第十四話 『幻覚』
僕たちは適当なお店に入って昼ご飯を食べた。いくら両親の遺産が残っていて、生活保護金を定期的に受け取っているとはいえ、裕福な生活をしているとはいえないので、普段なら外食はあまりしない。そして、一昨日までは十回に九回以上の頻度で僕が料理をしている。もしかすると、若干ではあるけど僕のほうが一人暮らし歴が長いことも関係しているのかもしれない。
僕たちはどちらかといえば、人間として必要最低限の質素な生活をしていると思う。まあ、節約という節約をしているかと聞かれればすぐには頷けないけど、それなりにはできているはずだ。
何にしても、今日は沙祈とのデートなのだから、そういう事情も忘れて楽しみたい。沙祈が買ってほしいと言ったものなら何でも買うし、沙祈が行きたいと行った場所ならどこにでも行く。僕と一心同体かつ運命共同体といえて、幼馴染みで恋人で他の誰よりも大切な沙祈のためなら、僕は何でもする。
そのために――と言ってしまうと恩着せがましいと勘違いされそうだけど、僕は普段から自分が欲しいと思ったものは買わないようにしている。ただ、僕自身沙祈以上に無趣味なので、食材やその他の生活必需品以外での使用用途がほとんどないというのもまた事実だ。もちろん、現代に遊び道具というものが少ないことも関係しているけど。
あ、そうか。一つ、世界中の誰も持っていなくて、この僕だけが持っている唯一無二の趣味があった。そう、それは他でもない。沙祈のことだった。
僕たちはデートスポットとして有名な、第六地区のS-4エリアの街中をゆっくりと歩いていた。相変わらず見かけた人の数は少なく、閉まっている店も多い。それでも誰かと通りすがる度に、それが男の子であればいやらしい目で、女の子であれば妬みを含んだ目で、沙祈のことを見られている気がする。
沙祈が可愛くてスタイルがよくて他の誰にも負けないほど愛らしいのはわざわざ明言するまでもなく分かりきっていることではあるけど、だからといって、ただ純粋にデートを楽しんでいる僕たちのことをそんな目で見るのはいささか気分が悪い。
沙祈は僕だけのかけがえのない女の子で、他の誰にも渡す気はないし、変な目で見てくる奴の両目を潰してやりたいとすら思う。何があっても、どんなことが起きても、僕は沙祈を守り続けると誓ったのだから。そして、その信念は決して揺らぐことも曲がることもない。
ふと、僕の左腕に抱きついている沙祈から話しかけられる。
「ねぇねぇ、逸弛~」
「……ん? 何だい?」
「次はどこに行く~?」
「そうだね……僕は沙祈が行きたい場所に行きたいかな」
「もー、それじゃ答えになってないでしょー? あたしだって、逸弛が行きたい場所に行きたいんだから~」
「でもさ、今日は開いてるお店が少ないから、必然的に選択肢も絞られるんじゃない? そういえば、やけに人通りも少ないような気がするし、何でだろうね」
「……っ」
「沙祈?」
「……え? あ、いや、いつもこんな感じじゃない? 元々この辺りは住宅街が少なくて来る人も少ないし、今日はイベントがあるわけでもないし」
「まあ、それもそうかもね。それに、人の目を気にせずに歩けるというのも中々いいものだね。普段なら少し恥ずかしいけど、こうして普段以上に恋人らしく沙祈と歩けるんだから。加えて、今日の沙祈は最高に可愛いし、僕としては嬉しい限りだよ」
「そうだね……」
沙祈はどこか悲しげな表情をしながら、僕にそう言った。余程のことがなければ、沙祈がそんな風に悲しげな表情をすることは珍しい。何か悲しいことでもあったのかと聞こうと思ったけど、寸でのところで思いとどまった。さすがに、いくらなんでも無神経すぎると考えたからだ。
僕が沙祈の心情を知らない状況で、ごく自然な形で、沙祈の機嫌が直ることをしてあげられるのならそれで解決するんだけど、そんな風に物で釣るみたいなことはあまりしたくない。ここは一つ、僕から声をかけるとしよう。それでも、結局物で釣るみたいなことを聞いてしまうわけだけど。
「ところで、沙祈。何か欲しいものとか、足りないものってあるかい?」
「欲しいもの……それなりにはあるかも」
「それなら、歩いていてその欲しいものがあれば、何でも言ってほしい。すぐに買って、それを沙祈にプレゼントするから」
「……迷惑じゃない?」
「え?」
「あたし、逸弛に迷惑かけてない?」
「何で急にそんなこと――」
「だってさ、何だか逸弛、無理やり楽しんでるように見せてる気がするんだもん」
「そ……そうかな……? 僕は沙祈とのデートを楽しみにしていたし、実際楽しんでるよ……? 今日のデート、沙祈には楽しくないのかい?」
「そんなことない! あたしは逸弛とデートできるのも、逸弛とくっ付いていられるのも、逸弛と話せるのも、全部楽しい! でも、それ以上に、逸弛の近くにいられるだけで充分に幸せで、逸弛が楽しそうにしているのを見るのがもっと幸せなの! だけど、今日の逸弛はあたしに合わせてくれてる気がする。もう何年も一緒に住んでるから分かるけど、これはたぶん、気のせいとかじゃない」
僕自身、そんなつもりはなかった。言ったように、僕は今日の沙祈とのデートを楽しみにしていたし、実際楽しんでいる。沙祈の言い分は全て気のせいだったと言いきってしまえる自信がある。でも、もしかすると、全て沙祈の言った通りなのかもしれない。
そもそも、今日沙祈をデートに誘ったのは何でか。それは、昨日待たせ過ぎて機嫌が悪くなった沙祈のご機嫌をとるためだ。そもそも、今日午後からデートに行くことになったのは何でか。それは、昼ご飯時というのも関係しているけど、午前中にそれよりも先に用事が入ってしまっていたからだ。そもそも、沙祈に物を買い与えたいのは何でか。それは、僕の自己満足欲を満たし、沙祈に嫌われたくないからだ。
そうだ。きっと、沙祈は僕の心の奥まで何でもお見通しなのだろう。僕は沙祈が何を考えているのか分からないことも多々あるというのに、沙祈は何年も僕のことを見続けて、そうなった。これだけ僕のことを愛して心配してくれている彼女をこれ以上悲しませるというのは、もう彼氏失格かもしれない。でも、どう言えばすんなり解決するだろうか。
「ごめん、沙祈。僕だって、そんなつもりじゃなかったんだ。沙祈と楽しみたい、沙祈に喜んでほしいという一心でいただけなんだ。だけど確かに、最近は色々あって、純粋な心でデートを楽しめていなかったのかもしれない。本当にごめん」
「……逸弛が謝ることじゃないよ。図々しくさっきみたいなことを言っちゃったのはあたしなんだし、あたしも逸弛が願ってくれてる通りに純粋に楽しんでいればよかった。でも、最近の逸弛、何だか様子が変だったから。つい昨日の朝も似たようなことを話したけど、そう感じたから。だから、ね」
「ごめん」
「うん……いいよ」
沙祈は少し不満そうにしながらも、僕の言葉に頷いてくれた。僕のことが心配で、僕が平静を装っているだけだと確信していても、僕が謝ったら素直に納得してくれる。それが、火狭沙祈という、僕に理解のある彼女なんだ。改めて、そう思った。
数秒後、沙祈はそれまでの落ち込んだ雰囲気から一変し、普段通りの明るい雰囲気で元気よく言った。
「それじゃ、気を取り直して、どこかに行こー!」
「おー」
「逸弛が何でも買ってくれるって言ったから、遠慮せずにどんどんリクエストしてくからねー! まずは可愛い服を買いに――」
沙祈がそう言いかけたとき、不意にその台詞が中断された。見てみると、沙祈は僕の後ろのほうを見ていることが分かり、振り向いてみた。でも、そこには誰かがいるわけではなく、ただ、閉まっているお店が数軒ある程度だった。
「……営業再開時期未定……まあ、仕方ないか……」
「……?」
沙祈が何と言ったのかは聞き取れたけど、その台詞の意味はよく分からなかった。再度、沙祈の表情を確認した後、後ろを振り返ってみる。やはり、あるのは閉まっているお店が数軒ある程度だ。一つ言えるとすれば、そのうちの一軒に『営業再開時期未定』という掛け札が下げられているくらい。そのお店が元々何屋だったのかは看板がない以上分からない。
「沙祈? どうかしたのかい?」
「……え? ううん、何でもない。さ、時間がもったいないし、サクッと行ってサクッと買って、次に行こう! 可愛い服以外にもたっくさん買ってもらうからね!」
「了解!」
結局、沙祈が何に対して驚き動揺していたのかは分からずじまいだった。でも、僕に言えることで、重要なことなら言ってくれるはずだから、そこまで心配する必要もないのかもしれない。あまりお節介を焼くと、沙祈にしても嫌だろうし。僕たちはやけに強く意気込んだ後、ほとんど人通りのない街中をスキップするように駆けていった。
それにしても、やっぱり人通りが少な過ぎる。今の世界は人口が少ないというイレギュラーに見舞われているのか、それともこの街だけの話なのかは分からないけど、どちらにしても、何か原因があるはずだ。過去に殺人ウイルスが流行したとか、最近とんでもない事件が起きたとか、そんな感じの突飛な何かがあったとしても何ら不思議ではない。
沙祈に連れて行かれるままに、僕たちは何軒か服屋を回った。というのも、歩いていくにつれて開いていないお店が多くなっていき、沙祈が当初の目的地にしていた服屋も閉まっていたからだ。その際、遷杜君と霰華ちゃんのカップルが歩いているのを見かけたり、對君と折言ちゃんのカップルとばったり会ったりした。
そして特に何事もなく沙祈の服を買い終えた後、その他もろもろの物を買い、日用品を買い、気がつくと僕のPICにチャージされているお金は底を尽きていた。何というか、僕のお金が尽きるのはいいんだけど、これではデートというより買い出しに近い気がする。まあ、沙祈は楽しんでくれてるみたいだったから、不満とかはないんだけどね。