第二十七話 『豹変』
今朝、海鉾に声をかけられてから、およそ八時間が経過した。本日の授業も全て終わり、普段ならこの後は特に用事もないので家まで直行するところだが、今日は違った。俺は海鉾に、放課後に北館校舎一階の空き教室まで来てほしいと言われているのだ。
昼休みは三十分以上もあるにも関わらず、それだけの時間では足りないほどの長い話らしい。それに、他に人がいる、もしくは人が通る可能性がある教室では話せない内容なのだという。
本人に聞いても答えてはくれなかったし、何か思い当たる節もない。これまでの六回の殺人事件についてのことなのかもしれないが、分かっている情報は少ないし、犯人が特定できたのなら俺ではなく警察に言うべきだ。
どうしても話の内容が気になった俺は昼休みに、せめてヒントだけでも教えてもらおうと海鉾のもとへと行こうとしたが、どこかに行っているらしく、教室にはいなかった。
もしかすると、遷杜なら何か分かっているかもしれないと思い、遷杜のもとに行こうとしたが、遷杜も海鉾同様に教室にはいなかった。
そのとき、俺は何だかとても不安になった。大切な友だちを六人も失い、生き残っている二人の様子も何かおかしい。クラスメイトの中で詳しい事情を知っているのは友だちグループだけだから、誰かに相談することもできない。
何とも言えないもどかしさを抱えつつ、俺は海鉾に指示された通り、北館校舎一階の空き教室へと向かう。普段行かない場所であることも理由の一つだが、それ以上に、これから海鉾は俺に何を言ってくるのか。俺はただただそのことだけが気がかりだった。
俺がいるクラスの教室は南館の二階にあるが、目的地である北館校舎一階までは大した距離はない。元々全校生徒が少ないことも影響して学校中のいたるところはガランとしているが、足を一歩まえに進めるごとに、その影響はさらに深みを増していった。
確か、海鉾は終礼が終わると同時に、俺が教室を出るよりも五分くらい早く教室を出ていたので、おそらくもう着いているのだろう。待ち合わせの場所に女の子を待たせてしまうというのは男として終了しているような気もするが、今の俺はそれどころではない。
歩き始めておよそ七分。ようやく俺は目的地である北館校舎一階に辿り着いた。海鉾の言っていた通り、この辺りにはほとんど人がいない。というか、誰もいない。まさに無人だ。
北館校舎一階にあるいくつかの教室はその全てが空き教室になっていたり、物置になっているため、余程の理由がなければほとんど来ることすらない。別の階の特殊教室に行くにしてもこんなところを通る必要もなく、校門に近いわけでもない。だから、誰も利用しないというわけだ。
これから何が起きるのかについて不安以外の感情を持てなかった俺は、自分の心臓の鼓動がしだいに早くなっていく感覚と、発汗が酷くなっていく感覚に襲われた。
透明な強化ガラスによって整備された北館校舎一階にあるいくつかの空き教室の内、海鉾は一番手前の教室の中にある椅子に座っていた。どうやら、俺が来ていることには気がついていないらしく、雨が振り続けている窓の外を眺めているだけのようだった。だが、その姿が逆に俺の不安を煽ってくる。
数秒後、ついに意を決した俺はその教室の自動ドアを開け、海鉾がいる教室内へと入った。
「……あ……冥加くん……」
「よ、よぉ……」
教室に入ると、すぐに海鉾が俺のほうに顔を向けて、浮かない表情のまま小さくそう言った。雨が降っているから憂鬱になっているのか、それとも別の理由か。少なくとも、今の海鉾はあまり楽しそうではないということだけは分かった。
「えっと……立ちながら話すのもあれだし、適当にテキトウに座ってくれる?」
「ああ」
海鉾に指示された通り、俺は自分の一番近くにあった椅子を起動させ、それに座った。一方の海鉾は俺がいた出入り口のドア付近に立ち、俺に背を向ける形でこそこそと何かをしていた。
直後、教室を覆っていた透明な強化ガラスの全てが真っ白に染まり、教室に隣接している廊下や窓の外にある雨の風景が見えなくなった。また、薄っすらと点灯していた天井の明かりが少しだけ明るくなった。
「海鉾? これは――」
「今朝も言ったけど、できるだけ他の人には聞かれたくない話なの。だから、念のためにわたしたちがこの教室内にいることを他の誰にも知られないように設定したんだけど……いいよね?」
「俺は構わないが……」
学校の教室に限らず、車道と歩道を区切る壁にも透明な強化ガラスは使用されている。だが、時にはその中が見えてはならない場合も存在する。だから、透明な強化ガラスの設定を変更して透明から白色に変えたり完全防音にしたりすることも可能だ。
しかし、それは全ての人ができるわけではなく、一定期間に何度か更新されるパスワードと本人認証をしなければ行えない。基本的に透明な強化ガラスの設定を変更する必要性が出るのは何か事件が起きたときくらいのものだ。
そのため、そのパスワードの情報を得ることができるのは、俺が知る限りでは警察官や消防士などの事件に関わる人物や、医者や教師などの事件に遭遇する可能性が高い職に就いている人物くらいのもの。
でも、海鉾はそれらのどれにも当てはまらない、ただの高校生二年生の女の子だ。家族がパスワード取得該当者ならばそれくらいできるのかもしれないが、やはり家族からパスワードを教えてもらうのは違反行為にほかならない。今は海鉾にとってはかなり重要なことらしいので仕方ないとして、本来はしないほうがいい行動だと思う。
あと、俺としては違反行為だとかそういうことはどうでもよく、むしろ男女が密室で二人きりというこの状況について海鉾が一定以上の抵抗を覚えてはいないのかということのほうが重要だった。
俺だって男子高校生だ。やはり、どうしてもそういうことは意識したくなくても意識してしまう。まあ、海鉾にその気がないことくらい分かっているし、そんなことをしたら犯罪だし、何よりも海鉾が気にしていないのなら何ら問題はない。
「じゃあ、そろそろ始めよっか」
教室の出入り口付近で透明な強化ガラスの設定を変更できるパネルを操作していた海鉾は、そう言った後、俺が座っていた椅子に隣り合わせになるように座ってきた。椅子の大きさは大きくはないが小さくもなく、ぎりぎり二人くらいなら座れるような大きさではあった。
だが、いまいち海鉾のその行動の意図がつかめなかった俺は、隣にあった別の椅子を起動させてそちらに座り替えようとした。しかし、その際に無言の海鉾に制服の端を掴まれ、最終的に俺は海鉾との距離がないまま同じ椅子で密着して座ることになった。
女の子にくっ付かれて座るというこの状態に俺の心臓の鼓動は時間が経つにつれて早くなり、海鉾が頭を俺の肩に倒してきたり手で太股辺りを触ってくるたびにその勢いは加速していった。
そのまま沈黙が続き、約一分。海鉾がしている意味不明だが男としてはかなり嬉しい行動に緊張したあまり俺は言葉を発することができず、海鉾も目を瞑ったままただただいじらしくしているばかりであった。
そんなとき、不意に海鉾が俺に話しかけてくる。
「……冥加くんは……誓許ちゃんのことが好きだったんだよね……?」
「え……?」
まるで予想できなかった海鉾のその台詞に、俺は完全に思考停止してしまった。
「どうなの?」
「えっと、その、いや……まあ、はい」
「……っ」
俺は海鉾に『俺が土館を好いている』ということを言っていなかったはず。それなのに、何で海鉾はそんなことを知っているんだ? その疑問は、海鉾の台詞によってすぐに解消された。
「で、でも、何でそんなことを海鉾が知っているんだ?」
「木全くんから聞いたの。ほら、一昨日の朝に謝ったでしょ?」
「あー……」
おい、遷杜おおおおおおおお!!!! 遷杜のやつ、何で海鉾にそんなことを教えるんだ! 余計なことを教えて、さらに状況が複雑化したらどうしようもないだろ!
余計な行動を起こした(俺の好きな女の子をばらした)遷杜への苛立ちを覚えつつ、俺は海鉾に言われたことを思い出す。あのとき……つまり、一昨日の朝に遷杜と海鉾が俺に言ってきた台詞の意味を理解した。
あのとき、遷杜と海鉾はなぜか俺に謝ってきた。『もう疑わないから』とか『疑って悪かった』とか。そのときは、何で二人が俺に謝るのかと思っていたが、そういうことだったのか。
おそらく、二人は『土館が殺されるよりも前までの三回の殺人事件の犯人=冥加』と思っていたのだろう。だが、その俺が好いていた土館が殺された。火狭みたいな例外があるとはいえ、好きな人を殺すなんてそうそうできることではない。
いや、好きな人だからできるのか? まあ、俺にはそういう複雑かつ真っ黒な人間関係はよく分からない。とりあえず、そのことは置いておこう。
だから、遷杜は海鉾に俺が土館を好いているということを伝え、自分の考えを述べた。それが、『冥加の好きな異性である土館が殺された=冥加は犯人ではないかもしれない』ということだった。それらのことを考えた二人はそれまで俺のことを疑っていたことを謝罪するために、一昨日の朝、わざわざ俺に謝りにきたのだろう。
俺なりに言動に気をつけていたはずなのに、知らず知らずのうちに友だちに犯人として扱われていただなんて思いもしなかった。それに、正直な話、結構ショックだった。でも、土館の事件がきっかけで俺の疑いは晴れ、今だって海鉾はそのことを教えてくれた。だから、もう終わったことなのだろう。そう考えた俺は特に海鉾のことを攻めたりせずに、海鉾の次の台詞を待った。
「それで、誓許ちゃんのどこが好きだったの?」
「どこって……優しかったり、お淑やかだったり……だが」
「他には?」
「他って……髪とか肌が綺麗だったり、女の子らしい可愛らしさがあるところ……かな」
これは一体何の罰ゲームだ、と言いたくなるような状況に俺は恥ずかしさを隠せなかった。というか、冷静になって考えてみれば、何で俺が土館のどこを好いているのかなんてことを海鉾に話さないといけないんだ。
恋愛話なんていう余談に時間をかけたくないし、これ以上恥ずかしい思いをしたくなかった俺は海鉾の話を中断させようとした。だが、その直前、海鉾が俺の顔を見上げるような形で上目遣いをしながら頬を赤く染めて、しかしやけに真剣そうに俺に聞いてきた。
「わたしは?」
「え?」
「わたしは優しかったり、お淑やかだったり、髪とか肌が綺麗だったり、女の子らしい可愛らしさはない?」
「え、いや……そんなことは……」
どちらかというと、海鉾は土館とは相反する性格の持ち主だと思う。土館は髪が長いが海鉾の髪は短い、そして、普段の様子も土館は火狭と喧嘩するとき以外は静かだが、海鉾はいつでも明るくて活発な女の子だ。
そもそも、二人とも魅力的な女の子であることには変わりないが、それぞれの良さはまるで正反対なのだ。だから、比べられるわけはないのだが、海鉾の真剣そうな表情を見てしまった俺は、そんなことを言う気にはなれなかった。
「じゃあ、わたしじゃダメだったの?」
「……海鉾……?」
「今のことが正しいなら、わたしも冥加くんの女の子の好みに少なからず当てはまっているはずだよ? だったら、誓許ちゃんなんかよりも、わたしを選んでもよかったんじゃない?」
「えっと、海鉾? 俺は――」
「何で私じゃないの!? わたし、これまでずっっと冥加くんのために色々してきたんだよ!?」
それまでの静かな雰囲気はどこに行ったのか、突然様子が豹変した海鉾。そんな海鉾に俺はただただ困惑しているしかなかった。
「何で、冥加くんは昔っっからそうなの!? 何で何で何で何で! 何で、わたしの存在に気づいてくれないの!? いい加減に、わたしのことを見てよ! あの約束は何だったのよ! 何年も何年も何年も何年も待ったのに、今回だって、冥加くんの手助けをしたり……」
次々と不満中傷の言葉を俺に放ち続ける海鉾に対して、俺は驚きのあまり声を発することもできなかった。海鉾は何に対してそんなに怒っているのか。昔とは、あの約束とは何のことなのか。そんな考えが俺の脳内で巡っていたとき、海鉾は核心を言った。
「そうだよ……この一週間だって……わたしは……冥加くんがした五回の殺人を手伝ったのに!」