第十八話 『幻覚』
意識を失ってからどれくらい経っただろうか。眠りから起きるように、僕は目を覚ました。幻覚を見た後に気絶してもう一度目を覚ますのにも慣れてきたのか、前までに比べたら意識がはっきりしている気がする。ふと見てみると、そこには折言ちゃんと葵聖ちゃんの姿があった。
「あ、気がついた。水科君、大丈夫?」
「……ミズシナ」
「ああ、うん。この通り、もう大丈夫だよ。心配かけてごめん」
僕がそう言うと二人とも安心したのか、一度だけ溜め息を漏らした。そして、床に膝を突いて僕の顔を覗き込んでいた二人が立ち上がったのを確認すると、僕も同様にして立ち上がった。地下室の床は埃が多かったらしく、服が少し汚れてしまった。僕はその埃を手で払いながら、二人に話しかけた。
「ところで、二人はここで何をしていたんだい?」
「……それはこっちの台詞。……ミズシナこそ何でここに? ……バイトが終わって帰ったと思ってたけど」
「ほら、葵聖ちゃんとの話がまだ終わってなかったからね。帰る前にもう一度だけ話をしようと思って捜してたら、地下室に行ったって聞いたから」
「……そう」
「えーっと、私、帰ったほうがいいかな? 二人が何の話してるのか分かんないし」
「……大丈夫。……ちょっと待ってて」
「そうだ、忘れるところだった。話を戻すけど、二人はここで何をしていたんだい?」
再度聞き直してみると、二人はそれぞれ顔を見合わせた。その後、何か相談をするわけでもなく頷き、折言ちゃんが口を開いた。二人が何を思ってそうしたのか、僕には検討もつかなかった。
「大したことじゃないよ。たぶん、あと五分もあれば済むと思うから、水科君は外で待っててくれる? あ、そうそう。私、火狭ちゃんや海鉾ちゃんと一緒に来たから、よかったら二人と話しておいてね」
「僕は二人が何をしていたのかを聞いてるんだけど……って、沙祈と一緒に来たのかい?」
「うん、そうだよ。ついさっきまで海鉾ちゃんの家で遊んでたんだけど、火狭ちゃんが買い物に行きたいって言うから出かけて、ついでに私の用事も済ませておこうと思って」
「そうだったんだ……」
これは、少しまずいことになったかもしれない。いや、言い訳なんていくらでも言えるけど、沙祈は僕が葵聖ちゃんの家の手伝いだけじゃなくて別の用事も済ませると思っている(実際これからそうするつもり)。だけど、もう夕方だというのに、僕が葵聖ちゃんの家から出てきたら、何か変な方向に勘違いするかもしれない。
折言ちゃんが葵聖ちゃんの家の地下室に来るという可能性はあったとはいえ、沙祈と矩玖璃ちゃんが来ているとなると、話はさらにややこしくなる。これから折言ちゃんと葵聖ちゃんに話を聞いて、それから遷杜君と霰華ちゃんに話を聞きに行こうと思っていたのに。
そういえば、折言ちゃんは沙祈や矩玖璃ちゃんと一緒に来たと言っていた。ということはつまり、遷杜君や霰華ちゃんとは一緒にいなかったということになる。何となく予想はしていたけど、わざわざ聞くまでもなくそのことが分かって助かった。對君と赴稀ちゃんの行方が少し気になるところではあるけど。
それともう一つ、三人はついさっきまで矩玖璃ちゃんの家で遊んでいたらしい。でも、確か矩玖璃ちゃんは両親との仲があまりよくなかったはずだ。確か、元々仲が悪かった両親のせいでよく入退院していて、自分を虐めていたクラスメイトに暴力を振るって、咽喉をかき切って自殺しようとして、どこかの施設に入れられて、家に帰って来て以来立場が逆転した――はず。
とても良いとはいえない家庭環境にある海鉾家に友だちを呼べるような余裕はないように思える。でも、もしかすると、今の世界の海鉾家はそういう過去がなく、あったとしても仲直りできており、友だちを家に呼べるほどにまでその関係は回復しているのだろう。
これはあくまで推測で、あとで確認しておかないといけないことだ。まあ、沙祈たちの前で聞くわけにもいかないし、また明日以降直接話をしに行くとしよう。思わぬ情報収集ができたとはいえ、今はとりあえず、目の前のことに集中する。
「それで、折言ちゃんの用事っていうのは?」
「大したことじゃないから気にしないで」
「そんなに大したことじゃないのなら、なおさら教えてほしいよ。もしかしてそれは、僕には言えないことだったり、みんなが僕に隠していることなのかい?」
すると、折言ちゃんと葵聖ちゃんは少しだけ顔を俯けて、何も言わなくなってしまった。どうやら、僕が言ったことは図星だったらしい。友だちグループのみんなが僕に何かを隠しているのはもう分かっていることだけど、未だにその全貌が見えてこない。ここまで頑なに秘密を守っているということはそれなりに重要なことなのだと思うけど、それならそうと、僕にも相談してほしいものだ。
十数秒の間を空けて、不意に折言ちゃんが口を開いた。しかし、その台詞が発せられる前に葵聖ちゃんの細い腕が僕の体を押し、それを中断させた。
「……ミズシナ、しつこい。……いいから、早くヒサバのところに行ってあげて。……ワタシたちの話はあと五分すれば終わるんだから」
「え、でも――」
「……は・や・く!」
珍しくやや声を荒げながら、葵聖ちゃんはそう言った。僕は必死に話を聞こうと抵抗したけど、葵聖ちゃんによってずるずると地下室から押し出され、階段のところまで戻されてしまった。いや、葵聖ちゃんの力自体はそれほど強くなかったから、引き返そうと思えば引き返せたんだけど。
「分かった、分かったよ」
「……ふぅ、疲れた」
「話を聞いておきたかったところだけど、まあ明日でもいいかな。それじゃあ、僕は上に戻ってるから」
「……了解」
こんな状況では二人が何をしていたのかを教えてくれるわけがない。明日以降も教えてくれるとは限らないけど、ひとまずここは退散するとしよう。そう考えた僕は満足気な表情の葵聖ちゃんに見送られながら地下室を後にした。
僕はゆっくりと階段を上がりながら、PICで遷杜君に電話することにした。霰華ちゃんも一緒にいるだろうし、二人いっぺんに話を聞くとしよう。数秒後電話が繋がり、PICの立体映像の画面上が表示された。
「やぁ、遷杜君」
『どうした、何かあったのか?』
「いや、そういうわけじゃないんだけどね。今、ちょっといいかい? あと、近くに霰華ちゃんはいるかな?」
『金泉なら少し前に出かけたが、もうすぐ帰ってくるはずだ。それがどうかしたのか?』
「それならよかった。それで、遷杜君たちが大丈夫ならでいいんだけど、これから一時間くらい僕と話をしてくれないかい? 場所はこっちで用意させてもらうから」
『話? ああ、構わないが、それは直接会って話すべきことなのか?』
「まあ、そうだね。遷杜君だけじゃなくて霰華ちゃんとも話をしたいし、電話じゃなくて直接会って話すべきこともあるんだよ」
『そうか、分かった』
「うん、ありがとう。それじゃあ、また電話するから」
『ああ』
そうして、遷杜君との通話が終わった。よし、とりあえず、これでいいだろう。場所を適当に用意して、何から話すかを決めて、霰華ちゃんが帰っていそうな頃にもう一度電話をかければいい。
階段を上がり、ようやく地上に出た。そして、そのまま家の敷地外に出ようと歩いていると、赤髪サイドテールの少女と紫髪短髪の少女の姿が見えた。というか、その二人は紛れもなく沙祈と矩玖璃ちゃんだった。すると、僕が声をかける前に、矩玖璃ちゃんが僕に気がついた。
「ありゃ? 何で水科くんがこんなところに?」
「やぁ、奇遇だね、矩玖璃ちゃん。それと、沙祈も」
「え? 逸弛、今日用事あるって言ってなかったっけ? 葵聖の手伝いしてたの?」
「まあ、そうなんだ。でも、今さっき、それも終わったよ」
「そうだったんだ。あ、そうそう。あたしたち、これから遊びに行くんだけど、逸弛も行こうよ」
「ごめん、行きたいのは山々なんだけど、これから別の用事を片付けに行かないといけないんだ。だから、せめて沙祈だけでも楽しんでおいで」
「そう……」
悲しげな表情を見せた沙祈を見て、僕は少しだけ胸が痛くなった。『伝承者』の使命を果たすために情報収集しなければならないとはいえ、沙祈を放っておくのは心配だ。まあ、折言ちゃんや矩玖璃ちゃんがついてくれているからまだ安心できるけど、できるだけ早く帰ろう。
「矩玖璃ちゃん、ちょっといいかい?」
「……どしたの?」
「對君と赴稀ちゃんのことなんだけど、今日二人はどこにいるか分かるかい?」
「さぁ、どこだろ。折言ちゃんなら葵聖ちゃんに用事があるからって言って家に入っていったけど」
「いや、分からないならいいんだ」
「電話してみたら分かると思うけど、たぶんどこかで遊んでるんじゃないかな。あの二人、実は仲良いし。まあ、赴稀ちゃんは男の子を恋愛対象として見てないらしいから、特に心配はしてないけど」
「そっか、ありがとう。またあとで電話してみるよ」
矩玖璃ちゃんが二人の行方を知らないということは、たぶん折言ちゃんや葵聖ちゃんも知らないだろう。電話してみるとは言ったけど、僕にそのつもりはない。對君に話を聞きに行くのはリスクを伴うし、何重にも計画を立てておく必要があるから。
そのとき、ようやく話が終わったのか、地下室から出てきたらしい折言ちゃんと葵聖ちゃんの姿が見えた。僕は二人の姿を確認すると、再度沙祈と矩玖璃ちゃんのほうを向いて言った。
「それじゃ、僕はお先に失礼するよ」
「バイバーイ」
「あ、逸弛……」
「大丈夫、心配はいらないよ。あと、日が暮れる前には帰れると思うから、沙祈もあんまり遅くならないようにね」
「うん、分かった……」
そんなこんなで、僕は二人のもとを離れて一旦家に帰ることにした。話のための準備を終えた後、そろそろ霰華ちゃんが遷杜君のところに戻っているだろうと思い出し、僕は改めて遷杜君に電話をかけた。その後、直接会って二人のことについて話を聞いた。