第六話 『提示』
それからしばらくした後、俺たち十人は人工樹林に来ていた。目的はもちろん、『箱』を調べ尽くして、少しでも多くの手がかりを手に入れること。そうすれば、それがこの世界の真相に辿り着く第一歩になるはずだし、これからの活動方針も決めやすくなる。
記憶を頼りにしながら人工樹林を抜け、みんなを『箱』がある広場へと案内する。十数分後、俺たちの目の前に姿を現した『箱』は、これまで九百六十回も世界再編の衝撃を乗り越えて『伝承者』を運んだものとは思えない状態になっていた。
「おい冥加。あれは……大丈夫なのか?」
「うわぁ、何かよく分からないけど、煙? みたいなの出てない?」
『箱』は人工樹林の特定の場所に埋まっている。基本的にどの世界でも自ら進んで人工樹林に入る物好きはほとんどおらず、いるとすればそれは俺たちくらいのものだ。ただ、『伝承者』以外は『箱』の存在を知らないため、それを探そうだなんて思わない。つまり、『箱』は、『伝承者』が特定の場所からその上蓋の一部を見つけ出し、そこに取り付けられている起動ボタンを押すことで地上にその姿を現すようになっている。
しかし、今の世界の『伝承者』である俺が起動させたわけではないのに、なぜ『箱』は地上に姿を現しているのか。それは、結論だけ言ってしまえば、『箱』が『故障しているから』だった。
『箱』は斜めに傾いてぐらぐらと不安定な状態になっており、その出入り口に相当するドアが中途半端に開かれている。それどころか、『箱』の内部からはもくもくと灰色の煙が上がっており、遠目にも『箱』に異常が起きているのは明らかだった。
みんなが口々に思うことを言っている中、俺は『箱』の状態を見て、額に嫌な汗が流れたのが分かった。もしかして、『箱』があんな状態になっているのは、前の世界から今の世界に転移している最中に俺が強引に『箱』から出たのが原因なのではないだろうか。
いや、それ以外には考えられない。唯一ビッグバンとビッグクランチを九百六十回も耐え切り、今までの世界でただの一度も故障の記録がない、あの『箱』がこんなときに何の原因もなく故障するなんて思えない。考えられるとしたら、やはりあのときの俺の行動しかないだろう。でも、あんな程度で故障してしまうなんて、誰が想像しただろうか。
ひとまず、『箱』がどうなってしまったのかをよく確認しなければいけない。みんなが広場の手前で立ち止まっている中、俺は一人で『箱』に近づいてその状態を確認した。
「うわっ……これは――」
「冥加君ー、どんな感じー?」
少し離れたところから土館の声が聞こえる。とりあえず、みんなを心配させるのは得策ではないので、返事の代わりに笑顔を見せておいた。そして、土館にディオネを呼ぶように言い、彼女にこの状況の意見を聞くことにした。
「なぁ、ディオネよ。お前は今の『箱』の状態をどう捉える?」
「ま、どこからどう見ても故障でしょうねぇ。なんか煙出てますし」
「ですよねー……」
『箱』に近づいてその状態を確認して、分かったことがある。
まず、『箱』の機能が完全に失われていたということ。どういうことかというと、本来なら『箱』は次の『伝承者』しか入ることができないが、今は俺もディオネもその境界線内に手を突っ込んでも弾き飛ばされたりすることはなかったのだ。というか、『箱』の内側の壁から煙が出ていたり、バチバチと何かがショートしたような音が聞こえていることから、『箱』が故障したのは明らかだった。
次に、『箱』の壁に存在する致命的な損傷が故障の原因だろうということ。『箱』のドアに接合されている丁番は触れるだけで取れてしまいそうになっている。このことから分かるのは、『箱』の故障の原因は紛れもなく俺の行動だったということになる。何となく分かっていたことではあるが、自分のせいで『箱』が故障してしまったとなると罪悪感がやばい。
そして、おそらく最も重大な問題も起きている。それは、『箱』の壁に書かれていた記録が一つ残らず溶けてなくなっていたということだ。『箱』の壁に書かれていた記録はその床に転がっていた油性ペンを使用して綴られてきたが、それすらも見つからない。
あくまで仮説だが、『箱』にとって最も大切な心臓部とも呼べるものは四方の壁だったのだろう。しかし、俺がそのうちの一つを壊したせいで、『箱』そのものが故障してしまった。結果、『箱』の壁は本来の機能を失い、それと同時に『箱』の壁に書かれていた記録も溶けてしまった。
加えて、もし『箱』を作り出した最初の世界のディオネが自身の記録を削除するような機能を付与させていたのであれば、『箱』が故障したと同時に外部に記録を漏らさないようにこのような細工をしていたのかもしれない。たぶん、その可能性が高いと思う。
一つずつ状態を確かめていくごとに、俺は自分がしてしまった事の重大性に気がつき始めた。でも、ああでもしないと俺のもう一つの人格が地曳を殺すのを止められなかっただろうし、まさかこんなことになるだなんて思いもしなかった。ただ、さすがの俺もここまでのことは予想できない。
修理できるのかは分からないが、もし俺が惨劇を回避できなければ、俺たちの物語は今の世界で最終回を迎えてしまう。俺が惨劇を回避すればいいだけの話だが、そんなに簡単なことではない。万が一のことに備えて、なるべく多くの保険を用意しておくのも大事なはずだ。
みんなを広場の手前で待たせ始めてから十分後、俺とディオネは一通り『箱』の状態を調べ終わった。いや、俺は『箱』がどうなってしまったのかを調べていたが、ディオネは『箱』の性質について調べてくれていたらしい。一息吐いた後、俺は空中に浮遊しているディオネに話しかけた。
「とりあえず調べてみたが、少しまずい状況だな。『箱』が故障しているのもそうだが、その壁に書かれていたはずの記録さえもなくなってる。修理したり復元できればいいんだが……ところで、ディオネのほうは何か分かったことはあったか?」
「『何か』と言われても、私は何も言いませんよーっと。もっと具体的に何が聞きたいのか言ってもらわないと、余計なことを言う可能性もありますからねぇ」
「……それじゃあ、改めて聞くが、調べてみた限りで『箱』とディオネの関係性は分かったか? 例えば、『箱』そのものに心当たりがあったとか、思い出したことがあったとか」
「そうですねぇ……まあ、以前私がコレに干渉したらしいことは半分くらい分かりましたけど」
「『半分くらい』?」
「それがどうにも、見ての通り故障してるんで、隅から隅まで調べられなかったんですよねぇ。どこのどいつが壊しやがったのかは私の知るところではないですが、直接会えたら目潰ししてやりたいくらいですねぇ」
「そ、そうだな……」
ディオネは『箱』を壊してしまった犯人が俺だということを見抜いているのか、そんな風に言葉で俺の心を痛めつけてくる。昨晩、俺は転移中に『箱』から脱出したことは言ったが、強引に抉じ開けたとは一言も言っていない。だからみんなは『箱』が故障した原因を分かっていなかったが、ディオネには全てお見通しだったらしい。
「それで、ディオネが『箱』に干渉したってのはつまり、どういう意味なんだ?」
「んー……冥加さんは私の不思議な力について覚えてるんでしたっけ?」
「いや、覚えてるも何も、そんなこと今まで聞かされてすらいないだが。記録にはディオネのことは何一つとして書かれていなかったしな。そこも含めて説明してもらえると助かる」
「はぁー、世話が焼けますねぇ。ま、簡単に言ってしまえば、私には不思議な力があるんですよ」
「それって、超能力とか、そういう超常現象みたいなものなのか?」
「厳密にいえばそーゆーのとはちょっと違いますね。私の不思議な力は、ようは『不可能を可能にし、不確定を確定にする』っていう才能なんですよ。才能というのも私としてはおこがましいですが、超能力というよりは、その時々の理想の状態を引き寄せやすいってだけなんですよ。だから、発動にはやたらと条件がありますし、結局のところ、ただの幸運なんですよ」
「幸運……ただそれだけで、世界再編を耐え切る『箱』を作ったり、この世界をループさせたりできたのか……」
「凝り固まったカッチカチの頭をお持ちであれば、これ以上考えるのは諦めたほうがよろしいかと」
だが、少なくとも、ディオネが俺のような一般人は持っていない異能の力を持っていると分かっただけで今は充分だ。その事実から、ディオネが『箱』を作りこの世界をループさせた張本人だという仮説が証明され、次の段階に移ることができる。もっとも、それを確認するまでもなく、次の段階のことを調べていたわけだが。
「まったく……話し相手に記憶がないと、こうも話し辛いとは。せっかく同じような力の持ち主同士だというのに」
「え?」
「何でもないですよっと。ああ、それと、コレを作ったのは私じゃないっぽいですねぇ」
「……………………はい?」
今、ディオネは何と言った?
「同じ台詞を二度も言うつもりないですよ?」
「え、ちょ、それはいったい……どういうことだ?」
「慌て過ぎですよ。そして、質問多過ぎですよ。今言った通りの意味なんですから、その空っぽの頭でよく考えて下さいな」
「いやいや、この際俺のことを馬鹿にした件については見逃すとしても、ここまでの話の流れだと『箱』を作ったのはディオネだってことになるじゃないか。それなのに、今さら作ったわけじゃないって――」
「『今さら』……それは私の台詞ですよ。最初から言ってるじゃないですか、私は『箱』を作った覚えなんてないって」
「それはディオネの記憶が世界再編毎に初期化されたから――」
「もちろん、それはそうかもしれないですけど、そうだとしても、『箱』を作ったのは私ではないです。いいですか、よく思い出して下さい。そもそも、私の不思議な力に無から何か新しい物質を生み出す能力はありません。つまり、『箱』という物体を生成すること自体が不可能なんですよ。よって、私が『箱』を作ったわけではないってことです。理解できましたか?」
「ディオネが『箱』を作ったわけじゃないのなら、いったい誰が……?」
「さぁ? そもそも、『箱』を作ったのが特定の人物だと思い込んでいる時点で、すでに根本的なところから間違ってんじゃないですかねぇ」
「何?」
ディオネの台詞を聞いたことで、今この瞬間まで俺が考えていた仮説が次々と崩壊していく。そして、話が進むにつれて新たな理論が組み上げられ、完全完璧な結論に辿り着く直前に再び崩れ落ちる。そんなことが繰り返されている中、ディオネはある一つの解答を提示した。
「さっき私が調べた限りでは、『箱』は元からここにあったみたいですねぇ。つまり、この世界の誰かが作ったわけではなく、そもそもそういうものとしてここにあったということになります。そして、冥加さんが言う最初の世界の私が自分の不思議な力を発動させて『箱』の存在を引き寄せ、起動させた。ついでに色々細工してたみたいですけど、『箱』の故障と同時にそーゆーデータが全部溶けてしまっている以上、真相は分かりませんねぇ。ああ、それと、この世界をループさせたのは私で合ってるみたいですよ」