第三十話 『回帰』
この世界の秘密、この世界の真相、この世界の正体。俺が知らないような情報を遷杜は知っていた。それが何でなのかは分からない。どうやって知ったのかは分からない。だが、遷杜は淡々と俺に告げる。
「この間の火曜日の夜……つまり、地曳が死んだ夜のことだ。地曳は俺やお前を含めた八人に一通のメールを送った。『この世界は昨日から作られた』というメールをな」
「……あ」
「どうやら、気がついたようだな。そうだ、この世界は……二一二三年十月二十日火曜日から見て『昨日』の二一二三年十月十九日月曜日に誕生し、今まさに一週間程度の短い活動に終止符を打とうとしている」
今から八日前、俺が目を覚ましたときにすでに目の前にあった地曳の死体。俺のもう一つの人格が地曳を殺したことは間違いないと思うが、もしかすると、何で俺のもう一つの人格がみんなを殺していったのかが分かったかもしれない。
地曳は『何か』を知っていた。だから、そのことを俺たちに伝えようとして、メールを送った。そして、俺のもう一つの人格は地曳がその『何か』を知っていると都合が悪くなるから、その真相を抹消するために地曳を殺した。
地曳は俺たちにメールを送ったことで、その『何か』が何なのかを伝えられたと思った。だが、俺のもう一つの人格は地曳のPICを回収し、何らかの方法を使用して二通目のメールを俺を含めた八人に送った。その文面が『さっきのメールに深い意味はないから気にしないで。ごめん』だ。
基本的にPICは所持者本人しか操作できないのだから、そのメールが地曳ではない第三者が送ってきたとしても、俺たちは疑いようがない。現に、俺も今までまったく気がつくことができなかったからな。
てっきり二通目のメールは一通目のメールを取り消す程度の文面だと思っていたが、本当はそうではない。俺のもう一つの人格は、地曳が自分の命を犠牲にしてまで俺たちに与えてくれた『何か』のヒントを抹消するために二通目のメールを送り、欺いた。
そして、それ以降も、俺のもう一つの人格の存在や、俺が殺人を行ったことや、地曳が俺たちに伝えようとしてきた『何か』などをつきとめた友だちのことを、俺のもう一つの人格は次々と殺していった。
だが結局、その『何か』とは何だ。それと、それがこの世界の始まりと終わりに関係しているとして、何で遷杜と地曳だけがそのことを知っているんだ。俺のそんな疑問は、次の遷杜の台詞によってすぐに解消された。
「俺たちはこれまでにも何回か、この九日間を繰り返している。時間が巻き戻ったり、異世界に転移するなんてものではない。確かに、その一瞬一瞬では時は進んでいる。この世界は俺たちが認識できていないだけで、『これまでにも幾度となくビッグバンとビッグクランチを繰り返し、毎回少しずつ違う世界を作り上げた』。俺たちの記憶にある全ての記憶やこの肉体はその過程で作り上げられたものであり、何もかもがただの設定でしかなく、真実なんて存在せず、あるのは偽りだけだ」
「そ、そうだとしても! 何で、遷杜と地曳はそのことを知っているんだ!? それに、遷杜がこの世界の秘密とやらを知っていたのなら、もっと早くに俺のもう一つの人格に殺されていてもおかしくないだろ!?」
「だから、俺はろくな行動ができなかった。俺が殺されてしまえば、この真実を次のやつに教えることができなくなるからな。それに、つい三十分前に、俺はお前……厳密には冥加のもう一つの人格に殺されかけているのだが?」
「……すまん」
何がどうなっているというのか。俺の中に存在している数え切れないほどの数の疑問は遷杜と会話するごとに増えていき、そしてそれと同時に解消されていく。
つい先ほど、俺のもう一つの人格が遷杜を殺しかけていたことを思い出し、俺は遷杜に申し訳ない気持ちになり、黙り込んだ。そして、遷杜が次に台詞を発するのを待った。
「俺たち九人……つまり、水科、金泉、地曳、火狭、木全、土館、天王野、海鉾、そして冥加の内で、生存者が少なくなればなるほどこの世界の終焉へと向かうスピードは加速し、二人になってしまったその日のうちに世界は破滅する。その原因や理由やその後の状況などは俺の知るところではないが、そうなった場合にどうなるのか。最後に、それをお前に教えて俺たちの思いをお前に託す」
「……ああ」
「どの世界でも、俺たち九人の中には一人だけ『それよりも一つ前の世界の惨劇を経験している人物』が存在する。そいつは、冥加のもう一つの人格に殺されないように慎重に行動しながら、新しい世界で惨劇を回避する行動を取ることができる」
「……そして、この世界……今回の世界では遷杜がそれだった、ということか?」
「ああ。結局、俺は地曳が俺たちに何を伝えようとしていたのかを見つけ出すことができず、他のやつらの命を救うこともできなかった。だから、こうしてこの世界での生存者は俺と冥加の二人となり、この世界の終焉へと向かうスピードは加速している。あと一時間もすれば、次の新しい世界が生まれることだろう」
俺は遷杜のその説明を聞いて思った。今日を含めた九日間、遷杜の様子や言動がどこかおかしかったように感じたのは、遷杜が一つ前の世界で惨劇を経験していて、どうにかして自分の使命を果たさなければならないという責任感に押し潰されそうになっていたからなのではないだろうか。
おそらく、一つ前の世界でも俺は友だちをたくさん殺したのだろう。だからこそ、二度とそんな惨劇を繰り返さないために、必死だったのだ。
遷杜は自分の台詞の後、続けて言う。
「俺の前に『それよりも一つ前の世界の惨劇を経験している人物』は金泉だった」
「金泉が?」
「一つ前の世界で、俺は金泉から今の俺と冥加のように、この世界の秘密を説明された。だが、俺は信じることができなかった。いや、あの惨劇を夢か何かだと思い込んで、決して信じたくなかった。だから、地曳が殺された火曜日の晩に、電話で金泉に確認した」
「そういえば……一週間前の水曜日にそんな会話があったような気がする」
「そのとき、いくら聞いても金泉は俺の質問には答えなかった。いや、答えられるわけがなかった。それもそうだ。この世界にいる金泉はこの世界で新しく生まれた存在であり、俺が知っている一つ前の世界の金泉とは異なるのだから。そして、俺はそのときにようやく、この世界は何かが狂っていると悟った」
「そう……だったのか……」
惨劇。今の俺たちがその二文字で表しているのは、この俺冥加對の中で作り出されたもう一つの人格が、自分にとって邪魔になる存在を殺していったことによって発生した、連続殺人事件のこと。
遷杜の話によると、俺たち九人の内で最初に殺されてしまう地曳を除いた八人の中に『それよりも一つ前の世界の惨劇を経験している人物』が一人いて、それとは別に何も知らないもう一人にそのことを伝えるために生き延びる必要がある。
しかも、この世界が幾度となく再生と破滅を繰り返しているという真実を知っているのはその人一人だけであり、そのことを誰かに相談しようものなら、俺のもう一つの人格によってすぐに殺されることは明白だ。
だから、俺のもう一つの人格の目を欺いて、この世界が再生と破滅を繰り返していることではなく地曳が俺たちに伝えようとしていた『何か』についての真相を調べ、惨劇を回避する必要がある。いつから、誰から、どうしてこの悲しみの負の連鎖が始まったのかは分からない。俺が知らないところでこれまでに何回繰り返されたのかは分からない。
でも、みんなが同じく、自分たちが知っている平和で幸せで楽しい日常を取り戻すために行動していた。誰一人として欠けることなく、この世界の狂ったシステムを覆せるような、そんな日がくるまで。
「あと、水曜日の朝にお前が指摘してくれた、俺の首元にあった傷。あれは、土館によって付けられたものだ」
「土館に?」
「ああ。俺が生き延びた世界では、途中で冥加はリタイアし、代わりに土館が生き延びた。そして、俺は自分の命を守るためだけに、土館を返り討ちにして殺した。俺も冥加同様に、立派な殺人者だ」
俺が知っているこの世界では、土館は四番目に俺のもう一つの人格によって殺された。だが、遷杜が最初にいた世界ではそうではなかったらしい。
つまり、世界が新しく生まれ変わるごとに大半の事実はそれまでと同じだが、何かが少しだけ異なっている。だから、遷杜が最初にいた世界では俺が知っているこの世界と比べて、少しだけ人の言動が変わり、物事の流れは違っていたのだろう。
考えれば考えるほど、不思議だ。時間が巻き戻っているわけでも、平行世界に移動しているわけでもないのに、同じような時が再び流れる。そして、俺たちは一人が生き残り、もう一人がその人物にこの世界の秘密を伝える。
幾度となく起きた惨劇を回避して、全員が生き残れるような世界を目指して。また、地曳が何を伝えようとしていたのか、何で俺の精神的な病は再発し、もう一つの人格を生み出してしまったのか、その真相を暴くために。
ただ無防備に雨に打たれている俺と遷杜の間に沈黙が訪れる。聞こえてくるのはその雨が人工樹林の地面や人工樹木に当たる音のみ。それ以外は何も聞こえない。そんなとき、不意に遷杜がやけに深刻そうな表情をしながら俺に言った。
「冥加……次は、お前が生き残らなければならないんだ。俺の役目は終わった。それにもう、あまり時間がない。だから……この世界の真相を暴いてくれ。何かが狂っているこの世界から、全員で抜け出すために」
「遷杜……」
遷杜のその台詞は、遷杜自身がやり遂げることができなかった、そしてこれまでに今の遷杜と同様の立場になったみんなもやり遂げることができなかった、その想いを俺に託す意味が込められていたように感じた。
「分かった」
俺は一言だけ、遷杜にそう言った。その言葉を聞いた遷杜は、つい先ほどまでのやけに深刻そうな表情を少しだけ緩め、俺のもとへと歩いてきた。そして、つい先ほど遷杜が出現させた電話ボックスのような大きめの直方体のほうを向いて、俺に語った。
「俺が言えるのはここまでだ。あとは、あの『箱』の内側に書いてあることを読めば、事がどれほど深刻なのかが分かるだろう。ああ、そうだ。言い忘れていたが、あの『箱』に入っている限りはどうやらビッグバンやビッグクランチの影響は受けないらしい。何事にも例外が存在する場合はあるが、あの『箱』は世界改変によって消滅しないようになっている。まあ、調べる時間がなかったから、仕組みも素材も分からないままだが。現に、俺自身もあれに入れたからこうして生き残っているわけだしな」
「そうか。それじゃあ……遷杜も一緒に行こうぜ」
「……何?」
「え? いや、だって、あの大きさだと少し狭いかもしれないが、それでも、二人くらいなら入れるだろ? だったら――」
「残念だが、それはできない」
「え……?」
何も、俺が遷杜を見捨てて一人だけ生き残り、次に新しく生まれる世界で真相を暴く必要性はない。せっかくビッグバンやビッグクランチの影響を受けないという例外的な『箱』というものがあるのだから、生き残ることができる二人が生き残ったほうが色々と都合がいいはずだ。
みんなが知らない情報を知っているのが二人なら、一人ではできないこともできるというものだ。一人で行動するときよりも効率がいいし、一人で悩み苦しむ必要もない。それに、あまり考えたくないが、一人が殺されてももう一人がやり遂げればいい。
しかし、遷杜は俺のその考えをすぐに否定した。最後まで聞くことなく、ただただ悲しそうな表情をして。遷杜は続けて言う。
「あの『箱』に入るためには、PICに記録されている何か特殊な暗号が必要らしい。そして、その暗号は各世界で一人ごと異なり、一度使えば『箱』に登録されてしまい、二度と使うことはできない」
「それって……つまり……」
「そうだ。俺は一度、その暗号を使用してあの『箱』に入った。だから、俺はもうあの『箱』に入ることはできない」
俺は目の前が真っ白になるような感覚に陥った。今、遷杜が言ったことはつまり、こういうことだからだ。
あの『箱』には鍵がかかっており、入るにはPICに記録されている暗号が必要。暗号は各世界のPICによって異なっていて、一度使用してしまう『箱』に記録されてしまい、二度と使用することはできない。つまり、その世界において、同じ人物は一度しかあの『箱』に入ることができない。
遷杜は一つ前の世界ですでにあの『箱』の中に入っており、その際に暗号を使ってしまった。だから、今の遷杜には、あの『箱』に入ることができる権利が残されていない。一方、俺はまだあの『箱』に入っていないからその権利が残されている。
だったら、もし俺が遷杜を置いてあの『箱』の中に入った場合、遷杜はこの後どうなるんだ? 俺の中ではそんな疑問がぐるぐると目まぐるしく回り始めた。
この世界はあと一時間くらいでビッグクランチが起き、例外の存在であるあの『箱』を残して破滅する。そして、今のこの世界の事象とそのほとんどが同じの新しい世界がビッグバンによって誕生し、そこにいる俺以外のみんなは新しい素材で肉体を生成され、偽りの記憶を植え付けられる。
だとすると、その破滅の際にまだ生きている遷杜は巻き込まれて死んでしまうのではないだろうか。世界の破滅なんてこの目で見たこともないし、この体で経験したこともない。だが、少なくとも、とんでもないことが起きるのだということは分かる。そんなものに遷杜が巻き込まれてしまえば、ただで済むはずがない。
そう考え至った俺は、遷杜の腕を引っ張って『箱』へと向かっていた。
「冥加……?」
「俺は認めない! たとえこの世界が滅びようとも、遷杜が安全地帯に行ける権利を失っていたとしても、何か方法があるはずだ!」
「……冥加……」
「それに、暗号は『箱』を開けるために必要なだけだろ!? だったら、俺が『箱』を開けて同時に遷杜も入ればいいじゃないか! 一秒しか入れないとか、二人入ると重量オーバーになるとか、ビッグバンやビッグクランチを耐えられるものがそんな安い作りなわけないだろ!? これなら、俺も遷杜も生き残ることができるじゃないか!」
「……無理なんだ」
俺は目に涙を浮かべながら、それまで抑えつけていた感情を放ち、泣きそうな顔をしながら遷杜に思っていることや願っていることを言った。しかし、またしても遷杜は俺の願いを聞き入れることはなかった。
「何が無理だっていうんだよ! 俺は……俺のもう一つの人格はみんなを殺したんだ! しかも、非人道的な残酷な状態で狂ったように! そして、俺の友だちは、親友はもう遷杜しか残っていないんだよ! 理由は何であれ、死なずに済んだ友だちを目の前で見捨てるなんてこと、俺には――がはっ!」
突如として、腹部に強烈な痛みが走る。その痛みを堪えるために俺は両手で自分の腹部を抱え、地面に膝を突いた。そして、ふと顔を見上げたとき、遷杜が俺のことを見下ろしている様子が伺えた。遷杜に右腕の拳は震えながらも力強く握られており、遷杜が俺の腹部を殴ったのだということがすぐに分かった。
「何……で……」
「これはもう、何があっても、どんな奇跡が起ころうとも、お前にしかできないことだ。この世界でみんなの命を救うことができなかった俺には、『箱』に入る権利も次の世界でのうのうと生きていい権利もない。だが、お前は違う。お前なら、次の世界できっとみんなを救ってくれる」
「……俺は……」
俺が台詞を言い始めたそのとき、再び俺の腹部や足などの部位に強烈な痛みが走る。肺から空気が抜け出し、脳が揺さぶられ、全身に走る痛みによって、俺は意識を失いそうになる。
そのまま約三分間、俺が指一本動かせない状態になるまで遷杜は何度も何度も蹴ったり殴ったりしてきた。そのときの遷杜の表情は、普段ならば絶対に見せないような、今にも泣きそうに、つらいことがよく分かるものだった。
そして、何度も殴打されたことによって全身は痣だらけになり、ところどころの骨が折れたりひびが入ったりしているのではないかと思ってしまうほどまで痛めつけられた俺は、雨でグシャグシャになった人工樹林の地面に横たわった。遷杜はそんな風に脱力仕切った俺のことを簡単に肩に担ぐと、そのまま『箱』の前に立って何やら操作をし始めた。
『箱』が開くまでにはそう時間はかからなかった。いや、『箱』が開いた、というのはあくまで意識が朦朧としていた俺が定義づけただけのことであり、実際にどのように俺は『箱』の中に入れられたのかを覚えてはいない。
『箱』の入り口が閉じられる直前、ふと遷杜の顔が見える。そのときの遷杜は、何かを悟ったかのように、穏やかな表情をしていた。
「せ……遷杜おおおおおおおお!!」
俺の叫び声のような大声は遷杜の元に届くことはない。不安定となったこの世界は『箱』を例外として破滅し、そのすぐ後に新しい世界を誕生させる。
そこでもまた、惨劇は繰り返され、大勢の人が悲惨な状態で死ぬのだろう。俺はそれを食い止めることができるのだろうか。その答えが導き出せない。そして、俺の意識が途切れる直前、親友の声が聞こえたような気がした。
『頑張れよ。冥加』と。
直後、世界は、滅びた――。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
どこからともなく一つのアラーム音がうるさく鳴り響き、それが聞こえてくる。俺は眠っていたのか、それとも気絶していたのか。どうやら俺の意識はいつからなのか、知らないうちに途切れていたらしい。そんな俺はそのアラーム音を聞いたことによって意識を取り戻し、目が冴えてくると同時に今自分がどのような状況にあるのかを周辺のことから順番に一つずつ調べ始めた。
そのとき、俺は思い出した。
「そうか……ここから、なのか……」
俺は一言だけ呟いた後、PICを操作してうるさく鳴り響くアラームを消した。そして、PICの明かりの範囲を広げ、俺が目を覚ましたときに正面を向いていた場所へ光を当てた。
そこには、全身にナイフのようなもので切り付けられたような痕があり、そこから大量の血液が流れ出している地曳の死体があった。地曳の口元は以前俺が見たときと同様に狂気を感じさせるものであり、地曳の血は少しずつ俺の足下へと流れてきていた。
俺は目の前に地曳の死体があることを確認した後、ある人物に電話をかけた。
「あー、もしもし。遷杜か?」
『どうしたんだ、冥加。こんな遅くに。話があるのなら、明日学校ですればいいだろ?』
「いや、ちょっと急用でな」
『急用?』
「ああ。……遷杜は、もし俺が『俺たちが認識できていないだけで、この世界は何度も破滅と誕生を繰り返している』と言ったら信じるか?」
『……? どういう意味だ、それは。何かの心理テストか? あ、待て。もしかして、そんな宿題が出ていたのか? 俺は聞いてないぞ、そんな宿題』
「……あー、ごめんごめん。分からないならいいんだ。それじゃ――」
『まあ、でも、もしそうだとしたのなら、それは中々に面白い理論かもな。それに、もし冥加がそう言うのなら、おそらく俺は信じるだろう』
「……そうか。悪いな、こんな夜遅くに電話なんてかけて」
『いや、大丈夫だ』
「それじゃあ、また明日な」
『ああ』
そう言った後、音声だけの電話が切れ、PICからは通話終了を意味するアラーム音が聞こえてくる。そのアラーム音を聞きながら、俺は考える。
世界は破滅し、誕生した。遷杜を疑っていたわけではなかったが、やはり遷杜の言ったことは真実だった。今ここにいる遷杜は、俺が知っている遷杜とは厳密には少し違う。もちろん、遷杜に限らず他のみんなやこの世界の全てが厳密には少し違う。何もかもが、誰もが、俺の知っている世界のものと比べた場合、少しだけ異なっているのだ。
今遷杜に電話をかけて、ようやくそれを確信できた。この世界の遷杜はあの惨劇を知らず、この世界の秘密を知らなかった。つまり、この新しく生まれた世界であの惨劇とこの世界の秘密を知っているのは、俺ただ一人だけになったということだ。
今は状況確認として遷杜に電話をかけたが、これ以上誰かにこれらのことを話すわけにはいかない。もし、俺のもう一つの人格が俺のことを不必要な存在だと考えれば、自分ごと俺のことを殺すだろう。そうなってしまうと、次の人にこれらのことを話すことができなくなる。
惨劇と世界の秘密を伝える人物。これからは、その人物のことを『伝承者』と呼ぼう。『伝承者』はどの世界でも一人だけしか存在できず、その『伝承者』が選ぶことができる次の『伝承者』はただ一人だけ。そして、『伝承者』に与えられた使命は『連続殺人事件という惨劇を回避し、地曳が伝えようとしたことの真相を暴くこと』。
俺は人工樹林の一角に地曳の死体を放置したまま、歩き始めた。この世界でこれから起こりうる惨劇を回避させるために、地曳が俺たちに伝えようとしたことの真相を暴くために。そして……、
『これまでにつらい想いをしてきたみんなの想いを無駄にしないために』。
第一章 『Chapter:Pluto』 完