第二十話 『幻覚』
朝登校してから一時間目が始まるまでの時間と昼休みを使って、僕はまだ話を聞きに行っていなかった對君、折言ちゃん、矩玖璃ちゃん、赴稀ちゃんに過去のことや怪我について聞いた。聞き方は遷杜君、霰華ちゃん、葵聖ちゃんのときと同じような感じだ。
案の定、四人もまた三人のように、今までの世界とほぼ同じでありながら、若干流れが変わっている過去を持っていた。そして、その流れの変わり方が本人にとって良い様に働いていること、何不自由していない幸せな現状に繋がっていることも共通していた。さらに、それぞれの怪我についても大雑把な原因は話してくれたけど、詳細は一切話してくれず、他の子たちの怪我についても口を開いてくれなかった。
何はともあれ、これで僕は友だちグループのメンバー全員の過去や怪我について大体の情報を得られたということになる。いや、今の僕にとっては大体の情報だけで充分だった。詳細を話してもらえなくても他の子たちの話を聞いていれば何となく状況は見えてくるし、共通点から今の世界のイレギュラーもある程度は導き出せる。
今回の情報収集で、僕にとって一番の収穫だったのは、やはり對君の現状についての確信だろう。今までの世界では、『伝承者』は對君のもう一つの人格に自分が『伝承者』であることを悟られないように慎重に行動する必要があったため、結局惨劇を食い止められなかった。
自分が『伝承者』であると気づかれたらその時点で僕たちの物語は惨劇で終わってしまう。だから、どの程度までの行動が安全圏なのかは分からない。そのため、何百回と繰り返されてきたこの世界の中には、一般人を装って何も行動できずに惨劇を傍観するしかできない『伝承者』もいた。
でも、今の世界は違う。今までの世界で『伝承者』の行動を束縛していた大きな原因である對君のもう一つの人格が表に出てこられない状況にあるのだ。
もちろん、そのことはついさっき對君と話をしたときに、對君には分からないけど、對君のもう一つの人格なら反応するはずの話題を織り交ぜて確認済みだ(この世界についての話題など)。もし對君のもう一つの人格が今の世界にも存在していたなら僕は殺されていただろう。だから、正直いって、かなり危ない橋を渡ったと反省している。
だけど、僕にはそうはならないだろうという確信があった。水曜日から始まった今の世界で、僕は一般人としてのみんなに比べて異質かつ目立った行動を多くしてきた。初日の晩にみんなに電話をかけて変な忠告をしたり、幻覚を見たことで意味不明な言動をしたり、突然気絶したり。
しかし、そんな状況でも、對君のもう一つの人格は僕が『伝承者』であると見抜けなかった。その答えは至極簡単で、一つしかない。今の世界には『對君のもう一つの人格が存在していない』というイレギュラーな事態が発生している。それ以外には考えられない。だから、僕はその確信を持って危ない橋を渡ることができたというわけだ。
對君のもう一つの人格が存在していない証明ができたところで、もう一つの障害を取り除く証明をするとしよう。それは、『伝承者』や對君のもう一つの人格に関係なく、友だちグループの誰しもが殺人者になり、また被害者になるということだ。今までの世界なら、赴稀ちゃん殺人事件から始まり、その殺人事件の犯人、目撃者、共犯者という形で、事件の関係者が増えていった。
でも、今の世界はそうはならない。そもそも赴稀ちゃん殺人事件が起きていないのだから連鎖的に関係者が増えることはなく、加えて、今日みんなに話を聞いて確信した。今の世界のみんなは過去も現在も一切不満を抱いていない。もちろん、これから何か起きる可能性はもちろんあるし、このイレギュラーだらけの世界で突然何が起きるかは僕にも検討がつかない。
しかし、現状が続くのであれば……言い換えれば、現状を続かせることができるのであれば、事件は起きない。誰かが誰かを恨んだり、妬んだり、殺意を覚える必要はなくなり、それはつまり惨劇の回避を意味する。
次にいつ、今の世界みたいなイレギュラーな事態だらけの世界が出てくるかは分からない。たぶん、今回がこの世界でも初めてなのだということは分かる。だからこそ、このチャンスを逃すわけにはいかない。これだけの確信があって、今までの世界ではできなかったことをできるのだから、それを実行しない手はない。
放課後、僕はみんなを集めて、この世界の秘密、『伝承者』の存在、そして惨劇のことまで全てを話した。
「――と、いうわけなんだ」
「……、」
それまで黙って僕の話を聞いていたみんなの反応は薄かった。いや、どちらかといえば、僕があまりにも突拍子もないことを言ったから心底驚いていたといったほうがいいのかもしれない。その場にいた僕以外の八人は各々顔を見合わせては難しい顔をして、何からすればいいのか決めかねているようにも見えた。
他に誰もいない教室の中で流れた数分間の沈黙は、僕にとってとても長いものだった。でも、きっとみんなは僕が話したことを信じてくれる。そして、惨劇を回避し、この世界の真相を暴く手助けをしてくれる。そう信じて待ち続けた。
すると、そんな中で最初に声を発してくれたのは對君だった。
「……えっと、つまり、だな……この世界は何度も繰り返されていて、俺たちがいる今の世界はこの世界のうちで一番新しくできた世界ってことでいいんだよな……?」
「うん、そういうことだね」
「なるほど……それで、逸弛は一つ前の世界で唯一の生き残りで……『伝承者』……だったか? として、俺たちの行動を誘導したり、話を聞いたりしていたってことになるんだよな……?」
「みんなが殺人を犯さないようにしたのは、今の世界を惨劇から回避させるためで、みんなの過去を確認したのは、今までの世界とどう違うかを調べてこれからについて考えるためだったんだ。勝手なことをして、みんなに迷惑をかけたり、不快な思いにさせたことについては謝るよ。ごめん」
「いや、それはいいんだが……」
僕が軽く頭を下げているとき、對君はそう言うと、もう一度みんなのほうを見た。やっぱり、こんな突拍子もないことを話しても信じてもらえないのだろうか。正直な話、無理もないと思う。僕だって、あんな惨劇を体験して、『箱』に入って、その内側に書かれた記録を見て、実際に今の世界に来て、色々確認してようやく信じられたのだから。
それほどまでに、この話は信憑性がなさすぎる。みんなに話しているときも『僕は何を言っているんだろう?』と何度か思ってしまうほどに。ましてや、そんな風に思いながら話している僕の話を聞いただけで『はい、そうですか』と簡単に納得できてしまうほうが驚きだ。
何か、決定的な証拠でもあればいいんだけど、今の僕は記憶と経験しか持っていない。さて、どうすればみんなは僕の話を信じてくれるのか。そう考えていたとき、對君以外のみんなも口を開き始めた。
「まあ、少なくとも、安易に信じられることではないな」
「やっぱり、そうだよね……何か証拠を見せられればいいんだけど」
「ですが、水科さんが嘘を吐くとも思えませんわ」
「確かに、嘘や冗談を吐くにしても、もっと信憑性のありそうなことを言いそうなものだよね」
「んー……じゃあさ、今ちょっと考えてみたんだけど、とりあえず水科くんが話したことを信じてみない? 水科くんが嘘を吐く理由はないし、その可能性も低いんだからさ」
「水科君が話したことの中には、私たちが知りえないこともたくさんあった。それに、水科君が知らないはずの私たちが幼い頃の話を聞いてきたことについても納得がいく」
「水科。お前が、俺たちがそれで当然だと思っていることを知らなかったのも全て、一つ前の世界から来たからなんだよな?」
「今の世界と一つ前の世界は状況がかなり違ったから、最初は色々驚いたよ」
「……ところで、ミズシナの話を信じるとして、ミズシナが幻覚を見ていたことは何か関係あるの?」
「きーたん! それは言わないって言ってたじゃん――」
「いや、俺たちが話し合っていたとき逸弛は起きていたから知っているはずだ。そうだよな?」
「うん、知ってるよ。でも、僕自身何で幻覚を見たのかは未だによく分かっていないんだ。たぶん、前の世界の記憶と今の世界の現実が時々混同することがあって、それが幻覚になっているんだと思うけど……」
「逸弛も大変だったんだな……よし、みんなも、もう考えはまとまっただろ?」
對君がそう呼びかけると、みんながそれぞれ一度だけ頷いた。これから何が始まるのかと思いながら黙ってその様子を見ていると、みんなの様子を確認した對君が僕のほうを向いて言った。
「逸弛。俺たちは逸弛の友だちであり、仲間だ。だから……逸弛が話したことを全て信じる。まだ理解が追いついていないところもあるけど、今の世界の俺たちは他の世界の俺たちとは違う。誰かを妬んだり、恨んだりしないし、殺すこともない。もし、何か手伝えることがあったら言ってくれ。俺たちは、俺たちのことを惨劇から救おうとしてくれた、水科逸弛というかけがえのない友だちのために力になる」
對君の台詞の後、みんなが僕のほうを向いて再び頷いた。まさかこんなにあっさり信じてくれるとは思わなかった。でも、これで、惨劇が繰り返されることはなくなり、この世界の真相を暴く余裕ができた。そして何よりも、今まで一人で抱え込んでいた負担が軽減され、みんなと共有できるようになった。
僕はただそのことが嬉しくて嬉しくて、自分の瞳が潤んでいくのがよく分かった。
「みんな……ありがとう……本当にありがとう」
「いいっていいって。こうして俺たちが仲良くなれたのは逸弛のお陰でもあるんだし、友だちなんだから、助け合ってこそ、だろ?」
「うん……」
「……ところで、話を切るようで悪いんだけど、ミズシナが言っていた『箱』を見せてもらうわけにはいかないの?」
「ああ、僕も『箱』を見せればみんなが信じてくれるかもしれないと思っていたんだけど、何でかあったはずの場所からなくなっていたんだ。たぶん、最終日とされている日になればまた出てくると思うけど」
「……そう。……それならいいや。……ミズシナの話は信じたことになったんだし」
そうして、今の世界の『伝承者』である僕はこの世界で初めて、この世界の秘密や『伝承者』のことなどをみんなに教えた。これで、何もかもがうまくいく。このときはそう思っていた。
「……………………、」