第二十三話 『犯人』
俺はPICから鳴り響く甲高い電子音を聞きながら、その場に呆然と立ち尽くすしかなかった。おそらく、生々しい打撃音が聞こえてきたことや電話が切れたことを考えると、俺と電話をしていた逸弛は火狭に殺されてしまったのだろう。
今、この瞬間まで、まさか火狭がこれまでの四回の殺人事件の犯人かもしれないなんて、少しも考えたことはなかった。しかし、俺と電話していた逸弛が殺され、その逸弛が俺に教えてくれた貴重な情報をまとめると、やはり火狭が犯人かもしれないと思えてくる。
火狭が殺人に手を染めてしまった理由。恋人である逸弛を殺さなければいけなかった理由。
一週間前の火曜日、一番最初に殺された地曳と火狭の間に何があったのかは分からない。だが、二人の間には、確かに何らかの問題が発生していた。だからこそ、今殺された逸弛を含めてこれまでに五人の友だちが殺され、悲惨な姿でその死体が発見された。
しかし、今になって思い返してみても、地曳が殺された日以降の火狭の様子は特に変わったところはなかったように思える。いつも通り逸弛とイチャイチャして、いつも通り土館と喧嘩をしていた。夜中に、逸弛と喧嘩したことについて俺に相談してきたりもした。
だったら、あれらが全て嘘だったというのか。俺が日常だと思っていた、平和で平穏なあの日々は、全て火狭の演技だったというのか。
ただ、火狭が逸弛を殺したことや逸弛が俺に教えてくれた貴重な情報をまとめると、火狭が犯人であることはまず間違いないだろう。
でも、俺はなぜか納得できていなかった。本当に、火狭はこれまでの四回の殺人事件の犯人なのだろうか。逸弛を殺したのは火狭だとしても、他の四人を殺したのは火狭ではないのではないだろうか。そんな推測ばかりが俺の脳内に浮かんでくるばかりだ。
それに、つい数十分前に俺が自室にて机の引き出しの中から発見した、土館のPICの件もある。もし、火狭が土館を殺した後、俺の家に侵入してあれを俺の机の引き出しの中に入れたのなら、それ以上俺が考えられることはない。だが、不法侵入なんて、そう簡単にできるわけではない。百年前や二百年前ならともかく、現代のセキュリティをなめてもらっては困る。
やはり、俺の脳内ではそのことが大きく引っかかっていた。
俺は、より正確な情報を調べる必要がある。逸弛を含めた殺された五人の命と思いを無駄にしないためにも、俺は『五人を殺した犯人は本当に火狭なのか』ということの真相を暴く必要がある。
逸弛が火狭に殺されてからおよそ一分後、俺はようやく考えを行動に移した。俺の手や体は、殺人者に成り果てた火狭への恐怖の感情によって震え、普段のように上手に動いてくれない。
だが、俺は心拍数が上がり、嫌な汗をかき続けているにも関わらず、そんなことにはまるで構わないかのように、目的地へと走り始めた。
これから俺は、逸弛の生死を確認し、火狭と話をする。今、俺がするべきことはその二つだけだ。もしかすると、逸弛はまだ死んでいないかもしれないし、火狭は連続殺人犯ではないかもしれない。また、現実は俺の思い通りにはいかないかもしれない。
でも、そのかすかな希望を胸に、俺は真っ暗で静かな人気のない人工樹林の中へと入っていった。
人工樹林の中へと入ると、それまでも充分に暗かった街路よりもさらに辺りは真っ暗になった。人がいないことや風以外の音が立たないことは街路を歩いていたときと同じだが、その暗さは俺の恐怖心を煽ってきた。
俺が最後にここに来たのは、地曳殺人事件の謎について解明するために金泉と海鉾の三人で来たとき以来だ。その前に来たときは、俺の目の前には全身を切りつけられて殺されている地曳の死体があった。
今になって思い返してみれば、俺にとってこの人工樹林は、嫌な思い出しかない場所といえるだろう。地曳の死体を目撃して、捜索に来たときは余計に謎が深まるだけで。そして、いまは逸弛の生死を確認し、火狭と話をすることを目的として俺は二人のことを探している。
こんな状況、これまで考えられなかった。これまでは、俺の友だちグループは九人全員が仲よくできていたはずなのに。それなのに、何でこんな殺し合いみたいなことをしないといけないんだ。
人身事故どころか殺人事件さえ時代遅れのはずの現代で、何でこんなことになってしまったんだ。警察が動いている気配もないし、解明できていない謎も多く存在する。この世界が狂ってしまったのはいつからなのか。ただ一つだけ分かるのは、俺がその答えを知るよしはないということだけだ。
俺はただひたすらに真っ暗な人工樹林の中を駆けていた。正直なところ、逸弛と火狭がどこにいるのかは分からない。でも、この人工樹林は規則的に人工樹木が並んでいるだけで、実はそう広くない。それに、建物や地下街があるわけでもないので、テキトウに走っていればそのうち現場へと辿り着くことができるだろう。
時刻はあと十数分で日をまたごうとしていた。普段の俺なら、このくらいの時間にはもう布団の中に入って寝ていたことだろう。そもそも、俺の今日の散歩だって、逸弛から電話がこなければとっくに家に戻っていた頃だ。
俺の心は、恐怖などの嫌な感情によって必然的に緊張状態に陥っていた。自分の体のはずなのに、うまくコントロールできなくなりそうなときさえある。でも、人工樹林に入ってから数分間、俺は二人を探し出すために無我夢中で走り続けた。
そして……、
「……!」
真っ暗な人工樹林の中の一部分を、人工樹木の葉から少しだけもれていた月の明かりがその現場をうっすらと明るく照らしていた。とはいっても、具体的に何がどうなっているのかまでは分からず、ぼんやりと何かが動いていることだけは確認できた。
走っていた俺はその光景を目撃した後、その足を止めて一歩ずつゆっくりとその方向へと歩み始めた。俺が向かっていたその場所からは『グチャッ……グチャ……』という生々しい打撃音が響き渡っていた。
俺が向かっていたその場所まで残り数メートルの地点に着いたとき、俺はそこで何が起きていたのかを真に理解した。
「……あたしは……あたしは……!」
そこには、俺の予想通り、逸弛と火狭の姿があった。しかし、その二人の様子は誰もが知っている仲がいい恋人などではなく、ただの一人の殺人犯とただの一つの肉の塊でしかなかった。
火狭は二メートル近くの長さはある金属の棒を手に持っている。それを何度も何度も地面にある肉片に振り下ろし、そのたびに先ほどのような生々しい打撃音が響き渡る。そして、それと同時に火狭の顔や着ている服に真っ赤な液体が飛び散る。
火狭はこれまで俺が見たこともないような恐ろしい形相で、力を込めて復讐でもするかのように、ぶつぶつと独り言を呟きながらその行動を行っていた。
一方、火狭に殴りつけられていた肉の塊は……いうまでもなく、俺の友だちである水科逸弛だったものだった。
その肉の塊は、俺に元々の形がどのようなものだったのかを想像させる隙を与えないほどグチャグチャになっており、もはや『これは本当に人だったのか?』と問われれば、うっかり『違う』と答えてしまいそうになるほどまでに原型をとどめていなかった。
火狭が、かつて逸弛だった肉の塊を殴りつけ、辺りに血や肉片が飛び散る。本来の人工樹林の色である緑色や茶色を上塗りするかのように、そこにいた殺人犯と肉片の周囲は真っ赤に染まっている。また、近くには数多くの肉片や内臓も飛び散っており、現場に隣接している人工樹林の側面には大量の血が付着している。
悲惨で残酷で狂気じみているその光景を目撃した俺は『これこそが地獄なのか』と思った。これまでにも、俺は三回にも渡って悲惨な殺人現場を目撃してきた。でも、今俺が見ているこの光景はその何倍も上をいっていた。
地曳の殺人現場のときよりも死体の状況は酷く、天王野のときよりも大量の血が辺りに飛び散っており、金泉のときよりも肉片が飛び散っている。
「……うっ……」
この悲惨な殺人現場を作り出している火狭は何とも感じていないのか。それは分からない。だが、少なくとも俺にとってこの光景は吐き気をもよおす以外の何物でもなかった。胃の底から全ての胃液が逆流して体外へと出てしまうのではないか。そんな感覚にさえ襲われた。
これは……もう、手遅れだ。逸弛はその原型さえ分からないほど殴りつけられてしまっていて、死んでいる。いや、これはもう死んでいるとかそういう次元を超えた、言葉としては言い表しにくい何かに成り果ててしまっている。
結局、俺が確認するまでもなく、逸弛の言っていた台詞はその全てが真実であったのだ。逸弛は火狭を殺し、火狭はこれまでにも四人のことを殺してきたのだ。逸弛を死に追いやった凶器とこれまでに殺された四人を死に追いやった凶器は少し異なるが、死体の状況が類似していることから、それは大きな問題ではないことが分かる
とにかく、俺も一刻も早くこの現場から避難しなければ。そうしないと、もし俺が火狭に見つかってしまえば、殺人現場の目撃者である俺も火狭に殺されてしまうかもしれない。
そう考えた俺は胃の底から胃液が逆流してくるような感覚を必死に抑えつけて、走ってその殺人現場から少しでも遠くのところへと逃げようとした。
しかし、結果的に俺のその行動は完全に裏目にでた。
「……!? 誰!?」
「……しまっ――」
その殺人現場から避難するために俺は方向転換をして人工樹林の入り口の方向へ走り始めようとした。その際、月の明かりもほとんど差し込んでこない真っ暗な人工樹林にいて足元がよく見えなかったため、俺は地面にあった根っこに引っかかってしまった。
そして、俺が地面に倒れる音が小さかったものの、静かな人工樹林に響いた。しかし、火狭はその小さな物音を聞き逃すことはなく、俺が気がついたときにはすでに俺がいるほうを向いていた。
火狭は体の前半分や顔面を逸弛の血で真っ赤に染め、右手に二メートル近くの長さの棒を握りしめながら、ゆっくりと地面に倒れこむ俺のほうへと歩み寄ってくる。
鬼だとか悪魔だとかそういう抽象的な人間の恐怖概念とはまた違う。火狭の姿は、人間の根本的な部分に大きな衝撃を与えるようなもんを感じさせる。俺はそんな火狭に恐怖した。俺の手に武器はなく、体勢もかなり不利だ。逃げようにも、起きあがってからでは手遅れになる可能性がある。
どうすることもできない。俺はそう確信した。
「うああああああああ!!」
「……あたしは……あたしは……操り人形なんかじゃない……!」
俺が最後に聞いた火狭のその台詞は妙に感情がこもっており、何かを俺に共感させるような印象を受けるものだった。また、その台詞を発したときの火狭の表情は険しく、大粒の涙を流していた。
こんな小さな子どものような感情的な表情がこれまでに五人も殺してきた連続殺人犯の表情なのか。火狭のその表情は俺にそんな疑問を持たせた。また、俺がその疑問をもった理由の一つには、火狭の台詞も大きく関わっていた。
直後、火狭が握りしめていた二メートル近くの長さの棒が俺の顔面に向かって振り下ろされる。