第一話 『二人』
『ある一定の法則に従って動いていた物語にも、必ず例外は存在する。 はじめはそのことに異変を感じて身構えていても、いずれはそれに慣れてしまう。そんなときに限って、取り返しのつかない出来事は起きる。僕のときが実際にそうだったように』
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今から約十年前。当時は第三次世界大戦の終戦からしばらく時間が経ち、世界中で復興が行われていた。人々の生活は少しずつ戦争前のような豊かさを取り戻し、戦争で傷ついた心や体は癒されていっていた。これから話すのは、そんな時代で起きてしまった一連の事件や、僕と彼女の話。
あるところに、どこにでもいるような二つの幸せな家庭があった。どちらの家庭も父親・母親・子どもという三人構成の核家族で、その子どもが男の子だったのが『水科家』、女の子だったのが『火狭家』だった。その二つの家庭が住んでいた家は徒歩一分でもう片方の家に着くことができるほど近く、元々両親の仲がよかったということもあって、家族ぐるみの付き合いだった。
というのも、水科家の父親と火狭家の母親が、火狭家の父親と水科家の母親が、それぞれ幼馴染みの関係にあったからだ。そういう理由で両親の仲がよく、子どもたちもすぐに打ち解けて、頻繁にあっては遊ぶようになっていった。
男の子と女の子は非常に仲がよく、気がつくと四六時中一緒にいるような関係だった。何をするにしてもまずは相手に相談し、他の誰よりも相手のことを優先した。それこそが、この僕水科逸弛と、その大切な彼女である火狭沙祈だ。
僕は元から他人と接するのが苦手だったけど、それ以上に人見知りだった沙祈のことを勇気付けようと思って色んな人に親しく話しかけ続けていると、いつの間にかそうではなくなった。結局、沙祈の人見知りはなくならなかったけど。
自分の言うのも変な話だけど、僕も沙祈も同級生からは結構好かれていたと思う。もちろん、友だちとしてではなく、恋愛対象として。でも、当時まだ小学生の沙祈は同級生から告白されてもどう対応すればいいのか分からず、恥ずかしさを誤魔化すためにその相手を殴った後、僕に相談してきた。
僕は沙祈のことを誰よりも大切に思っている自信があったし、沙祈を他の人に渡したくなかった。だからその度に、僕は『断ったほうがいいよ』と言った。そして僕もまた、同級生からの告白を断り続けた。いつしか、僕と沙祈は同級生から無視されるようになり、それなりに虐めを受けたりした。理由は大方分かっていたし、耐えられる程度だったから、僕はそれを無視し続けた。
僕たちにとって唯一の癒しは、二人で一緒にいることだった。二人で一緒にいれば、何をしても楽しいし、何を話しても面白い。この時点で、僕も沙祈も相手のことを想っていたのかもしれないけど、その気持ちに気がつくのはもう少し後のことだ。
さて、僕と沙祈の小学生低学年時代はそんな感じで過ぎていった。唯一辛かったのは学校に行くことくらいで、それ以外の面ではむしろ、幸せな日々を送れていたと思う。父さんも母さんも優しかったし、火狭家との仲は良いままだったし、そして何よりも、僕には沙祈がいた。だから、僕は幸せだった。
しかし、そんな幸せな日々はある出来事をきっかけとして、次々と瓦解していくことになる。
第三次世界大戦の影響で職を失っていた父さんは終戦後、新しい事業を始めて張り切っていた。でも、ある日父さんから、それが失敗したと告げられた。借金こそ多くはなかったものの、水科家の雰囲気は一気に悪くなった。父さんが悪いわけではないし、責めているわけでもない。だけど、そうなってしまったのもまた事実だった。
一ヶ月くらい経った頃、突然父さんが消息を絶った。僕や母さんにどこへ何をしに行くのか伝えることなく、ただ一つの手がかりさえも残すことなく、消えてしまった。最初の何日かは新しい仕事を探しに行ったのだと思っていたけど、時間が経つにつれて僕と母さんの不安は募っていくばかりだった。
父さんが消息を絶ってから二週間くらい経ったとき、僕と母さんは警察に父さんの捜索をお願いしに行った。しかし、第三次世界大戦で未だに見つかっていない行方不明者が数え切れないほどいるという理由で、そのお願いが聞いてもらえなかった。それどころか、そんなことはあるわけないのに、父さんは戦死したという記録がついてしまい、ついにどうすることもできなくなった。
それからしばらくして、失踪した父さんの代わりに母さんが働きに出るようになった。それによって、僕は家にいるほとんどの時間を一人で過ごすことになり、今まで以上に沙祈とよく遊ぶようになった。僕の父さんが失踪したことで、沙祈は何とかして僕のことを慰めようとしてくれた。
沙祈の慰め方は不器用そのもので少し困ったときもあったけど、僕にとっては、ただ沙祈が僕のことを思ってくれているというだけで嬉しかった。こんなにも僕なんかのことを大切に思ってくれている人がいるのだと、改めて認識できたから。
そんな感じで沙祈が僕のことを慰めてくれたお陰で、僕は寂しくなくなった。相変わらず家にいるときは大抵一人で、学校では虐めが続いているけど、沙祈が慰めてくれたから気にならなかった。
でも今度は、僕のことを慰めてくれた沙祈の周りで変化が起きることになる。
元から体が丈夫なほうではなく病気がちだったという沙祈のお母さんが、ある日亡くなってしまった。当時は今みたいな完全完璧といっても過言ではない医療技術があったわけではなく、あと数年でそれが確立される前に、沙祈のお母さんは亡くなった。
僕と僕の母さんは、沙祈のお母さんの葬式に呼ばれた。そのとき、沙祈と沙祈のお父さんは泣いていた。自分たちの家族が亡くなったのだから、悲しくないわけがない。だから、涙を流さずにはいられない。つい数日前まで僕が沙祈に慰められる立場だったのに、この日からそれは逆転した。でも、葬式があったその日だけは、僕は沙祈に声をかけられなかった。
そういえば、僕は父さんが失踪したことで、今まで泣いていなかった。それは、父さんがどこで何をしているのか、そもそも生きているのか死んでいるのか、その部分から分かっていなかったからだった。そして、お母さんが亡くなったことが泣いている沙祈たちの姿を見て、僕は父さんがいなくなったことを改めて実感し、気がつくと涙が溢れ出ていた。だから僕はその日、沙祈に声をかけられなかった。
沙祈のお母さんが亡くなってから数週間が経ち、ようやく沙祈の気持ちも落ち着いてきた。沙祈が元気になれば、沙祈の可愛らしいあの笑顔をまた見ることができる。僕はそんなことを考えながら毎日を過ごしていた。
平凡な日々が戻りつつある日、僕と沙祈は僕のお母さんと沙祈のお父さんに呼ばれた。僕は、久し振りに沙祈の家に呼ばれたことで少々浮かれながらも、『大事な話がある』と前置きされていたことで何か嫌な予感を察知していた。
二人の口から飛び出したのは、僕の母さんと沙祈のお父さんが結婚するという話だった。僕の母さんは戦死扱いになっている父さんの代わりに毎日働き詰めだったことで気が狂い、沙祈のお父さんは愛する妻を失って正気を失っていたんだと思う。
二人は元々幼馴染みだったということもあり、僕や沙祈が知らないところで、お互いに相手のことを慰め合っていたのだという。それに、僕と沙祈に言う前から結婚することは決まっており、僕のお母さんのお腹には二人の子どもまでいると聞かされた。
僕も沙祈も、二人が何を言っているのかすぐには理解できなかった。いや、どちらかといえば、理解したくなかったといったほうが正しいのかもしれない。母さんは『逸弛も沙祈ちゃんも“兄妹”みたいに仲がいいんだから、私たちが結婚すれば、もっと一緒にいられる時間が増えるからいいでしょ?』と言った。
確かに、母さんの言っていることは合っているかもしれない。でも、少なくとも僕たちにとっては違う。僕は沙祈といられればそれでいいけど、それは『義兄妹』としてではなかった。僕は二人が結婚することに反対の意を示した後、沙祈の手を引いて家から飛び出した。
それからまもなくして、僕の母さんが事故死したという連絡を受けた。その話によると、どうやら母さんは家を飛び出した僕たちを追いかけた際、まだ全自動化が完成していなかった車道に飛び出して車に轢かれたらしい。
僕は母さんにお別れを言うこともできないまま、父さんだけでなく母さんまで失ってしまった。あんな会話とも呼べない会話が最後だなんて、今でも信じられない。母さんの遺体は小学生の僕たちには見せられないほど悲惨なものだと言われ、僕は母さんを見送ることもできなかった。
その後、両親を失った僕は親戚に引き取られることになりそうだったけど、沙祈と離れるのが嫌でそれを断った。第三次世界大戦で両親を失った子どもが増えたために、そんな身寄りのない子どもたちに国から生活保護を受けられる制度があったのは、幸いだったと思う。それに父さんと母さんの遺産を加えて、僕は一人暮らしをすることにした。
父さんも母さんも、もうこの世にはいない。元々僕には兄弟姉妹なんていないし、親戚から差し伸べられた手も払い除けてしまったから、正真正銘の一人ぼっちだ。でも、僕には、あの沙祈がいる。そもそも、僕がこうして一人暮らしを始めたのも、この街に沙祈がいるからなのだから。
このとき、確か僕はしばらく沙祈と顔を合わせていなかったような気がする。それもそのはず、母さんの葬式の後、親戚との話し合いや生活保護制度の説明、一人暮らしをするにあたっての準備など、何かとすることが多かったから。
何週間ぶりだったかは覚えていないけど、僕は沙祈に会いに行こうと考えた。だけど、何度かPICでメールを送っても返信はなく、電話も繋がらない。もしかして、気を遣ってくれているのだろうか。そんなことを考えながら、僕は沙祈の家に向かった。
沙祈が住んでいる家で呼び鈴を鳴らしてみても、やはり返事はない。試しに駄目元でドアを開けようとしたところ、鍵が掛けられていなかったらしく、あっさり開いた。引き返すべきか、それとも、かなり失礼ではあるけど勝手に上がってしまうか。
そんなことを悩んでいるとき、沙祈のお父さんの怒号と、沙祈の泣き声が聞こえてきた。