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オーバークロックプロジェクト-YESTERDAY   作者: W06
第五章 『Chapter:Saturn』
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第三十話 『原点』

 力なく崩れ落ちた冥加君は、ぐったりと私に体重をかけている。私はそんな冥加君を固い地面の上に寝かせ、必死に肩を揺さぶりながら大声で呼びかけ続ける。


「冥加君! 冥加君!!!!」

「……土……館……」

「冥加君、しっかりして! やっと冥加君のことが好きだってことを思い出せたのに……私、冥加君が死んじゃうなんて嫌だよ!」


 やっと冥加君に対する想いを思い出したばかりなのに、冥加君ともう話したりできなくなるなんて、絶対に嫌だ。このときの私はただただそういう思いで、どうにかして冥加君の意識を保たせて助けようとしていた。でも、冥加君が言っていた通り、冥加君の内臓はすでにボロボロで助かる見込みはない。もし仮にそうでなくても、この世界に私たち以外は誰もいないし、私は専門的な医学の知識を持ち合わせていない。


 冥加君は助からない。そして、奇跡は起きない。


 もう意識を保っていることさえ辛いのか、冥加君は苦しそうに体を震わせながら、今にも閉じてしまいそうな目蓋の奥から私のことを見ている。私が冥加君の手を握ると、冥加君は残っている力を振り絞って何かを私に言おうと唇を動かしているのが分かった。ゴボッという生々しい音とともに冥加君の口から大量の血が吐き出された後、冥加君の口からゆっくりと言葉が発せられた。


「……俺たちの使命は……世界の真理を理解すること……」

「『世界の真理』……?」

「……そして……この世界は昨日から作られた……これだけは、覚えておいてくれ……」

「『この世界は昨日から作られた』……?」

「……俺がこんな状態じゃなければ、土館のことを助けられたのに……悪いな……あとは任せたぞ、土館……」

「嫌だ! 冥加君が死んじゃうなんて……、こんなところでお別れなんて……、そんなの……嫌……」


 私の瞳から絶え間なく大粒の涙が零れ落ちていく。その涙はすでに肩で息をし始めた冥加君の体に落ち、制服に染み込んでいく。すると、そんな私のことを慰めようとしたのか、冥加君は私の髪を優しく撫で始めた。


「……いつか……元の世界に帰れば、きっとまた会えるさ……」

「う……ぅ……」

「……たとえもう会えなくても……俺が土館のことが好きな事実だけは絶対に消えない……それだけは――」

「冥加君……?」


 私の髪を優しく撫でていた冥加君の手からふっと力が抜け、冥加君の右腕が無造作に地面に叩きつけられた。直後、冥加君はすぐそこにいるのに、私はもう二度と手が届かないような感覚に陥ってしまった。冥加君の目蓋は硬く閉じられ、冥加君は眠っているかのように私の目の前で横たわっていた。


 ついさっきまで感じられていた心臓の鼓動は、もう感じられない。ついさっきまで聞こえていた荒い息遣いは、もう聞こえてこない。そのとき、私は決して信じたくない現実を理解してしまった。


「そんな……こんなのって……う……ぁ……」


 冥加君が死んだ、という現実を。


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 私は、咽喉が潰れてしまいそうになるほど、大声で叫んだ。冥加君が死んでしまって、もう二度と話せないということを信じたくなくって。ただただ、どうすることもできないまま、目の前の現実から目を背けてしまいたかったから。


 もう少し早くに、私が自分の本当の気持ちに気づいていれば、こんな結末にはならなかったかもしれない。この世界が狂うことなく、みんなのことを助けられて、冥加が死ぬ必要もなかったかもしれない。全てはもう終わったことで、今さらどう考えたところでどうしようもないのは分かってる。


 でも、好きな人が死んでしまったことをあっさり認められる人なんていない。死んでしまったことを信じられる人なんていない。やり直したいと思わない人はいない。そして、私もそのうちの一人だった。


「……ぅ……ぁあ……ああ……」


 吐き気が込み上げてしまうほど、私は大声で叫びながら涙を零していた。数分後、散々泣き疲れた私は、ようやく眠っているかのように硬く目蓋を閉じている冥加君を見て思い出した。


 そうだ。冥加君の死を無駄にしないためにも、みんなの想いを無駄にしないためにも、私は与えられた指名を成し遂げなければいけない。だから、私は、もう、これ以上、泣かない。


 私は立ち上がって、冥加君の体から離れた。その後、少し離れたところで血の海の中に沈んでいる海鉾ちゃんを抱え出し、冥加君の隣に仰向けになるように運んだ。変わり果てた二人の姿を見て再び涙が出そうになったけど、私はそれを堪えて、すぐ近くにいるディオネのほうを見た。


「……ディオネ。いや、今は午言って呼んだほうがいいのかな」

「ボクはどっちでも構わないよ。今のお姉ちゃんが呼びやすいほうならね」

「それなら今まで通り、ディオネって呼ぶ」

「うん。分かった」

「改めて、ディオネ。ようやく、私はこのことをあなたに聞くことができる。この世界の秘密のこと、ディオネの正体、そして、ディオネと私の関係について……知っている限りのことを全て教えて」

「そっかー。ついに、話すときが来ちゃったかー……」


 こんな状況なのに、ディオネは普段通りの明るい調子を変えようとはしない。でも、そんなディオネはどこか寂しそうで、それなのに、私のことを励まそうとしているようにも見えた。しばらくの沈黙の後、ディオネは私に質問されたことについて語り始めた。


「さっき冥加さんが言っていた通り、ボクとお姉ちゃんは同じお母さんのお腹から生まれてきた、正真正銘の実の姉妹なんだよ。そして、ボクは『土館午言(つちだてまこと)』と、お姉ちゃんは『土館折言(つちだておこと)』と名づけられるはずだった」

「私が『土館折言』……? それに、名づけられるはずだった……?」

「分かりやすく説明するために、ボクとお姉ちゃんが生まれる少し前に話を戻そうか。その当時は第三次世界大戦真っ只中で、お母さんはそんな荒れ果てた世界で生きていた。元々体が弱かったお母さんは病気になりがちで、何度か入退院を繰り返してたときもあったみたい。そんなとき、お母さんは大勢の男の人たちに乱暴されて、まだ高校生だったにも関わらず、望まない妊娠をしてしまった」

「そのとき、お母さんのお腹にいたのが、私とディオネ……だよね」

「そう。だけどここで、大きな問題が起きてしまっていた。それは、元々体が弱かったお母さんが、大勢の男の人たちに乱暴されて心身ともに重症を負ってる状況で、望まない妊娠をしてしまっていたこと。しかも、お腹にいたのは一人ならまだしも、双子の姉妹だった。つまり、ようは死産するんじゃないかって危惧されてたってことだね」

「でも、お母さんは……」

「当然、中絶するという選択肢もあったはずだけど、お母さんはその道を選ばなかった。いや、もしかするとそれを選べなかっただけのかもしれないけど、どちらにしても、お母さんが私たちを産もうとしてくれたのは紛れもない事実だった。そして、難産を経て、私たちはお母さんのお腹から外界へと産み出されることになる」

「ここまで聞いている限りだと、何でディオネの戸籍情報が登録されていなかったのか、何で私やお母さんはディオネのことを忘れていたのか、そのことが――」

「しかし、さらなる問題はその直後に起きた」

「……っ!」


 私の台詞を途中で断ち切るかのように、ディオネはそう言い放った。私たちの過去を楽観的に考えた私のことを怒るかのように、珍しく非常にきつい口調で。私がそんなディオネに気圧された後、ディオネは説明を続けた。


「確かに、難産だったとはいえ、お母さんは私たち姉妹を産むことができた。お母さんも私たち姉妹も死ぬことなく。でも、それと同時に、ボクとお姉ちゃんの体には、それぞれ大きな障害が生まれてしまった」

「障害……?」

「まず、このことは今のお姉ちゃんも知ってると思う。お姉ちゃんの体は頭部を除いて体中のあちこちが麻痺して動かなくなり、いわゆる全身不随みたいな状態になっていた」

「あ……」


 ディオネが言った通り、今の私にはその記憶がある。私は生まれたときから体が不自由で、お母さんに助けられたり負担をかけてばかりだった。でも、お母さんはそんな私のことを見捨てることなく、不自由な箇所を治す手術を受けさせてくれて、今日になっては何不自由ない体で生活できている。


 まさかそれが、体が弱くて心身ともに重症を負っていたお母さんから産み出されたことで作られたものだったなんて全然知らなかった。いや、今の自分に満足していれば、そんなことを疑問に思うことすらないのだから、知る由もなかったというべきかもしれない。どちらにしても、私は私が産まれてくる前のお母さんの苦悩を完全には理解できていなかったんだと思った。


 そういえば、さっき冥加君に告白されたときに流れ込んできた記憶の波の中に、私が車椅子のようなものに座っている場面があったはず。あれはもしかして、手術を受けられなくて全身不随が治っていない私の姿だったのではないだろうか。つまり、別の世界の私は――、


 と、考えを巡らせていたとき、私はふと思い出した。ディオネは『ボクとお姉ちゃんの体には、それぞれ大きな障害が生まれてしまった』と言っていた。それはつまり、私の体だけでなく、ディオネの体にも何かが起きてしまったということになる。


「まあ、そういうことだよね」

「ディオネ……」

「お姉ちゃんは全身不随の状態で産み出された。そして、ボクは『人間としての原型を維持できていな状態』で産み出された」

「それって……どういうこと?」

「簡単に言うと……本来人間の体は、体内の重要な臓器を守ったり人間として安定した形を保ったりするために、骨とか筋肉とかそういうものを持っている。でも、私にはそういうものがほとんどなく、本来なら体内にあって外界には姿を見せないはずの臓器ばかりがお母さんのお腹から産み出された。それぞれの臓器は露出された血管で繋がっていたとはいえ、医者からしてみても何で心臓が動いているのか不思議だったみたいだね」

「そう……だったんだ……」


 だからさっき、冥加君はディオネに『元の世界のお前には体がない』と言っていたんだ。冥加君は私たち姉妹の体に生まれた障害のことを知っていたからこそ、そう言うことができたんだと思う。産み出される前にお母さんのお腹の中で死んでしまっていてもおかしくないディオネの境遇を思って、私は胸が痛くなって何も言えなくなった。対するディオネは、そんな私に構うことなく続けて言う。


「誰がどう見ても『人間』には見えないけど、生きるのに必要最低限な臓器は全て揃っているし、心臓も動いていた。はじめはその場にいた誰もが驚いたけど、お母さんはどうしようもない障害を持っている私たちのことを大切にしようと決意した。そして、姉であるお姉ちゃんに『折言』と、妹であるボクに『午言』と名づけようとした」

「名づけようとした……? まさか、お母さんの体にも何かあったの……?」

「ううん。お母さんの体はいたって健康的で、一時的に体力が低下していたけど、手術後は少しずつ回復に向かっていたって話だよ」

「よかった……」

「むしろ問題だったのは、このボクの存在だった。ボクは人間として生きるのに必要最低限な臓器を持っていたとはいえ、一概にも『人間』と呼べるようなものではなかった。病院側もこんな例は初めてだったみたいだし、当時は第三次世界大戦真っ只中だからね。産婦人科とか関係なく、医者も看護師も不足していた。だからなのかな……」

「何があったの……?」

「その人たちは私のことを『人間』と認めてくれなかった。それどころか、簡易的な生命維持装置に私の臓器の全てを放り込んでお母さんに渡し、すぐに病院から追い出した」

「え……」

「酷い話だよね。たぶん、その人たちからしてみればただでさえ忙しい状況で、化け物みたいな私とそんな私を産み出したお母さんのことが怖くて怖くて仕方なかったんだと思う。その結果、お母さんは全身不随を抱えているお姉ちゃんと生命維持装置に入っているボクを庇いながら生きていく道を歩むことになった。ここから先は、今のお姉ちゃんが知ってることとほとんど変わらないはずだよ」

「そんなことが……」


 私がまだ幼い頃、お母さんが苦労していたのは知っている。お母さんは自分の人生さえも犠牲にして私を……私たちを育てようとしてくれた。私はディオネのことに関する記憶を持っていないけど、お母さんの性格を考えてディオネの説明を聞く限りでは、きっとそうだったと思う。


 不意に私は思い出した。何で私やお母さんは、それだけ大事な存在であるはずの妹のディオネのことを忘れていたのか。加えて、何でここにいるディオネは、人間としての外見をしているのか。その真相についてはまだ聞かされていない。そのことについて聞こうとしたとき、私が何を考えているのか察知したのか、先にディオネが口を開いた。


「ボクがこの世界で存在しないことになっている理由。それは至極単純な理由だよ。私は『人間』として扱われていないから戸籍情報に登録されていないし、冥加さんも言っていたけど、本来ならボクはこの世界に来るはずじゃなかった。だから、完全にこの世界の住人と化しているお姉ちゃんやお母さんはボクのことを覚えていない……というよりはむしろ、そもそも知らないといったほうがいいのかな」

「だから私とお母さんは、ディオネのことを忘れてたんだ……」

「そして、ボクはこの世界だからこうして人間としての外見を維持できているけど、元の世界のボクは未だに生命維持装置の中だろうね。こんな世界とはいえ、お姉ちゃんと触れ合えたり、ご飯を食べられたり、色々初めてのことを体験できたから楽しかったよ」

「それでだったんだ……」

「ところでお姉ちゃん。どうして、『土館折言』と名づけられるはずだったお姉ちゃんが『土館誓許』になって、『土館午言』と名づけられるはずだったボクが『ディオネ』になったか分かる?」

「……?」

「それはね、ボクが人間として扱われなかったことで名前をつけることができなかったお母さんが苦悩した結果、お姉ちゃんにボクたち二人分の人生を歩んでほしいって願ったからなんだよ。全身不随とはいえ、お姉ちゃんに回復の見込みがなかったわけではないからね。そしてボクは、名づけられるはずの名前を失って、本名を持たないまま、仮の呼び名として『ディオネ』になった。『ディオネ』っていうのはどこかの神様の名前らしいけど、まあ、調べてないから詳しいことはよく分かんないけど」

「それが、ディオネの正体で、私とディオネの姉妹としての関係……」

「そういうことだね」


 ディオネは私にとって大切な妹で、私たちが産まれたことでお母さんを苦しめてしまった。でも、お母さんは私たちを見捨てることなく、ここまで育ててくれた。たとえ、別の世界の私がどうなっていても、この場に私とディオネがいるのだけは変わらない。


「さて、お姉ちゃん。そろそろ本題に入ろうか」

「本題? 今までの話は本題じゃなかったの?」

「これから話すことを考えれば、本題というにはほど遠いかな。まあ、どっちも本題といえば本題なんだけど」

「そう」

「お姉ちゃんは冥加さんとボクから色んなことを聞かされて、今まで分からなかったことを大体は理解できたと思う。この世界の秘密や、お姉ちゃんたちの使命のことや、ボクたち姉妹のこともね。でも、お姉ちゃんは元の世界の記憶を完全には取り戻していないし、冥加さん同様にボクもそのことを言うことはできない。そして、お姉ちゃんがこれから何をするべきなのか、ボクの予想が正しければ、お姉ちゃんはまだ分かっていないはずだよ」

「それは……」

「やっぱり、図星みたいだね。だったら、お姉ちゃんが今するべきことは、もう決まってるよね。ただ一つに」

「え……?」


 ディオネが何を言いたいのか、私にはよく分からなかった。確かに、私は冥加君とディオネから説明を受けて色んなことを理解したけど、これから具体的に何をするべきなのか分かっていない。そんな状況でディオネは私に何をさせようとしているのか、検討もつかなかった。


 そんなとき、ふと私の脳裏にいつかのディオネの台詞が過ぎった。そうか、そういうことだったんだ。


「ディオネ……いつかあなたは『私の願い事を何でも叶えられる』って言っていたよね」

「もちろん、まだまだ分かってないことは多いし、制約もあるけどね」

「ディオネは私に『ある人物を殺させる代わりに願い事を叶える』とも言っていたけど、今やこの世界にいるのは私とディオネだけ。つまり、ディオネの要求は果たされているといっても過言ではないよね」

「そうなるね。それで?」

「だったら、今ここで私の願いを叶えてほしい。この狂った世界を修復して、冥加君やみんなを生き返らせて、あの平凡な日常を取り戻したい。それが……それだけが、私の願い」

「それくらいのこと、ボクの能力を使えば造作もないね。でも、お姉ちゃんはそれだけでいいの?」

「どういう意味?」

「本当に、『この狂った世界を修復し』、『みんなを生き返らせ』、『あの平凡な日常を取り戻す』だけでいいの? あの人たちはこの世界を一周しただけでは使命を果たせなかったのに、お姉ちゃんはもっと大きなことを願えて叶えられえるのに、それだけでいいの?」

「……ああ……そういうことね……」


 ディオネに言われて私が何を言うべきか理解した私は、一呼吸おいて言った。私の記憶を取り戻して、みんなを助けて、使命を果たすためにはそうするしかなかった。でも、それが後々の、何千回と繰り返される惨劇を生むとは考えもしなかった。


「私は……やり直したい。何度でも何度でも、私の記憶が取り戻されて、みんなを助けられて、私たちの使命を果たすまで、この世界をやり直したい。私はあの平凡な日々を取り戻せるのなら、一周だろうと十周だろうと繰り返せる。それが、私の本当の願い」


 こうして私たちの、終わりが見えなくて果てしない、残酷で悲惨な世界は繰り返されることになった。このときの私はディオネがただ『この世界に長居したかった』という理由で私のことを欺いているなんて知る由もなく、浅はかな考えでこれが最善だと思い込んでいた。他にも選択肢はあったはずなのに。でも、そのことに気がついたのは、次の世界が終焉を迎えて、私が死ななければならなくなる直前のことだった。


 私の願いを聞き入れたディオネは、私を人工樹林に連れて行った。そして、いつかディオネと人工樹林にきたときにディオネが気にしていたあの場所に到着し、そこでディオネは何かをし始めた。何をしていたのかはよく分からなかったけど、たぶん私の願いを叶えるためにしていたことなのだということは分かった。


 しばらくすると、その場に旧型の電話ボックスのような直方体が出現し、ディオネはそれを『箱』と呼んだ。それはいわゆるシェルターのようなものらしく、中に入っていれば外部からの刺激を一切受けない仕組みになっているという。それがたとえ、ビッグクランチのような宇宙収縮でも、ビッグバンのような宇宙拡張でも。


 ディオネがそうしたのか、それとも最初からこの世界がそういう仕組みになっていたのかは分からないけど、この世界は九日間で再編される。でも、ディオネはその『箱』に私を乗せることで、私を次の世界に送ることにしたらしい。


 私は今までの記憶を永遠に記録するために、次の世界に行く前にそれを『箱』の内側に書き記すことにした。PICなどの電子端末ではデータが失われたり電源が切れてしまうといけないので、ディオネが持っていた油性ペンで『箱』の内側に私の記憶を書き綴った。


 ここまでは何も問題なく進んでいた。だけど、私はすぐにそれが間違いだったと知ることになる。


 まず、『箱』にはPICを所持している一人しか入ることができず、その人も一度入ってしまうと二度と『箱』に入ることができなくなるということ。これはつまり、ディオネは次の世界に行くことができず、次の世界に行くことができるのはどの世界でも一人までということだった。もし条件を満たせていない人が入ろうとしても、透明な壁のように阻まれて入ることができない。


 そのため、後の世界で冥加君によって『伝承者』と命名される、『前の世界の情報を伝えて、生き残り一人を次の世界に送る』という役割が生まれることになる。各世界の『伝承者』は次の世界に行く際、自分が生きた前の世界での出来事を『箱』の内側に綴ることで、それ以降の『伝承者』を助けていた。


 また、最初の世界で自殺以外による要因で死亡した三人の記憶に、多大な影響が出ていた。その三人とは冥加君と地曳ちゃんとディオネの三人で、他のみんなは完全にこの世界の住人になっており、『別の世界の記憶』も『最初の世界で起きた出来事』も全て忘れていた。


 冥加君はそれぞれの世界で、『最初の世界の人格』と『その各世界の人格』を持ち合わせた二重人格になった。たぶん、最初の世界で死ぬ直前に私を助けたいという思いを抱えたまま息絶えたから、その気持ちだけが世界再編後も残ったんだと思う。


 地曳ちゃんはそれぞれの世界で、『最初の世界で起きた出来事』の全てを忘れ、自分がこの世界に来たのは初めてだと思い込んでいた。地曳ちゃんは最初の世界で自殺しようとしていたのを私たち止められ、自分が死んだのを理解できないまま事故死してしまったから、こうなったのだと思う。これによって、地曳ちゃんと他のみんなの記憶は食い違うことになる。


 ディオネも地曳ちゃん同様に、『最初の世界で起きた出来事』の全てを忘れ、自分がこの世界に来たのは初めてだと思い込んでいた。この世界を繰り返させた本人が忘れてしまっては元も子もない気がするけど、最初の世界のディオネはその次の世界に転移できていないのだから、こうなるのは必然だったのかもしれない。世界再編されて到着した日の晩にディオネが出現するのは変わらないけど、何を話してもディオネは私の言葉に首を傾げるばかりだった。


 『箱』には一人一回しか入れず、各世界では『伝承者』が必要になる。冥加君と地曳ちゃんとディオネの記憶は改竄され、それによって伴う問題もあった。


 あと、世界が繰り返されるとはいっても、発生する事件やその他の出来事が全て同じというわけではなく、『伝承者』の行動もあって、毎回少しずつ異なる流れを生んだ。


 これら全てがディオネの策略によるものだったとは思えない。でも、少なくとも、別の世界での自分の境遇に不満を抱いていたディオネがこの世界に長居したいためにそれに近いことをしようとし、実際にそうなったのもまた事実だった。


 ディオネを責めようとは思わないし、ディオネがいなければそもそも私たちの物語は最初の世界で朽ち果てていたことだろう。だから、今はただ、いつか誰かが全てを解決してくれることを待つばかりだった。


 そう。これは私たち友だちグループの、『原点』とも呼べるお話。そして、惨劇が起き続けるこの世界が繰り返されているのは、土館誓許の……いや、土館折言の願った世界に他ならない。


 いつか、みんなとまた、あの平凡な日々を送れますように。今の私はただ、そう願うことしかできない。みんな、ありがとう。そして、ごめんね。


第五章 『Chapter:Saturn』 完

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