葵聖ちゃんは冥加くんが赴稀ちゃん殺しの犯人であることを誰かに言うつもりはないみたいだけど、そのときは、友だちに現場を目撃されてしまったために冥加くんは焦った。
そして、着ていた服に大量の血が付着したままであることに気づかないまま、人工樹林の外に出た。予想外の目撃者を生んでしまったことに焦り、恐怖した冥加くんは、わたしからの呼びかけに答えることができなかった。
その後、探検のつもりで人工樹林の中に入ったわたしが聞いたあの笑い声と物音は、冥加くんの殺人現場を見た葵聖ちゃんのものだったということが分かる。
その後、冥加くんは今朝学校に来るまでの間に、自分が犯人であることを言わないようにと葵聖ちゃんに口止めをすることに成功した。あとは、赴稀ちゃんが殺されたことを知らなかったかのように振舞えば、時間がすべてを解決してくれる。人工樹林には監視カメラもないし、やはり目撃証言とPICなら目撃証言のほうが優先される。
結果、冥加くんは目撃者である葵聖ちゃんに口止めをした上に、葵聖ちゃんを利用して自分が赴稀ちゃん殺しの犯人であることを隠すことに成功した。もしかしたら、冥加くんが犯人であることを裏付ける何かが見つかる可能性もあるかもしれないけど、おそらくその辺についての対策もしてあることだろう。
「フッ……アッハハハハハハハハ!!!!」
冥加くんは人工樹林で何をしようとしていたのか、あの笑い声や物音は何だったのか、葵聖ちゃんはなぜ赴稀ちゃん殺人事件の詳細を知っているのか、何で冥加くんは事件の概要をさも知らなかったかのような表情をしていたのか。
その全てを理解したわたしは、そんな風に狂ったように大声で笑った。自分でいうのも少しおかしいかもしれないけど、その行動は非常に狂気じみていたと思う。でも、それほどまでに、その結論はわたしという存在の根本的な部分に革命的な何かを与えた。
わたしは、彼を支持する。
彼が殺人事件の犯人だったとしても、これから大量虐殺を行ったとしても、わたしは彼の後ろについて行き、彼の行動をサポートする。当然、彼が殺人犯であることを誰かにばらすなんてことはしないし、彼が殺人現場の残虐さを表現したいのなら、わたしは彼に続いて喜んで死体を切り刻もう。
そして、わたしが陰ながら彼のことをサポートしていたことを彼に直接言うことなく、そのうち彼に気づいてもらう。これまでのストーカー行為とは全然違う。その事実が知られれば、彼とわたしは大量殺人犯とその共犯ということになり、裏切りなんてできず、まさに運命共同体となる。
そうすれば、彼はわたしのことを嫌うことができなくなり、むしろ受け入れてくれる。もしかすると、あのときした約束も思い出してくれるかもしれない。ずっっと我慢していたことも、他のことも、何でもできるようになる。
わたしの願いは、ようやく、叶う。
「アハハハハ! ありがとね、葵聖ちゃん! やっと全部分かったよっ!」
「……そう……それはよかっ――ゴホッ!」
わたしは葵聖ちゃんにお礼を言いながら、足で葵聖ちゃんの腹部を力強く蹴りつける。唐突なことだったからなのか、葵聖ちゃんはまるで抵抗する意図を欠片も見せず、無防備にその蹴りを食らった。その後そこには、再び保健室の床にうずくまる、モコモコした真っ白の髪を持つ少女が一人いた。
「わたしはもう行くけど、痣とかは治しておきなさいよ? そのボロボロな格好のまま教室に来てくれたら、わたしが疑われるかもしれないからね。保健室の薬とかをテキトウに使えば、一時間もすれば治るでしょ? もし、そのままの格好で教室に来たら……まあ、分かるよね? 今度は殺しちゃうかもしれないから、そういうことで。よろしくー」
「……っ」
わたしの台詞に対して、葵聖ちゃんからの返事はなかった。でも、逆にわたしはその沈黙がどのような意味の返事なのかを勝手に理解し、保健室を後にした。
教室に行ってみると、もう授業は始まっており、友だちグループのみんなはわたしのことを心配そうな表情で見ていた。
一方の葵聖ちゃんはわたしからの言いつけをしっかり守ったらしく、髪に付着していたホコリは綺麗に取れ、体中にあった痣のすべてはなくなった状態で、二時間目が始まる少し前に教室に戻ってきた。
……よかった。無意味に、友だちを殺さずに済んで。




