第十一話 『原因』
何だ……何が起きた……?
何も見えない。何も覚えてない。
いったい、ここはどこなんだ……?
……………………あ、少しだけ思い出せたかもしれない。俺は、遷杜と金泉の仲を取り持って、他の世界みたいに二人に仲良くしてもらおうとしたんだった。二人とも昔のことを思い出して、俺は家に帰ったんだったか……?
いや、違う。そういえば、その後すぐに、土館と海鉾に会ったような気がする。二人は遷杜と金泉の最初のほうやり取りを見ていたらしく、その結果が気になったからまた戻ってきたんだ。
いやいや、それも少し違う。それは、あくまで海鉾が冗談のつもりで言っただけで、二人が教室に戻ってきた本当の理由は……俺、なのか?
海鉾の台詞の後、土館は俺のもう一つの人格と話がしたい、みたいなことを言っていたはずだ。ああ、そうに違いない。それで、たぶん、土館はみんなの安全を確保するためや、俺の負担を軽くするためにそんなことを言ってくれたんだと思う。
だけど、俺には奴を呼び出したりすることはできない。もちろん、表に出て、意識を支配して、俺の体を勝手に動かしている奴を止める術はない。そもそも、前の世界でも経験したことだけど、俺と奴は意識も記憶も共有できないのだから、当然といえば当然かもしれない。
あれ……? だったら、俺は今、どういう状況にあるんだ?
資料で見たことがある宇宙空間や、科学的に定義されている無とは少し違う。ここは、真の意味で何もない。夢か何かだと言われれば簡単に納得できてしまいそうだけど、それにしては味気ない。今まで、一度も味わったことのない、不思議な感覚だ。
もしかして……まさか……ここは、『冥加對』という一人の人間から切り離された場所なんじゃないだろうか。厳密には切り離されたというわけではなく、脳の記憶とか意識とかを司るどこかに封印されているだけだと思うけど、そうとしか思えない。いや、それ以外にどう解釈すればいいというのか。
ということはつまり、今この瞬間、『冥加對』の体はそのもう一つの人格に支配されているということなんじゃないだろうか。だから、主人格であるはずの俺はこんなところに閉じ込められて、見渡す限り何もない空間にいる。
……ちょっと待て。どうして俺は閉じ込められているんだ。人格が入れ替わった、そこまではいいとしよう。問題なのは、その理由だ。俺の意識が途切れる寸前まで奴が現れるきっかけなんてなかったはずなのに(そもそも、何がきっかけになるのかよく分かってないが)、何で……。
一つだけ心あたりがある。それは、俺の意識が途切れる寸前に聞いた、土館の台詞だ。この状況で、その台詞から導き出される解答は、とりあえず二つは思いついた。
一つ目は、奴が俺と人格を入れ替えて、土館と話をしにいったという可能性。ただ話をするだけなら構わないが、今まで何人も友だちを殺してきたような奴だぞ。そんな奴が、『ただ話をする』だけで終わるわけがない。
二つ目は、土館や海鉾を殺しに行ったという可能性。『箱』の記録をまとめてたところ、奴はその存在を知ったもしくは気づいた友だちを真っ先に狙っている節がある。それが全ての原因とは思えないが、土館が存在を知ったと思い込んで殺しにいったのではということだ。
もしそうなら急を要する事態なのは確かだが、俺はすでに友だちグループのメンバー全員とディオネに奴のことを話している。それでいて、もし次に暴走したら殺してくれとも頼んである。
……もし、もしもだが、俺がその話をしたことを奴が知らなかったらどうするだろうか。俺は奴に脅迫というか牽制をかけるために殺してくれと言ったわけだが、聞いていないのならそれも意味がない。それどころか、俺の友だちに再び危害を加えようとし、遷杜たちに殺される可能性も出てくる。
……まあ、それもそれでいいかもしれない。何だかんだ言っても、十人の中で一番危険なのはこの俺だ。制御できないもう一つの人格を持っているわけだからな。それなら、もういっそ、この場で死んでしまえばいい。
俺は土館たちに危害が及んでいないことを願いながら、それ以上の思考をやめた。
時計なんてないから正確なことは分からないけど、ここの時間は普段俺が体験している時間よりもゆっくり流れている気がする。いや、気がするだけだし、実際がどうなのかは分からない。脳内時間をオーバークロックでもすれば、こんな感じの体験を、もっと有効的に使えるのかもしれないけど。
…………………………………………ん? 何か今――、
「いい加減に目を覚ませ! 冥加ああああああああああああああああ!!!!」
俺はふと、何かに気づきそうになった。しかし、俺がその正体に気づく前に親友の大声が耳を劈き、直後、全身打撲のような強烈な痛みが俺を襲う。
「……ッガ……ハッ……」
「冥加くん!」
何だ、今度は何が起きたっていうんだ。頭が痛い。違う、頭だけじゃなくて、肩も腹も背中も痛い。外面的な傷を付けられたわけじゃないのは分かるけど、どうしようもなく、とにかく痛い。
強烈な痛みで軋む体を強引に起こし、その場に中途半端な姿勢で座る。後頭部の痛みに耐えながら目を開けてみると、すぐそこには海鉾がいた。
「……あれ?」
「冥加くん! 大丈夫!?」
「あ、ああ。俺は大――」
『俺は大丈夫』。そう言いかけようとしたとき、ふと俺の視界にその三人の姿が映った。そして、俺はもう一度だけ周囲を見渡し、ここが学校の廊下なのだということも知った。
どうやら、俺は何らかの力によって飛ばされ、そのまま透明な強化ガラスの壁にぶつかったらしい。飛ばされただけでも相当なショックだと思うけど、そのぶつかった先が透明な強化ガラスの壁ならなおさら痛くて当然だ。
そんな俺を心配そうに見ているのは、目を開けてすぐに分かったように、海鉾だった。海鉾はその瞳に薄っすらと涙を浮かべており、俺のことを少なからず心配してくれたのだろうということが分かった。
海鉾の向こう側、俺たち二人から数メートル離れた場所にいる、その三人は、遷杜と金泉、そして土館だった。遷杜も金泉も俺たちのほうを見ているが、遷杜はその右拳を力強く握り締めており、一方の金泉はすぐ近くに倒れている誰かを起こそうとしているように見える。
それから……どういうわけなのか、土館は廊下の中央に倒れていた。正確には、少しばかり身に着けている制服が乱れ、今さっきまで倒れていたらしい状態を金泉に起こされているところだった。
一通り状況を確認した俺は、それによって導き出された最悪の解答に戦慄した。しかし、それをすぐに信じられなかった俺は、現実逃避しようとしていたのかもしれない。まず、海鉾に質問した。
「な、何があったんだ……?」
「……覚えてない……? ……やっぱり、信じてなかったわけじゃないけど、前に冥加くんが言ってた通りだったんだね……」
「それって――」
「ついさっき、誓許ちゃんが冥加くんに話があるって言ったのは覚えてる?」
「あ、ああ」
「その後、すぐに冥加くんの様子がおかしくなって、いきなり誓許ちゃんを突き飛ばしたの。それから、誓許ちゃんの上に乗って、首を絞めようとして……」
「え……?」
「わたしも止めようとしたけど、近づいたらわたしまで何かされそうだったから、教室にいる霰華ちゃんと木全くんを呼んだの。二人とも、すぐに何があったのか分かったみたいで助けてくれて、今さっき木全くんが冥加くんのことを思いっきり殴ったってわけ」
「そうだったのか……」
海鉾から説明を受けたことで、俺はようやく何があったのか理解した。またしても……いや、今の世界では二度目だが、俺のもう一つの人格が友だちを殺そうとしてしまった。しかも、あの土館を……。
海鉾が俺に説明しているのを見て、遷杜はその右拳の力を緩めた。たぶん、俺の人格が元に戻ったと見抜いたのだろう。でも、遷杜がいなかったらどうなっていたことか。そんなことを想像したくないが、今はただ、遷杜に助けられたということだけを喜ぼう。
だいぶ全身の痛みが引いてきたところで、俺は立ち上がった。そして、ゆっくりとおぼつかない足運びで、金泉に体を支えられている土館に歩み寄った。
「つ、土館……」
「……あ、冥加君……もう、意識は戻った……?」
「っ……ごめん! まさか土館を危ない目に合わせるなんて……。それに、遷杜には感謝しないといけない。暴走した俺を止めてくれてありがとう……」
「いや、俺はお前に言われた通りに止めただけだ。だが、ここまでやっといてなんだが、殺すところまでするのは無理だな。ところで、結構力を込めて何回か殴ったんだが、体は大丈夫か?」
「ああ、俺はもう大丈夫……だけど、土館は……」
「ううん、私も大丈夫だよ。ちょっと息が苦しかったりしたけど、そんなこと、冥加君が経験したことや冥加君が思い悩んでることに比べれば全然マシだよね」
「……っ」
土館は少し苦しそうに、しかし笑顔でそう言った。何で土館はこんなにも他人に優しくできるのだろうか。いくら俺の人格が入れ替わっていたとはいえ、仮にもこの俺が土館を殺そうとしてしまったというのに。それなのに、土館は俺のほうが苦しんでいると言って、もう大丈夫と微笑んでくれた。
俺は土館のことが好きだ。だからこそ、俺のもう一つの人格が、そんな土館に危害を加えるのだけは絶対に見たくない。前の世界で救えなかった命だから、というのも理由の一つかもしれないけど。
そう考えていると、俺は俺自身のことが嫌になり、これ以上土館に顔向けできないと思ってしまった。
「冥加君……!」
気がつくと、俺はその場から走り出していた。廊下に放り投げられた鞄を拾い、そのまま廊下を走っていく。土館の声が聞こえたことに反応することもなく、俺は四人を置いて、ただただその場から去るために走り始めた。
俺のもう一つの人格が、これ以降誰かに危害を加えないようにしなくてはならない。俺はそう思った。そして、まずは俺がみんなから遠ざかる必要があるとも思った。