第二十八話 『括り』
「――だ――め――く――」
どこからか、聞き覚えのある少女の声が聞こえてくる。その声は誰のものなのか、どこから聞こえてきているのか。その答えは俺には分からない。
目の前には何もない。いや、何も見えなくて真っ暗であるといったほうが正しいか。音声だけが、まるで俺の脳内に直接送り込まれているように響き、頭痛がしそうなほど甲高い音が聞こえる。
これは一体、何なんだ……?
「――た――がく――すきだっ――になんで――」
気がつくと再び先ほど同様に同じ声色の声が聞こえてくる。聞く限りでは、その声の主は女性らしく、やけに切羽詰っているような、焦っているような、後悔しているような、そんな印象を受ける雰囲気を醸し出していた。
しかも、しだいに俺の意識が戻ってきているのか、その声に意識を集中させて時間が経つにつれて、その声がどのような言葉を発しているのかが理解できてくる。はじめは途切れ途切れでしか聞こえなかった声も、語尾だけならようやく言葉として認識できた。
そもそも、俺は気を失っているのか? 寝ているだけで、これは夢の中の出来事なのか? それとも、何か他の要因なのか? いくら自問自答をしてもその答えは出ず、謎は深まるばかりだ。
不意に、俺はあることを思い出した。そういえば、俺は放課後に北館校舎一階の空き教室に行って海鉾と話していたはずだ。それで、まさか海鉾の口から出てくるとは思わなかった、何かとんでもない台詞を聞いたような気がする。
それは何だっただろうか。いや、それ以前に、俺は海鉾との話を終えたのか。終えたとすれば、それはどういう話でどういう流れで終わったのか。
思い出せない。分からない。記憶にない。
直後、俺の頭部を何か硬いもので殴られたような、強烈な痛みが襲った。
「冥加くん! わたしは……わたしはずっとあなたのために、あなたに認識してもらうためだけにしてきたの! だから、わたしのことを――」
「……え……」
俺は、今自分が置かれている状況を理解できず、困惑した。
俺は床の上で横になっている海鉾に乗りかかるような状態で、海鉾の片腕と両足の身動きができないように拘束していた。その状態を把握すると同時に、先ほど俺の脳内に直接聞こえた声の主が海鉾であることも認識した。
海鉾は自分の右手だけ俺からの拘束を解いており、その右手には拳銃のような形の金属が握られていた。先ほど、俺の頭部に走った痛みの正体は、海鉾がその拳銃で俺を殴ったからなのだと分かった。
しかも、余程強く殴られたのか、拳銃の持ち手の部分にはびっしりと血が付着しており、拳銃自体も元々の色が分からないほど真っ赤に染まっていた。
さらに、俺の下敷きになるような状態で俺に必死に何かを訴えかけている海鉾の瞳は真っ直ぐに俺の顔を凝視しており、今にも泣きそうな、しかし真剣そうな表情をしていた。
また、その顔にも血が付着している。それ以外にも、海鉾の体には刃物で切り付けられたような傷跡があり、それらから血が出ていた。
俺は何をしているんだ? 何で俺は海鉾の体に跨って、海鉾の体を拘束して、お互いに血まみれになっているんだ? 何で海鉾は俺の頭部を拳銃のような金属で殴りつけて、俺に何かを訴えかけてきていて、今にも泣きそうな表情をしているんだ?
何がどうなったらこんなことになるのか。俺はこんなことを望んではいない。だから、今すぐ海鉾の体から退かないと。それで、何でこんなことになったのかを海鉾に聞いて、海鉾に謝らないと。そう思っていた。
しかし、俺は声を発することができなかった。しかも、俺の右手にはナイフが力強く握り締められており、その右腕は俺の意思とは関係なく、海鉾の体へと振り下ろされていた。
「……っ!? 冥加く――」
直後、ナイフが肉に突き刺さり、それを引き裂く音が俺の耳に聞こえた。また、それと同時に、俺の顔面を大量の血液が真っ赤に染め上げるかのように洗う。辺りには、それまでとは比べものにならないほどの量の血液が飛び散っていた。
俺の意識はここで途切れた。俺……すなわち、『この世界の冥加對』の意識は。
……どれほど時間が経っただろうか。一分、五分、十分、三十分、いや一時間。俺には時間を感じることができなかった。俺と海鉾が置かれていたあの状況に困惑し、自分の体を上手に制御できなくなっていたことも関係しているのか、俺は何も分からなくなっていた。
先ほどのあの光景は夢の中の出来事なのか、それとも俺の幻覚か。少なくとも、その二つであるとは思えなかった。あれはまさしく、やけに現実味を帯びた出来事……いや、現実そのものだったといえるだろう。
今にも泣きそうな表情で様々な感情が自分の中で入り乱れていたらしい海鉾、殴られたことによって俺の頭部に走った痛み、海鉾の体とその周辺に付着していた血。
そして、人の肉をこの手で、ナイフで突き刺して引き裂くあの感触。大量の血が海鉾の華奢な体から噴き出して、耳をつんざくような悲鳴が聞こえ、一つの命が消え失せる瞬間。
おそらく、俺があのような場面を見て感じたのはこれが初めてではない。何度も何度も、俺の意思とは関係なしにあのような場面は作り出されていた。理由は分からない。でも、ただ一つだけ、そのことだけは何となく分かっていた。
先ほどは海鉾に拳銃のような形をしている金属の塊で殴られた痛みで目が覚めたが、今回は朝起きるときのような快適な気持ちで目が覚めた。そして、時間が経つにつれてしだいに意識は回復し、俺は目の前にあったその悲惨な光景を目の当たりにした。
「……海鉾……!」
俺は例の北館校舎一階の空き教室の中央付近に立っていた。教室を覆っている透明な強化ガラスは海鉾が設定を変更して白く染めたため、中から外を見ることも外から中を見ることもできなくなっている。
元々空き教室だったからなのかあまり掃除が行き届いていないらしく少しほこりっぽい、そんな真っ白の教室の中、立ち竦んでいた俺の目の前に海鉾は横たわっていた。
ただし、海鉾は体中のいたるところに存在する切り傷や刺し傷から大量の血を溢れさせ、何かが弾けたかのように教室の床に自分の血を撒き散らしていた。
海鉾の腕や足にはまるで力が入っている様子はなく、頭もゴロンと力なく横を向いていた。海鉾の紫色の短髪や制服は海鉾の血で真っ赤に染まり、いまも傷口から流れ出ている血液がゆっくりと俺の足元に忍び寄っていた。
「……くそっ!」
俺は目の前で力なく横たわる海鉾の姿を見た後、自分の右手に真っ赤に染まった一本のナイフが握られていることに気がついた。このナイフが……いや、このナイフを持っている俺が海鉾を死に追いやったんだ。そう思った俺はそのナイフを床に叩きつけた。
結局、何だったんだ、今までの事件は。地曳から始まって、天王野、金泉、土館、逸弛、火狭、そして海鉾。みんな、『俺に殺されたんじゃないか』。
当然のことながら、俺はみんなのことが大好きだったし、一度だって死んでほしいと思ったことはない。でも、今のこの状況を見れば、これまでのことを思い出してみれば、今回を含めたこれまでの六回の事件の犯人は全てこの俺、冥加對であったということが分かる。
まず、今の状況。教室の外からの干渉を受けなくなったこの教室の中にいるのは俺と海鉾のただ二人だけ。つまり、この状況で海鉾を殺すことができるのは、生き残っている俺だけ。
しかも、つい先ほどまで俺の右手には血まみれのナイフが握り締められており、先ほど見たあの光景、すなわち海鉾と揉み合っていたあの場面を思い出せば、少なくとも俺が海鉾を殺したのだということが分かる。
そして、これまでのことを思い出すと、それらの『俺が連続殺人犯』であるという変えることのできない事実の証明にもなる。
何で、俺の近くにいた女の子がそのすぐ後に殺されていたのか。それは俺が犯人で、その子と会った直後に殺していたから。何で、俺の机の引き出しの中に土館のPICがあったのか。それは俺が土館を殺し、PICを奪い去ったから。
他にも、地曳の殺人事件から起きた出来事の全てを順番に思い出していけば、思い当たる節がいくつもある。些細なことから、分かりやすいことまで。俺の記憶や時間の感覚にずれが生じていたのも、おそらくそれが原因なのだろう。
だが、どうしても分からないことがある。何で、俺の友だち七人は死なないといけなかったのか。何で、殺した友だちのPICを奪ったりしたのか。そもそも何で、俺は彼らを殺したのか。
考えても考えても、一向に答えは出る気配を見せない。
「……遷杜……!?」
不意に、何者かの視線を感じた俺は教室の出入り口のドアを見た。すると、そこには重苦しい雰囲気を漂わせながら暗い表情をしている遷杜の姿があった。
遷杜は教室の床に血まみれで横たわって死んでいる海鉾の死体を見た後、そのすぐ目の前で立ちすくむ俺のほうを見た。そして、何も言わずに後ろを振り返り、どこかへと歩いて行った。
「ま、待て! 遷杜!」
俺は、自分こそが大勢の友だちを殺した犯人であるかもしれないと理解した。だが、遷杜はそのことを知らない。俺は記憶にないとはいえ、した覚えがないとはいえ、大量殺人犯だ。でも、今のこの状況を見た遷杜はまずどうするだろうか。
大勢の友だちを殺害したとして、俺の許されない罪を誰かに伝えるはずだ。
「うっ……うああああああああ!!」
突如として、俺の頭が真っ二つに割れてしまいそうな激痛が走った。頭の内側から殴られているような、押し広げられているような嫌な感覚がして、自分の体の制御ができなくなる。そして、最終的には俺の精神さえも制御できなくなってしまう。
意識が途切れる寸前、俺が最後に頭の中で思い浮かべたこと。それは……、
『俺はまだ、本来の目的を遣り遂げていない。この世界の秘密を守るために、木全遷杜を殺す……殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す』