第十六話 『円満』
日曜日、ふと気がつくと、俺の家は人で溢れ返っていた。俺の部屋からリビングまで、俺を含めた九人がそれぞれペアになっている。そのうち一人はふわふわと宙に浮いているだけだけど。どうしてこんなことになったのか。それは今から一時間前に話を戻すことで自ずと分かってくる。
俺自身、今日は何かをする予定もなく、ここまでの状況を整理した後、テキトウに情報収集にでも行こうかと考えていた。でも、九時頃、不意に土館から電話がかかってきて、一緒にいたいと言われた。つい昨日土館と恋人同士になった俺はその要望を断るわけもなく、土館を俺の家に招き入れた。
土館が俺の家に来たのはそれから三十分後くらいの話だが、どうやら、その行き道で地曳と天王野に会ったらしい。そして、せっかくだからということで二人も俺の家に来ることになり、地曳の思いつきで他のみんなにも連絡することになった。そういうわけで、こんなことになったというわけだ。
あと、ディオネは土館に起こしてもらえずついさっきまで眠っていたらしいが、ふと土館がいないことに気がつき、どういう理屈でか俺の家を訪ねてきた。まあ、ディオネの勘はあながち間違ってはいなかったし、賑やかになるのはいいことだと思うから俺は構わないけどな。
大勢が俺の家に来るということで、俺はみんなにいくつかの決まり事を言っておいた。まあ、当然かもしれないが、父さんの部屋には入らないこと。今は父さんは仕事に出ているが、帰ってきて部屋が滅茶苦茶になっていたら俺が怒られるだろうしな。
それと、ベッドを睡眠以外の用途で使わないこと。俺は昨日土館と恋人同士になったばかりだし、遷杜と金泉はそこまで進んでいないと思うから大丈夫だろうが、逸弛と火狭、地曳と天王野に限ってはベッドを睡眠以外の用途で使う恐れがある。しかも、友だちが近くにいてもお構いなしに始めてしまっても不思議ではないので、念のため忠告しておいた。地曳はそれを目的に俺の家に来た可能性もあるしな。
何にせよ、俺と土館、遷杜と金泉は俺の部屋に、逸弛と火狭、地曳と天王野はリビングにいる。それぞれ、自分が好きな人とイチャイチャできて楽しめているのではないだろうか。昨日も結局午後六時くらいまで遊べたが、やはりこういう安息の日も必要だと思う。
床の上に座っている俺に、土館がその身を寄せてくる。土館の吐息から心臓の鼓動まで、今まで感じることのできなかった様々な感覚が伝わってくる。しかも、土館からは女の子特有の『何かいい匂い』が漂い、少し視線を下ろすと、土館の大きな胸の谷間を拝むことができた。どうやら、目を瞑って俺の肩に頭を倒している土館は、俺の視線に気がついていないらしい。
そうそう、今日の土館は何だかやけに張り切った印象を受けた。昨日は土館にはよく似合う丈の長く露出の少ない服装をしていたが、今日はそれとは真逆だ。今時の若い女の子らしいというべきか、少しだけ胸元の開いた服、そして膝より上までしかない短めのスカートを履いている。
最初、土館のその格好を見たとき、土館にしては珍しいと思った。でも、もしかして、俺のために少し無理をして肌の露出の多い服を選んで着てきてくれたのだろうかと思うと、そんな土館の姿も可愛く見えた。もちろん、清楚な女の子である土館には肌の露出の少ない服が似合うと思っていたが、やや大胆な土館もまた可愛過ぎて抱き締めたくなる。
下心満載のことを考えていると、不意に土館が話しかけてきた。
「……ねぇ、冥加君」
「ん、どうした?」
「私たち、恋人になったんだよね……?」
「え? ああ、昨日俺が告白して、土館がそれを受け入れた。だから、もう恋人同士で、付き合い始めたってことでいいと俺は思っていたけど……もしかして、実感ない?」
「うん……ちょっとね。ディオネに言われて私が本当は冥加君のことが好きだったってことを思い出して、少しずつ記憶が戻っていって、冥加君に告白されて全部確信できた。今ここにいる私にとっては、少し急なことが起き続けて、まだ頭の中で整理が追いついてないのかも」
「実のところ、俺もそれに近い感じなんだ。まさか、あの土館と恋人になれたなんて、今でも信じられないよ。もちろん、それは嬉し過ぎるって意味で」
「ふふっ、ありがと。それにしても、何でもっと早くに思い出せなかったんだろう……ううん、何で私が言い始めたことだったのに、いつの間にか勘違いしちゃってたんだろう……」
「まあ、こうしてお互いの想いを伝え合えたんだし、いいんじゃないか?」
「それもそうだね」
そう言って、俺と土館は笑い合った。色々あったけど、もうこのまま『ハッピーエンド・完』って言って終わってしまってもいいんじゃないか。幸せ過ぎて、そんな気さえしてくる。
「あ、あの、冥加君。ちょっと、いい?」
「……?」
「その……今日の私の服装、変じゃないかな?」
「ああ、変じゃないよ。むしろ、土館の可愛らしさとそのスタイルのよさが際立って、すっごく似合ってると思う。昨日みたいに肌の露出の少ない服も土館らしくて似合ってるけど、今日の服装もまたいいと思うよ」
「そ、そう……? 尻軽女とかに見えない……?」
「見えない見えない。土館は真面目で、俺の可愛い彼女なんだからな」
「それならよかった……変な風に思われてたらどうしようかと……」
「うんうん」
「……それじゃあ、もう一つ、いい?」
「ん?」
「キス……しよっか」
「……っ!?」
「ほ、ほら、私たち、昨日付き合い始めたんだから当然かもしれないけど、まだ手を繋いだだけでしょ……? だから、せめてキスくらいはしておいたほうがいいかなって……まだその先は怖いからできないけど、どうかな……?」
「お、おう! 望むところだ!」
いったい、俺は何と戦っているのだろうか。そんなどうでもいい自問自答をして、もじもじと可愛らしい仕草をしている土館の正面に座る。恥ずかしがっているのか、土館の顔は耳まで真っ赤に染まっていた。たぶん、思いのほか積極的な土館にそう言われたことで、土館と念願のキスができると思ったことで、俺も似たような状態になっていたかもしれない。
土館の目蓋が閉じられ、少しずつその顔が寄せられる。俺も、その土館の姿を見て――、
「あー、熱いっすねー。リビングもこの部屋も、十月だっていうのに暑いっすねー。もういっそのこと冷房で限界まで気温を下げて、服を全部脱ぎ捨てたいくらいっすねー」
あと数センチでキスできたというところで、ディオネのわざとらしい声が聞こえてくる。俺も土館も沈黙し、お互いに苦笑いしながら、宙に浮きながらなぜか服がはだけているディオネのほうを見た。
「おいっ! 空気読めよ!」
「はいー? 『空気読め』って、何言ってるんですか。空気は吸うものでしょうに。ましてや、空気に色が付いてるわけでも、何か文字になってるわけでもあるまいし」
「小学生かっ!」
「ところで、いいんすかー?」
「何が」
「海鉾さんのこと。あの人だけ、この家に姿が見えないような気がしますけどー?」
ディオネに海鉾のことを指摘され、俺はディオネに突っ込む気力を失った。たぶん、今日海鉾は俺の家にはこない。さっき、地曳が連絡しようとしたときも、寸でのところで止めたくらいだしな。まあ、結局連絡したみたいだけど。
昨日、俺は土館に告白した。対する土館もディオネの計らいもあって本当の気持ちを思い出しており、俺の告白を受け入れてくれた。それにより、俺と土館は晴れて恋人同士になれた。
でも、まだ海鉾の件が片付いていない。海鉾は昔俺と会ったのは嘘だったということにしようとか、俺のことが好きだったのはなかったことにしようとか言っていたが、あの様子だとまだ完全に納得できていないと思う。
俺が自分自身に自信があるわけではないが、今までの世界の海鉾の様子を見る限りでは、海鉾は昨日みたいに一度話し合った程度で納得するとは思えない。さすがに土館を殺しにくるなんてことはないだろうが、今こうしている間も、家で一人泣いているかもしれない。
俺が急に黙り込んだことで気まずさを感じたのか、その様子を見たディオネが言った。
「……しゃーないっすね。この私がじきじきに探してきてあげますよ」
「だが――」
「言われなくても分かってますって。ただ単純に、生きてるかどうかを確かめに行くだけです。みなさんがこうして集まっていることは言いませんし、無理やり連れてこさせようとは思ってませんよ。ってか、そんなことをしても私の得になりませんし、疲れるだけですからねー」
「……ありがとな、ディオネ」
「あー、今日はお姉ちゃんとにゃんにゃんしようと思ってたんですけどねー。彼氏持ちならそういうわけにもいかないですかねー」
ディオネはそう言うと、少し面倒臭そうに部屋から出て行った。しばらくして、玄関ドアが開けられる音がし、ディオネが海鉾を探しに行ってくれたのだと分かった。
たぶん、ディオネは気を遣ってくれたんだと思う。俺と土館の初めてのキスを寸でのところで止めたのは許せないが、ディオネなりに考えた結果なのかもしれない。海鉾を探しに行くと言ってくれたのも、俺たちを少しでも安心させようとしたからなのかもしれない。
ディオネが俺の家を出てから一分後、ふと土館が口を開いた。
「……それじゃあ、続き、する……?」
「あ、ああ……」
そうして、俺たちは再び先ほどのように目を瞑って互いの顔を少しずつ近づけていった。しかし、何というデジャブだろうか。またしても、初めてのキスはその寸前で止められてしまう。
「お、對君と誓許ちゃんもやっとキスまで進んだのかなー?」
「逸弛……」
「どうしたんだい? 僕たちに構わず、続きをしてもいいんだよ?」
「……用件は?」
「あ、そうそう。実は、そろそろお昼ご飯の時間だろうからってことで、沙祈たちが台所を借りたいって言うんだ。貸してもらってもいいかい?」
「ああ、それは構わないぞ。大したものは入ってないが、食材もテキトウに使ってもらって構わない」
「それなら、私も手伝うよ!」
「そうかい? それなら、気の早い三人はもう台所にいるみたいだから、手伝いに行ってもらえるかい?」
「うん」
結局、土館との初めてのキスのチャンスが二回もあったにも関わらず、俺はそのタイミングを逃してしまった。逸弛にそう言われた土館は台所に行き、同じ部屋で話を聞いていた金泉も付いていった。女子陣五人による料理はいかがなものになるのか。少し楽しみにしながら、待ち時間はどう過ごそうかと考えていると、そんな俺に逸弛が話しかけてきた。
「對君。ちょっと、話があるんだ」
「話?」
どうやらそれは内緒の話らしく、俺と逸弛は家の外に出て話すことにした。