第四話 『幻覚』
遷杜君に電話をかけると、少し時間をおいて遷杜君の声が聞こえてきた。本来ならここでPICの立体映像の画面上に遷杜君の顔が映し出されるところだけど、遷杜君側のPICでそう設定されていたのか、音声だけになっている。
『何だ水科、どうしたんだ? 今日は火狭と一緒にいると言っていなかったか?』
「あ、うん。そうなんだけど……」
『……?』
何というか、遷杜君の対応が對君にそっくりな気がする。この二人が親友と呼べるほど仲がいいのは知ってるけど、こうも極端に対応がそっくりだと、似た者同士とかいうレベルの話じゃない。おっと、今はそんなことを考えてる場合じゃなかった。
二人が似た者同士なら、さっき僕が對君に言ったこととまったく同じことを言えば、同じような返答をしてくれるかもしれない。それなら少し負担が減るから、そうするとしよう。
「それよりも遷杜君。今どこにいるんだい?」
『おかしなことを聞くんだな。学校で言った通り、自分の家にいるが』
「そうなんだ、それならよかった。あと、これから家の外に行く予定ってある?」
『ないな。夜は寒い』
「それもそうだね」
『さっきから気になって仕方がないんだが、水科は何でそんなことを聞くんだ?』
「いや、大した理由じゃないから気にしないで。そういえば、今遷杜君の近くに霰華ちゃんっている?」
『あ? ああ、金泉なら俺の隣で寝ているが』
「そ、そっか」
一つ前の世界では、散々みんなの前で沙祈とキスしたり抱き合ったりしていた僕が言えたことじゃないけど、遷杜君は一言一言が直球すぎるんだよなぁ。しかも、何かと的確だし。まあ、遷杜君と霰華ちゃんなら、みんなの前では自重してくれるだろうからその心配もないか――って、ん?
遷杜君と霰華ちゃんっていつからそんな関係だったんだろう。僕が知ってる一つ前の世界の遷杜君と霰華ちゃんは付き合っていなかったはずで、霰華ちゃんから遷杜君に対する一方的な想いだけだったはず。それなのに、遷杜君の台詞から推測するに、二人は恋人以上の関係だと思われる。『俺の隣で寝ている』とか言ってたし。
『箱』の内側にも、遷杜君と霰華ちゃんが互いの想いを伝え合うことができた世界がいくつかあったと書かれていたから、こういう世界もあるのかもしれない。でも、初日から二人が付き合っているなんて状況は書かれていなかった。これもまた、さっきの對君のようにイレギュラーな事態なのかもしれない。
これ以上遷杜君に聞くことはないけど、もう少し探りを入れておいたほうがいいかもしれないけど、どうしようか。しばらくの間黙り込みながら、僕はそんなことを考えていた。すると、僕が黙り込んだことを不審に思ったのか、遷杜君が声を発した。
『何だ、金泉に話があるのか? 必要であれば起こすが――』
「え? あ、いや、それはさすがに悪いから、また明日以降聞くことにするよ」
『そうか。水科からの話は終わりか?』
「最後に一つ。今日から明日にかけて、二人は学校に行くまで絶対に家の外に出ないでほしい。今はその理由を説明できないけど、いつか話せるときが来たら話すから」
『さっきも言ったが、今晩出かける予定はない。それでいいか?』
「ありがとう。それと、何かトラブルがあったら、すぐに僕に連絡してほしい」
『ああ』
とりあえず、對君に言ったこととほぼ同じことを言っておく。今のところ遷杜君は霰華ちゃんと付き合ってること以外ではおかしなところはないから、對君に比べれば安全だといえるだろう。
というか、遷杜君と霰華ちゃんは『箱』の内側に書かれている限りでは、赴稀ちゃんを除いた中で、殺した人数が少ない二人だ。しかも、二人が殺人を犯す理由は正当防衛がほとんどで、自ら進んで殺人を犯すことは極めて少ない。ここまでイレギュラーな事態ばかり起きているのだから、これ以降は『箱』の内側に書かれている法則通り進行してくれることだろう。きっと。
「それじゃあ、また明日学校で」
『待て』
「……?」
僕が遷杜君との通話を切ろうとしていたとき、遷杜君が僕のことを呼び止めた。僕としては分からないことはまた明日調べればいいという思いだったけど、どうやら遷杜君のほうから話があるみたいだ。
『水科。その……火狭のこと、大事にしてやれよ』
「え? うん。僕は自分よりも沙祈のことを大事にしてるつもりだけど」
『そうか。それなら構わないが』
「どうしたんだい?」
『いや、さっき嫌な夢を見ていたものでな。それで少し心配になっただけだ』
「『嫌な夢』……?」
『だが、そう大したことではない。俺の思い過ごしだ。忘れてくれ』
「分かったよ。じゃ、またね」
『ああ』
そう言って、遷杜君との通話が切れた。遷杜君が言っていた『嫌な夢』というのが少し気になったけど、悪夢くらい僕だって見るからそんなに気にしないほうがいいかもしれない。たぶん、遷杜君にとっては滅多にない経験で、現実と夢の区別がつかないほどリアルな夢だったんだと思う。
さて、何はともあれ、對君と遷杜君に電話したことで、七人の状況を把握できた。今晩何も起きないとは言い切れないけど、僕なりにできる限りのことはしたつもりだ。それに、今から僕が對君の家に行こうものなら、對君のもう一つの人格が僕が『伝承者』であると察知して、僕たちの物語が終わってしまうかもしれない。だから、これ以上余計な動きはできない。
僕が遷杜君との通話を終えてPICの電源を切ろうとしたとき、思わず目を疑った。PICの立体映像の画面上に表示されている、これはいったい、どういうことだ。
どの世界においても、初日は二一二三年十月二十日火曜日のはず。それなのに、PICにはここには二一二三年十月二十一日水曜日と書かれている。
まさか、一つ前の世界から『箱』を通じて今の世界に来てから丸一日、寝過ごしてしまったのか? いや、いくらなんでも、そんなことはないと言い張れる。いくら精神的に疲労していたとしても、僕がそんな状態にあれば沙祈が黙っていないはずだし、惨劇を回避するという使命を背負っているという責任感で押し潰されそうな状況でぐっすり眠れるとも思えない。だからといって、PICの表示が間違ってるとも思えない。
でも、對君と遷杜君に電話したことで分かったことだけど、これまでの世界で初日に起こったことのない出来事ばかりが起きている。つまり、やっぱり今日は初日じゃなくて、転移ミスか何かで、僕だけ初日の記憶がなくなっていると考えたほうが妥当か。
待て待て、僕が何もしてないのであれば、初日に赴稀ちゃんが殺されるはず。だけど、さっき對君に電話したとき、對君は五人が家に来ていると言っていたし、もし赴稀ちゃんが殺されているのなら、赴稀ちゃんと非常に仲がいい葵聖ちゃんがあんな風に對君と楽しげに話すとは思えない。
うーん……ここまで考えて分かるのは、今の世界で起きていることは何一つとして間違っておらず、僕の意識も飛んでいないということだけか。今日は二一二三年十月二十一日水曜日で、對君も遷杜君もこれまでの世界とは少し異なる交友関係を持っている。今の世界は『箱』の内側に書かれていない、イレギュラーな事態が発生しやすい世界なのだろう。
他にも気になることは山ほどあるけど、今日はもう遅い。『箱』に入っていたときの記憶は途中から飛んでしまっているけど、眠ったり気絶していたわけではない。あんな惨劇を見た後、何時間も経っているのに一睡もできていないのだから、疲れも溜まるはずだ。
ひとまず、今晩分かったこと、分かっていないこと、気になることをPICのメモ帳に記録しておく。あと、役に立ちそうな『箱』の内側に書かれていたこともついでに記録しておこう。時間が経って忘れてしまったがために僕たちの物語が終わろうものなら元も子もない。最善には最善を尽くし、安全策には安全策を尽くすに限る。
一通り記憶していることを記録し終えた僕は寝室に戻った。ドアを開ける直前、寝室の灯りが点いていることが分かり、中に入ってみると、そこには服の代わりに布団に包まっている沙祈の姿があった。
沙祈は心配そうな表情で僕のことを見ており、その表情から、僕が夜中に布団から抜け出したことについて心配していることが分かった。
「逸弛……? 誰かと話してたみたいだけど、何かあったの……?」
「……いや、何でもないよ。ごめん、起こしちゃったね」
「ううん。それは別にいいんだけど、何だか逸弛、疲れてるみたいだったから」
「そうかな? 僕はこの通り、元気一杯だよっ」
そう言って、ぐるぐる手を回したり、ストレッチしたりしてみせる。どれだけ疲れていても、そんなこと関係ない。ここは意地でも、沙祈に心配かけないようにしないと。
僕の元気そうな様子を見ると沙祈は安心したのか、一度だけニコッと微笑んだ。そのとき、沙祈の体に密着していた布団の一部がはだけ、沙祈の首元にある見覚えのない傷が見えた。それを見た瞬間、沙祈に心配かけまいとしていた僕の行動は止まり、たぶん顔は真っ青になっていたと思う。
「さ、沙祈!? その傷、いったいどうしたんだ!?」
「……っ!?」
僕が大声で問いただすと、沙祈は今思い出したかのように再び布団に包まり、顔だけ僕のほうに向けた。そんな沙祈の様子は可愛らしいものだったけど、今はそれどころではない。沙祈の首元にある、十センチほどの火傷のような酷い傷跡。あれはいったい何なんだ。
頬を赤く染め、涙ぐんでいる沙祈は言う。
「……ぅう……ううぅぅ……やっぱり、気になる……?」
「え……?」
「あたしも早くこの傷をなくしたいけど、今の医療技術だとどうしようもないの……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。その前に、その傷は誰に付けられたものなんだい?」
「……? 昔、お父さんに虐められてたときについたんだけど、忘れちゃった……?」
沙祈が父親から家庭内暴力を受けていたのは知ってるけど、そのときの傷は全て綺麗に完治したはずだ。切り傷も擦り傷も全て。だけど、あんな火傷のような傷跡は見たことがないし、今の医療技術ではどうしようもないとはどういう意味なのか。
現代は、死んでさえいなければ、どんな怪我も病気も完治できるほどの医療技術を持っているはずだ。それなのに、大量出血して致命傷になっているわけでもない首元の傷跡を治せないとはいったい……?
僕は続けて沙祈に質問しようとした。でも、沙祈は今にも泣きそうな表情をしており、沙祈が幼い頃の話は掘り下げてはいけないことを思い出した。僕は質問しようとしたのをやめ、ベッドの上で布団に包まっている沙祈に近づき、優しく髪を撫でながら言った。
「ごめん、沙祈。僕、ちょっと寝惚けてて、変なこと言っちゃったみたいなんだ。辛いことを思い出させて、本当に悪かったと思ってる。許してくれるかい?」
「うん……逸弛がそういうなら」
「ありがとう」
その後、僕と沙祈は互いの唇を重ねて、そのままベッドに倒れ込んだ。一日に何度も連続ですると次の日がしんどいけど、今はただ、これでいい。
あのとき、ショックのあまり気絶していた沙祈は、僕が沙祈のお父さんをナイフで刺したことを知らない。もちろん、それが致命傷になったことも、見覚えのない人が家に上がりこんできて、沙祈のお父さんが僕たちを守ってくれたことも。
だから、僕は沙祈のことを守らないといけない。一時期は沙祈のお父さんの死の原因を作ってしまったと罪の意識で押し潰されそうになっていた僕だけど、そういうときも沙祈に救われた。だから、沙祈に余計な心配をかけずに、僕はみんなを救う。そして、この思いは誰に聞かれる必要もない。
そうして、世は更けていく。