第十八話 『思考』
冥加君と気分転換代わりに遊びに行ってから日は変わり、次の日、日曜日の朝方。私は何をするわけでもなく、ただただ黙って布団の上に座っていた。普段なら何かしらのすることを見つけてそれをすることで時間を潰すけど、今日はそんな気にはなれなかった。
昨日は冥加君と二人きりでいられて楽しかった。美味しいものを食べられたし、お買い物にも行けたし、それ以外にも色々あった。そうやって楽しめたのと同時に、たまにはこういう息抜きも必要なんだと私は改めて実感できたんだと思う。
だけど、今になって思う。私は……本当に、あの選択をして正しかったのだろうか。
私は高校生になってすぐの頃に逸弛君のことを知って、その容姿と人間性から好きになった。おそらくそれは、一目惚れと言っても過言ではないほど、早い流れの中で芽生えた感情なんだと思う。この気持ちだけは今になっても変わることはなく、私は逸弛君のことが好きだ。
でも、昨日冥加君と二人きりで遊びに行って、自分の気持ちがよく分からなくなってしまった。私は逸弛君のことが好きで、冥加君は一人の友だちだというのに、あのとき私は冥加君のことを優先した。冥加君に最近のことを問い詰めているときに逸弛君と火狭さんに会ったとき、逸弛君ではなく冥加君の手を取った。
もちろん、それはせっかく私のことを気遣って休日に気分転換をしようと誘ってくれた冥加君に申し訳ないからという気持ちもあった。それに、水科君に抱き付いていた火狭さんに対して変な意地を張りたくなったというのもあるかもしれない。
だけど、それ以上に、あのとき私は逸弛君よりも冥加君にそうしたいと思った。この出来事の数時間前、冥加君と待ち合わせをしたときにも感じていたことだけど、私はもっと冥加君と二人きりでいたい。心の奥底で、しかし、自分でもよく分かるくらいに、私はそう感じていた。
冥加君と二人きりでいると落ち着いて、冥加君と話していると楽しくて、冥加君と近づくと心が温かくなる。こんな感情、今まで感じたことすらなかった。それはもちろん、冥加君に対しても、逸弛君に対しても。いくら、いつも逸弛君の傍に火狭さんがいたからこれまでろくに話すことができなかったとはいえ、それでも、どこかで私は本心から楽しんでいなかったように思える。
結局、私の気持ちはどうなってしまっているんだろう。逸弛君のことが好きなのは確かだけど、それが恋愛的にどうなのかと言われれば答えに困ってしまう。ついこの前までなら『恋愛的な意味で』と即答できていたのかもしれないけど、たぶん今はできない。そして、逸弛君のことを好きになったきっかけが『一目惚れ』という曖昧なものであるため、自問自答して明確な解答を導き出すこともできない。
うーん……私の逸弛君に対する気持ちについての問題は、これ以上いくら考えても解答に近づくことはないだろう。それに、もし私が逸弛君のことを恋愛的な意味で好きではなかったとした場合、これまで私は何のために火狭さんと険悪な仲になっていたのか分からなくなってしまうし。どちらかといえば、あまり考えたくないというのが本心なのかもしれない。
さて、ここで一つ、例え話をするとしよう。もし、私が逸弛君のことを恋愛的な意味で好きではなく、代わりに冥加君のことを恋愛的な意味で好きだったとした場合、どうなるだろうか。
その場合、まず最初に浮かんでくる疑問は二つある。一つ目は、何で私はそんな大事なことを忘れていて、代わりに逸弛君のことを恋愛的な意味で好きだと思い込んでいたのか、ということ。二つ目は、私はいったい、冥加君のどこに惹かれたのかということ。
一つ目の疑問は、ここまでの話を整理して分かる通り、何か新しい情報が入ってこない限り進展することのないことだ。だから、とりあえずこのことは置いておこう。
二つ目の疑問は、何も私が冥加君のことを嫌いなわけではない。確かに、冥加君は友だちグループの中でもそれなりに人付き合いがよくて、誰にでも優しいし、格好よくないわけではないし、気軽に相談を持ちかけられる人格を持っていると思う。もしかすると、冥加君のことを好きな女の子がクラスメイトの中にも何人かいるかもしれない。
だけど、少なくとも、一目惚れするようなタイプではない。どちらかといえば、友だちとかになって親しくなってから、何週間何ヶ月と話しているうちに、気がつくと好きになっているタイプだと思う。少なくとも、私にはそう見える。
そうだとすればなおさらおかしな話だ。もし私が冥加君のことをそういう経緯で恋愛的な意味で好きになっていたとすれば、まず忘れるわけがない。一目惚れなら、あるときハッと我に返って考え直すこともあるかもしれないけど、何週間何ヶ月と積み上げた好意を簡単に忘れてしまうほど私は愚かではない。
……いやいやいやいや、これじゃあ、やっぱり答えが出てないじゃない!
それからというもの、私は何度も何度も同じようなことを考えては、最終的に結論を出せないでいる自分を責め、再び考え直すということを続けた。そして、そんなことを三時間くらい延々と続けていたとき、不意にディオネの声が聞こえてきた。
「お姉ちゃん。そろそろ気持ちの整理はついた?」
「……え?」
「だーかーらー、自分の本当の気持ちと正面から向き合えるようになった? ってこと」
「まだ自分でもよく分からないんだけど……というか、何でディオネがそんなことを聞くの?」
「ボクがお姉ちゃんの恋愛事情を聞いたらダメ?」
「いや、そういうことじゃないけど……」
何だろう、少しディオネの様子がおかしい。具体的にどういう状態なのかは分からないけど、妙な威圧感がある。もしかして、ディオネ、私が優柔不断過ぎて怒ってる? それとも、私が好きな男の子のことで悩んでいることに苛々してる?
まさか。たとえそうだとしても、ディオネなら正直にそう言ってくるはずだ。そして、今はそうではないということは、ディオネは何か別のことを考えているということになる。それが何かまでは私の知るところではないけど。
ディオネは空中で気持ちよさそうに寝そべっている。下に空気以外何もないのに『寝そべっている』というのは少しおかしい気がするし、空中で寝そべるというのはどういう感覚なのか気になるところだけど、わざわざ聞こうとは思わない。その後、数十秒間の沈黙が訪れた後、ディオネは仰向けにしていた体の向きを百八十度回転させ、うつ伏せのような体勢で私に話しかけてきた。
「もし、お姉ちゃんがどうしても自分の本当の気持ちが分からなくて、それでも知りたいと思ってるのなら、ボクが答えを教えてあげてもいいよ」
「……? どういう意味?」
「『どういう意味』も何も、そのままの意味で、だよ。ボクはお姉ちゃんの本当の気持ちを知ってる。だから、ボクの親切心でそれを教えてあげようって提案してるわけ」
私すら分かっていない私自身の気持ちの問題なのに、他人であるディオネが分かっているとは思えない。でも、私にも、近過ぎて見えていないことの一つや二つあるのかもしれない。つまり、私自身の気持ちの問題は私にとって近過ぎることだから、その問題の第三者であるディオネからしてみれば簡単な問題にすぎないのかもしれないということだ。
私はディオネの台詞の続きを待った。
「昨日から今日まで、今朝から三時間くらい、ボクはお姉ちゃんの様子を見てたけど、今回の件はこっちからしてみればムズムズするようなことなんだよ。何でお姉ちゃんは思い出せないんだろう、何でお姉ちゃんは気づけないんだろう。そんな風に思っちゃうんだよ」
「それなら逆に聞くけど、ディオネは何で私の本当の気持ちとやらを知ってるの?」
「……たぶん、それを言ったところで、お姉ちゃんは『そんなことあるわけないでしょ。あはは』とか言って本気にしないと思うよ」
「……?」
おや? てっきり、今回の件の第三者視点で説明してくれると思っていたけど、どうやらそうではないらしい。それに、ディオネは私がディオネの言葉を本気にしないという前提で話を進めているんだろう。『ただの勘だ』と言われれば私だって本気にはしないと思うけど、それなら私は『そんなことあるわけないでしょ。あはは』なんて言わないと思う。だから、私のこの考えは外れている。
自分が抱いている好きな男の子への気持ちくらい、自分自身で解決しなければならないというのは分かっている。でも、やけに歯切れの悪いディオネのことを放っておけないし、ディオネが言いかけたことが気になって仕方がない。私はディオネに続きを聞くことにした。
「参考までに、ディオネがどういう意見を持ってるのか教えてよ。ほら、私はディオネがどういう理由でその意見を導く結論に至ったと言っても、笑ったりしないから」
「そういう問題じゃないんだよ」
「え?」
「そうだよ。ボクだって、自分自身が何を言っているのか、何を望んでいるのか。そして、それが根本的に矛盾してることくらい充分分かってる。だけど、ボクはお姉ちゃんのことが大好きで、お姉ちゃんには幸せになってほしいと思ってる。もちろん、ボク自身の願いを叶えると同時にそうできれば最善だし、このまま事が順調に進めばそうなるはず。だから、ボクは余計な言動をしないほうがいいに決まっているし、だからこそ、今回の件はお姉ちゃん自身で気づくべきなんだよ」
前にも、そんなことを言われた気がする。確か、金曜日の晩に金泉ちゃんと木全君に会ったときだっただろうか。私は何か大事なことを忘れていて、それは私にとってすぐには信じられないような突拍子もないことで、私自身で思い出さなければ信じられないことなのだという。
冥加君たち六人がそのことを知っていて、ディオネの話を聞く限り、ディオネもそのことを知っている。何で私だけがそんな、記憶喪失みたいなことになっているんだろう。どれだけ考えを巡らせても、その答えは出ない。
ふと見てみると、ディオネは宙で膝を抱えて、私に顔を見せないようにしている。ディオネはその体勢のまま、小さな声で呟いた。
「……ボクからお姉ちゃんに、最初で最後のヒントをあげるよ」
「う、うん」
そして、この物語の核心に迫る『それ』を小さくて掠れそうな声で言った。
「『この世界は昨日から作られた』。そして、『お姉ちゃんたちはあの壊れた世界を修復するためにここに来た』」