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オーバークロックプロジェクト-YESTERDAY   作者: W06
第六章 『Chapter:Mercury』
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第八話 『幻覚』

「――ん、水科くんっ」

「――シナ、ミズシナ」


 どこか遠くのほうから、僕の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。眠っていたのか、気絶していたのか。はっきりとしない意識のまま、僕はゆっくりと目を開けた。


「あ……れ……?」

「もー、やっと起きたー。水科くんってば、どうしたのー?」

「……ミズシナ、保健室に入ってくるなり変なこと言ってた。……大丈夫?」

「え……?」


 何だ? どういうことだ? これはいったい?


 僕の目の前には、矩玖璃ちゃんと葵聖ちゃんの姿があった。しかし、二人の姿はついさっきまで僕が見ていた悲惨なものではない。矩玖璃ちゃんの顔や制服には血などついておらず、葵聖ちゃんも頭が割れたりしていない。二人とも、僕がよく知る姿でそこにいる。


 さっき、僕は矩玖璃ちゃんが葵聖ちゃんを殺している惨状を見つけたはずだ。そして、矩玖璃ちゃんは僕のことまでも殺そうとした。でも、僕自身こうして生きているわけだし、そもそも、二人ともさっきまで僕が見ていた悲惨なものとは大きく異なっている。


 まさか……さっきまで僕が見ていたのは『幻覚』……?


 矩玖璃ちゃんと葵聖ちゃんが僕を驚かそうとしてあそこまでのことをしたとは思えないし、そうなると、『幻覚』以外でこの現象を説明できない。ただの『幻覚』だったのなら、今の世界では誰も死んでいないことになるし、今の世界で惨劇を回避することもできるだろう。


 だけど、何で僕はあんな『幻覚』を見たんだ……? 誰かに見せられたという可能性もあるけど、それは誰だ……? もしかするとそれは僕自身で、前の世界での非現実的な出来事を多く経験してしまったあまり、過去と現在の区別がつかなくなってしまったのかもしれない。それなら、僕があんな『幻覚』を見たことにも納得できる。


 ……納得しちゃっていいんだろうか?


 矩玖璃ちゃんと葵聖ちゃんに囲まれながら今の状況の考察をしていると、不意に保健室のドアが勢いよく開いた。保健室の中にいた僕たち三人は入り口のほうを向き、その先にいた六人のほうを見た。その場で最初に声を発したのは對君だった。


「何だ!? 逸弛の大声が聞こえた気がするが、何かあったのか!?」

「逸弛!」


 そこには焦りつつも心配そうな表情の六人の姿があった。たぶん、さっき僕が急に保健室に行くと言ったから、不審に思ってついてきたのだろう。それで、僕の大声が聞こえたから、何があったのか確認しにきたんだと思う。それにしても、僕の声は防音設備がある保健室の壁さえも貫通して廊下に響き渡らせたのだろうか。いや、ドアが完全に閉め切られていなかっただけかもしれない。


 六人の様子を見て何かを思ったらしい矩玖璃ちゃんと葵聖ちゃんは、いたって問題ないといった様子で返答した。僕はただ、そんなみんなの受け答えを見ているしかなかった。


「わたしにもよく分かんないんだけど、水科くんってば、保健室に来るなり独り言を言い始めたんだよ。話しかけてみたけど、中々反応がないし」

「……それで、カイホコがミズシナに近づいたら、ミズシナが大声を出してそこに崩れ落ちた。……しばらくしてミズシナが目を覚ましたとき、みんなが来た」

「そうだったのか……てっきり、海鉾と天王野が逸弛に何かしたのかと思った」

「いやいや、水科くんに何かするとか、わたしたちどんな評価されてんのよ」

「……残念だけど、男には興味ない」

「あはは。そういえば、お前らはそういう奴だったな」


 三人の会話を聞いている限り、さっきまで僕が体験していた状況と二人が体験していた状況に大きな差が生まれている。ということはつまり、やっぱりさっきのは僕の『幻覚』だったのだろう。また一つ解決しないといけない謎が増えてしまったけど、誰も死ななくて、本当によかった。


 一度だけ安堵の溜め息を吐くと、全身から力が抜けた。すると、そんな僕の様子を見ていた沙祈が僕に近づき、手を差し伸べた。


「逸弛、大丈夫? 立てる?」

「ああ、ありがと――」


 沙祈の手を取って立ち上がろうとしたとき、足に力が入らず、思わず体勢を崩してしまった。その後、そのまま僕は沙祈のほうに倒れかけ、掴みやすいところにあったものを適当に掴んで体勢を整えようとした。


「んぁ……あ……っ!」


 沙祈の喘ぎ声が聞こえ、僕は顔を上げた。僕が掴んでいたのは、正真正銘、沙祈の大きな胸だった。


「ああっ! ごめんごめん!」

「もぉ、逸弛ったら……」

「今のは事故というか、不可抗力というか――」

「常日頃から触ってるんだから、何も今じゃなくても、いつでも触らせてあげるのに」


 沙祈のほうは、今ので完全にスイッチが入ってしまったらしい。沙祈の顔は薄っすらと赤く染まり、トロンとした表情をしている。それに、何だか息遣いも荒いし、少しずつ僕の体を押し倒そうとしているようにも思える。


 どうやって沙祈のことを抑えようかと考えていると、沙祈の行動を後押しするかのように、赴稀ちゃんが僕たちに言ってきた。見てみると、僕たち以外の七人は微笑ましそうな表情で僕たちのことを見ていた。


「おーい、お二人さーん。あと一、二分で一時間目の授業が始まるけどどうするー? 一時間目は休んで、保健室借りるー? 今日は他に誰も来ないはずだし」

「うん、そうする。念のため、二時間目も休む」

「りょーかい。仮暮先生にはそう伝えておくから」

「ありがと」

「いやいや、ちょっと待って!? さすがに授業を休むのはまずくないかい!?」

「……? 時々みんなそうしてるでしょ? というか、逸弛、シたくないの?」

「したいとかしたくないとかそういうことじゃなくて、ええと……」

「むー」

「ほ、ほら、学校の保健室だとゆっくりできないでしょ? だ、だから、今晩家でしたほうがいいかなって……どうかな?」

「……まぁ、逸弛の言う通り、それもそうかもね。それじゃ、教室戻ろっか」


 いくらなんでも、学校の保健室で沙祈を抱くわけにはいかない。というか、今の世界の僕はそんなに節操がなかったのか。いや、沙祈は『時々みんなそうしてる』って言ってたから、今の世界のみんなの性格がそうなっているだけなのかもしれない。


 何はともあれ、その後、僕たちは教室に戻った。一応、一時間目の授業には間に合った。


 今日の授業も終わり、夕方。僕たち九人は人工樹林に遊びに行くことになった。言い出したのは赴稀ちゃんで、ただ単純にどこでもいいから普段行かない場所に遊びに行きたいから、らしい。それで人工樹林が選ばれるというのも珍しいけど、まあ、普段行かないといえばそうなのかもしれない。


 初日の次の日、どの世界でも僕たちは二つの班に分かれて捜索をしていた。僕・沙祈・折言ちゃんの班は交番へ、對君・矩玖璃ちゃん・霰華ちゃん・(世界によっては遷杜君も加わる)の班は人工樹林へ。そのときの目的は赴稀ちゃん殺人事件の謎の解明だったけど、今は違う。今回は、遊びに来ただけだ。


 もちろん、こんな状況でそんな目的で九人全員が人工樹林に行くなんてことは『箱』の内側には書かれていない。だから、これはイレギュラーの一つということになる。でも、みんなが仲良く遊べるのなら、こういうイレギュラーもいいのかもしれない。


 僕たちは人工樹林の中に何箇所かある、広間にいた。そこには人工樹木がなく、草むらもない。広いわけではないけど、狭いわけでもない。ただ、九人で遊ぶだけなら充分だ。何人かは幼い子どものようにその広間を走り回ったりしており、僕を含めた数人はその光景を眺めているだけだった。


 さっきはあんな幻覚を見てしまったけど、こんなにも微笑ましい世界なら、いくらイレギュラーな事態が発生しても殺し合いなんて起きない気がする。僕が来た前の世界では、みんなはその人間関係や恋愛事情に悩まされ、恨みや妬みによって平常心を保てなくなっていた。その結果、あんな惨劇が起きた。


 でも、今の世界は違う。僕と沙祈、對君と折言ちゃんと矩玖璃ちゃん、遷杜君と霰華ちゃん、赴稀ちゃんと葵聖ちゃんがそれぞれ恋人関係、もしくはそれに近い関係になっている。また、前の世界ではいがみ合っていた沙祈と折言ちゃんは仲が良く、他のみんなも現状に不満を抱いている様子はない。


 僕が望んでいたのは、こんな風な幸せな世界だったのかもしれない。


 と、そんなことを考えていると、思わず涙が出そうになってしまった。僕はすぐ近くに座っていた遷杜君と霰華ちゃんに『トイレに行ってくる』と言い、広間を離れた。


 そういえば、僕は人工樹林に来たときに確認しておかないといけないことがあったんだった。今朝から色々ありすぎて、すっかり忘れていた。僕はそれを思い出し、『箱』が置いてあるさっきのとは別の広間に向かった。幸いにも、ここから五分もかからずに行くことができた。


 『箱』には一人一回しか入ることはできない。でも、『箱』を開けて中の記録を確認するくらいはできるはずだ。前の世界で『箱』に入って今の世界に来た僕だけど、いくらなんでもその内側に書かれていたことを全て記憶しているわけではない。改めて、PICで写真でも撮って保存しておきたい。


 例の広間に到着した僕は、広間全体を見回した。やっぱり、『箱』は地上には出ていない。前の世界でも、『箱』は『伝承者』が探し出して初めてそこに出現していた。時間はかかるかもしれないけど、探し出さないと。


 そう考えて、僕は腰を下ろして、その広間の地面を手で触りながら『箱』の場所を探し始めた。確か、『箱』の上部にはスイッチのようなものがあったはず。それさえ見つかれば、『箱』を出現させることができるだろう。


 しかし、探しても探しても、一向に『箱』は姿を現さない。何かがおかしい、僕はそう直感した。続けて僕は何分もかけて、広間を隅々まで探した。広間の場所自体は間違っていないはずなのに、もう探していない場所なんてないはずなのに、僕は見つけることができなかった。


「『箱』が……消えた……?」


 今の世界で立て続けに起きるイレギュラーは、そんな最悪な事態さえも引き起こした。

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