第二十四話 『世界』
ああ、そうか。そういうことだったのか。仮暮先生が書いたと思われる日記帳を全て読み終わり、俺はまず最初にそう思った。道理で、今まで何かがおかしいと思っていたわけだ。
その理由や経緯は何であれ、PICを発明し、世に広めたのは仮暮先生に他ならない。それは、土館が見つけた参考書に書かれていたことであり、仮暮先生が書いたと思われる日記帳にも同様のことが書かれていたことから間違いないだろう。
そして、俺たち十人はもちろんのこと、この世界にいる誰もがその事実を知らなかった。いや、意識していなかったというべきか、何らかの力が働いて意識できなくなっていただけなのか。どちらにしても、『伝承者』でさえそのことを知らなかったということは不可解で仕方がない。
もしかすると、今まで九百六十回繰り返されてきた世界の『伝承者』のうち、誰かがその事実まで辿り着いたのかもしれない。でも、そうなると、今の俺みたいに何らかの違和感を感じて『箱』の壁に記録として残しても不思議ではない。
しかし、一週間前に俺が見た限りでは、『箱』の壁の記録にはそのような記録はなかった。もちろん、仮暮先生に関係することやPICに関係することはちらほらと書かれていたような気もするが、そのどれもが些細なことで、ほとんど役に立たないような情報ばかりだ。
俺が言っているのは、仮暮先生がPICを発明したという事実のこと。そして、その事実は『箱』の壁の記録に一切書かれていなかったということだ。ディオネの正体を暴いたときは『箱』の壁の記録に空いている不自然な隙間を見つけたのが決め手になったが、今回ばかりはその手は使えない。
何と言っても、前の世界から今の世界に転移している最中だった俺はそれどころではなく、ディオネの正体を暴くだけで精一杯だった。ましてや、まさか仮暮先生がここまで重要人物だったなんて思いもしなかったし、そもそも『伝承者』になって以来、今まで仮暮先生のことなんて忘れていた。
さて、仮暮先生がPICを開発したという事実。これは今までの世界の記録からも読み取れない新しい情報であり、極めて有益な情報だというのは誰が見ても明らかだろう。
だけど、そこまでして隠さないといけない事実だったのか? という疑問が残る。
どうして、この世界にいる誰もがそのことに気づかなかったのか。どうして、その事実が記された本が置いてある図書館の存在を認識できなかったのか。どうして、PICの略称が世間一般で知られているものと、二種類の本に書かれていたものが異なっていたのか。
俺はもう、その答えを知っている。
まず、PICの略称。あれはおそらく、カモフラージュだったんだと思う。『Personal Information Clock』という機能説明のような名前を付けておくことで、『伝承者』もしくはこの世界の真相を知っている人物の意識の外に置く算段だったのだろう。
次に、『Psycho Interface Clockover』というPICの正式名称と呼ばれるものだけど、よく考えてみれば、確かにこのままの名称では世間に普及できないだろうということが暗に分かる。
『Interface』は電子計算機という意味や情報分野において用いられるものらしいからまだいいとしても、『Psycho=精神患者』は中々受け入れられないだろう。ましてや、死刑の代わりに導入されたオーバークロック刑と同義の『Clockover』も、だ。
少し話は脱線するが、そもそもどうしてPICには『Clockover』という名称が用いられているのか、そもそもどうして仮暮先生は人類の英知を超えてしまうと思いとどまってこの機械を発表しなかったのか。その理由はただ一つしかない。
PICの基本機能に、オーバークロック機能が付いているためだ。
当然のことながら、今の今まで俺たちはそのことを知らなかった。加えて、仮暮先生の日記帳を見て初めて知ったとき、正直言って驚いたし、信じられなかった。でも、それが事実だったんだ。
元々、PICは情報管理や通信機器として世間に普及したわけではない。その程度であれば従来の携帯端末であっても九割型の機能はカバーできる。それよりも、普及してしまった大きな理由は、オーバークロック機能が搭載されていることだった。
オーバークロックとは、本来コンピュータなどの周波数を最大を上回る数値にすることを指すが、ここではそれを人間に置き換えている。つまり、人間の思考時間を平常時の何倍にも加速させることで作業能率向上や思考能力向上を目指したということになる。
この事実が全世界に知れ渡れば、科学の進歩の速度は今までの何百倍にも跳ね上がる。その結果、人類がどういう未来を辿ってしまうのか。仮暮先生はそのことを危惧して、最終手段としてPICを発表しなくてはならなくなるまで、研究を途中で放置していた。
それに、PICには問題点も多かった。現代でも、死刑が廃止され、代わりにオーバークロック刑が導入されているように、拷問の道具として利用されることも少なくない。まあ、現代ではPICの本来の使用用途が公開されておらず、拷問の道具として利用されているのはオーバークロック刑のみだけど、近未来的にどうなるかは誰にも分からない。
世界各国がPICの本来の使用用途を公開していないのは、その安全性の低さにもよるのだろう。現に、オーバークロック刑と称して重犯罪者を用いて毎日のように実験しているらしいし、前の世界で俺が『検索してはいけない言葉』としてネットで見つけてしまったあの記事にも、オーバークロックの危険性が顕著に現れていた。
思い出してみれば、あの記事を書いたのは仮暮先生だったんじゃないかと思う。英語で書かれていたのは世界に向けて提出するものだったからであり、何よりも、仮暮先生の口癖の『一石二鳥』が何度も使用されていたのは、当時からしてみれば不自然極まりなかったことだろう。
つまり、あの記事に添付されていた写真に写っていた悲惨な光景を作り出したのは仮暮先生とその研究グループだということになるが、今さらどうこう言っても仕方がないだろう。死んだ人は生き返らないし、仮暮先生も切羽詰った状況だったんだ。もちろん、だからといって殺人や人体実験が許されるかといえばそういうわけではない。
PICの略称とその機能について解明したところで、そろそろ、どうしてその真相が隠されていたのかについて解明して行くとしよう。
……とはいっても、ここまでの話をまとめれば、勘の良い人ならすぐに気づいてしまうだろう。結論だけ、簡潔に述べよう。
この世界の歯車をおかしくさせたのは、太陽楼仮暮先生に他ならない。
その理由までは分からないけど、それだけは間違っていないはずだ。PICの略称と機能を隠す必要はあったとしても、それ以外にも仮暮先生には不審な点が多かった。
ピンポイントで仮暮先生がPICを開発したという事実が『箱』の記録から消されていたり、ある世界では仮暮先生が予想外で不自然な言動を取っていたり。
今の世界でも、同様の違和感があった。それは、先週の水曜日、人工樹林に行ってみんなに『箱』を見せようとしたときのこと。咄嗟のことでディオネが姿を消せていなかったにも関わらず、仮暮先生はそのことについて疑念を抱いていなかった。
いくらマイペースで抜けているときがある先生と言っても、見知らぬ顔がいれば少なからず疑念を抱いても不自然ではない。ましてや、そのときのディオネはいつものように宙に浮いたままだったのだから、初見の人がそれを目撃して驚かないわけがない。
全ては、仮暮先生が開発したPICから始まった。PICが世界中に普及してしまったことで、この世界は九百六十回も繰り返され、その間に幾度となく惨劇が起き続けた。もちろん、仮暮先生を責めようだなんてこれっぽっちも思っていない。ただ、どうしてこんなことをしたのか、その理由が聞きたいだけなんだ。
そして、もう一つ、俺は仮暮先生にどうしても聞いておかないといけないことがある。仮暮先生の日記帳の最後のページに書かれた文。
『PICのせいで、私が作ったPICのせいで、第三次世界大戦が起きてしまって、ごめんなさい』。
仮暮先生はまだ二十台であり、第三次世界大戦が起きていた頃はまだ小学生くらいのはずだ。それなのに、どうして仮暮先生は日記帳の最後にこんな文章を書かないといけなかったのか。その真相を、確かめないといけない。
俺は土館が見つけた専門書と海鉾が見つけた仮暮先生の日記帳から得られた情報から導き出した推理をみんなに伝えた。みんな、今までの日常に潜んでいた真実を突きつけられたことで心底驚き、それを隠せないでいた。
俺はすぐに仮暮先生に話を聞きに行くことにした。やっとの思いでここまで辿り着き、せっかくここまで分かったんだ。一刻も早くその真相を聞きたい。そういう思いで一杯だった。
しかし、図書館から出る寸前、休憩しに行っていたらしいディオネが戻って来、仮暮先生はもう帰ったということを知らされた。どうやら、ディオネも大方のことに勘付いていて仮暮先生が怪しいと思っていたらしく、一足先に校内を探しに行っていたらしい。
止むを得ず、ひとまず俺たちはその場で解散することにした。そして次の日、俺たちはいつもよりも早く学校に集まり、一時間目の授業へと向かっている仮暮先生に声をかけた。でも、今日に限って一日中用事があるらしく、話があるなら放課後にしてほしいと言われてしまった。
放課後、俺たちは仮暮先生を教室に呼び出し、まずは俺から問いただすことにした。
「先生。俺たちはもう、全部知ってるんです。先生がPICを開発した張本人だということも、この世界が何度も繰り返されている原因を作ったのだろうということも」
「……見たのですか?」
「え?」
「図書館ですよ。あそこは一応休憩時間には開放していますけど、ほとんど先生の私物と化していましたからね。みなさんがそのことを知っているということは、あれを見たのではないか、と」
「はい。その通りです」
俺がそう言うと、仮暮先生は一度だけ大きく溜め息を吐き、真剣な表情で言った。
「分かりました。みなさんがこの世界を終わらせたいのなら、それもまたいいでしょう。ですが、ここでその話をするのはあまり好ましくない。場所を変えましょう」
そうして、俺たちは仮暮先生に連れて行かれるがままに人工樹林の、『箱』があった場所へと向かった。