第二十六話 『降雨』
今日は、雨が降る日だ。
というのも、現代において『季節』や『天候』なんてものはもはや自然現象でも何でもない。第三次世界大戦中に兵器として用いられていたその二つを自在に操ることができる技術により、現代の人類はその二つを『天気予報』ではなく『天気予定』として一ヶ月前から知ることができる。
『季節』は三月から五月が春、六月から八月が夏、九月から十一月が秋、十二月から二月が冬となっている。それらの開始日はそれぞれの開始月の一日の〇時から最終日の二十四時までとなっており、それに応じて天気、湿度、気温などが少しずつ変化するようになっている。
『季節』に応じて、毎日毎時間、少しずつ湿度や気温は変化する。また、そのどれもが夏にも関わらず熱過ぎず、冬にも関わらず寒過ぎないようになっており、乾燥し過ぎず、湿り過ぎないように調整されている。
これは、『季節』に応じて湿度や気温を変えるとはいっても、やはり人が感じる湿度や気温には個人差がある。だから、できる限り人が好みやすい湿度や気温に近づけ、体が弱い人にも配慮しているとのことである。
最後に『天候』だが、基本的には毎日晴れだ。晴天だ。また、わざわざ自然災害を起こす必要もないので、台風などによる豪雨や路面が埋もれるほどの大雪や建物を破壊するほどの落雷はこの十年間で一度もない。
しかし、各月の偶数週の水曜日の〇時から二十四時のみ、一時間あたり十ミリメートルの雨が降ることになっている。この量は降り過ぎず、降らなさ過ぎず、ほどよい降水量なのだという。あと、冬の季節に限っては、雨の代わりに雪が降るようになっている。
まあ、今説明した『季節』も『天候』もそれらに影響される気象情報も、ここ日本にのみ当てはまる話だ。他の国ではそれぞれの国が設定した通りの区分になっているため、日本とは少しずつ違う。
以前、俺が授業でこれらのことを教えられたときに聞いた話によると、『季節』は世界中のいたるところに設置されている人工樹林やその他の制御装置によってあらかじめ設定された通りにコントロールされており、『天候』は各国の上空にある雲に特殊な薬品をばら撒くことで雨を降らしたり降らさなかったりしているらしい。
戦争中は相手国の天候を変えて作戦を狂わしたり、意図的に起こした自然災害で勝利しようとしていた国もあったらしい。確かに、毎日雨が降ったり、一日も雨が降らなかったりすると、国内の農業などに大きな影響が出そうだしな。だが、そんな戦争も終わり、こうして平和に利用されているわけだ。
毎朝テレビで放送されているニュース番組やPICに送られてくる最新記事などには、その日と次の日の『天気予定』が記されている。実用化してすぐの頃は何度か予定通りにいかないこともあったが、最近ではむしろ予定通りにいかないことのほうが少なくなった。
そんなわけで、本日の天候は雨。一昨日の深夜に、火狭に殺された逸弛の死体を発見し、昨日、何者かによって殺された火狭の死体を発見した。今日は、その次の日の朝だ。
雨の日は何かと立て込んでしまうと思い、いつもよりも五分くらい早く家を出た俺は八時十五分過ぎにはすでに学校に着いていた。そして、起動させた自分の席の椅子に座り、窓の外にある空に浮かんでいる黒色と灰色に染まった雲を眺めていた。
原因や経過は何であれ、ものの一週間のうちで六人も友だちを失ってしまった。生き残っているのは俺と遷杜と海鉾だけ。八人は、高校生になるまでの俺を苦しめていた精神的な病を治すきっかけになった友だち。だが、その友だちも残っているのはたった二人だけだ。
別に、俺は友だちグループ以外に友だちがいないわけではない。でも、特に仲が良く、よく話し、何度も遊んだ仲であった彼らを失ったのは、俺の心に大きな穴を開けることとなった。
一番最初に地曳が殺された火曜日の夜からもう八日間も経過しているというのに、今だに犯人がどこにいるのかすら分かってはいない。警察は犯人捜しをしているのかと疑いたくなるほどに、犯人の情報は入ってこない。
ただ、昨日遷杜と海鉾が俺の代わりに逸弛と火狭の死体が人工樹林にあることを警察に伝えたところ、どうやらその死体からも、それまでの四人同様にPICがなくなっていたという。
俺が逸弛の死体を発見したときは夜だったから暗くてよく確認できなかったし、火狭の死体を発見したときは殺人現場のあまりの悲惨さにそれどころではなかった。
だから、俺が発見したときにすでにPICはなくなっていたのか、それとも俺が発見した後にPICは何者かによって奪い取られたのか。俺には分からない。
そもそも、凶器がナイフであること、死体からはPICがなくなっていること、殺されているのは俺の友だちグループの女の子たちであること(逸弛は火狭に殺されたので除外)以外で分かっている情報が少な過ぎる。
逸弛の言葉通り、火狭が犯人だったのなら、その殺人現場の目撃者である俺を何としてでも殺そうとしただろうし、何よりも火狭さえも殺されているということはその可能性は極めて低い。
俺の机の引き出しの中にあった土館のPICの件もある。俺は土館のPICに触れた記憶はないし、うっかり持って帰ったなんてことはないだろうし、あのPICには血が付着していた。また、犯人がわざわざそこに入れたという可能性も考えにくい。
土館といえば、その妹の件もある。以前土館が殺されるよりも前に電話をかけたとき、その電話に出たのは土館本人ではなく土館妹だった。話し方も声色も姉妹としては似ていたかもしれないが、やはりまったく異なっていたように思える。それに、わざわざ土館が演技する理由も見当たらないから、あれは本当に土館の妹だったのだということが分かる。
だが、昨日、海鉾がふと呟いた『土館は母親と二人暮らし』という言葉。土館がその妹を演技する理由が見当たらないのと同様に、何気なく言葉を発した海鉾が嘘を言うとは考えにくい。でも、どちらかが嘘であると仮定しなければ話が成り立たなくなる。
地曳が殺された日の夜に地曳から送られてきた一通のメール、そして地曳が殺された直後にさらに地曳から送られてきたそれとは別の一通のメール。天王野の様子がおかしかったこと、何かに気がついていたらしい金泉。
これまでに起こったことには、まるで関連性がないように思える。だが、何か様子がおかしかったり、普段とは異なる行動を起こした人から順番に殺されていることから考えると、やはりその裏では何か重大なことが関わっているのかもしれない。
何か情報を知っていそうな六人が殺されてしまっている以上、俺が考えられるのはここまでだ。とりあえず、火狭が犯人だったのならこれ以降殺人は起きなくなると思うし、しばらくは身の安全を気にしてビクビクと怯えながら生活する必要もなさそうだ。
「あ、冥加くーん。ちょっといいかな?」
「……ん? お、おわぁ! 近っ!」
俺は考えを巡らせ過ぎたあまり、脳がオーバーヒートを起こしてしまい、ボーっと窓の外を眺めていた。
すると、あと数分で一時間目の授業が始まろうかというとき、不意に海鉾がそんな俺に声をかけてきた。海鉾の声がした方向を見てみると、そこには俺の顔を覗き込むような状態で、俺の顔面前方数センチメートルのところに紫色の短い髪をした可憐な少女の顔があった。
「あはは。そんなに驚かなくてもいいでしょー?」
「わ、悪い……。でも、俺が振り向いた場所がもう少し前だったら顔が当たってたぞ?」
俺は不意に声をかけられ、しかも目の前に海鉾の綺麗な顔があったことに心底驚き、そのまま勢いよく後方へ後ずさりし、海鉾と距離をとってしまう。しかし、一方の海鉾はそんな俺の驚いた様子を見て満足したのか、可愛らしい笑みを浮かべた。
それでもやはり、不可抗力とはいえ異性と顔を近づけたことに恥ずかしさを覚えたのか、海鉾はほんのりと頬を赤らめ、やや恥ずかしそうに言った。
「えー……もしかして、キスとかしたかった?」
「…………はい?」
「じょ、冗談だよ! 冗談! や、やだなー、そんなにマジな顔しないでよー」
何を言われたのか理解が追いつかない俺と、必死に台詞を取り消そうとする海鉾。以前、火狭にも似たようなことを言われたような気がするが、今の台詞を放った海鉾の様子とそのときの火狭の様子は大きく異なっていたように思える。
何というか、嘘だとか冗談だとか被害妄想だとか、そういうものとは違う、何かだと思う。ただ、その『何か』の正体が何なのかまでは分からない。
俺が焦っている海鉾の様子を呆然と眺めていると、海鉾はさらに顔を赤くし、何度も何度も先ほどの台詞を取り消そうと訂正してきた。俺は別に気にしていなかったので、これ以上海鉾に謝らせ続けるのも悪いし、もう少しで授業が始まってしまうのに本題にも入れていない。とりあえず、話だけは聞いておこうと思い、焦り続ける海鉾の様子にも構わず、俺は話を切り替えた。
「えっと……それで、海鉾は俺に何か話があったんじゃないのか?」
「話……あ! そうだった! 冥加くんとキスなんて叶わない夢を考えた自分を隠そうと訂正なんかしている場合じゃなかった! って、また余計なこと言っちゃった!」
……ん? 今、海鉾は何と言った? 『冥加くんとキスなんて叶わない夢』と言ったよな? でも、この場合の『叶わない夢』という表現は『自分が望んでもその間に何か弊害が起きる夢』を指すことが多いが、そうなると、なんだ。海鉾は俺とキスがしたかったのか?
……いやいやいやいや。確かに、俺は海鉾の好きな人を聞いたことがないからその可能性もあるのかもしれないが、さすがに考えにくいし、今の台詞だけでそう判断するのは早過ぎる。それに、俺の考え過ぎなのかもしれないじゃないか。きっと、何かの聞き間違いだろう。
テキトウに結論づけた俺に対して、海鉾は今の台詞を言ってしまったことによってさらに顔を赤く染め、早口過ぎて聞き取ることができない別次元の言語を発していた。
しかし、しばらくその様子を眺めていると、俺が呆れていると思ったのか、一時間目がもうすぐ始まってしまうことを思い出したのか、海鉾は突然それらの行動をやめた。そして、いたって真剣そうな表情で俺の顔を凝視しながら言う。
「実はね、冥加くん。わたし、冥加くんに話があるんだ。とっっても大事な」
「そうなのか? 分かった。それで、どんな話なんだ?」
「でも、今はもう時間がないし、昼休みの時間でも足りないかもしれないから……今日の放課後、また会える?」
「ああ。教室でいいのか?」
「ううん。教室だと人目につくかもしれないから、一階の北館校舎の未使用教室辺りでどう? あそこなら人も通らないだろうし」
先ほどまでとは打って変わり、海鉾は淡々と話を進めていく。俺は、突然態度が変わった海鉾に少し困惑しつつも、できる限り話を合わそうとした。
だが、そんなとき、どうしても気になることがあった俺はそれを海鉾に尋ねた。
「それにしても海鉾。いったい、何を話すっていうんだ? 三十分以上ある昼休みで足りないほど長い話で、他の人に聞かれるとまずい話、って」
それはおそらく、俺でなくても誰でも考えて言いそうな質問だった。三十分以上ある昼休みで足りないほど長い話で、他の人に聞かれるとまずい話なんてあまり思いつかないし、そんな話が海鉾から持ちかけられるとは思いもしなかった。
しかし、話の頭だけでも聞いておこうと思っていた俺の予定に反し、海鉾は顔を俯け、小さな掠れそう声で呟くかのように言った。
「……わたしだって、本当は聞きたくないんだよ……? でもね、そろそろ気づいてほしいから……」
普段の明るい雰囲気とも、恥ずかしがって焦っている雰囲気とも、真剣な表情で俺のことを凝視してきた雰囲気とも違う、別の顔の海鉾がそこにはいた。
直後、一時間目の授業が始まることを知らせるチャイムが教室中に響き渡り、教室の外にいた生徒たちがなだれこみ、各々が自分の席に座っていく。そのとき、海鉾は顔を上げ、満面の笑みをして俺のほうを向いた。
「ま、細かいことも含めてまた放課後に話すから! それじゃね~」
「あ、ああ」
結局、何の話をするのかすら分からないまま、俺は放課後に海鉾と話をすることになった。