第十二話 『狼狽』
ディオネがお風呂場に現れたのは、私がお風呂に入り始めてからすぐのことだった。
「ちょ、ちょっと! どこ触ってるの!」
「いいじゃんいいじゃーん。ボクとお姉ちゃんは姉妹みたいな関係なんだし、それ以前に女の子同士なんだからさー」
「いやいやいやいや! そうかもしれないけど、でも、少しは自重してほし――」
「いや~、お姉ちゃんの肌って本当に滑々だよね~。手触りもいいし~」
「ひゃあっ! なっ、何でそんないやらしい手つきで触るの!?」
ディオネ曰く、さっき私が言った『ディオネも入りたかったら入っていい』という台詞を、私は『お母さんが帰ってくる前なら時間を分ける必要がないから入ってもいい』という意味で言ったけど、ディオネは『私と一緒にお風呂に入ってもいい』という意味で解釈したらしく、こうしてお風呂場に来たのだという。
まあ、男の子と入るわけじゃないし、女の子同士なら何も起きることはないだろうと思って、私は私と一緒にお風呂に入ることを許可した。しかし、ディオネは私と一緒にお風呂に入れたことがそんなに嬉しかったのか、はしゃぎにはしゃいでおり、ゆっくりとお風呂に入ろうと思っていた私の考えはもはや実行できそうになかった。
しかも、ディオネは私の体の至るところをいやらしい手つきで触ってきたり、胸とか太股とか、そういうところまで触ってくる。注意してもやめてくれそうな気配はないし、だからといって無理やり引き剥がすのも冷たいかと思って、ここまで私は大した抵抗すらできていない。
そんなことを考えている間にも、ディオネは私の二の腕や背中を舐めるような手つきで触ってくる。それと同時に、思わずゾクッと寒気が走った。
「え~? ボクはそんなつもりはなかったんだけど、お姉ちゃんがそう感じたってことはもしかして、お姉ちゃんも多少なりともそういうことに興味があるってことでいいのかな~?」
「ち、違っ――」
「おっぱいもみもみ~」
「んぁあっ! ……って、変な声出ちゃったじゃない!」
「もみもみ。ねぇねぇ、おっぱい吸ってみてもいい?」
「何言ってんの!? ダメに決まってるでしょ!?」
「いや~、あまりにも立派なおっぱいだったから、つい。ほら、ボクにはお姉ちゃんみたいな胸の膨らみはないからさ~」
ディオネのその台詞の後、私は一瞬だけディオネの胸元を見下ろした。ディオネの胸はそこまで大きな膨らみこそないものの、まっ平らというわけでもない。少なくとも小さ過ぎるというわけではないと思うけど、何というか、一番返答に困る大きさだった。
「う、うーん、こういうときって、どう返答すればいいの?」
「とりあえず、お姉ちゃんの胸が何センチの何カップかを言ってくれれば済むと思うよ」
「前測ったときは八十きゅ……って、今度は何を言わせようとしてるの!?」
「八十九センチか……さすがだね。んで、お姉ちゃんの体格からしてそのサイズだと、たぶんGかH――」
「わー、わー、わー、わー!」
もしかして、ディオネは女の子に対してこういうことをするのが好きなタイプの子なのだろうか。相手が私だから気兼ねなく、躊躇することなくしているということも考えられるけど、何となくそんな感じがする。まあ、現代では女性のほうが男性よりも圧倒的に多いから、そういう女性も増えているという話を聞いたことがある。たぶん、ディオネもそのうちの一人なのだろう。
それにしても、いくら親しい仲とはいっても、胸の大きさを聞いてきたりするというのはさすがにマナー違反なのではないだろうか。いや、こういうことにマナーなんてものが存在しているのかすら分からないし、そもそも私とディオネは会ってからそんなに日が経っていないわけだけど。それに、途中まで疑うことなく答えちゃったのは私のほうだし。
そういえば、ついさっきまでディオネは私の体の至るところをいやらしい手つきで触ってきてたのに、いつの間にかそれがなくなっている。また変な声を出さずに済むと安心しながらも少し疑問に思った私は、ディオネがいるほうを振り返った。
すると、ちょうどお風呂場のドアを開けて出ようとしているディオネの姿が目に入った。
「あれ? もう上がるの?」
「『もう』って、すでに三十分以上経ってるんだけど、むしろお姉ちゃんはまだ入ってるつもりなの?」
「何だか、あんまり入った感じがしなくて」
「ほほう。やっぱり、お姉ちゃんには百合の素質があるみたいだねぇ~」
「ないない! というか、私は普段から最低でもこれくらいは入ってるし、今日はディオネがいたし!」
「ま、もしそういうのに目覚めたらいつでも呼んでね~。んじゃ、ボクはもう上がるから~」
「はいはい。あ、そうだ。ちゃんと髪を拭いてから服を着るのよー。服が濡れちゃうし、髪も痛んじゃうだろうから」
「あーい。とはいっても、ボクはお姉ちゃんの高校の制服しか着られるものを持ってないけど、別に汚れてないし、まあいっか!」
そういえば、今までこうしてディオネと一緒にお風呂に入るなんてことはなかったし、寝るときは寒そうな下着だけだったから気づかなかったけど、ディオネは私の家に来たときから何も持ってなかったんだった。つまり、当然のことながら、着替えなんて持ち合わせているわけがない。
ディオネはいつもあんな感じで、私に気を遣ってるのかもしれないけど、やっぱり普通の女の子には変わりないはず。だから、毎日同じ服を着るというのは、心身共につらかったはずだ。私が知らない、ディオネの以前がどうだとしても。
私は、お風呂場から姿を消したディオネに聞こえるように、大きめの声で言った。
「ディオネー! あとでその制服とか下着とか洗うから、とりあえずは今は私の服を探して着ておいてー」
「うんー。ありがとー」
よし、これで大丈夫だろう。今は私の服を着てもらっておくけど、また今度ディオネに似合う服を買いに行ってもいいかもしれない。いくら何でも、いつまでも私の服を着てもらうわけにはいかないしね。
「はいはーい! どうしたのー? 冥加きゅーん! ……ん? そうだよー?」
不意に、ディオネのそんな声が聞こえてくる。誰かと電話しているのだろうか。いや、ディオネは元々PICを持っていなかったのだから、もし話せる相手がいたとしても、その連絡方法は分からないはず。ということは……、
何となく嫌な予感がした私はタオルで軽く髪を拭いた後、そのタオルを体に巻き、自室へと戻った。すると、そこには、私のPICを触っているディオネの姿があった。
というか、どこからどう見ても、誰かが私にかけてきた電話にディオネが代わりに出たという図にしか見えなかった。
「ちょっ……何してるの……!?」
「……あっ……ちょっ……やめ――」
『土館? どうかしたのか?』
「……はー、はー……もしもし……ご、ごめん。冥加君――」
『……つ、土館!? もしもし!? おい!? 何があった!?』
急いでディオネから強引にPICを取り返した私は、そのままPICから聞こえてきた声に返答した。どうやら、電話をかけてきたのは冥加君で、珍しく音声のみの通話になっているみたいだった。映像付きの通話だったら色々と面倒なことになっていたかもしれないから、不幸中の幸いといえばそうなのかもしれない。
息を切らしながら、冥加君の切羽詰っているような声を聞く。私は、一度だけ後ろを振り返り、そこで変なポーズをしながら宙に浮いているディオネのことを軽く睨みつけた。
「何のためにディオネのことを隠してると思ってるの!?」
「だってぇ~、お姉ちゃんが『まだお風呂に入る』って言ってたから、ボクは親切心で電話に出ただけなんだよ~」
「はぁ……そういうことならいいんだけど、今度からは電話に出る前にまず私に言ってね? というか、ディオネの声って、私以外の人には聞こえないんじゃなかったっけ?」
「普段はそうだけど、今回は一時的にそういうの全部解除しておいたんだよ」
「やっぱり、映像通話じゃなくて音声通話でよかった……」
まったく。ディオネも良かれと思ってしてくれたんだと思うけど、これでは元も子もない。あ、そういえば、電話に出るのを忘れていた。というか、どうやって言い訳しようか。親戚の子を預かってる……はない。私のお母さんが忙しいことはみんな知ってるだろうし。だったら――、
とりあえず、ディオネのことは私の『妹』ということにしておこう。私は今まで兄弟姉妹のことを自分から話題に出したことはないけど、一時的なら誤魔化せるだろう。それに、これならディオネにも伝えやすいし。
『土館! 今は自宅にいるのか!? だったら、俺が今から助けに行くから、少しだけ待っていてくれ! 生き延びていてくれ!』
「冥加君……違う、違うの……」
『何が違うって言うんだ! 俺は……俺は、土館に何かあったら嫌なんだよ! だから――』
「いや、その、そうじゃなくて……さっき、電話に出たのは……えっと、『私の妹』なの……」
『……………………え? 妹?』
「少し用事があってPICを机に置いていたときに冥加君から連絡をもらったみたい。それで、うっかり目を離している隙にあの子ったら私のPICを勝手に触ったみたいで……ごめんね、変な誤解させちゃって」
『あー、いや、大丈夫だ』
これで誤魔化せた……のかな? まあ、そういうことにしておこう。
『それで、土館は今少し大丈夫か?』
「うん。大丈夫だよ」
『実はな、明日どこかに遊びに行こうと思っているんだが、土館も一緒に来れないか?』
「それは……何人で、誰と行く予定? あ、もしかして、海鉾ちゃんや金泉ちゃんも一緒?」
『いや、実はそのことも少し関係してるんだ。あの二人に何か急用ができたらしくて、それで代わりに俺でよかったら――って思ったんだけど、どうかな? 地曳と天王野のことは残念だったけど、だからといってずっと引きずっていても仕方がないし、色々と分かっていないことも多い。それに、俺も辛かったけど、土館はもっとショックを受けていただろ? だから、その、気分転換になればと思って』
「気分転換……うん、分かった。私も行くよ」
『本当か!? えっと、集合時間と行き先についてはまた明日報告する!』
「うん。それじゃあ、また明日。楽しみにしてるね」
『おう! 任しておいてくれ!』
そう言って、冥加君との電話が終わった。まさか冥加君と二人きりで休日に外出することになるなんて思ってもいなかったけど、たまにはいいかもしれない。冥加君が言うように、気分転換もしたかったところだし。それにしても、海鉾ちゃんと金泉ちゃんは急用ができちゃったんだ。まあ、あんなことがあった後だし仕方ないといえばそうなのかもしれない。
「へー、休日にデートですかー、いいですねー、羨ましいですねー」
「さて。ディオネには色々言わないといけないことがあるから、忘れないうちにしとかないとね」
「へ?」
「まずは、素っ裸で部屋をうろうろするのをやめなさい!」
その後、私は半ば強引にディオネの髪をドライヤーで乾かし、適当な服を着させた。一方で、私の体はディオネにそういうことをしている間に冷えたので、改めてもう一回入ることにした。